カテゴリー「言語関係」の記事

2019年3月29日 (金)

外国語は英語だけではないのです  

外国語は英語だけではないのです

 

戦後間もなくの「カムカム英語」以来、今日に至るまで、日本では外国語勉強と言えばもっぱら英語のことになり、現在でも英会話上達法とか、英語がペラペラにる、などの宣伝広告が毎日のように新聞にあふれています。確かに日本人にとっては外国語、つまり誰でもが一度は英語で話したいとの願望があるものと考えても大げさではないかもしれません。しかし、残念ながら日本は島国であるため国内での英語を話すことが出来る環境はゼロに近いのです。もっとも、最近では日本に来る観光客が増えていますが、その人たちとの会話をするということは極めて限定的であり、更に必ずしもすべての外国人が英語を話すわけではないのです。

つまり、考えてみればいろいろな環境などを考慮すれば外国語学習の対象は英語だけではないのです。例えば、日本ではあまり関心が求められていないフランス語とかドイツ語とかイタリア語などもある意味では奥深い外国語でもあるのです。同じ外国語を習得するという努力をこれらの言葉に目を向けることは欧州旅行、滞在などに際しても非常に有意義なのです。例えば、スイスのような国では国語がドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンス語の四か国語であり、語学環境は世界のなかでも抜群なのです。むしろこれらの外国語の勉強は日本では希少価値があり、同じ努力でも達成感が得られやすいかもしれません。

 

 最近の新聞に「世界への一歩、言葉と勇気」と題する特集記事が載っていました。その概念は今日のような国際化、グロバル化が急速に進むなか、世界を舞台に活躍できる人材の育成が求められているとして、朝日新聞社が15大学と協力して展開するシンポジウム「朝日教育会議」は、海外に多くの若者を送り出してきた神田外語大学が企画され、とかく「内向き」ともいわれる日本の若者が、世界に飛び出すために欠かせない「言葉の力」について考えているとのことです。

 

ここで改めて考えさせられることはこのような発案は何も今になって始まったことではなく、昭和の時代、いゃそれより以前から言われていたことで、この分野での従来の歴史を知っている熟年社会の者にとってはまさに“なにを今更“の感じなのですが、若い世代の人にとっては常に新鮮な話題なのです。でも、なぜこのような“陳腐な“話題が現在でも新鮮なものとして取り扱われるのでしょうか。それは極めて簡単で、日本は島国であり、海外という表現がいみじくも意味しているのです。つまり、日本から海外に出るということは極めて現代の内向き志向の若者には新鮮な話題になるのです。ある意味では島国に住んでいる日本人には国境という概念を日ごろから身をもって経験する機会がゼロですので、ある意味では常に極めて印象的になっているのです。

 

確かに海外に飛び出すためには言葉の力がある程度必要になりますが、極端な表現を借りれば、この場合の言葉は日本では一般的には英語しか考えられていないのです。でも、海外にはいろいろな国があり、それぞれの国にはそれなりの深い歴史があり、それに随伴していろいろな民族性などが厳存するのです。つまり、海外に飛び出すことができる世界は英語圏だけではないのです。たしかに、現在のようなグロ−バル社会では英語が多く使われていますので、外国語イコ−ル英語と短絡的に捉えられるのも無理がないかもしれません。しかし、観光客として海外に出かるときの言葉の力としての英語と、海外に留学、勤務、在住、居住などをして、ある程度の国際感覚、経験を習得するにはやはり相手先の言葉を身に着けなくてはならないことは意外と忘れられているのではないでしょうか。

 

一旦、海外に目を向けた時、周知のように世界にはいろいろな国があり、それぞれの国でいろいと異なった言葉が使われているのです。このように考えた時には海外と一口に言っても実にいろいろな国があり、それぞれの国にはそれぞれの歴史、文化、伝統などか存在するのです。例えば、欧州と一口に言っても、大きく分けるとフランス語圏、イタリア語圏、ドイツ語圏、スペイン語圏などかあります。更に目的によってはスエ−デン語、オランダ語、ロシア語などが言葉の対象になるかもしれません。その他にもアジアに目を向ければお隣の中国があるかもしれません。むしろ、このような日本では希少価値的な言葉を勉強することは、英語を勉強する同じ努力よりもその効果には輝きが見られる可能性が高いのです。ある意味では同じ努力をしても英語の場合にはほかに何千、何万の日本人が同じ努力をしているので、あまり第三者的には効果が見られないかもしれません。しかし、英語以外の外国語を日本で勉強すれば、それなりの希少価値が表面化する可能性は高く、満足感は大きくなるはずなのです。

