カテゴリー「文化・芸術」の記事

2016年11月24日 (木)

オペラが向こうからやってきた La Traviata

オペラが向こうからやってきた La Traviata

歌舞伎とかオペラ、演奏会などは劇場などに行って入場料を払って鑑賞するというのが世界共通の了解なのです。これはなにもオペラなどに限らず、音楽会でも同じことなのです。つまり、そのような催し物はお金を払って、特定の場所に我々が出向い、鑑賞するものというのが世界の共通の理解なのです。

ところが、以前にその逆のことがおこなわれたのです。それはオペラが劇場から街の中に飛び出してきたのです。しかも、その場所がスイスの大都市、チュウリッヒの駅の大構内で行われたのです。しかも、その時のオペラはあの有名なベルディのLa Traviataなのです。このような試みはおそらく世界で最初で、また最後かもしれません。

このオペラがあの大きいスイス国鉄の駅の大構内で、しかも無料で行われたのです。ですからその時に駅に居た旅客は自由に鑑賞できたのです。その時の観衆の一人が「オペラが向こうから我々のとこにやってきた」と言うコメントがきわめて印象的でした。この時の様子は以下のサイトを検索するといろいろな情報が得られるます。

La Traviata" im Hauptbahnhof Zürich

もちろんyoutubeでも見られますし、またアマゾンでDVDを購入することも出来ます。なお、いずれもドイツ語解説ですが、この解説を無視しても十分に楽しまれます。

https://www.youtube.com/watch?v=OsyIuaVKnXw

2016年2月23日 (火)

抹茶サロンを海外に出しませんか

欧州では日本の文化は柔道、剣道、空手などのスポ-ツをはじめとし、料理、娯楽などいろいろな領域で日常生活にかなり浸透しています。しかし、その背景を検証すると、日本側が積極的に宣伝した結果現在のように広範囲に愛好されているのではなく、自然の成り行きとして彼らが自然に取り入れた結果と理解するのが妥当なのです。このようにその国の文化とか料理などはいくら相手に押し付けても相手が関心を持たなければ成功しないのです。

最近ではスシ、ラ-メンなどの拡大はなにも日本の料理業界が積極的に宣伝したからでなく、自然の成り行きで爆発的に広まっているのです。その間、日本の関連団体はただ指をくわえてみているだけなのです。その結果、スシに関してはカリホルニア巻きのようなとんでもないものがスシとして常連化してしまっているのです。ともかく欧州でみられるスシの内容を知ったら日本人がびっくりするようなものまでその可能性が拡大されているのです。例えば、握りの上にアスパラガスが二本載っているものまであります。

しかし、文化全般の海外進出は積極的に行うことも可能なのですが、やはりそのタイミングがあります。日本の文化の中でいまだ欧州などでほとんど浸透していないものの一つに茶道や華道があります。もっとも、華道に関しては一部の人が独自の流派(花伝流)を創立しその普及に努めています。茶道も裏千家の出張所のようなものがロマにありますが、これらはいずれも古典的な純日本式の作法であり、一般大衆に広めることは至難の業です。

ところがここ一、二年の間に広まり始めたものに抹茶への関心があります。ともかく、Matchaという名前が使われているのです。例えば、スイスには抹茶入りのチョコレ-トが静かに普及しています。また、最近驚いたのは、ドイツでは抹茶と茶筅のセットがス-パ-の棚に置かれているのです。

つまり、抹茶への関心が浮上しているのでこのような機会に、いっそのこと茶道を積極的に海外に広めてはどうでしょうか。もっとも、日本の茶道界のような徒弟制度的なシステムは欧州では不向きで、抹茶の飲み方を介して茶道というものを広めることです。例えば、抹茶を誰でも気軽に飲めるような「抹茶サロン」のような喫茶店風の店を欧州の大都会に開くのです。つまり、茶道といった堅苦しい作法を広めるのも大切かもしれませんが、純日本式の茶道を海外に広めるのは華道と同じでなかなか難しいのです。

2016年1月19日 (火)

ピエトロ・ロンギの「薬剤師」絵の考察 (その二)

実はその説明にはいろいろとあるのです。

「考察」
まず、この絵についている説明なのですが、この絵があるベニスのAccademiaという美術館にはイタリア語で「Farmacista」となっています。つまり、このイタリア語をそのまま訳すと「薬剤師」になります。なお、この「絵」は現在はこの美術館にはなく、また別の美術館Ca‘ Rezzonicaにもありません。なんでも現在修復中とのことでしたが、ここ二年ほどは両方の美術館にも見当たりません。

