« 困惑する主婦への呼称 | トップページ | 重国籍黙認への変遷 その② »

2023年11月15日 (水)

移民から定住者へ    重国籍黙認への変遷 その①

移民から定住者へ
   そして重国籍黙認の現実

 

 

この記事はかなり長いので、七回に分けて掲載します。

 

 

 

 

 

その①

 

はじめに

 

    毎年、夏になるとお盆という行事があり、地方から大都会に働いている人たちが、この時期にそれそれぞれの故郷に帰ることが当然のごとく毎年行われています。そこには自分が生まれ育った故郷という概念が厳存するからです。このような故郷という感覚、概念を維持することは至極当然のことであり、まさに、そこには人間性の基本の厳存でもあるのです。しかし、地元で生活し、そこから外に出て生活の拠点を移動することがない人たちにとっては「故郷への願望」を経験することは皆無であり、故郷という概念を身をもって経験する機会は全く無いのです。
   例えば、東京で生まれ、東京で育ち、東京の学校で勉強し、東京で働いている典型的な「東京人」には故郷という概念を経験する機会は皆無になるのです。このような人間性の本質である「故郷」という概念は政治家でも選挙のような機会には地元、つまり故郷に戻って選挙するのは当然のことなのです。

 

   しかし、いったん日本からから海外に出て生活、活動している人にとってはこの故郷という概念は、「日本への郷愁」あるいは「日本人としての人間性の自覚」は当然のことながら自然に湧き出てくるものなのです。しかし、場合によってはそのような概念、人間性の基本というものがある日、突然否定されるようになった場合の人間としての心理がどのようになるかを第三者が理解することはかなり難しいし、場合によっては無理、或いは不可能かもしれません。

 

   しかし、現在の海外の日本領事館の旅券担当者はそのような非論理的、非人間的な旅券更新での取り扱いではまさに事務的な感覚で対処しており、人間性という高尚な立場からの判断、解釈は皆無なのです。

 

 

日本に生まれ、日本で生活している殆どの日本人は国籍そのものを考える機会はゼロなのです。それは当然で、日本人の両親から生まれて、その記録が戸籍に登録されればそれで済むからです。つまり、戸籍に記録することが重要であるのです。ですから、その逆に、戸籍に記載されていれば日本人になるわけで、どこに居住しているかは問題にならないのです。しかし、このような簡単な事実が、環境、場所という二つの要因でおおきな影響を受けることがあるのです。

 

  例えば、現代社会ではいろいろな分野の人たちが海外で活躍しているようになっています。ところが、戦後に海外に出かけ、いろいろな分野で活躍している日本人が増えるにつれて、ある問題が発生するようになっているのです。それは海外諸国での活動に際し、場合によってはそのような活動をしている国での国籍を取得しないと、その国での活動、研究などが困難、ないし不可能になることがあるのです。

 

  その典型例として挙げられるのは、日本人が研究目的などで米国の研究所や大学に移り、研究を続行するためには米国籍を有することが必要になる場合があり、その為に米国籍を取得せざるを得ないことがあるのです。しかし、その結果、現在の日本の国籍法という法律では、日本の国籍が取り消されてしまい、戸籍喪失届の提出が求められ、結果的には日本人ではなくなるという悲劇が起こるのです。つまり、日本では日本の国籍を維持しながら、外国籍をも維持するということは基本的には禁止されているのです。即ち、日本では国籍法という法律により、重国籍維持が禁止されているからなのです。

 

  なぜ日本は基本的、法律的、並びに概念的に重国籍所有を容認していないのでしょうか。その大きな原因は、日本は島国であり、海外に行って生活するようなことは従来は、とても考えられていないことであり、現在のような国際社会の中にあっても、基本的には、なぜ日本で生活せずに海外に出ていき、場合によっては外国籍を申請、取得してまで、海外にて生活しなければならないのか、という極めて単純な疑惑的心理概念が潜在、介在するからです。

 

 つまり、このような重国籍禁止という基本概念は現在の日本人(政治家も含めて)の心理の中に現時点でも明らかに現存するのです。従って、そのような概念が潜在する人にとっては重国籍を認めることには違和感があり、その結果として重国籍維持なんて言うことはとても考えられないのです。そのような重国籍否定の根底にあるのは、重国者になった場合、日本人でありながら日本での税金を払わないのはけしからん、そして、では兵役問題はどうなるのか、などの愚問、つまり、このような誤解、曲解が重国籍否定の根底にあるのです。

 