 

このように言葉の力という対象には実にいろいろな可能性があり、海外という対象は無限にあることを念頭に「海外」という概念を改めて理解してほしいのです。

では日本でそのよぇな外国語を習得するにはどうしたら良いのでしょうか。勿論、いろいろな外国語学校がありますので、そのような学校を探せばよいかもしれません。しかし、英語以外にはなかなかそのような可能性をどこでも見つけることは不可能なのです。たとえば、大都会以外でそのような可能性をどうしたら見つけることが出来るか。

私が、日本で実際に行ったことを例にとれば、それぞれの国の大使館に誰かを紹介してもらえませんかと問い合わせることから始めてはどうでしょうか。例えば地方にその国の人が滞在、居住している人を紹介してほしいと、連絡することも一つの方法なのです。

 

2019年2月 8日 (金)

奇妙なドイツ語表現集

ドイツ語を習っていて、時として奇妙に感じる表現がいろいろとあるのです。

 

その一
Fliege
この単語は本来は「ハエ」、つまり蠅のことであり、日常的にも頻繁に使われているのです。しかし、そのほかにも「蝶ネクタイ」の意味があるのです。確かに、蝶ネクタイの形は蠅が飛んでいるときの形に似ているからかもしれません。しかし、よりによって、男性が盛装するときによく使われる蝶ネクタイが「ハエ」とはいささか奇妙に感じるのです。

もっとも、日本語の「蝶ネクタイ」もその形が蝶の羽ににているものともとらえられるので、そのような名前がついたのでしょうが、ハエよりはましだと思うのです。でも誰が蝶のことを考えたのでしょうか。

なお、蝶ネクタイのことは ボウタイ (bow tie, bowtie)、とも言われています。

その二
Verstehen Bahnhof
この表現は「あなたの言ってることがわかりません」という意味であり、「駅が分かりません」ではないのです。この表現は日常的に使うことはできますが、公式の場などでは使わない方がよいようです。どうしてこのような表現が「あなたの言っていることがわかりません」の意味に使われるようになったのかという定説は無いようで、調べても、いろいろな仮説が記述されていますが、どれも「ホントとかな」と考えられものばかりです。でも、この表現はドイツ人ならすぐに理解できるとのことです。

その三
Handschuh
 この単語は直訳すると「手の靴」になりますが、これは手袋の意味なのです。ちょっと考えると手に着ける靴のような意味に解釈され、初めてこのような単語に遭遇すると極めて奇異に難じるのですが、靴下がSocke、又はStrumpfになっているのとは対照的です。つまり、靴下はFussschuh、つまり「足の靴」にはならないのです。私はいまだにこのHandschuhという表現を聞くとなんとも言えないおかしさが感じられるのです。もっとも、日本語では手袋,テブクロ、とは言いますが、足袋、アシブクロ、とは言わずに「靴下」になるのと対照的です。しかし、日本語では足袋と書いて「タビ」と読ませるので、外国人にはなかなか理解できないかもしれません。つまり、日本語では着物の時代から「タビ」は存在していたのですが、靴を履くということが取入れられた時に足袋という表現に違和感が感じられて靴の中に使うもの、という理解から「靴下」なる表現に使われたようです。もっとも、この場合は、理屈から言えば、靴の中に入もの、つまり「靴中」にすべきだったかもしれません。

その四
uebergeben
この意味は権力などを「移譲する」、」「引き渡す」、のような意味があるのですが、俗語的に使われると「吐く」「嘔吐する」のような意味があるのです。まぁ、ある意味では胃の中から吐き出すことになるので、外に引き渡すということにも理解できるのかもしれませんね。それにしても意外な使い方です。
なお、通俗的に「嘔吐する」という意味にはkotzenという表現がありますが、これはどちらかと言うと卑語に該当するのかもしれません。

