« 重国籍黙認への変遷 その② | トップページ | 重国籍黙認への変遷  その④ »

2023年11月15日 (水)

重国籍黙認ヘの変遷  その③

その⑤    いずれにしても、このように単なる書類上で外国人になっても、日本人としての本質は変わらないのは当然のことなのです。 例えば、例の LED を発明してノーベル賞を得た中村さんは、ノーベル賞を受けた時は米国籍を職業上の理由から所得せざるを得ない状態であってので、結果的には国籍法に基づいて日本の国籍が自動的に剥奪されていたのです。しかし、当のご本人は自分は日本人であることには変わりがないと談話でも明言しているのです。それは当然で、たまたま職業上の理由から外国の国籍を取得したにすぎず、日本人であることには全く変化がないし、当然のことながら日本人と捉えていることには誰でも反対することは出来ないはずです。    しかし、現実には現在の国籍法の規定により、中村さんは米国人になっていて、中村さんは日系アメリカ人と言うことになるのですが、マスコミをも含めた日本人は誰もそのような解釈、理解はしていないのです。ましてや、日本人としての外観は変えようがないので、他人から見れば中村さんは日本人、ニッポンジンなのです。特に日本の国籍は血統主義であり、アメリカのような出生地主義ではないのです。ですから日本人はたとえ外国籍を取得していても血統的には日本人であるので、外国籍を所有していてもニッポンジンには変わりがないのです。極言すると、いくら紙の上での変化でも、血統そのものは変えることは出来ないのです。    さらに強調すべきことはりたとえ日本人が外国籍を取得しても顔、形、つまり外見、更には日本人としての人間性は変えること不可能であり、ニッポンジンなのです。国籍と言うものは目に見えない非現実性の法律の典型例であり、国籍が変わっても、その本質、人間性、殊にその外観は変わらないのです。つまり、日本人がたとえ外国籍を取得してもそれは紙の上だけの変化であり、日本人としての外観、人間性は変わり得ないのです。    もっとも、法務省の見解の中にはこのような柔軟的な概念は明確にされているのですが、このような理解を裁判官、弁護士、学者なと、誰もしていないのは、基本的には日本は重国籍を認めていないという固定概念が潜在するからなのかもしれません。    ある時、私のこのような疑問に関して法務省に問い合わせた時の返事が以下のようになっているのにはある意味では、柔軟性があることなのです。その回答は、以下のようになっています。 『我が国では日本国籍の得喪は国籍法が規定しており,同法第11条は,「日本国民は,自己の志望によって外国の国籍を取得したときは,日本の国籍を失う。」と規定しています。仮に日本旅券を有していても日本国籍を喪失している場合があるため,旅券を発給申請されるときに,申請者が外国籍を有しているかどうかを確認し,有している場合はそれに至った経緯,事情等をお聞きした上で,場合により必要な書類(滞在国の滞在許可証や査証等,日本人として滞在国に滞在していることが確認できる書類,又は,外国籍を有している場合には外国旅券等の国籍証明書等)の提出又は提示を求め,国籍法第11条に該当するか否かを確認します。提出又は提示いただいた書類により,外国の国籍を有していることが判明しても,国籍法第11条に該当しないことが確認できた場合には,通常どおり旅券を発給します。一方,外国の国籍を有するに至った経緯が国籍法第11条に該当し,日本国籍を喪失していると判断された場合には,旅券は発給されません。なお,申請者が自己の志望により外国の国籍を取得したのではないと主張される場合には,その根拠となる資料を提出又は提示いただいた上で判断することになります。』   つまり、この法務省の見解では「自己の志望で」の解釈には、ある意味では柔軟性が認められていると解釈できるのです。即ち、文中にある「国籍法第11条に該当するか否かを確認」と言うことは、明らかに、自己の志望であるかのか、どうなのか判断が求められていることになると理解できるのです。   ですから、日本人がなんらの原因、理由もなく、単純に外国籍をも欲しいな、と意識的に考えて外国籍を取得するということは非現実性であり、そのような考えを実行する日本人は一人もいないのです。