実はその説明にはいろいろとあるのです。
「考察」
まず、この絵についている説明なのですが、この絵があるベニスのAccademiaという美術館にはイタリア語で「Farmacista」となっています。つまり、このイタリア語をそのまま訳すと「薬剤師」になります。なお、この「絵」は現在はこの美術館にはなく、また別の美術館Ca‘ Rezzonicaにもありません。なんでも現在修復中とのことでしたが、ここ二年ほどは両方の美術館にも見当たりません。
この絵が作成されたのは1752年となってます。イタリアでFarmacistaという表現が使われ始めたのはまさにこの絵が描かれた18世紀から19世紀にかけてなので、果たしてP.Longhiがそのような新しい表現を使っていたかはやや疑問があるのです。そのころはSpezialeという表現が使われており、現代風に日本語表現すると「薬屋」になり、薬剤師という確立した職業名ではなかったのです。
次いで一番の問題はこの絵の中で誰が「薬屋」であり、彼が何をしているのか、という解釈なのです。一般的になんらの予備知識もなく、ただこの絵をみてその説明が「薬剤師」となっているのを見たときにほとんどの人が理解するのは中央に白い帽子のようなものを被った人が「薬屋」で、歯を治療しているような印象を受けるのです。でもその当時に「薬屋」が歯の治療をしていたのだろうかとの疑問が生じるのです。
事実、イタリアの説明書には「歯を治療している薬屋」との記載もあるくらいで、昔には歯磨き製品の宣伝にこの絵が使われていたこともあったそうです。つまり、この「絵」を自由に解釈するとそのように解釈してもあまり無理がないのです。そのほからもこの「薬屋」は歯の治療ではなく、この女性の患者は淋病に罹っており、歯肉に問題があり、「薬屋」が水銀を歯肉に塗っているとの説明もあります。確かに「薬屋」、「水銀塗布」となるともっともらしくなりますが、そのような記述の出典がなく私の友人がどこかで読んでいたようでした。つまり、彼の説明ではこの女性は売春婦で性病に罹っているのだということなのです。
しかし、その後の資料を考察すると、この「絵」の説明にL’Apotecario di Pietro Longhi, 1752, Veneziz, Galleria dell’Accademia. Si noti il cerusico in visita presso la farmacia. Lo speziale sta prendendo nota della prescrizione. (Rivista di Storia della Farmaica dell’A.I.S.F. 2013)とあり、「薬屋」は絵の右側にある机に向かって薬の処方を記述しており、中央に立っている人は外科屋(Cerusico)であると説明されているのです。つまり、外科屋が薬屋に来て治療を施していることになるのです。もっとも、ここでは何の治療をしているかの説明はなされていません。つまり、この説明では中央に立っていて治療を施しているのは「薬屋」ではなく「外科屋」なのです。ここでイタリア語のCerusicoは外科医という確立した職業以前の名称で、当時はいまだ経験だけの外科的治療を施して居た人に過ぎず、医者とは格が一多段と低いのです。その頃は「薬屋」の地位は医者の次くらいで、外科屋よりはかなり上だったのです。ただ。ここで注目したいのは「薬屋」に該当する言葉にApotecarioという表現が使われていることです。
このような状況は中世期のドイツ語でBaderという表現がありますが、この意味は格の低い外科屋を意味していたのです。今でもこのドイツ語の単語を辞書で引くと「ふろ屋・散髪屋・外科医兼業」のような(古)訳が載っています。
そのほかにも、この絵を複写したFrancesco Bartolozziによると次のように解説にされています。
Vezzosa giovinetta un morbo assale/
che rauca rende la parola e il canto/
l'esamina un perito e scrive intanto/
Medica penna la ricetta al male
つまり、この説明では治療を受けている女性は可愛い歌手で声がでなくなったので喉の治療を受けている、との説明なのです。こうなると、最初の説明とはかなり違ったものになっています。
ところが、そのほかにも次のような説明もあるのです。
[Gli altri pazienti attendono speranzosi, che il farmacista termini la cura del fastidioso mal di denti che affligge la popolana davanti a lui, l’attesa, lunga e “dolorosa” si rispecchia negli ambienti, che il Longhi rende celebri per la saturazione di sentimenti, ci sembra di attendere infatti, con i pazienti, ore interminabili, sentendo le grida sommesse della popolana causate dal mal di denti e dalla cura del farmacista!] (Ilaria Simeoni)
この人(Ilaria Simeoni)の説明では「薬屋」(Farmacista)が歯の治療をしているとなっているのです。
このように一つの絵の解釈でも立場が異なり、また歴史的経過の知識が在るか無いかによってかなり違ってくるのです。
これらの検証を考察すると、このPietro Longhiの絵は「薬屋の内部で、外科処理者が歌手の喉を治療しており、その治療内容を傍らの薬剤師が記録している」と解釈するのが論理的であると考えました。
今回学んだことはいろいろな絵画、ことに歴史的な背景を持った絵画の解釈、理解には意外な落とし穴があり、今まで説明されていたことが間違い根あるいは曲解であることもあるのです。ですから、美術館に行って解説員の説明をそのまま鵜呑みにするのではなく、批判的な発想を持つことも意外な発想につながることがあるのです。