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2024年2月 6日 (火)

喜怒哀楽の人間性

喜怒哀楽の人間性 はじめに    日本語には時として外国語には訳すことが困難がある場合があるのです。例えば、日常的によく使われている「おもてなし」とか、「心遣い」などがあります。そのほかにも、端的な表現として表現として挙げられるは「喜怒哀楽」という表現なのです・ この喜怒哀楽という表現はある意味では日本語独特なのかもしれません。ともかくこの表現を外国語に訳すのには無理があり、たった四語で人間の感情をすべて表すことは外国語表現にはないのです。     その一 まず、最初の「喜」は文字通り、喜びであり、人前でも問題なく表すことが出来るのです。ある意味ではこの「喜」は人生の中でもっとも頻繫に使われる表現になるかもしれません。その表現の一つには笑い、があるのです。状況によっては、この喜びは他人にも引き起こす可能性がぁり、みんなと一緒に笑うことはよくあることなのです。つまり、この「喜」には伝染性があると解釈することも可能なのです。 つまり、逆の見方をすると、笑うということは喜びの外的表現とも考えられるのです。そして、当人が笑えば、その周りの人も微笑したり、場合によっては相手にも一緒に笑うこともあるのです。これは明らかに笑いの持つ独特な効果であり、感染力が一番強いのです。ですから、落語という芸能は人をいかに笑わすかということが目的てあり、これもまた日本独特の芸能かも知れません。 この笑いというものを医学的に適用した学問があるのです。それはGerontologyというもので、それを実行して、子供病院などを巡回訪問する人もいるのです。なお、この英語表現のGeronという単語なのですが、私の解釈ではこの発音、つまり「ゲロン」は日本語のゲラゲラ笑うとの共通性があるのではないでしょうか。確かに、日本語の「ゲラゲラ」はどこからきているのでしょうか。 私の性格の一つに、すぐに笑う傾向があり、私が学生の頃のあだ名は「ゲラオさん」だったのです。ですから、いまでも、電話などで相手と話しているときに、自然に軽い笑いが頻発されてしまうのです。 その二 二番目の怒 つぎの「怒」への心情はやや難しいです。つまり、「怒る」という心境をどのように理解するかということです。通常概念としては、怒りは他人に向けるものとの解釈があります。しかし、喜怒哀楽とい概念をネガティブにとらえて、他人に対して怒りを発揮することは誰でも出来るのですね。  喜怒哀楽という人間性のある表現の本質から考えたら、他人に向かって怒りを発揮することは該当しないのです。つまり、喜怒哀楽という人間性そのものを基本にしているという理解をすると、この怒りは本人自身に対しての感情であり、怒りたいのは自分自身の不注意などに対して、自らを責めることを意味しているものと考えるべきなのです。 その三 次の哀ですが、同じ状況下でも、自然に感動して、涙ぐむ人とまったく感動しない人との差はあることなのです。もっとも、「喜怒哀楽」の表現表示は最初の喜怒は人前でも現わすことができますが、哀は出来るだけ人前では表さないことが日本人的であるのかもしれません。でも、新聞やテレビなどで悲しい出来事を読んだり聞いたりするときに、涙が自然に出てくることがあります。しかし、この哀という表現の表しかたには個人差が極めて強く、全然感動しない人もいるのです。この哀という表現を現実にある形でできるようにしたのは、例の東北震災のときにあるひとが亡き人との会話をすることができるようにと開設した」天への電話ボックスかもしれません。 なお、このことに関し、私が最近に投書して書いたのは以下のような文章です。 長年連れ添った妻が一週間の昏睡状態から、静かにこの世を去りました。 その結果として時として、悲しくなることもありますが、不思議なことに、テレビや新聞などでの悲しい状況を観たり、読んだりすると自然に涙が止まらないことになることに気が付いたのです。ある意味では私の涙腺が大きく緩んでいるのかもしれませんが、こればかりは制御することが不可能なのです。このことに関連して、私が思うのは、ある意味では人の涙には感染力があるのかもしれないということです。もっとも、人の感受性には大きな差があることは分かりますが、問題はある条件下では見たり、聞いたりするだけで感受性が高まり、自然に涙が出てくることは、稀かもしれません。また、このような感受性には個人差や年齢差が関与するのかもしれません。従って、同じ状況下でも、自然に感動して、涙ぐむ人とまったく感動しない人との差はあることなのです。もっとも、「喜怒哀楽」の表現表示は最初の喜怒楽は人前でも現わすことができますが、哀は出来るだけ人前では表さないことが日本人的であるのかもしれません。不思議なことに、テレビや新聞などでの悲しい状況を観たり、読んだりすると自然に涙が止まらないことになることに気が付いたのです。ある意味では私の涙腺が大きく緩んでいるのかもしれませんが、こればかりは制御することが不可能なのです。このことに関連して、私が思うのは、ある意味では人の涙には感染力があるのかもしれないということです。もっとも、人の感受性には大きな差があることは分かりますが、問題はある条件下では見たり、聞いたりするだけで感受性が高まり、自然に涙が出てくることは、稀かもしれません。また、このような感受性には個人差や年齢差が関与するのかもしれません。 なお、高齢者になると涙もろくなる、といわれていますが、この現象に関して、以下のような説明があります。 年をとると涙もろくなる、涙っぽくなると言われています。「涙腺が緩む」とよく言いますが、年をとると涙を分泌しやすい状況になっているのでしょうか?  実はこれは間違いです。むしろ高齢になると涙などの分泌物は出にくくなります。皮膚もカサカサになっていくように、涙自体も少なくなります。ドライアイも高齢者の方に多いのです。つまり、年をとって涙もろくなったと感じるのは、涙の量が増えているわけではなく、別の理由があるのです。  その1つが、涙の通り道の問題です。涙は、目に出た後に鼻を通って口へと流れていきます。泣いているとその涙が鼻にも来るので鼻水が出ますし、さらに口へと流れつくとしょっぱい味がします。  涙が目から鼻の方に進んでいく通り道を、鼻涙管と言います。この鼻涙管は年齢を重ねるにつれて狭くなってきます。すると、涙が出た後に鼻へと流れにくくなり、目にたまってあふれてきます。「涙が増えた」と感じたとき、それは涙の流れが悪くなっているのです。 その四 さいごの「楽」は文字通り楽しみであり、結果的には幸福への心境になるのです。つまり人生の最終目的は楽であり、楽天そのものを意味しているのです。しかも、この楽は他人にも感染できるというおおきな意味があるのです。

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