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2024年6月の記事

2024年6月30日 (日)

私の人生歴、簡略版

私の人生歴、簡略版

 

 

私は1955年(昭和30年)明治薬科大学卒業後、厚生省に入省。温泉の源泉水質分析に従事してきました。人と違うことをすることが好きだった性格であり、まだ留学する人がほとんどない時代に、海外に出たいと考え、イタリアの政府給付留学生試験を受けました。当時、イタリアへの留学生のほとんどは、音楽・美術建築関係者ばかりで、自然科学・医学関係者を招致したいイタリアは、英語での受験を認めていました。そこで、私は、カナダ人の宣教師に英語の集中レッスンを受け、試験に見事合格。

 

 1956年、晴れてイタリア政府給付留学生としてイタリアにやってきました。この留学は、同時に厚生省からの派遣の形にもなっていました。ペルージアでの2ヶ月間の語学研修を経て、ローマの国立高等衛生研究所に入所。1年後には留学資格を延長し、その時点で厚生省を退職します。

 

その後、ローマ大学薬学部に編入、入学し、薬学部を卒業して、薬学博士を取得しました。日本の大学を卒業していたので、多くの単位を認められて、一年半の学習で、卒業することが出来ました。当時は、現在のような複雑な学位形式はなかったのです。

 

 その頃、続けてイタリアに残って仕事をしたいと考えていたので、友人のイタリア人神父さんに相談したところ、ローマ近郊にある小規模の製薬会社を紹介してくれ、すぐに研究室での仕事を始めます。1960年台に入ると、日本から農協・農業団体がイタリアに観光に来るようになり、ガイド・通訳などもしていた時期があります。

 

 その間にイタリア人女性と知り合い結婚します。

 

 1967年になり、イタリアの新聞に英文広告を見つけます。それがスイス・バーゼルに本社を置くガイギー社で、応募したところ、すぐに採用となり、夫婦でバーゼルにやってきます。同社で、海外からの報告の文献調査や副作用関係の調査を担当する部署で働きました。1970年のチバガイギー合併を経てノヴァルティスになるまで働き続け、1996年65歳で定年退職しました。退職後は、しばらく日本の製薬関係者を対象に年3〜4回講演会を続けました。

 

バーゼルに来て、私夫婦には子供が生まれましたが、イタリア人の家内は希望の職に就けなかったことや子供の教育の問題、母親の世話などの諸事情が重なりイタリアに戻りました。その結果として、単身赴任のような形になり、千キロ近い道のりを毎回、週末にイタリアに戻るというハードな暮らしをしばらく続けていましたが、3年ほど日本ガイギー(宝塚)に派遣され日本で暮らすことになり夫婦生活が疎遠になり、最終的には離婚することになりました、

 

そのご、ドイツ人と再婚し、先年、その家内が亡くなり、現在は一人で暮らしています。時々、近在の日本人とレストランに行ったり、食事を持ち寄っての交流をしてり、また時々、昼食に友人を誘ったりしています。。

 

 私がバーゼルに来た頃は、まだ在住日本人は少なかったものの、年々増え続け、1977年にバーゼル日本人会が設立され、初代会長に就任し、1985年まで続けました。ひらがなのタイプライターを日本から取り寄せて会報を作るなど、苦労も多かったのです。その後、2000年から2006年にも再び会長をし、バーゼル在住日本人の親睦・交流に貢献しました。

 

 長年イタリアとスイスに住む中で、私はヨーロッパと日本の違い、海外に住む日本人の問題を真剣に考えるようになり、ブログで情報発信をしてきました。そして、今回、海外在住日本人の重国籍問題に焦点を当てた論考をまとめた本を文芸社から出版することなりました。

 

 つまり、「戦後、海外には膨大な数の日本人が居住、活動していますが、その結果として、外国籍を取得せざるを得なくなった人もかなりの数になります。しかし、そのような場合、現在の国籍法により、自動的に日本の国籍を失い、日本人ではなくなってしまいます。その典型例は、アメリカでノ-ベル賞を受賞した数多くの元日本人研究者です。

 

もし、日本が《重国籍》を容認していれば、それらの人たちは日本人として世界の誇りにもなるのです。したがって、日本にいる日本人に対して、海外在住日本人の《重国籍》問題を理解してほしいということで、文芸社から出版に至る大きな引き金となりました」

2024年6月24日 (月)

