« 2023年6月 | トップページ | 2023年8月 »

2023年7月の記事

2023年7月29日 (土)

サウナのような発汗療法の効果について

私がかなり昔に当時の専門であった温泉科学誌に書いたものですが、何らかの参考になるかもしれません。 このサイトは見られないかもしれませんので、以下のタイトルで検索すると読めます。 「発汗療法に関する二三の治験」    温泉科学 14巻 3-4号 file:///C:/Users/%E4%BC%B8%E4%BA%8C/Downloads/vol14no3no4_100_107.pdf http://www.j-hss.org/journal/back_number/vol14_pdf/http:// www.j-hss.org/journal/back_number/vol14_pdf/vol14no3no4_100_107.pdf_100_107.pdf chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/http://www.j-hss.org/journal/back_number/vol14_pdf/vol14no3no4_100_107.pdf 確かに、サウナの免疫学的効果はあるかもしれませんが、そのことは入浴そのものでも見られるのです。しかし、残念ながら、日本人にとっては入浴は日常的な行為であり、入浴の影響については免疫学的調査などは誰もしないのが当たり前なのです。ちょうど、私のこのブログにも書いているのですが、「笑い」の免疫学的な研究などは、かなり以前には医学的研究がいろいろとありましたが、現在ではそのようなことにかんしんのある医学者は一人もいないのです。 なお、日本には日本温泉気候物理医学会という学会がありますが、現在の医療環境から判断、理解すると温泉療法を実際の医療に活用することは極めて稀になっています。この学会は以前は日本温泉医学会でしたが,最近は「物理医学」を含めるようになっていますが、これも単に温泉医学だけでは学会として成り立ちにくくなっているからではないでしょうか。

2023年7月21日 (金)

