カテゴリー「学問・資格」の記事

2016年9月 4日 (日)

イタリア・ロ-マの国立高等衛生研究所(ISS, Roma)

私が1961年から二年間、客員研究員として滞在していたロ-マの国立高等衛生研究所の紹介記事が最近のLancet誌に紹介されています。

イタリア・ロ-マの国立高等衛生研究所(ISS, Roma)
Lancet August 30, 2016
Profile: Istituto Superiore di Sanità, Rome, Italy

 

私がこの研究所に勤務したのは、当時、日本の国立衛生試験所の環境衛生部で温泉分析の仕事に従事していて、海外の温泉研究はどうなっているのかとの意図から、どこの国が良いかを検討したのですが、その当時は温泉科学、Balneology,の分野で研究所や温泉医学講座があるのは欧州だけ、特にフランス、ドイツ、イタリアの三か国にしかなかったのです。アメリカには温泉そのものはあるのですが、アメリカ人は温泉医学などは全く信じておらず、従ってBalneologyという学問自体は存在しないのです。

しかし、これら三国に留学するにはそれぞれの国の言葉での試験があるので無理かと思ったのですが、イタリアの場合には例外として理科系の分野からの人の場合には英語での試験も可、という例外項目があったのです。それでイタリアへのイタリア政府国費留学生試験を受けて、イタリアに行けたわけです。

この研究所でイタリアの温泉研究を二年間続けることが出来ました。その間にイタリア各地の温泉医療施設などを見学することも出来ました。

この研究所は戦後にアメリカのロックフエラ財団の援助で設立されたもので、イタリア国内での衛生関連研究所の代表的なものなのです。

 

 

 

 

2014年1月18日 (土)

海外留学の勧め/ イタリア留学の例 (*)

海外留学の方法 イタリア留学の例

現在の日本の若者の海外に出かける熱気がどんどん下がっていて、最近では海外の大学に出かける人はかなり減りつつあることが指摘されています。その最大の傾向はアメリカの大学で勉強する若者が極端に減りつつあることが指摘されています。とくに比較されるのは中国や韓国の学生のアメリカの大学留学生数で、最近は日本からアメリカに留学する若者の比率がどんどん下がっていることです。

このことに関して、アメリカの大学関係者からはもっと沢山の日本人学生がアメリカの大学に留学すべきであるとのコメントが出されています。でもこのコメントはアメリカ人の時代感覚のずれを示していると思うのです。というのはもし日本人の留学生が減っていることに対して懸念を持つならば他の欧州からのアメリカへの留学生についても言及すべきなのですが、欧州と日本とでは状況が同じとは考えないのでしょうか。

つまり、欧州の若者がアメリカの大学にわんさと留学すべきであるとは発言せず、彼らに対してはあまり関心が無いように、日本も昔とは異なりそのようなアメリカ留学への関心が減っていると理解すべきだと思うのです。このことを裏返せば、そのアメリカの大学関係者はアジアはいまだ開発途上国だからもっとアメリカに留学すべきとの暗黙の解釈があるのです。ある意味では日本の学生はわざわざアメリカまで出かけて箔を着けて帰ってくるという時代はとうに卒業してしまったものと解釈すべきかもしれません。

このような日本の若者の海外志向の減少はある意味では当然のことなのです。今日のような情報社会では海外の情報は瞬時に得られるので、戦後まもなくの頃のようにわざわざアメリカに出かけて勉強する気にならないのかもしれません。

それとそのような日本の若者の傾向を現在の中国や韓国と比較することはあまり意味が無いのではないでしょうか。往時は日本からアメリカの大学に留学する学生はかなりの数になり、あまりに希望者が多く、正規にアメリカの大学に留学することはかなり難しい時期がありました。そのときには中国や韓国からの学生は極めて少数ないしはゼロであり、ちょうど現在の状況とはまさに対比的な状況だったのです。

したがって、たんなるアメリカ留学学生の数だけを比較してもあまり意味は無く、それぞれの国内事情、学生の価値観の変化などがそのような現象の背景にあるものと理解すべきではないでしょうか。したがって、単なる学生数だけを比較して、日本人学生の海外学習熱の低下を嘆いてもあまり意味が無いでしょう。

それでも、若いうちに海外の大学とか研究所に行くことは大きな意味があり、出来ればいろいろな国に出かけて欲しいものです。特に日本のような島国に住んでいると、とかく国際的な観点からのものの見方が出来なくなり、最終的には日本にとっても大きなマイナスとなるのです。

