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2017年5月11日 (木)

「わが闘争」と「日本人慰安婦」との間には共通性がある

教材としての教育勅語に関連した「わが闘争」と「日本人慰安婦」との間には共通性があると言ったら多くの人は一笑に付すかもしれません。でも、よく考察するとこの二つの話題にはある共通性があるのです。

 

それはマスメデイア、つまり日刊新聞が全く触れていないことなのです。もっとも今日のようなIT社会ではなにも日刊新聞を読まなくとも、インタネットで直ちに情報が得られるので、知っている人は知っているのですが、新聞しか読まない人たちにとっては最近の「教育勅語」に関連して、政府がヒットラ-の「わが闘争」を例にとって、そのような本の内容の一部を教材に正しく使っても可ですとの報道が一般の日刊新聞には全く報道されていないので、いきなり「わが闘争」のことが話題になってもどうしてそのような本が問題なのか分からないのです。でも、なぜなのでしょうか。

 

それと同じような例外は日本人の慰安婦の存在にはマスコミは一切触れていません。したがって、戦後生まれの人たちにとっては慰安婦、あっ、それは韓国人の問題でしょうと、割り切っているのです。つまり、そもそも、戦時下で慰安婦を日本国内で募集したのが始まりなのです。その後になって、慰安婦の募集が朝鮮や台湾で行われていたのです。周知のように、朝鮮も台湾は当時は日本の国に属していたのです。一部の人が植民地だと書いていますが、それは間違いなのです。朝鮮や台湾は日本に統合されていたのです。

 

現在の韓国は慰安婦の強制があったことしか宣伝していませんが、必ずしもそうではなかったと理解できるのです。もっとも、どのような場合でも例外はあるので、一部においては強制があったかもしれません。なお、当時は朝鮮や台湾は日本に併合(植民地化ではなく)されていたので、日本国内での慰安婦募集が朝鮮や台湾でもあったのです。

 

いずれにしてもここで取り上げたいのは前述のヒットラ-の「わが闘争」と日本人慰安婦の存在との間の共通性は日本の日刊新聞が全く報道していないことなのです。確かに、日本人慰安婦に関しては朝鮮人と異なって、私はかっては慰安婦でした、とは表立って日本人は口が裂けても決して言えないのです。そこが、日本人と朝鮮人との性格、感性の違いなのです。ある時、朝鮮人慰安婦の問題での討論で、ある人が日本の村山首相に「日本人の慰安婦の存在」について質問したときに、その首相は絶句したとのことでした。

 

戦後まもなく、作られたカストリ雑誌には日本人慰安婦の状況が面白おかしく、しかしまじめに、微に行って記述されていたのです。

 

いずれにしても、この二つの話題に関しては日本の日刊紙はいっさい報道していないという共通性があるのです。

 

その背景にある状況は全く異なるのですが、両者ともある意味では重要な話題なのですが、日本人慰安婦に関して触れたくない話題であり、「わが闘争」に関しては国際感覚が全くない日本の政治家の言動であり、国際的に大きな反応を引き起こさないとも限らないので、おそらく行政からの強い規制があったのでしょう。

 

この「わが闘争」という本がドイツ人がどのような理解をしているのかを知ったら、とてもそのような本をとりあげることは出来ないのです。このことは、逆にドイツのメディアが日本人の慰安婦について日本の政治家に質問したらどのような返答をするのでしょうか。