人の名前がすぐに出てこない原因

人の名前がすぐに出てこない原因 高齢化に伴って起こる一つの現象に「ものわすれ」があります。 多くの識者はこの「物忘れ現象」は認知症のはじまりだと説明しています。 しかし、このような「ものわすれ」現象を経験している人すべが認知症になるのかと言うとそうではありません。 この物忘れ現象は結果であって、原因でないことは誰でもわかりますが、ではその原因は何かとなるといろいろな要因が関与してきますので、その対策、理解は複雑なのですが、いろいろな本にこのことについての説明がまことしやかになされていますが、どれが自分にとっての正解なのかとの判断は難しく、また一般化できるものではないのです。 その理解のひとつとして何歳くらいからこの「物忘れ」現象がおるのかはそれぞれの人の性格、健康状態、家系、食事習慣、生活習慣など、ともかく極めて複雑な要因が絡んでくるのです。ところが「人の名前が出てこなくなった時に読む本」のような類の本がいろいろと出版されていますが、その内容はいずれも概念的なものであり、脳の機能の解説から始まって、食事内容、運動などいろいろな要因の関与が記述されています。勿論、それらの個々の要因も直接的、間接的に「ものわすれ」現象に関与するかもしれません。しかし、問題はそれらの本の読者それぞれの、家庭環境、食生活、職業、年齢などなどはまさに千差万別で必ずしもそれらの本に記述されている注意事項を実践すれば「ものわすれ」現象がなくなるかどうかは分からないのです。 さらに注意しなくてはならないのは「ものわすれ」現象、イコル「認知症」ではないのです。 「ものわすれ」現象が何歳ぐらいから出るのかはこれまた実に千差万別で、90才くらいから起こる場合もあり、その反対に60再前後から始まる場合もあります。 このような「ものわすれ」現象の経験時点での脳機能の詳細は不明なのですが、その一方、認知症となると完全な疾患状態であり、その時点での脳生理現象の解明などが進められていて、そのような認知症の人の脳生理、脳機能はどうなっていますなどとの論文がいろいろと発表されていますが、それらの成果はいずれも認知症との疾患と診断されていることになるのですが、その時点ではもう「ものわすれ」現象は全く意味がなさなくなっているのです。ですから、「ものわすれ」現象と認知症は完全に別物であり、物忘れ現象の人すべてがいずれかは認知症になるとは限らないのです。 では「ものわすれ現象」の段階での原因は何かを考えてみました。「ものわすれ」の具体的、典型的な現象はよく言われるように「人の名前が思い出せない」だと思うのです。でもこのような人の名前は、いったい誰のことを対象にしているのでしょうか。そのほとんどは数日前にあった人の名前とか、昔に逢ったことがある人の名前などが該当するかもしれません。この場合の「人の名前」ですが、その人とは今までに何回くらい逢っていたかとか、接触があったりして、その人の名前は何回となく使われていたかどうかがキイポイントなのです。例えば、二三回くらいしか逢ったことしかなく、しかもその時期はもう何か月前だと仮定すると、その人の名前が即座に出てこないかもしれません。勿論、この場合には年齢も関係してくることにもなりますが…。 でも、そのような状態になって、いゃ、最近はものわすれが顕著になりましてね。となるのですが、そのような人にもう何十年前に亡くなっている母親の名前はなんですかと聞くと、不思議なことにその人の母親の名前はすぐに口に出てくるのです。ではどうしてなのでしょうか。その人の母親はもう何十年前に亡くなっているのでそれ以降母親の名前を口に出すことがなかったのかもしれないのですが、その人の母親の名前はすぐに出来るのです。その原因は母親が生存していた時には母親の名前を日に何回となく記憶する機会があり、母親の名前は脳細胞に何回となく刻まれていたはずなのです。つまり、単なる年とともに経験し始める「ひとの名前が思い出せない」現象の原因は脳細胞にいかに頻繁に刺激としてその名前が残されていたか、その回数に左右されるのです。 しかし、このような説明を脳生理学的に証明することは殆ど不可能かもしれません。つまり、ある年齢に至ってから起こりえる「人の名前がおもいだせない」現象の大きな原因の一つは脳細胞にその名前が頻繁に刺激として残っていたかに左右されるのです。でも、このような現象を脳生理学的に解明することは困難かもしれません。 