 

その五
Taschentuch
この単語にはハンカチの訳が付いていますが、日本語感覚のハンカチとは多くの場合異なるのです。ドイツ語でTaschentuchというと「鼻をかむ布切れ」、つまり日本語の鼻紙に近いのです。すなわち、現在でも年配のドイツ人、やスイス人などでは鼻をかむ時にいきなりポケットからこの日本語的なハンカチを取り出してそのまま広げてチン、と鼻をかんで、手でそのハンカチを丸めていきなりポケットに突っ込むのです。極めて汚いと感じるのは日本人だからかもしれません。

 

日本語のハンカチは洗った手を拭く、汗を拭うなどに使われるのでが、欧米では洟をかむことなどにも使われると説明されています。たとえば、フランス語の mouchoir は動詞の moucher(洟をかむ)から来ているし、ロシア語の носовой платок は「鼻のスカーフ」の意味だが、どちらも、手拭きなどにも用いられる、との記載があります。

 

その六
Baerenhunger
これは熊Baerと空腹 Hungerとの合成語なのですが、その意味は「腹ペコ」の意味なのです。ですからIch habe einen Baerenhungerと言えば「腹が空いている」の意味になり俗語的にも良く使われているのです。

 

 

その七

tofuwabohu

これをカタカナ書きにするとトウフ ハ ボウフ、になり、初めてこの単語、ドイツ語では一語、を見た時に、えっ、これは日本語、と思ったくらいなのです。例えば、「豆腐は防腐」とも読めるのです。あるいは「東風は暴風」になるかもしれません。

この単語の意味は「めちゃくちゃ」のような意味で日常的にも良く使われているのです。ですから、あの子の部屋は全くめちゃくちゃな状態だ、のような時にも使えるのです。

たしかに、日本語的に考えると変なドイツ語になるのですが、東風は暴風、だと解釈すると、東風が吹いてきて暴風となり、おおきな被害が出て、めっちゃくくちゃになったと捉えれば、ある意味では似たような表現になるのかもしれませんが、・・・・・・・。

 

その八

Hamstarkaeufe

これはHamstar  Kaeufeとの合成語で、予備的の目的でいろいろなものを購入する、のような意味なのです。例えば、災害などに備えて予備的にいろいろな食料品などを備蓄、購入することを意味しています。ここで動物のハマスタ-が使われているのはこの動物が越冬のためにあらかじめいろいろな食料を巣の中に持ち込むことを意味しているのです。つまり、ハマスタ-のように買い溜めするということなのです。

その九

Quatche mit Sosse (Soße)

これはそんな馬鹿な事、という意味の俗語で、Qusatcheという単語は辞書に載っていますが、  mit Sosseという一連の表現はどこにもないので、一部のドイツ人にしか伝わらないかもしれません。でもなぜ、「ソ-スと一緒に」のような意味でのmit Sosseが付いているのはよくわかりません。私が、このような表現を最初に聞いたときに、皮肉紛れに、「でも、どのソ-ス?」と聞き返して相手を笑わせたことがあります。

 

 

 

続く・・・・・

 

 

2018年11月 9日 (金)

あなたはニッポン派、それとも二ホン派

あなたはニッポン派、それとも二ホン派

普段何気なく使っている日常用語も時として紛らわしい発音があるのです。その典型的な例として挙げられるのは日本という国名の発音なのです。普通の会話の中ではほとんどの場合、「二ホン」となるのではないでしょうか。例えば「ニホンジン」であって、「ニッポンジン」と発音する人は極めて稀ではないのでしょうか。ところが、紙幣に印刷されているのはNipponですので、そのまま読めばニッポンになるのです。ですから、正式な国名の発音は「ニッポン」であると解釈できるのです。従って、日本人の発音もニッポンジンとなるべきなのかもしれませんが、通常の会話の中では多くの人はニホンジンと発音するはずです。