それは当然で、普通の日本人が、なんとなく外国人になりたいなどと考えて、日本の国籍を捨てて外国人になるなどはまったくあり得ないのです。    しかし、意外なことに、外務省の見解として、以下のような回答があることなのです。 なお、興味あることは、このような法務省の見解に関連して、著者が外務省の旅券課に改めてその真意を確かめたところ、以下のような返事が得られたのです。 「外務省ホームページに対して,在外公館における旅券(パスポート)の申請の際,外国籍を有している場合の対応につき御照会をいただきました。日本旅券の発給は,日本国籍を有していることが要件です(旅券法第18条第1項第1号)。このため,旅券発給に際しては日本国籍を有していることを確認しております。我が国では日本国籍の得喪は国籍法が規定しており,同法第11条は,「日本国民は,自己の志望によって外国の国籍を取得したときは,日本の国籍を失う。」と規定しています。仮に日本旅券を有していても日本国籍を喪失している場合があるため,旅券を発給申請されるときに,申請者が外国籍を有しているかどうかを確認し,有している場合はそれに至った経緯,事情等をお聞きした上で,場合により必要な書類(滞在国の滞在許可証や査証等,日本人として滞在国に滞在していることが確認できる書類,又は,外国籍を有している場合には外国旅券等の国籍証明書等)の提出又は提示を求め,国籍法第11条に該当するか否かを確認します。提出又は提示いただいた書類により,外国の国籍を有していることが判明しても,国籍法第11条に該当しないことが確認できた場合には,通常どおり旅券を発給します。一方,外国の国籍を有するに至った経緯が国籍法第11条に該当し,日本国籍を喪失していると判断された場合には,旅券は発給されません。なお,申請者が自己の志望により外国の国籍を取得したのではないと主張される場合には,その根拠となる資料を提出又は提示いただいた上で判断することになります。投稿者様におかれましては,今後とも旅券行政への御理解と御協力のほどよろしくお願いいたします。 令和元年十一月    外務省領事局旅券課 」    つまり、外務省のこの回答では、法務省の回答とほぼ同じ内容で、「申請者が外国籍を有しているかどうかを確認し,有している場合はそれに至った経緯,事情等をお聞きした上で,場合により必要な書類(滞在国の滞在許可証や査証等,日本人として滞在国に滞在していることが確認できる書類,又は,外国籍を有している場合には外国旅券等の国籍証明書等)の提出又は提示を求め,国籍法第11条に該当するか否かを確認します。提出又は提示いただいた書類により,外国の国籍を有していることが判明しても,国籍法第11条に該当しないことが確認できた場合には,通常どおり旅券を発給します。」が明記されているのです。    従って、何らかの目的、原因、などがあってその滞在国での職業的などの継続のためには滞在国の国籍を取得しなければならないようなときは国籍法の条文「自己の志望で」には該当しないとの柔軟な解釈が法務省、そして外務省にもあるのです。これは当然で、わざわざ海外に出かけて、もう日本の国籍はいらないので、外国籍を入手したい、と単純に考える人は誰もいないからなのです。 つまり、現在の国籍法11条は、現時点では「恣意的」に行使されていたと解釈されていても致し方がないのです。なお、世界人権宣言15条2項では、「何人もその国籍を 恣意的 に奪われない」と規定されているのです。    でも、もしこの両省の回答を厳密に解釈すると、「自己の志望」という概念にはある意味での柔軟性があるのですが、現実はまったくその正反対で、「自動的に」処理されているのです。このような柔軟な解釈が、豹変されたのは2018にスイスからの国籍法違反の裁判が提起された時から、急変するようになっているのです。 その⑥    いっぽう、日本には政府発行の写真付きの公的な身分証明書を各人が所有するという制度は全然無いという極めて驚くべき事実があるのです。つまり、各国の例とは裏腹に、日本では各人に写真付きの公的な身分証明書が発行されておらず、従って、その携帯義務が法的に規定されていない、という極めて特別な国であり、極めて例外的な国なのです。