人の脳には何億と言う細胞が存在し、人の名前がそのどこかに一度刻まれるとその細胞に残っているはずなのですが、そのようなことを証明することはまず不可能かもしれません。しかし、例外的にそのような可能性を実証できことがあるのです。それはforensic hypnotismと言って法医学分野でも稀な領域が存在するのです。このことを説明すると、ある殺人事件で、犯人が自動車で逃げてしまったのですが、たまたま一人の女性がその逃亡の様子を目撃し、車の後ろ姿を目撃していたのです。しかし、その後に警察の聴取に際して、警官からその車の番号を覚えていますかと聞かれても、車での逃亡は一瞬の出来事であり、その車の番号までは覚えていません、と答えざるを得なかったのです。しかし、たとえ一瞬にしてもそのナンバ-プ-レは見ていたことは事実なのですか、すぐには記憶からその番号を口にすることは出来なかったのです。これは当然で、通常の場合にそのような一瞬の出来事を口に再現することは通常の場合には不可能に近いのです。ここで、警察はforensic hypnotism、つまり法医学的催眠術、の専門家を呼んで対応させたところ、その人の脳細胞内に刻まれていた車の番号を引き出すことが出来たのです。このようなことは例外の例外かもしれませんが、一回でも、一瞬でも、脳細胞に刻まれた情報は必ずどこかの細胞に残されていることになるのですが、通常の状態ではそのような一瞬の脳細胞へのインプットを引き出すことは不可能に近いのです。   このことから言えることはたった一回くらいしか聞いていなかった人の名前はすぐには口に出てこないのが普通なのです。このことはなにを意味しているかと言いますと、もし、人の名前が何回となく頻繁に脳細胞に刻まれていれば、その回数に比例してすぐにでてくることがわかります。ですから、子供のころから母親の名前を何回となく聞いていればそれだけの量が脳のどこかの細胞に残っているはずなのです。もっとも、このような可能性を脳生理学的に証明することはいまだ不可能かもしれません。   つまり、年齢とともに日の名前がすぐに思い出せなくなる大きな原因はその名前の脳への「インプットの回数」と「時間的経過」に左右されるのです。ですから、例えば、高齢になって、初めて会った人のなまえが数週間後にはなかなか口には出てこなくなるのは普通なのですが、そのようなときには、その人の名前を数日間何回と繰り返し口に出すことでその人の名前が脳細胞に何回となく刻まれることになり、それ以降は比較的簡単にその人の名前は口に出てくるものなのです。    このことから言えることは単なる年齢に影響されるかもしれない「人の名前がすぐに口に出てこない」現象はその名前の脳へのインプットの回数、つまり、「頻度」と、「時間的経過の」二要因によって左右されるのです。この二つの要因が高齢者になると一般的に減少してくるのです。勿論、この二つの要因のどちらかが欠けてしまえば、また「人の名前がすぐにはでてこない」状態に戻ってしまうのです。   ここで注意すべきは「人の名前がすぐにでてこなくなる」現象と「認知症」との直接な関連性はないことです。勿論、歳とともに脳機能が衰えて、将来的には認知症になるかもしれませんが、その予防には食事・運動・習慣・呼吸などの影響もあるかもしれませんが、常に関心を以ていろいろな事実、事項などを脳に記憶させる習慣を身に着けることが重要なのです。出来れば、それらのいろいろな事象などを頻繁に口に出して表現することなのです。したがって、高齢者になって人との付き合いも減少し、人との会話も減少するような状態になってしまうと「人の名前が出てこない」現象から、認知症になってしまうのです。このような状態の典型例は高齢者施設に入所してしまうと人との会話が極端に減少してしまうのが普通なのですし、そのような施設ではそれぞれ各人の昔のことを話題にして会話を進める施設の人は殆ど皆無なのです。認知症は、発症すると治療法はないといわれていますが、現在の認知症対策の欠点はその人の脳細胞内に残っている過去の情報を引き出す努力を誰もしていないので、症状が進展してしまうのです。認知症になった人の脳内のいろいろな物質の減少や、異常物質の脳内沈着などが脳科学的に証明されていますが、これらの異常は「結果」であって「原因」ではないと私は考えるのです。 このように、なぜなのか、という原因論からまず「人の名前がなぜすぐに口にでてこないのか」という現象を理解すべきなのです。