似たようなことは日本の通貨、つまり円の発音にもあるのです。これも紙幣に書かれてあるのはYenであるので、正しく発音すると「イェン」となるべきかもしれませんが、日常会話では「エン」、つまりEnとなっているのです。

このように日常会話では意外と寛容的な発音が常用されているのかもしれません。もっと探せば似たような例はほかにもあるかもしれません。

2018年4月23日 (月)

日本語は難しい(12) 語順による理解

日本語は難しい

「学校が透ける制服を配布」
このタイトルを読んだ瞬間、学校が透ける、ってどういうこと考えてしまいました。しかし、これが「学校で透ける制服を配布」あるいは「透ける制服を学校が配布」とすればそのタイトルの意図が一目瞭然ですが、ただ「が」を「で」に置き換えるだけでも一瞬の理解度がことなります。

この表題を書いた人は透けて見える制服に注意が集中し、本能的にそのような表題を付けたのかもしれませんが、第三者が何らの先入観もなくふとこのような表題を見ると戸惑うのではないでしょうか。つまり、このような表題を書いた人と一般の読者との間に内容の理解の程度大きければそれだけ理解の乖離が起こるのです。

このような紛らわしい表現には以下のような例があります。

学校が燃える写真を配布

組合が焼けている焼き芋を配布

警察が水浸しになった写真を回収

このほかにも似たような例として「合成クモ糸繊維」があります。この意味が、「合成されたクモ糸」なのか「クモ糸を使って合成された繊維」なのかによって意味が異なります。

、「合成クモ糸繊維」を使って開発されたドレス。色素をタンパク質に吸着させて鮮やかな青い色を出した。「合成クモ糸繊維」は衝撃の吸収力や軽さに優れているが、これまで生産コストなどの面で量産化は困難とされていた。関山社長は「このドレスの開発で量産化する技術が実証できた」と話している。関山社長は「ラボ(研究室)スケールでしか作れなかったクモの糸が、これだけの製品が製作できる量が作れるようになった。いろいろな工業製品に使う検討ができる段階に初めて入った。大きな一歩」と話した。「合成クモ糸繊維」は自動車のボディーや防護服、さらに医療分野での活用が検討されている。

2018年4月16日 (月)

忖度は官僚からの「おもてなし」

忖度は官僚からの「おもてなし」

最近の新聞記事には森有問題に関連して、忖度の影響が論じられています。確かに、この忖度という表現は昨年の流行語にもなったように以前には全く使われていなかった、と言うよりも誰も知らなかった表現だったと思います。辞書的には「他人の心中をおしはかること」となっていますが、問題はその結果なのです。つまり、原因としての忖度は良いことなのですが、結果として「実際の行動を起こすときに、どのような形で行動するか」と言うことが問題なのです。日常生活の中での忖度は「おもてなし」になり、結果的にはおもてなしの対象となっている人を喜ばせるのです。

つまり、その意味が他人のことを思いはかってその人の為に言われなくとも進んで行動するという意味では、外国人観光客から日本人の特徴として大きく知られるようになったのか゜「おもてなし」なのです。

つまり、日本人、特に男性はどちらかと言いうと無口の場合が多いので、「おもてなし」と同じように相手から求められなくとも、相手の気持ちを先取りしてその人を喜ばせるので、このような日本人のおもてなし行為は日本に観光に来た外国人には日本独特のものとして喜ばれるているのです。ですから、この「おもてなし」という表現は日本人の優れた特質として海外に広まっているので、いずれ世界にも通用するカタカナ表記の日本語になることでしょう。

しかし、この優れた民族性行為が日本国内で日本人同士、殊に政治の世界での官僚の間で発揮すると忖度になるのではないでしょうか。つまり、忖度とおもてなしとはその意図するところは同じなのだが、その対象が根本的に異なるのです。忖度は日本人同士の行動であり、特に官僚同士に自然に使われていたのですが、今回の森友関連業務ではたまたま悪い方向に向かってなされたものと理解できるのかもしれません。

すなわち、忖度は官僚の政治家に対するおもてなしなのです。考えてみれば政治家の国会での答弁は官僚が忖度して作ったものを読み上げているのと同じことで、このように考えるとなまさに日本の政治家の国会答弁は官僚のおもてなしの典型的な日本版になるのではないでしょうか。