この絵が作成されたのは1752年となってます。イタリアでFarmacistaという表現が使われ始めたのはまさにこの絵が描かれた18世紀から19世紀にかけてなので、果たしてP.Longhiがそのような新しい表現を使っていたかはやや疑問があるのです。そのころはSpezialeという表現が使われており、現代風に日本語表現すると「薬屋」になり、薬剤師という確立した職業名ではなかったのです。

次いで一番の問題はこの絵の中で誰が「薬屋」であり、彼が何をしているのか、という解釈なのです。一般的になんらの予備知識もなく、ただこの絵をみてその説明が「薬剤師」となっているのを見たときにほとんどの人が理解するのは中央に白い帽子のようなものを被った人が「薬屋」で、歯を治療しているような印象を受けるのです。でもその当時に「薬屋」が歯の治療をしていたのだろうかとの疑問が生じるのです。

事実、イタリアの説明書には「歯を治療している薬屋」との記載もあるくらいで、昔には歯磨き製品の宣伝にこの絵が使われていたこともあったそうです。つまり、この「絵」を自由に解釈するとそのように解釈してもあまり無理がないのです。そのほからもこの「薬屋」は歯の治療ではなく、この女性の患者は淋病に罹っており、歯肉に問題があり、「薬屋」が水銀を歯肉に塗っているとの説明もあります。確かに「薬屋」、「水銀塗布」となるともっともらしくなりますが、そのような記述の出典がなく私の友人がどこかで読んでいたようでした。つまり、彼の説明ではこの女性は売春婦で性病に罹っているのだということなのです。

しかし、その後の資料を考察すると、この「絵」の説明にL’Apotecario di Pietro Longhi, 1752, Veneziz, Galleria dell’Accademia. Si noti il cerusico in visita presso la farmacia. Lo speziale sta prendendo nota della prescrizione. (Rivista di Storia della Farmaica dell’A.I.S.F. 2013)とあり、「薬屋」は絵の右側にある机に向かって薬の処方を記述しており、中央に立っている人は外科屋(Cerusico)であると説明されているのです。つまり、外科屋が薬屋に来て治療を施していることになるのです。もっとも、ここでは何の治療をしているかの説明はなされていません。つまり、この説明では中央に立っていて治療を施しているのは「薬屋」ではなく「外科屋」なのです。ここでイタリア語のCerusicoは外科医という確立した職業以前の名称で、当時はいまだ経験だけの外科的治療を施して居た人に過ぎず、医者とは格が一多段と低いのです。その頃は「薬屋」の地位は医者の次くらいで、外科屋よりはかなり上だったのです。ただ。ここで注目したいのは「薬屋」に該当する言葉にApotecarioという表現が使われていることです。

このような状況は中世期のドイツ語でBaderという表現がありますが、この意味は格の低い外科屋を意味していたのです。今でもこのドイツ語の単語を辞書で引くと「ふろ屋・散髪屋・外科医兼業」のような(古)訳が載っています。

そのほかにも、この絵を複写したFrancesco Bartolozziによると次のように解説にされています。
Vezzosa giovinetta un morbo assale/
che rauca rende la parola e il canto/
l'esamina un perito e scrive intanto/
Medica penna la ricetta al male

つまり、この説明では治療を受けている女性は可愛い歌手で声がでなくなったので喉の治療を受けている、との説明なのです。こうなると、最初の説明とはかなり違ったものになっています。

ところが、そのほかにも次のような説明もあるのです。
[Gli altri pazienti attendono speranzosi, che il farmacista termini la cura del fastidioso mal di denti che affligge la popolana davanti a lui, l’attesa, lunga e “dolorosa” si rispecchia negli ambienti, che il Longhi rende celebri per la saturazione di sentimenti, ci sembra di attendere infatti, con i pazienti, ore interminabili, sentendo le grida sommesse della popolana causate dal mal di denti e dalla cura del farmacista!] (Ilaria Simeoni)

この人(Ilaria Simeoni)の説明では「薬屋」(Farmacista)が歯の治療をしているとなっているのです。

このように一つの絵の解釈でも立場が異なり、また歴史的経過の知識が在るか無いかによってかなり違ってくるのです。

これらの検証を考察すると、このPietro Longhiの絵は「薬屋の内部で、外科処理者が歌手の喉を治療しており、その治療内容を傍らの薬剤師が記録している」と解釈するのが論理的であると考えました。

今回学んだことはいろいろな絵画、ことに歴史的な背景を持った絵画の解釈、理解には意外な落とし穴があり、今まで説明されていたことが間違い根あるいは曲解であることもあるのです。ですから、美術館に行って解説員の説明をそのまま鵜呑みにするのではなく、批判的な発想を持つことも意外な発想につながることがあるのです。

2016年1月12日 (火)

文献調査の難しさ/ピエトロ・ロンギの「薬剤師」絵の解釈 (その1)