国際結婚の伴侶の死後の問題

近年は国際結婚する日本人はどんどん増えていますが、最近は、いろいろな人から伴侶の死後に関連したいろいろな問題点があることが指摘されています。特に、死後に関連した遺産関連事項には意外と知られていない重要な問題があるのですが、その中には誰も教えてくれない問題もあるのです。 そのような点に関連して以下のように列挙してみました。   銀行口座の閉鎖、死者の口座は数か月から、一年ちかくも閉鎖される   通常の課税関連申告資料以上に複雑な書類が来る      死亡時期にもよるが最悪の場合にはほぼ二年分の課税ともなる      遺産相続税は翌年にくる     正式の遺言書がない場合、遺産相続人のリスト作成とその後の影響 もっとも、子供がいない場合には問題がない場合が多い。   遺産相続人数が多いほど、問題は複雑になりその解決にはかなりの期間、往々にして数年が必要となることもある    そのほかにも、遺産相続に関しては相続人のかんけいによつてはかなり複雑になります。 勿論、それぞれの国によって制度が異なりますので、概念的なことしか言えませんが、例えば、スイスでは夫妻の間での相続税はかかりませんが、そのような場合でも、税務署からはかなり後になってから、相続関与の調査などにたいする付加税がかなり後になってくるのです。、

2023年7月18日 (火)

スイス人の英語力

スイス人の英語力 日本では英語の使用能力に関しては昔から連綿と続いており、いろいろな人が自分の経験を発表したり、どうしたら英語力を向上できるかのような経験談が毎日の様に報道されていますが、全体的に観察すると日本人の英語力と言うのは国際的観点から見たら、かなり低いのではないでしょうか。 このことに関して、最近のスイスの新聞に「スイス人の英語力」という国際比較記事が載っていました。(ZonntagszeitungSchweiz 16/7/2023) この記事を見るとスイス人の英語力はなんと欧州の国の中では23位なのです。        その序列を見ると以下のようになっています。      ① オランダ      ② オストリア      ③ ノルウエイ      ④ デンマ―ク      ⑤ ベルギー      ⑥ スエ―デン      ⑦ フィンランド      ⑧ ポルトガル      ⑨ ドイツ       ・・・・       ・・・      ㉓ スイス となっています スイス人の平均的な英語力が欧州国内ではこんなに低いとは意外でした。そのような結果を改めて考察すると、もしかしたら、スイスの国語の複雑性が関与しているのかもしれません。何しろ、スイスの国語として公認されているのは四か国語'(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンス語)だからではないでしょうか。このような公認の国語を持っているのは世界の国の中ではスイスだけなのです。さらにスイスの国語を複雑化しているのは例えば、ドイツ語と言ってもスイス方言が日常的に使われているので、ドイツ語地区の人の殆どが日常的には方言だけを使っているのです。この方言を初めて聞いたドイツ人は全然理解できないのです。

