カテゴリー「グルメ・クッキング」の記事

2017年4月17日 (月)

麺類を食べるときになぜ音を立てるのか 「空気の味」

麺類を食べるときになぜ音を立てるのか

麺類を食べるときにズルズルと音を立てながら食べることに対して、いろいろな説明がなされていますが、その中でやや正しい説明と考えられるのは「啜ると麺とツユと空気が混在して口中に入る。空気が混在することで、麺やツユの香りが立ち、舌と嗅覚の両方で味わうことができる。啜らない場合と比べて、より美味しく豊かな味を堪能できる」との説明でした。

この点をもうすこし“科学的“に解説してみました。

食品の中には空気を意図的に含ませた食品が沢山あります。よく言われている「ふっくらとしたパン」のように。そのほかにもカステラも中に適当な空気が含まれているのが特徴です。このような食べ物を口に入れるとその中に含まれている空気が微妙に味覚に影響を与えているのですが、通常ではそのようなことを考える人は少ないのです。もし、そんなことはありえないと反論する人に対し、ではカステラを口に入れる前に手で固めて団子のようにして食べてみてください、と聞いてみてください。そうすると“ふんわか“としたカステラの味と団子状にしたカステラとでは味が微妙に違うことが分かるのです。同じようなことは麺類でも言えるのです。つまり、麵汁の中に入っている麺をそのままズルズルと食べるときと、その麺を手で固く丸めて食べた時では同じものでも味に微妙な違いがあるのです。
その他にも、所謂「空気の味」を経験できるのは、ビ-ルをコップに注ぐときにかなり上からコップにビ-ルを注ぐと大きな泡の層が出来るのですが、この泡の部分を飲むと通常の液体の状態でのビ-ルと微妙に味が違うのです。もっとも、このような場合の微妙な味の違いを認識できない人にはその他のいろいろな場合のびみ微妙な味の違いについてのくべつは出来ないかもしれません。

このように麺類を食べるときにズルズルと音を立てることによりかなりの量の空気が麺と一緒に口の中に入り、味覚に微妙な変化をもたらすのです

その他にも形によって、食べるときに口の中に入る微妙な空気の量の違いによっても味が微妙に変わるのです。その典型的な例は、スパゲッティなのです。日本ではあまり知られていないかもしれませんが、このスパゲッティにはその太さによって八種類くらいの異なった製品があるのですが、レストランでは一種類のスパゲッティしか使っていないのが普通です。しかし、家庭でスパゲッティを料理するときにはいろいろな太さのものを買うことによって、自分の味覚に合ったスパゲッティを食べることが出来るのです。なお、スパゲッティの一種に中が空洞になっているスパゲッティがあるのです。これはイタリア語ではフィスキエッテイと呼ばれていて、これを食べるときには音がするのです。これも空気を一緒に口中に入れることにより味が変わるのです。

ですから、外国人になぜ日本では麺類を食べるときに音を立てるのかとの疑問に対してこのような説明をすると理解してもらえるのです。
もっとも、このような食べ方は日本ではそのまま通用しますが、海外では音を立てないで静かに食べることになります。これは習慣の相違ですか、いたしかたがないのです。

その他にもビ-ルをコップにかなり高い所から注ぐと泡がかなり立ちますが、その泡の部分を吸うように飲むと、液状のビ-ルと少し異なった味がするのです。これも、空気による味の影響とも言えるでしょう。

いささか脱線しますが、人前で音を立てるということに関しては日本人がとても出来ないことの一つに、欧米人は鼻をかむ時にやおらハンカチを取り出して、ひとまえでもブッ、と大きな音を出して鼻をかむのです。こればかりは日本人にはできません。いまたに多くの欧米人はハンカチでは鼻をかむのです。汚いですね。


2017年3月10日 (金)

ついに現れた「すしバ-ガ-」

ついに現れた「すしバ-ガ-」

今では日本のスシは世界中に広まっており、おおくの人がスシレストランで箸を上手に使った食べているのは当たり前になっています。

欧州などでも、最近はちょっとした町にも必ずすし屋が存在し、曲がりなりにもスシが食べられるのです。
ここで「曲がりなりにも」、と書いたのは日本のスシを連想して、そのような欧州の「すしレストラン」にはいってスシを食べるととんでもないものに出会うことがあります。

