国籍法11条の理解と解釈
法律の解釈には二通りあり、「理解」と「解釈」とがあり、両者の間には微妙な違いがあるのです。
理解とは文字通り、そこに記述されてある事実をそのまま判断することであり、例えば「1+1 = 2」になるのですが、解釈となると必ずしもそうはならず、その典型的な例としては“法律的な“解釈なのです。法律の解釈は必ずしも「常識的」な理解とは限らず、かなり広範囲な対象をも含むことがあるからです。その典型として「自己の志望」という表現の解釈なのです。
国籍法11条には「日本国民は自己の志望によって外国籍を取得したときには日本の国籍を失う」と記述されているのですが、この条文をそのまま理解する以外にも、状況とか環境などの介入によって文字通りだけの理解には終わらないことがあるのです。そのほかにも「・・・日本の国籍を失う」の解釈なのですか、その行為そのものの施行方法が全く記載されていないので、当然の結果として、つまり「自動的に」とも解釈されるのです。
➀ ある一時期には外務省とか海外公館の説明にはこの条文が「・・・・外国籍を取得した時は日本の国籍を“自動的に“失う」と意図的に「自動的」という表現を付加していたのですが、最近(ここ数年に)ではこの「自動的に」という語句が使われなくなっている傾向があります。これは当然のことであり、国籍の自動的喪失などはありえず、それなりの外国籍取得事実の確認、国籍喪失届の提出、最終的には該当者の戸籍の抹殺のような一連の行為がすべて完了して初めて日本の国籍が無くなるのです。
しかしながら、最近の海外公館のホ-ムペイジにはこの条文の解釈、表現に微妙な違いがみられるのです。つまり、この条文の「・・・日本の国籍を失う」という語句がこの表現以外にも「日本の国籍を失います」「日本の国籍を失うこととされています」などと記述され、微妙な違いがあるのですが、なぜなのでしょうか。
例えば、「・・・記録を失います」「・・・記録を失う」、そして「・・・記録を失うとされています」の三通りの解釈に関しては、それぞれに微妙な違いを考えてみました。
「失います」には事実を端的に表示し、その可能性をも含んでいて、記録を失う可能性もあるから気を付けてください、のような遠回し的な表現でもあり、次の「失う」は事実そのものを端的に表明しているのです。そして最後の「失うとされています」はその可能性をも暗黙的に意図しているのですが、失うことがない場合もありますよ、との意味にも捉えられるのです。
しかし、国籍法11条の場合には外国籍を取得した場合の「失います」は文字通り、結果としての事実を表現しているので、ある意味では「自動的に失う」と確定的になるのかもしれません。このような解釈すると一部の海外公館が「失うとされています」の表現は正しくないのですが・・・。
ちなみに海外の公館の表示の一部を以下に転載します。
ドイツ
外国に帰化した場合等、自分の意思で外国国籍を取得した場合、自動的に日本国籍を失います。
スイス
外国に帰化した場合等、自分の意思で外国国籍を取得した場合、自動的に日本国籍を失うとされています。
英国
自動的に日本国籍を失うとされています
カナダ
自己の志望により外国の国籍を取得したときには、日本国籍を失うこととなりますので、御注意下さい
オストラリア
日本国籍の喪失と国籍の選択
日本人がオーストラリア国籍(市民権)を取得した場合の日本国籍の取り扱いと国籍の選択について説明を掲載致しますので、ご参考にして下さい。 特に、これからオーストラリア国籍(市民権)を取得しようとしている方は、日本の国籍を喪失することがありますので、慎重にご検討下さい。
しかし、このような表現の微妙な違いを正面から考えると、13条に「外国の国籍を有する日本国民は、法務大臣に届けることによって、日本の国籍を離脱することができる」の条文の解釈も、「・・・届けなければ、日本の国籍を離脱することは出来ない」、つまり、届けなくともいいですよ、との暗黙の可能性があるとも考えられるのではないでしょうか。すなわち、「届けなければ、日本の国籍を維持することが出来る」とも解釈されるかもしれないのです。そうなると、届が重要であることになり、11条の「自動的喪失」は間違いになるのではないだろうか。しかも、13条には「前項の規定に届をした者は、その届出の時に日本の国籍を失う」と明記されているので、11条の解釈には「失うことになります」が正しく、「自動的」は全くの間違いになるのです。
② 日本人女性が外国人と結婚した場合、往時には国によっては自動的にその外国人の国籍を授与されることがあったのですが、不思議なことにこの場合には国籍法11条は適用されておらず、対象外であるのです。しかし、結婚という事実は当然のことながら本人の意思であり、文字通り「自己の志望」に該当するのですが、不思議なことにこのような場合には国籍法11条は該当していないとされていたのです。なお、最近では多くの国では結婚による同時、かつ自動的にその国の国籍が与えられることは無くなりつつありますが、いまだにそのような制度がある国は少ないながらも存在するのです。例えば、アフガニスタン、イラン、エチオピア、などが自動的にそれらの国の国籍が与えられています。
