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2024年11月 4日 (月)

意外と知らない歴史的背景

意外と知らない歴史的背景

 

 

この記事はかなり以前にあるサイトに記載されたものですが、改めて読んでみると、歴史的な変化の現実を知ることが出来るのです。最近の日本人は意外とこのような過去の背景を知らない人が多いのではないでしょうか。
とくに現在の若い人たちはこのような記事を読んで、もしかすると知らなかった事実を認識させられるかもしれませんね。

 

以下がその古い記事です。


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日本との戦いで植民地を失い、大英帝国は崩壊に追い込まれた。
 

> ■1.イギリスの田舎に現れたアメリカ戦車

> 26歳にしてイギリスの「ファイナンシャル・タイムズ」紙の初代東京支局長となり、現在も東京の外国人特派員協会の最古参として健筆をふるっているヘンリー・ストークス氏は、幼い頃、イギリスの片田舎で、アメリカ軍の戦車を見た時の事をこう記している。

 

> ・・・ある日、妹の手をとって幼稚園へ向かって歩いていたら、雷のような音がした。・・・何かが道路の曲がりかどの向こうから、近づいていきた。なんと、それは戦車だった。

> 戦車が視界に入ってくると、轟音はますます激しくなった。戦車の側面には大きな白色の星が描かれ、アメリカ軍であることを示していた。それが、次々と10輛(りょう)ほど連なって来る姿に、いまにもわれわれに向かって撃ってくるのではないかと恐怖を感じた。

> 戦車隊はドーバー海峡を渡って、フランスのノルマンディに上陸する作戦に参加するために、この田舎町を通ったようだ。

> 先頭の戦車に乗っているアメリカ兵は、手を振りながら、「ハーイ」などと言って、二人に何か小さな物を放り投げた。それはストークス少年が生まれて初めて手にするチューインガムだった。彼は嬉しいというより、複雑な気持ちを抱いた。
 

 

> 年端もいかなかったが、私は1944年6月にアメリカの世界支配の時代が来ることを、直感した。

 


> 米英は連合軍として戦ったが、第2次大戦の持つ意味はそれぞれに違う。アメリカから見れば「太平洋戦争」で日本を打ち破り、中国・アジアへの門戸を広げた戦いであったが、英国にとってはアジアでの植民地を失い、世界の覇権を米国に奪われた戦いであった。

 

> ■2.英国の受けた衝撃

> 英国にとって、日本との戦いは衝撃をもって始まった。

> もっとも衝撃的だったのは、『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』という大英帝国海軍が誇る2隻の戦艦が、日本の航空攻撃によって、わずか4時間で撃沈されてしまったことだった。それまで航空攻撃で、外洋を疾走する戦艦が撃沈された前例がなかった。

> ・・・イギリスの誇りは陸軍ではなく、海軍にあった。その誇りが、一瞬にして貶(おとし)められた。
 
> 12月8日の真珠湾攻撃のわずか3日後の事であった[a]。陸上戦でも、英国民にとっての衝撃は続いた。

> 日本軍が突然、マレー半島に上陸し、まったく次元の違った戦いが始まった。チャーチル首相も、面食らった。

> シンガポール防衛軍のパーシバル司令官は、金縛りにでもあったかのように、まったく戦うこともせずに、戦意を喪失し、降伏した。・・・大英帝国にとってシンガポールは、香港や、上海につぐ重要な拠点だった。シンガポール陥落はイギリスにとって、植民地支配の終わりを象徴していた。> 
> シンガポール陥落は、昭和17(1942)年2月15日、開戦から2ヶ月余りしか経っていなかった。
 

> ■3.「日本軍は大英帝国を崩壊させた」

> 日本から受けた衝撃を、英国民はどのように受けとめたのか。

> 日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として、そのようなことが現実に起ころうなどとは、夢にも思っていなかった。それが現実であると知った時の衝撃と、屈辱は察して余りある。 

 

 イギリスは数百年間にわたって、負けを知らなかった。大英帝国を建設する過程における侵略戦争は、連戦連勝だった。私はイギリスは戦えば必ず勝つと思っていたし、学校でそのように教えられた。私は一面がピンクだった地球儀によって、教育を受けた。イギリスの領土がピンク色で、示されていた。

> ところが、第二次大戦が終わると、植民地が次々と独立して、ピンク色だった世界が、さまざまな色に塗り替えられてしまった。

> 大英帝国は植民地を徹底的に搾取することで、栄華を保っていた。お人好しの日本人が、台湾、朝鮮の経営に巨大な投資を行って、本国から壮大な持ち出しをしたのと、まったく違っていた。どうして、イギリスが植民地支配なしで、栄華を維持できたことだろう。
 
> 日本の手によって、戦争に必ず勝つはずだったイギリスが、大英帝国の版図をすべて失った。

 

> ■4.『猿の惑星』

> 英国人の感じた「衝撃」と「屈辱」には人種偏見も潜んでいる。

 

> 当時、私は『ロンドン・タイムズ』東京支店長だったが、白人社会では戦後一貫して、日本への憤りが蔓延していた。そこには怨念があった。イギリスは何百年も続いた植民地から、一瞬にして駆逐された。戦闘に敗れたというだけではない。栄華を極めた大英帝国の広大な植民地が、一瞬にして消えたのだ。この屈辱は、そう簡単に忘れられるものではない。

> イギリスは1066年にノルマン人の侵略を受け、国土を占領されたが、ナポレオンやヒトラーの侵略を斥けた。だが、その帝国の植民地がなんと有色の日本人によって奪われた。イギリス人にとって、有色人種に領土を奪われ、有色人種が次々と独立国をつくったことは、想像を絶する悔しさだった。