2023年7月12日 (水)

蚊は刺す相手を選んでいるのです。面白い研究があるものです。

なかなか面白い研究です。 つまり、蚊に刺されるという行為はだれにも同じと考えているかもしれませんが、以下の研究報告を読むと、蚊もなかなか利口なのです。 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC30AJ70Q3A630C2000000/

2023年7月 9日 (日)

国籍の人間性

国籍の人間性    初めに 毎年、夏になるとお盆という行事があり、地方から大都会に働いている人たちが、この時期にそれそれぞれの故郷に帰ることが当然のごとく毎年行われています。そこには自分が生まれ育った故郷という概念が厳存するからです。このような故郷という感覚、概念を維持することは至極当然のことであり、まさにそこには人間性の基本の厳存でもあるのです。しかし、地元で生活し、そこから外に出て生活の拠点を移動することがない人たちにとっては「故郷への願望」を経験することは皆無であり、故郷という概念を身をもって経験する機会は全く無いのです。 例えば、東京で生まれ、東京で育ち、東京の学校で勉強し、東京で働いている典型的な「東京人」には故郷という概念を経験する機会は皆無になるのです。このような人間性の本質である「故郷」という概念は政治家でも選挙のような機会には地元、つまり故郷に戻って選挙するのは当然のことなのです。 しかし、いったん日本からから海外に出て生活、活動している人にとってはこの故郷という概念は、「日本への郷愁」あるいは「日本人としての人間性の自覚」は当然のことながら自然に湧き出てくるものなのです。しかし、場合によってはそのような概念、人間性の基本というものがある日、突然否定されるようになった場合の人間としての心理がどのようになるかを第三者が理解することはかなり難しいし、場合によっては無理、或いは不可能かもしれません。 すなわち海外で生活の拠点を構えて、ある事情から外国籍を取得せざるを得ない時、現在の法律によると、自動的に日本の国籍を失うことなのです。つまり、海外で外国籍を取得して、その後に日本の旅券の期限が切れていることを知って、その更新に領事館に出向いて、旅券の更新申請をしたときに、初めて外国籍を取得している場合には日本の国籍法によって「自動的に」喪失されていることを知り、殆どの人が愕然とするのです。つまり、その時点で国籍法なる法律の存在を認識することになるのです。 つまり、外国籍をある理由から取得せざるをえなかった時点で日本の国籍が「自動的」に失われ、理論的には外国人になっているので、それ以降は行政措置としての手続きが求められ、最終的には戸籍が抹消されることになっているのですが、この過程は必ずしも実行されておらず、戸籍がそのまま残っている例はかなり多いのです。その典型例は、ペル―の元フジモリ大統領が政変で日本に亡命した時には日本の国籍法の存在は全く考慮されず、フジモリ元大統領の戸籍が日本に残っていたので、急遽、日本の旅券を発行し完全に日本人扱いしていたことなのです。つまり、国籍法では彼は日本人でなくなっていたのですが、行政の不履行で彼の戸籍が残っていたのです。なお、意外と知られていない事実は、彼が参議議員の選挙に立候補していたということなのです。公職選挙法で定めている国会議員立候補者の条件は、日本国民であることと年齢制限(衆議院議員は満25歳以上、参議院議員は満30歳以上)だけです。二重国籍かどうかは問いません。実際に2007年7月の参議院議員選挙には、ペルーと日本の国籍をもつ藤森謙也氏(フジモリ元ペルー大統領)が国民新党の比例代表公認候補として立候補していたということなのです。当時のフジモリ氏はといえば、刑事被告人として、ペルー政府がチリ政府に要請した身柄引き渡しについての審査結果をチリのサンティアゴで待つ身でした。 いずれにしても、海外で活動している日本人がある日突然に日本人でなくなるということの心理は第三者にはとても理解できないのでないでしょうか。海外で活動している日本人の母国への郷愁が全くゼロと言うことはありえないのです。そこには前述のような郷里への心境、すなわち、海外からの日本への郷愁、母国感と言うものはかならず潜在するのです。このような心境に関して、ある人が「鮭ですら自分の故郷に帰っていけるのに、何百年もの間この土地で暮らしてきた先祖の末裔が、なぜ故郷に帰ることを、国籍法11条1項のような時代遅れの不合理な法律によって、世界人権宣言や国際人権規約に反してまで、妨げられなければならないのか」と書かれていましたが、まさにそのとおりなのですが、そのような心境が全く理解できない日本の政治家、官僚はどの様に考え、理解しているのでしょうか。。 例えば、例のLEDを発明してノーベル賞を得た中村さんは、ノーベル賞を受けた時は米国籍を職業上の理由から所得せざるを得ない状態であってので、結果的には国籍法に基づいて日本の国籍が自動的に剥奪されていたのです。しかし、当のご本人は自分は日本人であることには変わりがないと談話でも明言しているのです。それは当然で、たまたま職業上の理由から外国の国籍を取得したにすぎず、日本人であることには全く変化がないし、当然のことながら日本人と捉えていることには誰でも反対することは出来ないはずです。 しかし、現実には現在の国籍法の規定により、中村さんは米国人になっていて、中村さんは日系アメリカ人と言うことになるのですが、マスコミをも含めた日本人は誰もそのような解釈、理解はしていないのです。ましてや、日本人としての外観は変えようがないので、他人から見れば中村さんは日本人、ニッポンジンなのです。特に日本の国籍は血統主義であり、アメリカのような出生地主義ではないのです。