例えば、カリホルニア巻き、とかシャリの上にアスパラガスが載っているものもあります。

ところが最近になって、「スシバ-ガ-」があらわれたのには腰を抜かしました。いったいどうやって食べるのでしょうか。
写真によるとスシのニギリが二つ重なり、その間にハンバグのようなものが挟まり、それらをハンバグのように積み重ねて、それらを上から棒のようなもので下まで突き刺しているのです。

2017年2月12日 (日)

中國人が日本料理をつくる時代

中國人が日本料理をつくる時代

もし、日本で「最近は中國人が日本料理を作るようになたのですね」と言ったら一笑に付され、なにを馬鹿なことを言っているのかと思われることでしょう。

しかし、これは海外、特に欧州ではもう常識になっているのです。もっとも、そんなことに気が付き、このようにコメントするのは私のような日本人だけなのです。欧州の一般の人たちは日本人と中国人との区別は出来ないし、またそのようなレストランで働いている人たちは現地の言葉で接客しているので、殆どの客は相手が中国人との認識はないのです。

いずれにしても、欧州では近頃はどこでもスシは食べられるようになっています。従って、欧州の人たちも箸を使って食べることにはあまり違和感がないのです。もっとも、その度合いは年齢層によっても大きな違いがあります。

スシの普及とともに日本食への関心が高まり、日本レストランとして開かれているお店がかなり増えてきています。特に大都会には数軒ないしそれ以上の日本レストランが見つかります。しかしながら、それらのレストランで日本人が厨房に立っているとは必ずしも限らないのです。外からみればに日本レストランと書かれてあり、そのお店の名前もFujiya, Yoshino, Tokyoなど日本の名前が付けられてあるのです。

ですから、外から見ただけでは日本人コックが日本料理をつくっているものとも考えられるのですが、実際はほとんどが中国人が厨房で日本料理を作っているのです。しかも、そのメニュをみると日本でのレストランと同じメニュがずらっと並んでいるのです。ですから初めてそのようなレストランに入っても、出される料理がどのようなもので、味付けがどうなのか、或いは衛生面はどうなっているのか、など細かいことは全く分かりません。しかし、総体的に味をみるとやはり中国人は中國人的感覚で料理を作るので、我々日本人の口には合わないのです。

このことはスシ・レストランでも同じことです。とくにスシは欧州ではものすごく普及していて、最近ではス-パ-でもプラスチック容器入りのスシが売られているのですが、冷たい棚に陳列されているので、シャリが固くなり、とても食べられた代物ではないのですが、本当のスシの味を知らない欧州の人たちはそれが当たり前だと思っているので、美味しそうに食べています。しかも、最悪なのは日本ではとても考えられないようなしろものがあるのです。たとえば、シャリの上に小さなアスパラを載せたものがあったり、最低なのはカリホルニア巻きなどとても日本の寿司屋では食べられないようなものまでスシとして売られているのです。

そのような環境にある欧州での日本レストランも出し物の名前は日本のレストランと全く同じですが、その作られ方はレストランによっては区々です。

その他にも多くの日本人が批判するのは中國人がつくる日本料理は脂っこいとか、味が全く異なるとか、ともかくなかなか日本人の口には合わないようです。

最近は、そのほかにもBento Boxの名前で作られてあるものもありますが、日本の駅弁を頭に描いてはとても食べられたものではありません。

このように欧州の都会には日本レストランがどんどん開かれているのです。しかも、それらのレストランで厨房に立っているのは中國人なのです。

こればかりは止めることも出来ませんし、文句を言えないのです。そんなことに目くじらをたてても始まらないのです。だって、日本でも、イタリアレストランとかフランスレストラン、のような外国料理の名前が付いたレストランのほとんどは日本人コックが作っているからです。

ですから、欧州などで、日本人が作っているレストランで日本食をたべたいと考えるときは、そのお店のホムペイジを見て、もしそこに日本語の説明がなければ100%中国人のお店なのです。あるいはレストランに入って日本語のメニュ・リストが無ければ中国人のレストランと区別しても間違いはないようです。

2015年12月20日 (日)

ついに現れた「甘いスシ」

日本食の代表的な料理の一つのスシ(寿司)はいまや世界中に普及しています。どこの町にも必ずすし屋があるのですが、多くの場合、日本の古典的な(?)スシとは全く異なったものまで普及しています。中にはとても日本では考えらないようなものまでもスシの名前で食べられているのです。

ともかくその普及率はかなり高く欧州のちょっとしたス-パ-とかコンビニなどもすでに作られてプラスチックの箱入りのスシセットも普及しているのです。もっとも、このようなスシは低温ケ-スに置かれているので、数時間もするとシャリが固くなって日本人にはとても食べられない代物なのですが、生身のマグロとかシャケなどが使われているので致し方がないのかもしれません。