ここで海外に勉強に出かけるといってもいろいろな場合があります。なお、本稿では単なる語学留学は対象外としています。

例えば、大きく分けてその可能性を分析しますと以下のような状況が考えられるのではないでしょうか。

 1)高校とか大学に在籍中に一年とか二年間海外の学校に留学する
 2)大学を卒業してから海外の大学、研究所に留学する
 3)大学を卒業して就職してから業務に関連した大学、研究所などにある期間留学する

これら三つの可能性はそれぞれマイナスの面とプラスの面とがあり、どの時点でどの方法を選ぶかが大きな問題になります。ただひとつだけいえることは海外の大学に行く場合には日本の大学を卒業してから行ったほうがいろいろな観点から有利なのです。特に日本の大学を卒業していれば、国によっても制度は異なりますが、多くの国ではその国の大学の全過程を再履修する必要がないからで、途中編入することが出るのです。したがって、そのような例では相手国の大学によっても異なりますが、一年半か二年の学習で必要単位を取得してその大学卒の免状を手にする子ができるのです。

そのほかにも大学院に留学して、その国の修士号、博士号を取得することもできるのです。もっとも、日本の大学で専攻した分野とは全く別な過程となると日本で履修した単位はあまり活用できません。ここで言及した途中編入の意味は日本と同じ学部を他の国で卒業する場合になります。この方法の得点は、一年か一年半くらいの習得期間でそのくにの言葉をかなり身に着けることができ、しかも、同じ学部であるので、日本での知識がそのまま生かされる可能性が高く、短期間でその国の大学卒の免状を手にすることができるというメリットがあります。

三番目の日本での就職先から海外に研究目的で海外の大学、大学院、研究所などに留学することはその職場環境いかんにより、かなりその可能性が狭まりますが、可能性は探せは意外とあるものです。そこでひとつの可能性として筆者が選んだ経験を述べてみます。

私は日本の大学を卒業して国立の研究所に勤務したのですが、その業務関連で海外に出てみたいとの漠然とした希望がありました。そして考えついたのはそれぞれの国が提供している国費留学生制度を利用することでした。周知のようにいろいろな国が海外の学生や研究者に対して国費留学制度を提供しています。確かにその年間枠はあまり大きくはありませんが、それでも国によっては二桁台の学生、研究者が利用できるようになっています。確かに、このような制度を利用するときの問題は相手国如何によってはその競争率はかなり激しくなり、またその選抜試験もありますので、必ずしも簡単ではないかも知れません。

私の場合には実際の業務に関連した相手国を選ばなくてはならなかったのですが、その可能性のある国はドイツ、フランス、イタリアしかなかったのです。周知のように相手国の国費留学制度を利用するにはその国の言葉ができなくては最低限の資格がなく、そのための選抜試験には該当国の言語での試験があります。そうなると、当時の私にはこれらの外国語の知識はほとんどゼロに近く、とてもその国の言葉での試験に通る可能性はゼロであったのです。

しかし、それぞれの選抜試験の内容を検討したところイタリアにいく場合には例外項目があったのです。それは医学、薬学などの自然科学関係のイタリアの大学、研究所に行くための人に対しては例外として語学試験は英語でも可とあったのです。つまり、イタリア政府としては芸術、美術、音楽分野ではイタリア留学を希望する人はごまんといるのですが、それ以外の科学分野の人たちにも来てほしいとの願いがあったのです。それでそれらの分野の人たちには例外として選抜試験は英語でも可となっていたのです。ちなみにその当時のイタリア国費留学生の年間枠は十人でしたが、試験結果の発表ではやはり音楽・芸術関係の人も多かったのですが、自然科学分野からは三人が入っていました。そのときの留学生同期には声楽の東 敦子さんがいました。

このように相手国によっては意外と似たような例外項目があるので、やはり詳細に検討する必要があることです。ですから、スエ-デンとかデンマ-ク、オランダなどはそのような可能性があるかも知れません。ですから、相手国の国費留学制度を利用するときには海外留学は英語圏だけの大学、研究所しか可能性がないと考えるのではなくもっと柔軟に考えてみてください。なにも留学は英語圏だけではなく、ある意味では無尽にあるのです。言葉なんて、その国に行って三か月くらい勉強すればなんか講義についていけるようになるものです。

もちろん、このような国費留学生制度以外にも自費留学という方法もありますが、これにはかなりの出費が伴いますし、既存の留学援助団体を利用するといろいろな問題があるようです。たとえば、私の知人はイタリアに留学したのですが、現地では日本語の通訳がついていたような場合もありました。このような留学は最低だと考えられ、あまり意味がありません。