  もっとも、日本の歴史を考察すると、「海外移住」と言う概念は戦前の南米移民と言う過去の悲劇が心底にあるのではないでしょうか。即ち、明治の時代に日本国内での貧民対策として、当時の明治政府が考えたのは南米などへの移住推進だったのです。つまり、1877年の西南戦争以降に日本国内、特に農村地帯での貧民対策として、それらの貧民を海外に送り出す、つまり、人口問題と農村危機問題の解決策の一つとして、海外にそれらの貧民を送り出すという政策、極言すれば「棄民政策」だってのです。

 

 このような戦前の膨大な移民政策の概念の根底にあったのは、海外に働くために出かけざるを得なかったことは、極言すると日本を捨てざるをえなかった人たち、との心理的概念が介在していたのです。もっとも、現在の日本人はそのようなかっての移民政策が存在していたことへの認識はゼロなのが大きな問題でもあるのです。当然のことながら、現在の政治家にはそのような過去の"移民"についての理解、解釈はゼロにちかいのです。それは当然で、現代では「棄民政策」のような表現は完全に過去のことであり、死語になっているからなのです。従って、現在の日本人はそのような政策がかって存在していたことはまったく知らないのです。

 

  辞書的には移民と言うことは「永住の目的で海外に出かけた人たち」と定義されているのです。つまり、そのような移民の人達はもう日本人ではないはず、との心理的解釈が介在、現存するのです。ですから、研究目的とか企業活動などの目的で、主として戦後になって、海外に行く人たちとの場合とは概念的にはおおきな違いがあり、移民という表現は、そのような現代の海外在住者(居住者)には使われず、明らかに区別されているのです。

 

  したがって、そのような過去の「移民」の人達は、基本的には日本を捨てて海外に永住する人たちのことであり、概念的には日本人ではなくなり、「日系人」とされているのです。つまり、そのような 日本から海外に働く目的で生存の本拠地を海外に移し、永住の目的を持って生活されている当時の日本人並びにその子孫の二世、三世、四世等の人達は「海外日系人」として定義、理解さコとを忘れてはなりません。当時に移住された日本人は、在住国で苦労しながらも日系社会を形成し、活躍して現在に至っているのです。

 

  つまり、興味があることは戦前の「海外移住者」(つまり、移民)と、戦後になってからの「海外居住者」とでは完全なまでの心理的、並びに表現的にも明瞭な区別、理解があることなのです。即ち、"海外移住者"とは戦前に主としてブラジルなどのアメリカ大陸に生活の根拠地を求めて移住した人たちのことであり、その一方、戦後に、いろいろな分野での活動の根拠地として海外に出かけた人たちに対しては「移住者」と言う概念ではなく、「海外居住者」になるのです。ですから、戦後になっていろいろな分野での仕事、研究などの目的で海外に出かけた人は「海外移住者」とは表現、理解はしていないのです。その典型例は前述のようなアメリカなどに研究の目的で居住して、ノ―ベル賞を得た元・日本人は「海外移住者」とはならず、ましてや「移民」という概念は考えられないのです。

 

  しかし、前述のような戦前の海外移住者、つまり棄民、移民の概念、の存在を知らない現代の人は、いとも簡単に、海外に「移住」という表現を無造作に現在でも使っている場合もあるのです。因みに、ノ-ベル賞受賞者の発表の時にアメリカで活躍している複数の ( 国籍法上は元日本人 ) ノ-ベル賞受賞者の国籍が簡単に無視、軽視され、いとも簡単に"日本人"として報道されていたのです。つまり、これらの"元"日本人研究者がノ-ベル賞を受賞した時には日本の政治家は「日本人として喜ばしい」との発言を無造作にしていたのです。このような場合も、国籍法という法律の存在、意義などはまったく知らないからそのような発言が出来るのです。

 

 

  このように、戦前の海外移住者、つまり、"移民"、は戦前の貧困からの脱出の目的で海外に出かけた人たちを意味しており、その範疇は主として、アメリカ大陸に移住した人たちを意味しているのです。ですから、ある意味では"棄民"対象者でもあったのです。従って、そのような人達への間接的、心理的な援助という目的で、戦後になって、海外日系人協会が設立され、毎年、海外日系人大会が東京で開催されているのです。もっとも、この大会の設立の直接の根拠となった背景には、現実的には以下のような複雑な経過があるのです。

 

   第2次世界大戦中に米国各地の在留邦人、2世等の日系人12万人は、米国のキャンプに強制収容されました。この事を受けて日本では味噌、醤油、日本語書籍などの慰問品を赤十字社を通じ同キャンプに送付していたのです。

 

 

 

