カテゴリー「日常挨拶」の記事

2024年1月24日 (水)

日本語表現の中性化

日本語表現の中性化

 

 

欧州の言語にはその表現についての男性、女性の区別が明確なのです。

 

しかし、日本語表現に私が最も違和感を覚えるのは看護師という表現なのです
基本的には医療看護は歴史的にも女性であるのです。しかし、いつから、そして どのような観点から中性化されたのか。おそらく男女平等という概念からなのかもしれません。

 

したがって、看護婦の使用ができないためか、最近の新聞には「女性看護師」との表記がありましたが、これなどは女性という表現を使っているので、おかしいのではないでしょうか。
そのほかにも、看護師の男(31)のような表現があります。

 

例えば、病院関連の記事には、しばしば研修医とか、若い医師などと看護婦との恋愛関係のことがしばしば書かれていますが、そのような記事でも絶対に看護婦という表現は使われず、いつも看護師なのです。下手な勘繰りをすると、もしかしたら、男性の看護師との恋愛、いゃ、レスビアン、などと考える人は誰もいないのです。

 

でも、日本のすべてのメディはこんなことを指摘する人は誰もいないのです。

 

まったく、こうなると、筆者に言わせると、まさに「日本語を壊しましょう」となるのです。

 

 

 

 

もし、そのような観点から看護師との表現にされたのであるならばすべての他の表現にもに同じようにすべてきではないでしょうか。

 

そうすると、日本語表現のすべてを変えなくてはならないのですが、そのような発想は誰も持っていないのです😊

 

例えば、以下のような表現の場合なのです。

 

 

少年、少女    幼年
主婦       家庭士
母親、父親    肉親 
産婦人科     新生児科
男湯、女湯    個別湯
女優       特別俳優

助産婦      新生児介護師

なお、公衆トイレの表現、女性用、男性用の表示もダメ。もっとも、最近はある高速道の公衆トイレは、おおきな円形状のトイレであり、男女の区別がないのがあります・ このトイレには約三十前後の個室がズラッと並んでいて、誰でも簡単に使えるようになっています。特に、高速道路のトイレは観光バスなどが来ると一時に男女混合の観光者が一時にドカッと入ってきますので、待ち時間がなく、スムスに用が足せるのです。 

 

 

などなど。でも、そのような変革は無理でしょう。とするならば、なぜ看護師だけが中性化されているのでしょうか。

 

また、最近の話題になった女子大学とか女子学院などもそのような中性化にすべきとの議論があります。
そうしたら、公衆トイレでも女性用とか男性用などの表現もどうなるのでしょうか。でも、このよえな場合は誰も文句を言わないのです・

 

もうこうなると日本語を滅茶苦茶にすることですね。。

 

このような傾向は男女の区別を意識的に否定してるとも考えられるのです。

 

たとえば、最近の報告によると、
日本の平成29年度の女性管理職は10.9%と発表されましたが、欧米諸国と比較するとおよそ1/3で、アジア各国の割合と比較しても圧倒的に少ないことが分かります。
 日本政府は「女性管理職を2020年に30%を目標」としていますが、まだ程遠いのです。でも、このような場合には女性という限定語がつかわれているのです。

 

(April 2024)
あるサイトに以下のような記事があり、そのタイトルには「看護師を看護婦と呼んではいけない」とありましたが、読んでみると男と女との関係を意識しないために、と理解できるのですが、これは病院という特殊な環境下では相手を女性として意識するのではなく同僚として認識すべきだから、と理解できるのです。 でも、このような解釈を別な角度から見ると、相手を女性として認識しないために看護婦とは言わないとの理屈なのです。
これはこれはまさに屁理屈だと思うのです。つまり、日本語として相手が女性であることを認識させる表現は駄目というのが根底にあるのです。

 

https://rich-v01.bluewin.ch/cp/ps/main/richui/main_swisscom#mail

 

 

もうこうなると、「家の女房」なんて言えませんね。

 

 

 

 

 

 

2023年3月25日 (土)

あなたも、抱擁をしてみては


日本人のあいさつは、普通はお辞儀、例外的に、すこし親身があると握手で終わりです。
しかし、長く欧州に居住している筆者にしてみれば、なんとも歯がいいのです。でも、日本人には抱擁という行為は殆ど出来ないのです。なぜなのでしょうかね。

このことに関して、最近の野球の記事で、日本が世界大会でアメリカを破って、優勝した時の記事にこの抱擁のことが報道されていました。
それを私がツイトに投稿したら、以下のような反応となっていました。


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おめでとうございます。ツイートが注目を集めており、116回表示されています。
【WBC】「たっちゃん、ありがとう」 ヌートバーと選手が抱擁 侍ジャパンのツイートがSNSで反響 https://sankei.com/article/20230323-VONXT47KIJHWNC53OLOTKWQOXE/
そうなんです、日本人には基本的に「抱擁」という行為は"残念ながら"出来ないのですが、欧米ではごく当たり前の愛情行為なのです。みなさんもやってみてください。""""""""""""""
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つまり、抱擁という行為は日本人にとっては高根の花であり、ひとがそのような行為をすると、アル意味では心理的に嫉妬心的なものがあるようです。

私の経験で、あるときに日本に帰国して、久しぶりに姉を訪問して、その帰りに駅まで送ってくれたのですが、その時に一緒に姉のむすめが一緒に来てくれたのです。その時に別れ際に、ごく自然に姉と抱擁したら、そばいたその娘が「私にもして」と抱擁を求めたことなのです。勿論、私にとっては長年の欧州生活で、そのような抱擁自体はとうぜんなのですので、ごく自然にその娘とも一緒に抱擁しました。

つまり、日本人同士で抱擁をするということはかなり心理的に抵抗感があるようなのです。
ですから、長年欧州で生活し、ドイツ人の家内との長い結婚生活では抱擁そのものはごく自然なのですが、ところが、最近気が付いたのですが、欧州生活に慣れている日本人女性の場合では相手が日本人となるとやはり心理的に抱擁という行為は抵抗感があるようで、ある程度親しくなっても、握手で終わり、抱擁は難しいのです。