2017年7月14日 (金)

驚きの英単語 (その2)

Water

 

このようなありふれた英語の単語はだれでも知っており、「水」の意味があることは「ミネラルウォタ-」のように日常的にも日本語としても使われています。

 

ところが、このような簡単な英語が動詞として使われている時には意外な使い方があるのです。

 

たとえば FDA panel seeks to water down warnigs on Tamiflu side effects.のように文章などに使われ、「文章などを希薄にする」、つまり表現などを「ぼんやりさせる」、のような意味に使われるのです。そのほかにもwaterd assetsとなると「水増し資産」となるのです。

 

Elective

この単語が普通に使われているときは、「選挙に関する」のような意味で、electionの形容詞として使われるのですが、そのほかにも意外と知られていない意味、つまり医学用語的に使われると 「急を要しない、随意の」ような意味があるのです。例えば、elective operationのように。

 

 

 

ところがこのような簡単な単語waterの使い方はフランス語とかイタリア語には全くないのです。

 

2017年6月 3日 (土)

驚きの英単語 (その1)

驚きの英単語

日本人にとって外国語と言えばまず最初に挙げられるのは英語であり、そのほかの外国語はあまり関心の対象にはならないのです。ですから、カタカナ表記の多くは英語に起因しているのが普通で、一般的に英語カタカナ表記が汎用されている例はかなりの数になります。

しかし、そこに引用されている英語起源の表現には意外と全く異なった別の意味があることがあるのです。そのような例を取り上げてみました。

Tattoo
この単語は「いれずみ」という意味で一般的にも使われていて、比較的知られた単語だと思うのです。しかし、この意味以外には「軍楽の行進」のような意味があり、英国のエデインブルグで毎年、演奏会が開かれています。https://www.edintattoo.co.uk
最近ではスイスのバゼルにてもこのTattooが開催されています。

もしかしたら、語源的には「軍隊の更新」と「入れ墨」「との間に何らかの共通性があるのかもしれません。


Humor
この単語は日本語でも「ヒユマァ」とか「ユゥモア」のよぅなカタカナ表記がよく使われています。ところが、この単語には全く次元の異なった「液体」のような意味が、例えば、眼球の水晶体はcrystalline humorとなるのです。どうしてこのような違いがあるのでしょうか。

Formosa
この単語は台湾の英語表記と一般的には思われていますが、この単語には「麗しの島」、つまり緑に囲まれた美しい島という意味のポルトガル語からきているとされています。(ヨーロッパより最初に台湾に到達した船はポルトガルの船であり、ポルトガル人船員が緑に覆われた台湾島に感動して「Ilha Formosa(麗しの島)」と叫んだという伝承から来ています)と説明されています。

Charter
この単語は「憲章」のような意味があり、Magna Charta、つまり英国の大憲章Magna Charterとしてよく使われています。ところが、この単語には団体設立のような意味があり、ある団体の設立時に参画した会員はCharter Memberとなるのです。

Bank
この単語には「銀行」と「ベンチ」の意味があります。

このほかにも、いろいろ探せば全く別な意味を持っている英単語があるかもしれません。

2017年5月30日 (火)

あなたは「ニッポン人」派、それとも「ニホン人」派??

あなたは「ニッポン人」派、それとも「ニホン人」派??

 

カタカナ表記の複雑性

 

現在の日本語にはかなりのカタカナ表記が氾濫していますが、誰もその妥当性については関心を持っていないようです。カタカナ表記の場合、その表記は殆どが英語に由来するのですが、場合によっては必ずしもそうでないこともあるのです。

 

例えば、外国通貨は「ドル」であり英語読みの「ダラ-」dollarではないのです。

 

その他にも「オペラ」は英語の0per、つまり「オ-バ-」なのです。なぜなのでしょうか。

 

このほかにもいろいろと似たような例は日常表現としてカタカナ表記が沢山あるのです。

 