   その後、戦後になって、1945年9月、在米日系人は、敗戦の混乱と、食料をはじめ生活必需品にも事欠く日本の悲惨な状況を目の当たりにして、また戦時中に、キャンプに送付された慰問品に対する感謝の気持から1946年から52年まで、粉ミルク等の食料や衣料等を「ララ物資」として祖国日本に送ってくれました。 ララ物資とは、米国のキリスト教団体、労働組合を中心として結成されたアジア支援組織の名称のことで、Licenced Agencies for Relief in Asia、頭文字を取って"LARA"と呼ばれました。

 

 

 

   このような援助は1952年当時の価格で送付総額400億円を超えたといわれ、その20%、80億円が日系人からのものとされていました。そうして、1946年6月にワシントンの救済統制委員会が認可して活動が開始されました。これを契機に、米国各国のみならず、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン等に日本救援のための日系人組織が誕生し、これら各国が国際赤十字社を通じ日本に対する支援活動が行われるようになったのです。

 

 

 

   そして、1956年末には、日本の国際連合加盟が実現したのを機会に、日系人のこれまでの長い労苦を慰め、それと対照的になされていた、それまでの日系人によるララ物資の送付等で示された祖国への温かい同胞愛に感謝するため、日本の国会議員が中心となって、1957年5月国際連合加盟記念海外日系人親睦大会を東京で開催することとなりました(第1回大会)。そして、1960年の第2回大会からは海外日系人大会と改称し、1962年の第3回大会からは毎年大会がを開催されているわけです。

 

 

   従って、この海外日系人大会に招待されるのは往時の主として南米などへの移民の二世、三世、四世などのみが対象にされているのです。ですから、、戦後になって、現在の様に世界各地に研究、仕事などで居住している日本人はこの大会への出席は求められていないのです。つまり、 1957年に 国会、関係団体により「国連加盟記念・海外日系人親睦大会」(第1回大会)が開催され、1960年になって海外日系人連絡協会として設立され、海外日系人大会をつうじて海外日系人との親善交流が推進されているのです。したがって、この大会への参加者はアメリカ大陸、オストラリア、東南アジアなどへの"移民"として永住した人たち、並びにの子孫に限定されているのです。

 

  しかも、この大会には必ず皇族の方が出席されているのです。従って、2023年にはペルーを訪問中の秋篠宮家の次女佳子さまは、リマの日秘文化会館で、日系人と交流され、リマ在住の日系1世、新垣カマドさんとお話をされていたことが報道されていました。

 

  かって、筆者が、この大会に関心があり、欧州からの初めての加者として申し込みをして、参加した時は完全に冷遇され、座る席も用意されてくれなかった経験があります。考えてみれば、それは当然で、私のように戦後になって海外に研究などの目的で渡航し、居住している人たちは、かっての「移民」という概念は当てはまらないからなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その②
  不思議なことに、このような戦前の棄民政策の概念の背景には心理的にも、現在の一部の日本人の中には今でも存在するのかもしれません。しかし、現在の日本に居住している日本人には「日本人が海外に移民していた」という概念は現在では完全に忘れられており、まったく理解できないのです。従って、現在の日本人には「移民」という表現、概念は、現在のように海外から日本にくる難民、移民という現象に直接に関連しているのであって、したがって、「日本人の移民」という概念はまったく考えられないのです。

 

  つまり、日本に居住している現代の日本人には海外に日本人が「移民」するという表現概念、そして過去にはそのような日本人の海外移民という存在は、とても考えられず、存在しないのです。ましてや、「棄民」とい表現は現在の殆どの日本人の心理には消えて無くなり、また理解がないのです。従って、、日本語としての表現、「移民」という概念には、ある意味ではネガティブな心理的解釈があるので、現在、世界的にも大きな問題となっている、海外からの日本に移民してくる人たちに対してはあまり好感がもたれていないのかもしれません。

 

  結果的には、そのような日本を捨てて、海外に移民した人たちはもう「ニホンジン」ではないとの暗黙の了解があるので、日本の国籍を維持していることにはならず、結果的には重国籍者ではないのです。従って、このような移民として海外に移住した人たちは当時に所有していた日本の旅券の更新には関心がなく、現地に溶け込んでいますので、現地の国籍を取得することによりそれぞれの滞在地に永住することができ、日本の旅券は必要がなくなっているのです。したがって、日本の旅券の更新などはせず、そのままどこかにしまってしまっているのですが、ここで大きな問題は、そのような人たちは、日本の戸籍についてはまったく知識がなく、また関心もなくなり、その結果として、結果的には国籍法に定義されている、「戸籍喪失届」の提出ということは完全に認識されておらず、またそれらの人たちが居住している日本の公館自体もまったくそのような国籍法遵守という概念は当てはまらないと解釈、理解されていて、関心がなく、関与していなかったのです。