ですから、日本国内では身分証明書扱いとされる書類はいろいろと便宜上、認識されているのに過ぎないのです。勿論、有効期限が切れていない旅券を所持していれば日本では身分証明書としても使えますが、そのような旅券を維持している人は海外旅行をしたことのある人しか持っておらず、日本国内では極めて例外にすぎないのです。    したがって、新聞に頻繁に報道されている事件で、犯人が逮捕されても、新聞にはかならず「住所不明」となっているのです。それは当然のことであり、日本国民全員が顔写真つきの身分証明書を持つことが義務化されていない、いゃ、そのような証明書自体が存在しないからです。したがって、時として、更に問題になのは日本に帰化して日本人となっている外国人の場合なのです。多くの場合、そのような日本人は外見から判断すると外人であることが一目瞭然の場合もあり、そのような日本人はときとして警官から職務質問された時に、身分証明書が無いため、問題化される場合すらあるのです。    つまり、日本に住んで、正式に帰化している" 日本人"に対して「あなたはどこの国の国籍 を持っていますか」ではなく「あなたは何人、何処の国の人なのですか」と聞くのが 普通なのです。 そのような質問を上記の人女性が受けた時にとっさに日本人ですとはならず、フィリッピン人ですと答えたのかもしれません。つまり、上記の警官の職務質問にたいする返事が誤ったために身柄拘束になってしまったのです。もっとも、新聞報道では彼女が「フィリッピン人です」と答えたと記述されていましたが、警官が普通の職務質問で「あなたはどこの国の国籍を持っていますか」と質問したとは考えにくいのです 。    更にこの事件で隠されている大きな問題は、もしこのフィリッピン人が私は日本に帰化しています、と答えた時の警官の対応になるのです。そのようなときにはおそらく警官はああそうですか、と聞き流しはしないと思うのです。ましてや、相手が 肌の色の異なる アリカ人などに対しては、次の質問 は「なにか身分を証明するものはありますか」、となるのです。   ここで、問題なのはもし相手が普通の容貌の日本人だったら、仮に身分証明書を持っていなくても口頭で住所、電話番号など聞かれて、それで、ほとんど問題なく、ましてや身柄の拘束はなされない筈です。それはなぜだか分かりますか。 その答えは、日本には個人の身分を証明する身分証明書の存在がないからです。    ですから、たんなる旅行者ではなく、海外で生活していて、何らかの活動をしている日本人がその国に長く滞在している場合には、日本の旅券は正式な身分証明書にはならず、滞在国の国民と同様にその滞在国発行の写真付きの滞在許可書が、その国での身分証明書になるのです。このような観点を理解すると、海外に長期滞在の日本人が所持している旅券はその滞在国での正式な身分証明書ではないのです。旅券は文字通り、国外に旅行する場合にそれぞれの国での滞在許可証としてのみ有効なだけなのです。    しかし、そのような海外に長期在住の日本人が旅券の有効期限の延長、更新を申請した時に、もしその時点で外国籍をも所有、維持していれば、旅券の更新は、国籍法という法律の解釈により、現実は海外公館により更新は否定されるのですが、それと同時に国籍法という法律が介入されて、日本人扱いとはならないのです。従って、日本人であることが否定されてしまうのが現実なのです。つまり、海外在住者の旅券は、海外公館の判断では、単なる海外旅行の許可書ではなく、日本人としての身分証明書扱いになるという極めて異端な解釈にもなるのです。    その根拠として挙げられるのが国籍法という法律なのです。この法律によると、日本人が外国籍を取得した時点で、日本人ではなくなるということなのですので、旅券そのものが、場合によっては日本人としての身分証明書扱いになると判断されているのです。しかし、旅券の更新が拒絶されただけでは日本人が消されることにはならず、旅券の更新拒絶の結果として「戸籍消失届」を提出することが法律的には求められるのですが、もし、この届を提出をしなけれ 戸籍は永遠に存在し、日本人でありうるのです。    