このような観点から、カタカナ表記の妥当性を考えると、意外と日本語の場合にもあてはまることがあるのです。例えば、日本の通貨、「円」はカタカナ発音ではほとんどの人が「エン」だとおもうのですが、これは正式にはYen、つまり「イェン」なのです。また、日本は正式なのは「ニッポン」なのですが、私は普段何気なく「二ホン」と発音しています。ところが、ここで正式にと言ったのは日本のお札にはNippon, Yenと印刷されているのです。つまり、Nihon, Enではないのです。

 

でも、こうなると銀座の真ん中にある「日本橋」は「ニホンバシ」ではなく、「ニッポンバシ」になるのでしょうか。

 

似たような問題は「」外人」と「外国人」との使い分けにもあります。もっとも、この場合はカタカナ表記とは関係ないのですが、その使い分けがなんとなく区別されているのではないでしょうか。つまり、「がいじん」は欧米人を念頭においており、そして「がいこくじん」はそれ以外の人たちを無意識に理解しているのではないでしょうか。例えば、東南アジアの人たちに対しては「外国人」が使われ、「外人」は使わないのではないでしょうか。

 

 

 

2017年5月 1日 (月)

外国語カッフエ

最近は特別な目的で気楽に集まることが出来る「バァ-」とか「カッフエ」が出来るようになりつつあります。
その典型的な例の一つに「猫カッフエ」があります。この「猫カッフェ」は日本発のアイディアだと思うのですが、現在では欧州の主要都市にはあるようになりました。

似たような発想で、「外国語カッフェ」をつくってみてはどうでしょうか。つまり、一定の日に外国語カッフェに集まって、それぞれの言語別にテブルを囲んで、それぞれの言語での会話を交わすのです。勿論、片言の会話でも構わないのです。そうしていろいろな人たちの言語を通じて交友があり、また、自身の外国語会話の進展に貢献できるかもしれません。

どなたか音頭をとってそのような「外国語カッフェ」を作ってみませんか。

2016年12月27日 (火)

「生薬」か「木薬」か ?? (富士か不二か??)

「生薬」か「木薬」か ?? (富士か不二か??)


生薬と書いて、何と読みますかと聞けばほとんどの人が「ショウヤク」と読むはずです。薬関係者なら、生薬学という学問もあり、「ショウヤク」と読まれるのが当然なのです。

ところが、この表現は「キグスリ」と読むことがあるのは現在の多くの人は知らないかもしれません。この表現「キグスリ」は戦前の人たちにとってはそれほど奇異な表現ではなく、「クスリヤ」の代名詞としても使われていたのです。昭和の初期ころまでは「くすりや」のことを「キグスリヤ」とも呼んでいたのです。
よく考えてみれば、薬の歴史を多少なりとも理解してれば、歴史的は薬の大半は植物だったので、この表現、「ショウヤク」が使われいたのです。

もっとも、なぜここで「生」という漢字が使われているのでしょうか。この単語には「生地」(キジ)のように使われているように、「手を加えていない自然のままの性質や状態」を意味しているのです。

ところが、この「生地」という表現は木地・生地・素地のようにいろいろな漢字が使われていることがあるのです。

このように理解すると「生薬」も「キグスリ」と発音していれば、似たような漢字が使われていても不思議ではないのですが、いままでその可能性に気が付かなかったのです。

ところが最近、京都の二条陣屋を見学した時にそこには「木薬」の表現が使われているのを発見したのです。まさに、「生地」と同じ意味に使われていたようです。もっとも、この木薬の使い方が、発音が同じだから使われていたのか、それとも本来のくすりは木にも関係があるから、意図的に使われていたのかは不明です。

これに似たような例はほかにもあるのです。
その典型例は「富士山」の「富士」です。現在ではほとんどの人があの有名な「フジサン」は「富士山」と書くのが当たり前ですが、何とこの「富士」が「不二」と書かれていたことがあるのです。それは浮世絵には富士山を描いたものが沢山ありますが、それぞれの絵には「不二」という漢字が使われているのです。もっとも、よく考えてみれば、あの壮大で、美しい山はほかにはない、つまり二つとはない、の意味で「不二」が使われていたのかもしれません。

このように理解するとその他にもいろいろと似たような例があるかもしれません。皆さん探してみてください。

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