麺類を食べるときの音

麺類を食べるときの音 最近は日本に多くの外国人観光客が来ていますが、中には普通の外国人が食べないようなものまでもよく食べられています。 このことに関連して、あるYOUTUBEに外人が、日本人がそばのような麺類を食べているときに不快に感じるのは日本人が音を立てながら食べているのが気持ち悪いとの意見がありました。 確かに、そのような食べ方は普通の料理には全くないので、どうして日本人は蕎麦のようなものを食べるときに音を立てて食べるのかとの不快感が指摘されていました。 でも、意外なことに、日本人の多くはその理由を知らないのです。 なぜ、麺類などを食べるときにズルズルと音を立てながら食べるのかとの理由を多くの人は知らないのです。 あの音をたて乍ら麺類を食べるのには意味があるのです。 それは、あのように音をたてるということはその行為によって、同時に空気を吸い込むことになるので、味が変化し、おいしくなるのです。 つまり、食べながら、同時に空気をおおきく吸い込むことが味を良くしているのです。 でも、空気に味があるわけがないと反論するかもしれませんが、実はものによっては空気が一緒に口の中にて食べられるということは大きな意味があるのです。 その典型的な例として、カステラのようなケ-キを手でつぶして食べてみてください。味が全然違うのです。つまりカステラには全体に空気の入る小さな空間があるのですが、もし。それを手で握って、団子のようにして食べたら、まったく味が違うのです。つまり、全体の中に空気の存在が味を全く別なものしているのです。 ですから、常識では考えられないかもしれませんが、たべるものによっては空気を一緒に口の中に入れるということは大切なのです。 ですから麺類を食べるときも、ズルズルと音を食べることになるのです。あれをまったく音をたてないで食べてみてください。味が全然違うのですよ。、 このようなことを外人さんに説明してください、そうすると納得してくれますよ。

2024年6月23日 (日)

国籍法11条施行時の法律違反

国籍法11条施行時の法律違反

 

国籍法11条は「自らの意思で外国籍を取得した場合には日本の国籍を失う」と定義しています。ところが、現実にこの国籍法を施行、実施する場合の行為には数々の法律違反があるのですが、意外とこのことに関してい誰も注意を払わないので、以下に、どのような法律違反が介在するかを列挙してみました。

 

その①
この条文によると外国籍を取得した時点で、日本の国籍を失うと、定義されているので、日本人が外国籍を取得した時点で、すでに日本人ではなくなっている、つまり、外国人になっているのです。ということは、外国人になってしまっている人に対して、国籍法関連の規約、例えば、戸籍喪失届のよう日本の法律の実施を求めることは不可能なのです。

 

その②
日本の旅券はあくまでも、海外滞在許可書であり、従って身分証明書ではないので、旅券の無効化は、国籍無効化とはならない。しかし、現実には海外で旅券の無効化により、日本の国籍が消失と判断、実施されている。

 

その③
旅券法には旅券の更新に際して、外国籍所持の有無について検討すべとの規定項目はないにも関わらず、現実にはそのこと自体の検討は日常化している。したがって、現実に、外国籍有無の確認は旅券法違反に該当するとも解釈される。

 

その④
旅券そのものは日本人であるとの国籍証明書ではなく、たんなる海外滞在許可書であるので、旅券そのものだけで国籍有無事項を判断、決定することは法律違反に該当する。

 

その⑤
日本文の正しい解釈の欠如。国籍法記載の文章「自らの意思で外国籍を取得」という文章は、その反面の「では、自らの意思でない場合」もあるのだが、そのような解釈は誰もしていない。この点に関して、だれも疑義を挟まないのはなぜか。この文章の解釈に際して、もし「雨が降っているときには、外出しないでください」しいう表現は、「雨が降っていないときには、外出出るのです」と解釈できるのが常識なのですが、国籍法の場合には誰もそのような理解しないのです。

 

 

2024年6月13日 (木)

私の新刊書

私の新しい本がアマゾンに収載されました、

2024年6月 1日 (土)

日系人と在外邦人とではその意義が根本的に異なる

海外日系人と在外邦人とではその概念が根本的に異なるのです。 最近の日経新聞 (2024/5/17)によると、日本政府は世界の日系人とのかかわりあいを強めはじめ、外交や国内の労働力不足の補充役として期待しているとのことでした。 しかし、日系人とは戦前に、棄民扱いされて、主として南米に戦前に移民した人たちを意味しているのです。ですから、そのような人たちの現在は、もう二世の状態から、三世、四世の時代に移行して、完全に現地に溶け込んで生活、活動しているのです。 確かに、外見は日本人とはあまり変わらないかもしれませんが、生活様式、生活習慣、ものの考え方、などは現在の日本人とは比較にならないほど大きく変化しているのです。 ですから、そのような人たちは日本人と同じような考え方はほとんど維持していないのです。 もし、本当に外交や国内の労働力不足の補充役を期待するなら、現在海外でいろいろな分野で活躍している在外邦人をその対象にすべきなのです。 つまり、この新聞記事を書いた人や、最近に南米を訪問した岸田首相は日系人と海外在留邦人との区別への認識がゼロであり、たんなる外交発言に過ぎないのです。 したがって、南米での発言は単なるは一時的発想に終わってしまい、何らの進展も見られないのです。 現在の海外在留邦人で現地で活躍している人たちの多くは外国籍を何らかの理由から取得した典型的な日本人が数多く存在するのです。その代表的な例は、アメリカ国籍を取得せざるをえなく、そしてノベル賞を受賞した在米元日本人なのです。つまり、海外在住で日本の国籍を失わされた在外元日本人はいまだに完全な日本人であり、日系人ではないのです。 つまり現在の海外邦人は、理論的には日本の将来に必要とあれば、貢献できる可能性の高い人たちなのです。でも、現在の日本の政治家にはそのような発想はまったくないのです。 すなわち、前記の日経新聞の記事はたんなる外交発言であり、岸田さんが南米訪問時の感謝だけの外交辞令に過ぎないのです。 もっとも、このような新聞記事をまともに読んで、反応して、このようなことを私が書くこと自体、能天気なのかもしれません。

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