しかし、ほとんどのすし屋は中国人や土地の人たちがスシを握っており、日本人がいるすし屋はあまり多くはありません。もちろん、大都会の日本料理店などでは日本人スシ職人がいますが、ス-パ-などに配達されているスシは時としてとんでもないものがあります。そのひとつは通称、「カリホルニア巻き」という日本では絶対に見られないものもあります。

ところが、このクリスマスを迎えた大売出しの時に、とんでもないスシが現れたのです。それは文字通り「甘いスシ」、つまりシャリの上にジャムなどの甘いものが載っているのです。ちょうどパンにジャムとかその他の甘い果実ペイストが使われているのと同じ感覚なのです。これにはびっくりしました。

2014年10月 1日 (水)

スパゲッティで蕎麦

日本の典型的な料理の一つの「蕎麦」とか「うどん」は当然ながら、素麺とかうどん麺を使うのが常識ですが、意外にもスパゲッティを使って、ソバ汁とかうどん汁と一緒に料理すると意外と美味しく食べられることを最近発見しました。

みなさんも一度ためしてみては如何ですか。ソバとかうどんとかの歯ごたえが少し異なり、意外な発見でした。
つまり、ソバとかうどんを作るときに、乾麺の代わりに市販のスパゲッティ麺を使うので。特に、うどんの汁を使って食べると意外と歯ごたえがあって美味しく感じます。そうなると、中華麺も案外スパゲッティ麺を使えるかもしれません。

2011年6月17日 (金)

伝統食文化への国際化の影 (*)

伝統食文化への国際化の影響

  今日のような国際社会ではいろいろな面でのグロバリゼーション化、国際化が劇的に進行し、たとえば、動物愛護とか人権問題など往時ではとても考えられないような概念が導入されている。場合によってそのような新しい概念の導入を問題なく受け入れることは困難な場合もある。そもそもこの国際化のもたらす問題にはポジティブな面、ネガティブな面の両面があることを認識すべきで、ちょうどコインには両面があるのと同じことである。たとえば、ある国固有の伝統食文化に関しても、この国際化の影響を避けて通ることはできない。

  たとえば、2009年度第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞受賞のイルカ漁の隠し撮りドキュメンタリフィルムがいろいろと問題を提起していた。このイルカ漁についての地元の人たちと海外の人たちとのイルカに対する認識の相違を改めて考えてみた。太市町の人たちは昔からの伝統としてのイルカ漁を正当化しているが、現実にはイルカを日常生活の中で食卓に供されているという事実は多くの日本人は知らないのではなかろうか。筆者もイルカが食用に供するために殺されているとは知らなかった。

それに反し、クジラを食べることは案外多くの日本人は概念的には知っているが実際に食べたことのある人は現在では極めて少ないはずである。確かに地元の人たちには昔から連綿と続いている日本固有の伝統食文化であり、他人に非難される理由はないと考えるのも一理はある。私が学生の頃には東京渋谷に今でも在る「くじら屋」でくじらの刺身を食べたのを良く覚えている。

  しかし、別な角度から理解したとき、このような伝統食文化の世界にも国際化の影響が押し寄せてきていることをも認識すべきではなかろうか。つまり、たんなる動物愛護という概念の台頭以外にも、日本固有の伝統的な食文化にも国際化の影響があることを再認識すべきである。それぞれの国の伝統食文化への国際化が及ぼすポジティブな面の最大、かつ典型的なものとし、日本の寿司の国際化が挙げられる。寿司は基本的には日本古来の伝統食文化であり、海外ではかっては魚を生で食べるすしは野蛮行為とも受け止められていた。しかし、現在では寿司は日本の固有伝統食文化ではなく世界の食文化の一部になっている。

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このようなポジティブな日本固有の食文化の国際化の場合には誰もそれは日本固有の食文化だから外国で流行するのはけしからんと怒る人は一人もいないはずである。今日のようなすしの世界的な普及はなにも日本が積極的にその普及の推進活動をした結果ではなく、食文化のグロバリゼーションのポジティブな影響の結果とみるべきである。ともかく寿司の国際化に伴う海外での影響はまったく日本人には考えられない寿司の形態が派生していることです。極端な例としてはベルギ-のチョコレトがかかった寿司なんというのもあるくらいです。このような環境になっているので、日本の「全国すし商生活衛生同業組合連合会」が寿司の国際検定運動を始めましたが、現状はとても手に負えないような状況で、国際的な正しい、といっても日本人感覚での意味、寿司の普及を目的としてますが、とても現状にメスを入れるのは不可能です。そのうちにシャリの上にチ-ズが載った寿司も現れるでしょう。