勿論、その戸籍消失届を出さなければ、罰則が規定されているのですが、海外に在住している日本人には日本の法律に規定されている罰則は適用できにくいという難点があるのです。従って、もし一人でもそのような海外居住者に対し、日本の法律的罰則を適用したならば、それまでにそのような日本の法律違反をしている何十万、何百万という海外在住の日本人全員に対しても、同じ手続きをしなければならないとなり、事実上不可能になるからです。    つまり、「戸籍喪失届を提出しない」、結果として、有効な日本の旅券を所持していなくとも、現在でもかなりの数の戸籍記載例のみの日本人が海外には存在するのです。その具体的な例としては、かっての、南米移民の子孫たちなのです。そのなかでの典型例はペルーの元大統領だったフジモリ氏が、政変で日本に亡命してきたときに、当時の日本政府は、フジモリ氏の戸籍が日本には未だ残って記載されていたので、まったく問題なく、日本人として、扱われていたことなのです。つまり、フジモリ氏が政変で日本に亡命してきたときに、彼はペル-の国籍を持っていてぺル-の旅券で日本に亡命してきたのです。     なお、意外と知られてい ない事 実は、彼が参議議員の選挙に立候補していたということなのです。 公職選挙法で定めている国会議員立候補者の条件は、日本国民であることと年齢制限(衆議院議員は満25歳以上、参議院議員は満30歳以上)だけです。二重国籍かどうかは問われてはいないのです。実際に2007年7月の参議院議員選挙には、ペルーと日本の国籍をもつ藤森謙也氏(フジモリ元ペルー大統領)が国民新党の比例代表公認候補として立候補していたということなのです。もう、このような事実を考慮すると、現在、継続している重国籍拒否問題での裁判に関して、いったい、政治家はどのように考えているのでしょうか    なお、現実には、多くのこの国籍法11条該当者は自発的に戸籍喪失届を必ずしも出しているわけではないのです。それは当然で、もし、この戸籍喪失届を提出することは完全に日本人ではなくなるのですが、その届に無意識的に署名して、提出している多くの人は、恐らく自分は日本人ではなくなるとの認識が無いのかもしれません。おそらく単純に単なる書類上の手続きぐらいにしか理解していないのではないでしょうか。しかし、現実に、そのような人達は、自分は日本人ではなくなるという理解をどのようにしているのでしょうか。 因みに、 最近の統計ではこの戸籍喪失届を出している人は年間に2000から 3000人前後しかないとのことなのです。はたして、この数字が多いから、少ないかの判断は困難なのです。   もしかすると、今後、将来的にはそのような戸籍消失届を無造作に提出してしまった人たちが、老後に日本での生活を望んだ時には外国人として取り扱われ、"日本" に帰るときにいろいろな想像以上の問題が派生することを理解すべきなのです。例えば、場合によっては、その人の居住国の国際環境にもよりますが、日本に" 帰国"するときには明らかに外国人として扱われ、日本に入国するときには査証。つまり、VISAが必要になる場合もあるのです。    そうなると、将来的には「戸籍復活裁判」のようなことが発生するかもしれません。   ですから、戸籍法ではいまだ日本人であることの典型例が上述のフジモリ氏のような場合の様にかなりの数になるのです。また、以前に報道されていたように、かって中国大陸で活躍していた「李香蘭」、こと山口淑子さんの記事がありましたが、山口さんの運命を分けたのは「戸籍」の写しが手に入ったので、日本軍に協力した中国人扱いとされて死刑になるところを、日本人として認められ、日本に無事に戻ることが出来たとのことです。つまり、別な見方をすれば、国籍法で自動的に外国人になっても、国籍喪失届を出しておらず、その後の届、つまり、戸籍喪失届、を出していないことが大きな運命の分かれ道にもなっていたのです。

« 重国籍黙認への変遷 その② | トップページ | 重国籍黙認への変遷  その④ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 重国籍黙認への変遷 その② | トップページ | 重国籍黙認への変遷  その④ »