 

  したがって、そのような人たちの戸籍は当然のことながら、日本に残っていることがあるのです。このような事実は殆どの日本の官僚や政治家には理解が無い、いゃ、まったく知識がないのですが、時として、後述するようにいとも簡単に、「戸籍が存在、すなわち日本人」との単純な解釈、理解が生じることにもなるのです。

 

  なお、意外と知られていないことに、 1930年の「国籍の抵触についてのある種の問題に関する条約」(ハーグ国籍条約)があったことなのです。この国際条約には、 その前文で、国籍唯一の原則を理想とし、無国籍と重国籍の事例をなくすよう努力することを各国に求めていたのです。たしかに、1930年代の国際感覚では重国籍ということへの理解は現在とは根本的に異なっていたのです。そして、重国籍が望ましくない理由としては、複数の国から兵役義務等の国民としての義務の履行が求められる、国籍のある国の間で外交保護権が衝突する、複数国の旅券の取得が可能になって出入国管理上の問題が生じる、などが挙げられていました。 この法律に対して当時の日本政府は 署名はしたのですかが、批准しなかったとの背景があったのです。その結果として往時の南米などへの移民政策(極言すれば、棄民政策)に発展したのかもしれません。ただ、この当時にはまがりなりにも国際条約としての重国籍禁止が掲げられていたことは間接的に、現時点でも日本人の心理、解釈の中に連綿とし存在する重国籍非容認の背景になっているのかもしれません。

 

  もっとも、この条約に ついて、日本政府は「 署名はしたが、批准しなかった」とのことですが、 署名はしても、条約の規定に拘束される(つまり、条約の規定を法的に施行 ) する意思があるかどうかを正式に宣言、つまり、批准はしていないことになるのです。

 

  ここで考えられるのは日本が国内で国籍法なる法案が初めて作成されたのは明治31年、つまり1898、でしたので、おそらく、前述の (ハーグ国籍条約、1930年)については、既存の国籍法の存在を考慮して、批准する必要がなかった、 とも考えられます。日本でこのような国籍の概念が生まれたのは明治の開国とともに発生し,1873年公布の太政官布告〈外国人民ト婚姻差許条規〉,1890年公布の民法人事編(第2章〈国民分限)を経て,同年公布の憲法18条に基づき1899年になって初めて国籍法が制定されるようになったのです。
  この国籍法は、日本国民たる要件を定めるために制定された法律で、戦後になって、新しい概念の国籍法が昭和25年に公布され、(旧)国籍法(明治32年法律第66号)は廃止されているのです。この法律により、日本人夫婦の間に生まれた子は、出生地が国内・国外いずれであっても、出生によって自動的に日本国籍を取得します。当然のことながら、出生届により戸籍に記載されますが、戸籍の記載対象は日本人に限られているからです。国籍と戸籍がこのような関係であることを、現在の日本人が日本に居住している限り、知らなくても良いことなのですが、いったん日本人が海外に居住し(例外的には、日本で外国人と結婚する場合)、いろいろな分野で活動する場合にはこの国籍法が重要な役割を示すことがあり、場合によっては日本人であることが拒絶されることもありうるという重要な法律なのです。

 

  前述のように、国籍に関する議論の中では必ず重国籍の問題が取り上げられ、日本は基本的には重国籍を認めていないとなっています。その主な理由として、上記のように、「納税、兵役義務、外交保護」の三点がおもに取り上げられているのが普通なのです。このほかにも、日本で、重国籍と言う概念的な問題で必ず取り上げられているのは、もし重国籍を認めたら中国人などが日本の国籍と中国の国籍を持つことが可能になり、大変なことになるとの概念論が介在するのです。

 

  しかし、本来の日本人が外国籍を取得する場合と、外国人が帰化により日本国籍を取得する場合とでは、制度が根本的に違います。外国人が日本に帰化する場合の条件として法務大臣の許可が必要であり、その許可の範疇には「重国籍防止条件として、帰化する者は、国籍を有しないか、又は日本の国籍の取得により、それまでの国籍を喪失すること」とあるのです ( 国籍法第5条第5項 ) 。 それに対して、本来の日本人が外国籍を取得する場合は、国籍法第11条が適用され、法務大臣の許可を要せず、現時点では"自動的"に日本国籍を失うことになるとの判断になっているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

« 困惑する主婦への呼称 | トップページ | 重国籍黙認への変遷 その② »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 困惑する主婦への呼称 | トップページ | 重国籍黙認への変遷 その② »