なお、20才以前に外国籍を得ている場合には 22才になるまでに国籍選択届を、また 20才以降に外国籍を得た場合には2年以内に国籍選択届を出すことが求められています。理論的には国籍選択届を期限までに提出していないと法務大臣から選択の届を出すように求められ、また該当者との連絡が取れない場合にはその旨、官報に記載され、それから一か月以内に届が出されなければ日本の国籍が失われる、となっています。
しかし、この場合に問題となるのは海外で国際結婚をし、自動的に該当国の国籍を与えられていて、それ以降には日本の旅券を使わなければ、国籍選択届をだすことが必ずしも実施されていないことです。例えば、かなり以前(確か1992年まで)にはスイスでも日本人女性がスイス人と結婚した時には自動的にスイスの国籍が与えられていて、当時にはかなりの日本人女性が日本とスイスの国籍を持っていたのですが、それ以降に日本の旅券を使わなければ国籍喪失届の提出を求められなくなっているのです。もっとも、最近ではそのような日本人女性が日本の旅券の更新に領事館に行くと、更新が拒否されることと「なっている」のです。しかし、13条の国籍の喪失にかんする条文には法務大臣に国籍喪失の届を出さなければ日本の国籍を失われないと解釈できるので、海外で国際結婚をしていた人たちの間に未だに外国籍と日本の国籍を維持している人たちはかなりの数に上るのですが、そのような実態を調査しようとの発想は法務省、外務省にもないのです。理論的には今までに海外で旅券の更新をしていた人たちを対象にして旅券の有効期限が切れている人たちのデタを基に、現在そのような人たちが何処に居住しているかを調査すれば、二重国籍者の実態が明確になるのですが、そのような発想は誰も持っていないのです。もし、正式に、例えば法廷とか議会で、日本は現在の法律では二重国籍を認めていないのですが、現実にそのようなひ二重国者の存在についてなぜ積極的に調査をしないのでしょうか、と詰問した時の政府の返答はどの様になるのでしょうか。
③ 日本で外国人と結婚した日本人が日本で生活しているときに生まれた子供はどちらかの両親(特に父親)が日本人であれば、心理的に日本での出生届を出して日本人になるのが普通なのですが、そのような場合、外国籍を維持しているどちらかの両親(特に母親)が、心理的に自分の子供も自分と同じ国籍を持たせたいと考えるのは当然のことなのですが、そのような場合にその子供の外国籍取得を日本にある該当国の領事館に届を出したときに、この国籍法11条に該当するとして日本の国籍が失われしまう場合があるのです。その原因は日本にある該当外国領事館が日本の法務局に該当国の国籍を与えた旨の通知を自発的にしている場合があるからなのです。
従って、そのような通知を日本国内の法務担当事務所が受け取れば当然のことながら国籍法11条に該当する者として扱われ、日本の国籍が「自動的に」失われ、事情によってはその子供が日本に不法滞在している外国人として扱われ、一時的に拘束、隔離されてしまう実例があるのです。これに関連した家族が日本の国籍の復帰を求めた民事訴訟がありましたが、結果的には敗訴となっています。それは当然で、現在の国籍法11条が厳存する限り敗訴になるのは当然のことなのです。この場合には「自己の志望」が自動的にそのような子供にも"間接的に"認められていることになるのです。
これと似たようなことは海外でも起こり得ることであり、例えば海外在留の日本人が何らかの事情で該当国の国籍を取得した場合には、その該当国の担当者がその該当国にある日本領事館に通知をする場合もあるのです。
このように法律の解釈にはかなりの柔軟性が往々にしてあるのです。
つまり、法律の中の文章と言うものは時として意図的に曖昧性のある文章となっていることがあるのです。例えば、最近の新聞に外国人労働力の問題に関して彼らの永住権や国籍に関しての論説が載っていましたが、その中で国籍法が1899年に起草されたときの憲法学者の穂積陳重と言う人が帰化条件に「素行が善良」であること、と意図的に意味曖昧に書かれていたとのことなのです。もしこれを「一定の条件を具備して居りまする者は許可する」と書くと政府が自由に許可できなくなるので、「品行」のような「量り定めることが出来なくなる」要件を入れ、グレ-ゾ-ンを入れたのだとされいるとのことです。(第13回帝国議会衆議院「国籍法案審査特別委員会速記録」第一号 ) このような曖昧さを意図的に条文化することは特別に目新しいことではないようです。
つまり、現在の国籍法を詳細に検討するとそれぞれの条文の解釈にも極めて曖昧な記述、或いは解釈が可能な記述が散見されるのです。このことはもし、国籍法に関連しての訴訟が行われても、その国籍法の解釈はどの様にも解釈できるという可能性を示唆していることにもなるのです。その典型例は前述のように国籍法11条が適用されて日本の国籍が失われた国際結婚家族が日本の国籍復帰の訴訟を日本で起こしたのですが、敗訴している場合です。現在の11条の条文が存在する限り、「自己の志望」の解釈はどのようにもなるのです。つまり、該当者が子供の場合でも親がその行為を代行することは当たり前だからです。