ですから日本人はたとえ外国籍を取得していても血統的には日本人であるので、たとえ外国籍を所有していてもニッポンジンには変わりがないのです。極言すると、いくら紙の上での変化でも、血統そのものは変えることは出来ないのです。 さらに強調すべきことはたとえ日本人が外国籍を取得しても顔、形、つまり外見、更には日本人としての人間性は変えること不可能であり、ニッポンジンなのです。国籍と言うものは目に見えない非現実性の法律の典型例であり、国籍が変わっても、その本質、人間性、殊にその外観は変わらないのです。つまり、日本人がたとえ外国籍を取得してもそれは紙の上だけの変化であり、日本人としての外観、人間性は変わり得ないのです。 このような類似例として、最近の新聞報道によると日本に帰化して、日本で生活しているフィリッピン女性が警官の職務質問に対して、無意識的に自分はフィリッピン人ですと答えたため旅券不携帯の疑いで一時的にせよ身柄を拘束されたのですが、最終的には持っていた健康保険証や入管への問い合わせで、日本国籍を取得していたことが判明、釈放、謝罪されたとのことです。因みに、先進国の中でそれぞれの国民が写真付きの身分証明書を常に持っていない国は日本だけなのです。 このように、日本に居住していて日本の国籍を取得している人の場合でも、国籍と言うものは目に見えない非現実性の法律の典型例であり、国籍が変わっても、その本質、人間性、殊にその外観は変わらないのです。つまり、日本人がたとえ外国籍を取得してもそれは紙の上の変化であり、日本人としての外観や人間性は変わり得ないのです。 このように理解するとその逆に海外に出かけた日本人は無意識的に日本人と言う人間性を絶えず意識しているのが普通なのです。つまり、ここで理解したいのは国籍そのものが単なる外観だけで人間性を左右することにはならないのです。勿論、今後の国際化の影響で、日本で生活している国際カップルの子供が日本で生まれて日本の戸籍に記録されて当然のことながら日本人にはなっているのですが、人間性の観点から、母親、或いは父親の外国籍をも維持させたいという極めて基本的な人間的、社会的要望にもなりつつあることも忘れることはできません。 しかし、現在の海外の日本領事館の旅券担当者はそのような非論理的、非人間的な旅券更新での取り扱いではまさに事務的な感覚で対処しており、人間性という高尚な立場からの判断、解釈は皆無なのです。 この点に関連して筆者が外務省の旅券課に改めてその真意を確かめたところ、以下のような返事が得られたのです。 外務省ホームページに対して,在外公館における旅券(パスポート)の申請の際,外国籍を有している場合の対応につき御照会をいただきました。日本旅券の発給は,日本国籍を有していることが要件です(旅券法第18条第1項第1号)。このため,旅券発給に際しては日本国籍を有していることを確認しております。我が国では日本国籍の得喪は国籍法が規定しており,同法第11条は,「日本国民は,自己の志望によって外国の国籍を取得したときは,日本の国籍を失う。」と規定しています。仮に日本旅券を有していても日本国籍を喪失している場合があるため,旅券を発給申請されるときに,申請者が外国籍を有しているかどうかを確認し,有している場合はそれに至った経緯,事情等をお聞きした上で,場合により必要な書類(滞在国の滞在許可証や査証等,日本人として滞在国に滞在していることが確認できる書類,又は,外国籍を有している場合には外国旅券等の国籍証明書等)の提出又は提示を求め,国籍法第11条に該当するか否かを確認します。提出又は提示いただいた書類により,外国の国籍を有していることが判明しても,国籍法第11条に該当しないことが確認できた場合には,通常どおり旅券を発給します。一方,外国の国籍を有するに至った経緯が国籍法第11条に該当し,日本国籍を喪失していると判断された場合には,旅券は発給されません。なお,申請者が自己の志望により外国の国籍を取得したのではないと主張される場合には,その根拠となる資料を提出又は提示いただいた上で判断することになります。投稿者様におかれましては,今後とも旅券行政への御理解と御協力のほどよろしくお願いいたします。 令和元年十一月    外務省領事局旅券課 もっとも、このような一見、柔軟な解釈とも受け止められますが、これは単なる旅券課の解釈、見解に過ぎず、法務省の見解ではなく、現在の旅券更新政策には全く影響を及ぼさないことなのです。つまり、法務省の担当者に言わせれば、それはあくまでも外務省の担当者の理解であり、現在の国籍法改正には関与しないのです、となります。しかし、このような柔軟的な解釈が一部の政府の官吏に存在することはまさに驚きなのですが、更に大きな問題は、このような柔軟性が認識されていることは、ある意味では意識的に国籍法解釈について柔軟にしているのですが、残念ながら現時点では何らの変革も認められていなことなのです。つまり、最終的には現在の国籍法を変更しなくてはならないのです。 「結語」 今後の日本の人口構成を予測すると、少子化、高齢化が劇的に現実化しつつあるのですが、その一方、海外にて活動している日本人、元日本人、そしてその家族は増加の一途を示し、推計では200万人、いゃ、それ以上の多くの日本人が海外に居住、活動しているいるとのことです。もし、海外で活躍していて、日本の国籍を失った元日本人を含めればかなりのニッポンジン人口になるのです。それらの人たちの今後の故国日本への貢献の可能性を維持することは将来の日本にとっても極めて重要なことではないでしょうか。そのためにはたとえ何らかの理由で外国籍を申請しても、元日本人の故郷の国籍を維持できるような対策が必要ではないでしょうか。最後に改めて強調したいことは、海外に出かけて、外国籍そのものだけを取得するだけの目的で、外国籍を申請する人は皆無なのです。