もっとも、中には、海外に留学して帰国したときに就職がどうなるかとの心配があるかもしれませんが、一度海外で勉強したいと考えて実行する人ではそのような考えがあったら、いっそのことその国に残留するくらいの気力は持っているはずですよ。

追記 (2014 March)
  最近では「留学へトビタテ」とのモット-のもとに文部科学省が留学支援制度を始めているようで、もちろんこのような制度を利用することも可能になります。要は、よく探せば結構いろいろな方法があるものです。単に規制の制度だけを念頭に置くのではなく、例えば、論文などから自分の専門分野での相手先を選んで、大学とか研究所に直接手紙を書いてみることです。相手によっては意外と真剣に受け入れを考えてくれる可能性もあるのです。

2012年1月30日 (月)

文献の孫引き

 論文を書くときにはいろいろな関連文献、参考文献などを引用することはごく普通ですが、その場合に、それぞれの引用文献を十分に検証することも大切な作業になります。しかし、場合によっては目的としている引用文献がなかなか手に入らないときとか、他の論文でも頻繁に引用されていたりすると、ややもすると目的とする引用文献のオリジナルを入手しなくとも済んでしまうと安易に考えることが往々あります。これがいわゆる「論文引用の孫引き」に該当するのです。たしかに、頻繁に引用されている論文ではそのたびにオリジナルの文献をいちいち入手して参照しなくとも済んでしまうと短絡的に考えることがあります。ところが、これが時として曲者になるのです。

  最近私が経験したのですが、ある論文がいろいろなところで引用されており、したがって肝心のオリジナル文献の入手、検討を省いてしまったのです。ところが、その後になって肝心のオリジナル文献を苦労して入手して内容を検討したところ、意外な事実が分かったのです。この場合、まず雑誌名がTrends in Medicineと孫引き文献には書いてあったのですが、検索してみるとその雑誌名はTrends in Moecural Medicineが正しいのです。実際にTrends in Medicineで検索するとTrends in Molecural Medicineが現れるのです。

  しかも、肝心の引用部分はオリジナル文献の内容に手を加えていたのです。どのような操作かといいますと、オリジナル文献では有効率がナンパーセントとなっているのですが、孫引き文献では、それを逆算して、無効率として換算表示されているのです。結果的には同じかもしれませんが、有効率40%と表記するのと無効率60%と表記するのとでは読者がうけるインパクトは異なると思うのです。確かに、結果的には同じことですが、なにかしっくりしない感じを持ったのです。でもこのような操作は許されるのでしょうか。でも私の考えではやっぱり、オリジナル文献通りに表記すべきでしょう。

  たとえて言うならば、ワインがグラスに半分満たされているときに、それを表現するのに、ワインがもう半分しかない、と考えるのか、それともワインはまだ半分残っていると考えるかとの相似た微妙な表現の違いかもしれません。

  しかも、場合によってはオリジナル文献として引用されていてもそのオリジナル文献の性格によっては入手することが不可能な場合があります。たとえば、雑誌のような公共性のあるものではなく、会社内のニュ-スとか所内報とかのような場合があり、その場合には第三者がその原報を入手することが困難な場合もあります。そのようなときにはその報告者、著者の書いていることをそのまま信用するしか方法がありません。なお、ホ-ムペイジとかブログは公共性があるものとしてとらえられ、引用することができます。ですからブログに書かれたものを引用するときには注意が必要です。たとえば、新聞に投稿するときには自分が書いたブログはすでに公表済みとして取り扱われていて同じ内容のものは採用されません。最近、ドイツの大臣がが学位論文を書いたときにホ-ムペイジかに書かれあるのを引用したことが発覚し最終的には辞職したことがありました。

2011年6月 7日 (火)