  ひとつの論文を書くときにいろいろな文献、資料を引用、参照しながら書くのが普通ですが、問題は参照する場合なのです。ここで、一応明確にしたいのは文献などの「引用」は文字通り、参考にした文献などの記述そのものを転記するのであって、そこには自分の考えで勝手に判断して書き直してはならないのです。その一方、「参照資料」または「参考資料」はそこに記載されてある内容を参考にして、場合によっては私見を加味して記述することができるのです。ですから、厳密には「引用文献」と「参照文献」とでは若干の違いがあるのです。

ところが、そのほかにもう一つの問題点があるのです。例えば、ある絵画に関しての解説が挙げられます。美術館に行っていろいろな有名な絵画などを美術館専属の専門家の解説を聞きながら鑑賞する機会は稀ではありませんが、その人の説明が本当にその絵を描いた人の考えそのもののを代弁しているのか、それとも第三者的な観点からの理解なのかは定かではありません。多くの絵画は画家自身がその背景となる考えなどを詳細に記録しているとは限らないからです。

例えば、かの有名なロダンの「考える人」の彫刻です。一般的に解説されているのはあの像は「何かを考えている」といった哲学的な概念の象徴として一般的には捉えられています。ても、この像の解説をみると次のように書かれています。

「東京の国立西洋美術館の前庭に、ロダン作の「地獄の門」があります。巨大なこの作品の上の方に、かなり小型の「考える人」の像がついています。京都国立博物館の「考える人」の形はこれにもとづいて、さらにそこから独立させたものなのです。「地獄の門」は、ダンテ(中世から近世初頭にかけてのイタリアの詩人)の『神曲』という詩編の中の「地獄編」に描かれる、地獄におちた者たちを審判官が見ている場面からきているのですが、いっぽうの「考える人」はまったく同じ形ではあっても、そのような背景はいっさい切り捨てられ、ひとりの人間の思惟している姿となっています。前の作品からその一部を借用して、そこにまったく別の意味づけを与えてしまうというはなれ術は、何もこの像だけに限ったことでなく、いろいろなジャンルの芸術作品にしばしば見ることができます。
 「地獄編」の内容から解放された「考える人」は、もはや地獄の霊魂について考えているのでないことはもちろんのこと、何について考えているかについては、鑑賞者の自由な想像力にまかされます。」

つまり、この像そのものを全体から切り離してみれば「考える人」との解説にうなずかれると思うのですが、本来はこの像は地獄を見ていることになるのです。つまり、このような理解の違いは絵画鑑賞の世界ではあり得るので、我々が美術館の専門官の解説、説明を聞いてもそれが絶対であるとは限らず、もしかしたら、その絵画の原作者は全く異なった意図で書いていたのかもしれません。

ところが、場合によってはこのような自由度のある解説が当惑することがあるのです。
それはイタリアの中世期の有名な画家のひとりであるロンギ(Pietro Longhi)という人が描いたものです。この絵はイタリアのベニスにある美術館(Academia)にあるのですが、この美術館にある目録にあるこの絵の解説には「薬屋」との記載があるのです。(オリジナルはイタリア語でFarmacistaとなっていますので、直訳すれと薬剤師になるのですが、これが描かれた時代は中世期の時代ですので薬剤師という表現にはせず薬屋という訳にしています。ちなみに当時の薬屋はイタリア語でSpezialeと呼ばれており、Farmacistaという用語は1800年代以降に使われ始めたのです。このような歴史的背景を理解すると美術館に展示されている絵にFarmacistaと書かれてあるのは誰かが勝手に書き足したもので、ピエトロ・ロンギ自身が書いたものではないことになります。)

この絵は容量が大きくてここに添付できませんがPietro Longhi Farmacistaで検索すればすぐに見られます。

この絵と表題とを見て皆さんはどの人が薬屋で何をしているのかを想像できますか ?!!。

実はその説明にはいろいろとあるのです。 (つづく)

2010年12月 2日 (木)

常識という罠からの解放 (1)