> 『猿の惑星』という映画があったが、まさにそれが現実となったような衝撃だった。・・・

> 人間−西洋人−の真似をしていた猿が、人間の上に立つ。それが現実となったら、どれくらいの衝撃か、想像できよう。

> 『猿の惑星』とは例えではない。原作者ピエール・ブールは、まず『戦場にかける橋』で、自ら日本軍の捕虜になったと称して、残虐で無能な日本軍が英軍捕虜に強制労働させて、タイのクワイ河に橋をかける物語を書いて、大ヒットさせた。

> 次に、それをSF映画に発展させて、日本人を猿に見立て、人間(白人)が支配されるというシナリオを仕立てたのである。[2] そんな悪意も露知らず、日本でもこの映画は大ヒットした。


> ■5.「侵略」か「解放」か
 
> しかし、ストークス氏は、日本には日本の見方がある事を知った。

> 私の親しい知人である加瀬英明氏をはじめとする保守派と呼ばれる人たちの立場は「日本は侵略戦争をしていない」、アジアを「侵略した」のではなく、「解放した」というものだ。これは日本人の立場に立った主張だ。

> 私はイギリス人だから、イギリス側の見方に立って考える。イギリス人からすると、「日本は侵略をしてきた」となる。イギリスがアジアに保持していた植民地を、日本が「侵略」してきた。イギリスにしてみれば、「日本は侵略国」だ。

> アメリカ側の見方は、また違ったものだろう。私はアメリカ人ではないので、アメリカ側の視点とは異なる。アメリカ人は、「日本人は明確なアメリカ領土のハワイを、攻撃したのだから、日本がアメリカに侵略戦争を仕掛けた」と、主張するだろう。

> 先の大戦は、日本にとっては、自らの自存自衛とアジア諸民族の独立のために戦った「大東亜戦争」であったが、アメリカにとっては「太平洋戦争」だった。アメリカが日本占領後に「大東亜戦争」という呼称を禁じ、「太平洋戦争」と呼ばせたのは、アメリカ側の歴史観を強制するためだった。

> しかし、同盟国だったアメリカとイギリスでも、その歴史観は異なる。日本によって植民地を奪われたイギリスからの視点に立てば、その対極に「植民地解放」という、もう一つの視点があることが見えてくる。

 
> ■6.侵略は『文明化』か『罪』か

> 植民地の「侵略」か「解放」か、については、さらに議論がありうる。

 

> 日本がアジアの植民地を侵略したのは、悪いことだったろうか。侵略が悪いことなら、世界史で、アジア、アフリカ、オーストラリア、北米、南米を侵略してきたのは、西洋諸国だ。しかし、今日まで、西洋諸国がそうした侵略を謝罪したことはない。

> どうして、日本だけが欧米の植民地を侵略したことを、謝罪しなければならないのか。東京裁判では、「世界で侵略戦争をしたのは、どちらだったか」ということに目を瞑(つむ)って、日本を裁いた。
> それは侵略戦争が悪いからではなく、「有色人種が、白人様の領地を侵略した」からだった。白人が有色人種を侵略するのは『文明化』で、劣っている有色人種が白人を侵略するのは「犯罪」であり、神の意向に逆らう『罪』であると、正当化した。

> このように異なる歴史観の間でも、論理的な議論はありうる。そこでの有力な武器は、「白人の侵略は良くて、日本人の侵略は悪」という二重基準(ダブル・スタンダード)を突くことである。
 

> ■7.アジア侵略に荷担してきた中国

> ストークス氏は触れていないが、「植民地解放」という見方は、中国の「日本帝国主義批判」という歴史攻撃に対しても有効である。

> そもそもかつての清国は満洲族による帝国であり、漢族はその植民地として支配されていた一民族に過ぎない。日清戦争は、その清国から韓国の独立を維持するための戦いであり、さらに日本は旧態依然とした清朝では欧米からの侵略は防げないと、孫文による革命を支援した。[c,d]

> しかし、孫文の後継者の中で、汪兆銘は日本とともに欧米諸国に立ち上がったが、蒋介石は欧米と組んで日本と戦った。毛沢東以下の中国共産党はソ連の手下として、日本と蒋介石政権を戦わせて、両者共倒れを狙ったのである。

> マレーシアやインドネシアなどの英領植民地においては、華僑は植民地政府の手先として現地人搾取に荷担し、進攻してきた日本軍に現地人は協力したが、華僑は英軍と共に戦った。

> 戦後、アジア諸国が独立すると、中国共産党は朝鮮戦争、ベトナム戦争などアジアの共産化を狙って侵略の触手を伸ばした。内陸部ではモンゴル、ウィグル、チベットなど植民地支配を広げ、海洋では南シナ海、尖閣諸島など周辺海域に侵略の手を広げつつある。

> 中国は戦前は英米やソ連の手先としてそのアジア侵略に荷担し、戦後は自ら周辺諸国を侵略してきた。それと戦ったのが日本だった。「植民地解放」の視点からは、こういう中国の実像が見えてくる。
 
> 「思いやり」という日本人の民度の高さが、民度の低い国際社会においてはマイナスとして働く。「思いやり」などという言葉を辞書に持たない国には、それなりの対応をしないと、大変な事になる。
 
 
> まずは我々日本国民一人ひとりが、歴史を自分で勉強して、何が正しくて、何がプロパガンダなのか、判断しうるだけの見識を積まなければならない。そして、他国のためのプロパガンダを流すマスコミに対しては不買運動などで批判の声を上げなければならない。
 
> それが我が国の自由民主主義社会を守るための国民の義務であり、かつ子孫のために自らの生命、生涯を捧げてきた先人への責務である。
 

 

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