東日本大震災と事前予測評価・信賞制度の道入

東日本大震災と事前予測評価・信賞制度の道入

  今回の福島原発の事故に関して、この事故原因の予測性が大きな議論の対象になっている。つまり、原発関係者は今回の地震による津波は原発設計時には考えられなかった「想定外」であるとの解釈で押し通そうとしている。一方、津波の研究者によれば今回の津波の規模は決して想定外ではなく、津波の歴史を詳細に調査、検証した結果、想定内であると結論づけている。一般的に、ある事件、災害などが起こった時、それらを未然に防ぐ可能性はあったのか無いのかとの議論が必ず登場する。しかし、そのような予測性の問題を提起する場合に二つの過程がある。一つはそのような事件、災害が発生する以前にそのような可能性を予測している場合(事前予測)と、発生後になってから過去の事例などを取り上げてその予測性は可能だったと議論する場合(事後予測)とがある。ここで大切なのは「事前予測」であり、その予測は極めて重要であり、しかも価値があるが、「事後予測」は極端にいえば誰でもできる性格、内容のものである。今回の東日本大震災の津波の予測に関して、2009年6月に独立行政法人「産業技術総合研究所」の岡村行信活断層・地震研究センター長は経済産業省で開かれた「古い原発の耐震性を検討する専門部会」で平安時代の869年に起きた貞観津波の痕跡を調査、研究した結果を踏まえて、福島原発を大津波が襲う危険性を指摘していたことが報道されている。これはまさに事前予測に該当し、その価値は極めて重大であった。一方、東大のゲラー教授は1896年の明治三陸地震での巨大津波などを例に挙げて今回の津波は予測できたと四月になってから英科学誌ネイチャーに論文投稿していた。これはまさに「事後予測」に該当するもので「事前予測」と比較するとあまり価値がない。しかし、残念ながらマスコミをにぎわせた今回の津波並びに原発事故予測性の議論はその多くが「事後予測」の内容であった。

ここでこの種の評価を点数制にすると
   評価レベル1   事後評価の場合
   評価レベル2   事前評価、ただし何ら積極的なアクションを取らず、発表、公表のみ。
   評価レベル3   事前評価、何らかの積極的な行動が少なくとも一回いなされた。
   評価レベル4   事前評価 何らかの積極的な行動が二回以上。

  問題はこの「事前予測」の意義である。確かに二年前に岡村センター長は重要な指摘をしていたが、それが真剣に前向きに受け入れられず、今後の検討課題としての認識しか関係者にはなく、その後はこの指摘、警告が軽視、無視されていた。(この場合の評価レベルは2) しかし、別な視点に立てば問題はこの事前予測に対する本人の対応、反応にもある。通例の場合、ある重要な指摘、提案をしても、もし受け入れられなければ、残念であるがやむを得ないと引き下がって沈黙するのが一般的な傾向、姿勢である。これはある意味では致しかたの無いことかもしれない。しかし、もしそのような指摘、提案が本当に重要で、もし無視されればきわめてその結果が重大なものになるとの本人自身の確信があるならば、他のいろいろな機会を作ってでもその確信を社会に向けて発信する倫理的、社会的な責務があるのではないだろうか。例えば、そのような確信情報を関係者に書面で配布するとか、雑誌或いは機関紙に載せるとか、又は自分のブログ(公表性あり)に載せるとか、ともかく何らかの形でその確信情報をいろいろな形で、しかも頻繁に推し進め、公表する努力が必要ではなかろうか。

  そこで一つの提案は、このような「事前予測」に関しての「事前予測評価・信賞制度」を導入することである。そこでは、予測の「重要性」と「公表性」の二要因(実際に起こった時点での被害の程度の評価、ならびに予測公開努力度評価)をもとにして、その予測が現実化した時点で、専門家を含めた委員会がその内容を評価し、その評価内容によりいろいろな信賞を交付する制度を作ってはどうだろうか。つまり、その予測性の重要度と、公表の度合い、たとえば何回公表しているかなどに応じてその予測が現実のものになった時点でしかるべき専門家、機関、団体などがその事前予測者に賞を与えることである。このような制度は一見、現実とはそぐわないものと考えられるかも知れないが、かっては不可能と考えられていた公益通報者保護法、通称内部告発制度、のようなものも時代の流れの中で誕生しているので、決して突飛な発想ではない。

  しかも、このような事前予測評価・信賞制度は何も今回の原発・津波災害に限らずいろいろな分野の予測にも当てはめることができる。例えば、薬害に関して社内・社外を問わず研究者がある重大な問題、たとえば致命的な副作用、を問題が重大化する以前に市販直後の段階で予測出来していたときにはやはりこの事前予測評価・信賞制度を適用することも可能である。もちろん、この制度はあくまでも「事前予測」に限定されることは当然である。たとえば、イレッサの裁判で問題視されている間質性肺炎への添付文書への反映度合いについても、イレッサ発売直後に致死結果を伴った間質性肺炎が報告されてきた時点でその重大性を指摘し、問題視し、それ以降の発生の可能性、致死例の予測性を何らかの形で指摘、公表した社内関係者、医療関係者は皆無であった。現在のイレッサ裁判での議論はあくまでも「事後予測」に基ずくものであり、予測という観点からはあまり意義のあるものとは受け止められないが、残念ながら薬害裁判のすべてがこの「事後予測」評価を中心にしてなされている。