常識という罠からの解放

  最近の報道によるとある農業高校生が白いリンゴを作るのに成功したとか。つまり、従来のリンゴについての常識は赤色か、あるいは黄色かであったのですが、この学生はリンゴの実をそっくり袋で覆って白いリンゴを作ったのです。しかも、その場合に周りの葉を切り取らずにそのまま残しておくという方法を使って、従来以上の甘みのある白いリンゴが出来たというのです。ご存じかもしれませんが、リンゴ全体をを赤くするためにそのそばにある葉は切り取って太陽がまんべんなく当たるようにしているのですが、この学生はその手法通りせずに、袋をかぶせるだけのやりかたでより甘みが増すことに成功したとのことです。
  また、似たような常識外れの発想例として、竹中工務店の人が発見した仕事によるストレス解消の手口として、玉砂利の上を歩く時の音、秋の枯れ葉の上を歩く時のサクサクという音にはストレス解消効果があることが分かり、これらの音をオフィスに導入する研究を進めているとか。この研究ではそのような音を聞くことによって唾液中のストレスホルモンの分泌が減少したとか。これなども、従来の常識、つまりオフィスなどは完璧な静寂が求められているのとは全く正反対の発想です。
  これらの例は従来の常識というものがあまりあてにならないものを裏付けているのではないでしょうか。ある意味では常識が如何に恐ろしい先入観であることが分かります。その典型例のひとつとして新聞報道とかテレビ番組があります。私たちはややもすると新聞報道とかテレビ番組でのニュースは真実を伝えているものと暗黙のうちに信じていますが、場合によってはその陰には大きな作為があることを認識すべきかもしれません。
  いずれにしても、日常生活の中にあるいろいろな常識を改めて見直して、その反対の発想で研究、実験などをしたら意外な発見があるかもしれません。みなさんも、一度そのような観点から身の回りにあるいろいろな習慣、制度などを逆の発想で考えられては如何でしょうか。つまり、日常生活、業務などで、「何故??」の発想を無限に発揮することです。

  とくに海外から日本を眺めながらこのような発想でいろいろな分野を観察すると意外な発見があるものです。つまり、なぜなのだろうかという発送を常に維持しながら新聞を読んだり、テレビを見たりするだけでも意外な発想が出てくるものです。

2010年2月14日 (日)

日本不思議文化(2) 日本人の宗教概念

前回、日本人の宗教に関連して神社仏閣の前でしかお参り、お祈り出来ない不思議に触れましたが、日本人の宗教心に関してはさらにいろいろな不思議があります。たとえば、仏教徒であってもほとんどの人が仏典を読んだことがないことです。キリスト教には聖書か、イスラム教にはコ-ランがあってみなさんが教会でかならずその一部を耳にすることはできます。また多くの家庭には聖書、あるいはコ-ランがあるのです。ところが、日本人は自分の家庭に仏典を置いていることはまず稀です。おそらく国旗の日の丸を持っている家庭がほとんど皆無なのと同じくらいにそのような仏典を持っていません。ましてや、神教ともなるとその存在すらわかりません。なにしろ、神教にはそのような聖書は存在しないからです。 確かに、日本の仏教は歴史的にも大乗仏教であり、庶民の日常生活とはかけ離れてしまっているのもその原因かも知れません。

このように日本人が宗教というものにあまりこだわらないことは、現在の世界をみたとき、宗教が原因でいろいろな紛争が起きている現象は日本人にはほんど理解できないでしょう。海外では宗教が原因で、内乱、戦争が始まることは現在でも起こりえるのです。 それにしても日本人の宗教に関する知識、関心、関与は海外からみると極めて異常です。ともかく何も知らないからです。海外で外国人に仏教や神教に関する宗教議論、討論が行われたらほとんどの日本人はお手上げなのです。

2010年2月13日 (土)

日本の不思議文化(1) お寺、神社ではなぜ外からのみ拝めるのか

どうしてお寺や神社では建物の中に入ってお祈りしないのか。

 

日本人の宗教に対する寛容性は世界でもまれな現象ではないでしょうか。とくにこんにちのようなイスラム教過激派によるいろいろな問題派生から考えたとき、日本では宗教に起因する問題はまず不可能に近いのです。

 

この場合、日本人が宗教に寛容性があるものと解釈するのか、それとも宗教に対する無理解、無関心が根底にあるのはその判断は極めて微妙です。なにしろ、子供のころには神社にお参りするのは七五三に代表されますし、結婚にさいしては教会か神社、そしてお葬式は仏教、ときわめて自由に使い分けていてもなんらの違和感を感じません。

 

ところが、神社仏閣での日常的なお参りでは通常の参拝者は建物の外からお参り、拝むのに対して、キリスト教、イスラム教社会ではかならず建物の中に入ってお祈りします。でも考えてみたらこれほと信者に冷たい扱いをしている宗教は仏教、神教だけなのです。いったいどうしてなのでしょうか。せっかくお参りに来ても、神社、お寺の建物の中に入ってお参り、お祈りすることが特別な出来場合を除いてはできないのです。あるいは日本人の宗教心というものは極めて表面的なものであり、キリスト教のような真剣性がないのかも知れません。つまり、日常行事のひとつとして扱われ、特別に宗教心があるのではないかもしれません。

 

それにしても、日本の仏教はこのような状況に満足しているのでしょうか。