このように、国籍法11条に記載されている「自己の志望」の解釈ですが、外国人と結婚するという行為は「自己の志望」によるものなのですが、その結果として当然のことながらその居住国の法律により場合によっては外国籍も自動的に取得されることがある(或いは、あった)のです。しかし、この場合の外国籍取得は国籍法の一般的な解釈では「自己の志望での外国籍取得」には該当しないとの認識が国内の法律の識者にはあり、その取扱いが異なるのです。この国籍法11条の概念が初めて国籍法として導入された1898年に当時にこの条文起草に関与してた憲法学者の同条起草概念が以下のように述べられています。「自己の意志を以て日本を離れて外国の国籍に入る者は強いてこれを日本人と為し置くも亳も日本に益なきのみならず国籍の積極的衝突を生ずる障害あり」とされていたのです。(民法修正案理由書附法令修正案国籍法案不動産登記法各理由書66-67頁,1989) つまり、当時の概念としては日本から出て行く国民をわざわざ日本人とみなす必要性はない、と解釈、理解されていたのです。 その当時は海外で外国人と結婚したり、自ら海外に出かけて外国籍を取得するなどの行為は当然の結果として日本人にはあらず、と解釈されていたのです。
このような議論は識者の法律解釈と法廷での解釈とではおそらく異なるのかしれません。いずれにしても、その解釈には柔軟性があり、もし外国人と結婚した時に自動的にその外国籍が与えられることは知りませんでした、と主張することは出来ないはずなのです。しかし、そのような外国の法律があることは知りませんでした、という解釈から現在の国籍法では外国人と結婚した場合の該当国の国籍取得の解釈は11条には該当しないとも解釈可能なのです。しかし、国籍法11条該当者が外国籍を取得すると自動的に日本の国籍法の規定に基づき、自動的に日本の国籍を失うという法律があるのを知りませんでした、とは主張できないのです。つまり、片や外国の国籍関連法律を知らなくて結婚した場合は自己の志望で外国籍を取得したことにはならないが、一方結婚以外の行為で外国籍を取得した場合には、日本の法律に従うと違反になるという事なのです。そうなると滞在国の法律に関しては「知らなかった」が容認され(結婚という行為による自動的国籍授与)、その反面、日本の法律の場合には「知らなかった」は通用しないということになるのですが、果たしてこのような理解の相違が法廷で認められるのでしょうか。
似たような条文解釈のあいまいさの例として同性婚が憲法違反にはならないと一部の憲法学者が解釈しているのです。結婚の定義、概念は何ですかと聞く人はおそらく誰もいないと思います、つまり男女がその対象であるとほとんどの日本人は考えている筈です。それが常識なのです。ところが、最近の同性婚の認容に関して、いろいろと議論されるようになり、世界的な傾向としてはこの同性婚は多くの先進国でも認容されつつあるのが現実です。しかし、日本の憲法では「両性の合意の下で」、とその24条には明記されているのです。ところが最近の同性婚の社会的認容に伴って、この「両性」の意味は必ずしも男女を意味しないと一部の識者が唱えはじめているのです。つまり、「両性」は二つの性と理解され男女の区別を必ずしも意味してるわけではないと解釈できるとのことです。その論理的根拠の背景には「憲法で想定されていないことは憲法で禁じられていることを意味するわけではない」とする説が有力であるとのことです。つまり、「両性」は男女でもあり、男男でもあり、又は女女でもあり得るとのことなのです。同性婚問題が表面化されていなかった時代にはこの両性は当然のことながら男女を意味しているものとの解釈は常識であったのですが、近年に表面化され始めた同性婚が社会的にも容認され始めると、この「両性」の解釈が拡大され始めたことになるのです。その他にも、「憲法で想定されていないことは憲法で禁じられていることを意味するわけではない」ため、憲法学者の間では、憲法は同性結婚を禁止していないとする説もあるのです。
このような解釈を国籍に関連した記述に演繹すると、たとえば「国籍」に関連して、「外国籍のない場合の日本国籍離脱は認めていない」とされているのですが「外国籍のある場合は日本の国籍離脱を認める」という規定がないので外国籍がある場合にはそのまま外国製を維持できるとも解釈できるかもしれません。しかし、そうなると11条に違反するので、このような演繹した解釈は成り立たないことになるのです。そうすると、11条の「自己の意志」で外国籍を取得した場合には日本の国籍を喪失する」という条文に相反するかもしれないのです。もっとも、「離脱」と「喪失」とではその意味するところはかなり異なり、「離脱」は原因であって、そこには自己意志が強く反映されているが、「喪失」は結果であり、その結果に関しては自己認識は全く関与していないことなのです。
このように、法律の条文の解釈に関してははかなりの柔軟性を介入することが出来る可能性があることなのです。