このような観点にたてば、数年前のイルカ漁の問題も食文化のグロパリゼーションのネガティブな部分がクローズアップされてきたものと捉えることができる。   

  すくなくとも、現在の社会環境、食生活ではイルカ、クジラの肉が日本の家庭の食卓から完全に消えても困ることはないのではなかろうか。したがって、もしイルカ漁や捕鯨が食用の為のみになされているのだとすると、その存在意義を見直す時期に来ているものとの認識も必要ではないだろうか。

このようなグロバリゼーションのネガティブな影響面は中国、韓国などでの犬肉料理にも当てはまる。日本人でもこの犬肉料理に関してはネガティブな印象をもっている筈である。

したがって、自分たちの伝統食文化をかたくなまでに固守しようとしても、国際化の影響は激変しつつあることを認識したとき、この際イルカ食、クジラ食を日本固有の伝統食文化とし続行することの見直しをする時期にきているものと考えられる。最近の報道ではあの中国政府でさえも動物愛護の見地から犬、猫の食用を禁じる法案が検討されているようになっているのもグロバリゼーションのネガティブな面がある国固有の伝統食文化にも強く影響してきていることの典型例かもしれない。ちなみに犬肉を食する習慣もヨーロッパでも二十世紀の初めまでは伝統食文化として存在していたのである。たとえば、スイスの一部の地域では犬肉を食することは現在でも許容されているが、全国的には犬肉の販売はスイスでも法律で禁止されている。

最近の報道によると韓国京幾道城南市にある牡丹市場の牛家畜商人会が計画していた「2011年犬肉祭り」が世論の反対で結局中止となったたことです。同国メディアが6月24日相次いで報道、大手ポータルサイトの人気急上昇ワードの1位に「犬肉の祭り 論争」が登場するなど、話題を呼んだ。

ともかく、最近の食文化の変動は激しく、日本の伝統的な寿司はまでは世界中に広まるいる。ところが、日本では冷凍された寿司というのは考えられないが、欧州のス-パマ-ケットに行くと冷凍された寿司があるくらいで、とても日本では想像もつかないかもしれない。つまり、日本の食文化の代表の一つである寿司は寿司屋で食べるものであり、そこに使われているシャリは生暖かいもので、冷たいものはあり得ない。ところが、欧州ではそのような日本的感覚での寿司屋はあまり多くはないので、作られた寿司パックは冷温保存されているので、欧州の人たちの寿司の概念は冷たいものであるというのが常識なのである。もちろん、日本式の寿司屋もあり、そこでは曲がりなりにも日本での寿司のようなものをたべることはできます。

  一部の過激派がクジラやイルカの問題で過激な反応を示し、良識ある人たちからはテロリスト扱いにされている。イルカの問題で太市に来ていた過激派の女性が死んだイルカに抱き着いて泣いているのを見ましたが、これらの人はあの可愛いウサギが平気で殺されて食肉として売られているのをどう考えるのか、と思ってしまいました。もし、本当にかわいい動物を殺して食用に供することが許せないのだったら、彼らは完全な菜食主義者であるべきなのですが、現実はそうではないようです。このような矛盾点は彼らは問題がないものと考えているのです。最近は私は肉を食べることが少なくなり、蛋白源としては魚か卵しか食べなくなりましたので、肉屋に並んでいる肉の塊を見るたびに可哀相にとさえ思うこともあり、動物殺し、とさえ思うことです。、

つまり、伝統文化としての食形態も時代の流れには逆らえられないのです。ただ、どのような形で国際化に順応させるかは場合によっては問題があります。たとえば、イルカの食用を法律で禁じることには問題があるかも知れません。唯一の可能性は日本のメディアがいるかを食べるのは時代遅れの食文化だとの批判をすればなくなるかもしれませんか、・・・・。

食肉とは関係ないのですが、日本の伝統的な食品である醤油はキッコマンのおかげで現在では世界各国に日本のキッコマン醤油が売られています。しかし、残念ながら味噌の製造会社にはキッコマンのように世界に視野を向けた発想はないようです。味噌そのものを海外に売り込むことは無理と考えているのかも知れません。しかし、味噌ジャムを作ったり、あるていど形を変えれば味噌も国際性があるのですが・・・・。