(注) 本提案は朝日新聞の「私の視点」欄に投稿したが採用されなかった。


(参考までに雑誌「プレジデント」2011/4.18号からの抜粋記事)

政府や原子力安全・保安院、そして原発事故の直接責任者である東京電力は、「放射能は微量であり、 直ちに生命を脅かすほどのものではない」と説明する。しかし、拡散する放射性物質を浴び続けると、線量・発生源からの距離・浴びた時間次第では微量でも有害だ。
また、地震による「想定外」の津波が事故原因であるかのような物言いがまかり通っているが、これも事実ではない。震災直前の2月28日、東京電力は新潟と福島の三原発17基で計429機器の点検洩れを認めている。想定外どころか、驚くべき規模の管理怠慢である。
問題はさらに根深い。実は5年前の2006年3月1日の衆議院予算委員会分科会で、まさに今回同様の事故への懸念が指摘され、危機を回避するための措置を講じることが「約束」されていたのだ。
質問者は日本共産党の吉井英勝衆院議員、答弁者は二階俊博経産相(当時)と政府参考人の広瀬研吉保安院長(同)。以下はその議事録からの抜粋だ(敬称略)。
吉井「冷却系が喪失するというのが津波による(略)問題」「大規模地震によってバックアップ電源の送電系統が破壊される」「老朽化したものの実証試験を行ったということはどれぐらいありますか」
広瀬「実証試験は行われておりません」
吉井「東電福島第一の(略)6基では、基準水面から4メートル深さまで下がると冷却水を取水することができないという事態が起こりうるのでは?」「……それをどうしていくのか」
二階「今後、経済産業省を挙げて真剣に取り組んでまいりますことを、ここでお約束申し上げておきたいと思います」
必要性を理解して行為を怠れば、それは行政の不作為であり、今回の被災規模を考えればその責任は重大だ。これでは、いま刻々と報じられる説明や発表さえ信じられなくなる。「基本的な事故データが開示されず、状況を把握できない」(吉井議員)ことに誰もが苛立っている。特に3号機は、他の1、2、~6号機と違って猛毒のプルトニウムとウランとの混合燃料が使用されたプルサーマル型。専門家なら10人が10人、最も危険視する原発である。
情報が開示されず“金縛り”に遭ったまま、国民は危機回避の機会を奪われている。

2010年12月31日 (金)

長井長義と私

私と長井長義
  日本の薬学関係者で長井長義の名前を知らない人はいないと思います。明治時代の薬学界の重鎮で、エフェドリンの発見者としても知られています。この発見はノーベル賞に該当するほどのものでした。現在でも長井長義記念会館が渋谷にあります。長井長義はドイツに長く留学し、ドイツ人テレーゼ・シューマッハと結婚しニ男一女に恵まれました。その長男が長井アレキサンダーでした。

 

実は私はこの長井アレキサンダー氏による面接試験を受けたことがあるのです。私が、大学を卒業してから、国立衛生試験所に勤務していたころに、イタリアの国費留学生に応募して、書類選考の結果、採用され、イタリア大使館での面接試験があったのです。その時に長井アレキサンダー氏が試験官として目の前に現れたのです。

 

どうして、イタリア大使館での面接に彼が来られたのかは不明ですが、恐らくお父さんの長井長義との関係で薬学出身の私の面接を依頼されたのかも知れません。当時、長井アレキサンダー氏は既に高齢に近いかたでしたが、かなり長身で白髪だったと記憶しています。考えてみれば意外な組み合わせかも知れません。

 

この長井アレキサンダーについては現在少なくとも検索してもなにも手掛かりになるような情報は掴めません。親の長井長義があまりにも有名であるためその陰に埋もれてしまっているのかもしりません。

 

したがって、私には当時、この長井アレキサンダー氏が何をされていたかは全く知りませんでした。それにしても、薬学出身者の私が、明治時代の薬学界の重鎮である長井長義の長男との接触があったことは今になって考えてみると歴史のいたずらかもしれません。まことに感銘的な面接でした。

 

なお、長井長義は衛生試験所の所長をも兼任していましたが、明治18年に所長を中浜東一郎に譲っているのです。なお、この中浜東一郎という人は日本人で最初にアメリカに渡ったジョン・万次郎の長男なのです。こうしてみると当時の衛生試験所には歴史上著名な人が所長に任命されていたのが分かります。

 

長井長義についての詳細は「長井長義伝」(金尾清造著、 日本薬学会、 1960)で知ることが出来ます。