2023年7月 1日 (土)

第二の臓器ってなんだか分かりますか

第二の臓器ってなんだか分かりますか。

 

人間の臓器は基本的には両側性であり、同じ臓器が二つあるのが普通です。たとえば、肺、腎臓、膀胱、眼、などです。しかし、心臓はひとつなのです。つまり、脳も一つ、ですが、最近の知識、解説では、このような一つの臓器にもその機能を補助するもう一つの働き、機能を有するものがあるとのことなのです。これが、第二の臓器と言う訳です。

 

ではそのような第二の臓器とは何を意味しているのでしょうか。

 

 

 

その①

 

心臓は確かに一つしか無いのですが、その理由は明らかではないのです。

 

人間の臓器は基本的には両側性であり、同じ臓器が二つあるのが普通です。たとえば、肺、腎臓、膀胱、眼、などです。しかし、心臓はひとつなのです。つまり、脳も一つ、ですが、最近の知識、解説では、このような一つの臓器にもその機能を補助するもう一つの働き、機能を有するものがあるとのことなのです。これが、第二の臓器と言う訳です。

 

もっとも、心臓には右室,右房、左室、左房のような構造になっているので、ある意味では二つの働きの組織、機能が一つに纏められているのが心臓だと理解することができるかもしれません。   

 

しかし、その反面、心臓の機能を補助的に強化、補充する機能があることは意外と知られていないのです。それは下肢のふくらはぎの部分なのです。ふくらはぎの別名は「膨脛」、英語はcalfなのですが、一般的には「ふくらはぎ」の呼称が普通です。

 

この部分を意識的にピクピク運動をすることにより、下肢にまで流れた血液を心臓に戻す動作を補助的に強化することが出来るのです。確かに、下肢にまで流れた血液を心臓に戻すためには重力に逆らってそれなりの心臓の働きを強化しなければなりません。なにしろ、重力に逆らって下肢に流れた血液を心臓にまで戻さなければならないからです。

 

そこで下肢のふくらはぎの部分を意識的にピクピク運動をすることにより、心臓の働きをかなり楽にすることができるのです。

 

つまり、心臓は他の臓器と異なって、重力の影響に対してかなりの抵抗運動を強いられているという唯一の臓器なのです。このことは意外と殆どの人は知らないのです。人間の体は地球に対してまっすぐ立っているのですが、ある意味では重力に対抗して働かなければならないのです。その典型例は、マラソンなどで選手がゴ―ルに入ったとたんに地面に横になる光景は普通にみられますが、そのような体を地面に並行するように横になっている状態では心臓への重力が極端に低下し、血液を全身におくることが短時間で完成することが出来るからなのです。このことを演繹すると、四つ足の動物が高速でながく走り続けることができるのは体全体が地球と平行になっているのでと心臓への重力の影響がほとんどないからなのです。

 

ともかく、日常生活の中で、椅子に座っているときには常にこのふくらはぎのピクピク運動をすることにより心臓の働きを間接的に低減していることにもなり、結果的には心機能の継続機能の強化に関与することになるのです。もしかしたら、心機能に問題がある人はこのピクピク運動を常時、していると心機能が正常化、症状解決になるかもしれません。(これは私の見解)

 

 

 

その➁

 

最新の腸と腸内細菌の研究によると、近年、「脳腸相関」といって、「脳と腸は互いに影響し合っている」ことが実証されつつあるとのことなのです。

 

 脳の状態が腸に影響を与えるだけでなく、腸の状態が脳を変える力を持つ。そうした特徴から、腸は「第二の脳」ともいわれているのです。

 

 特にここ数年は、腸内細菌が脳の働きに与える影響についての研究が進んでいます。例えば、2020年に報告された、国立長寿医療研究センターの佐治直樹氏らの研究によると、「腸内細菌が代謝の過程で生み出す乳酸が多い人では、認知症リスクが低い」という相関関係が明らかになっています。
 また、同じ研究グループの別の報告では、認知症の人と認知症でない人の腸内細菌を比較すると、認知症の人の腸内細菌には、種類が明らかにされていない不明の菌が増えていることも分かりました。 腸の研究が進んだのはこの10年、20年の話で、脳腸相関についても明らかになっていないことが多いのが現状です。ただ、「過度の緊張や不安から、お腹が痛くなると同時にグルグルッと便意をもよおした」という経験は誰にでもあると思います。これはまさに脳腸相関を表す現象で、脳で感じたストレスが腸に伝わるために起きています。

 

 逆に、お腹の調子が悪いと、物事に集中しづらくなりますよね。これは「いつ便意をもよおすか分からなくて落ち着かない」ということもありますが、腸が抱える不調が脳に影響を与えるために、そうなっているわけです。

 

 この脳腸相関は、おそらく研究の進展以上に、日常生活で実感されていることではないでしょうか。実際、古くから私たちは、「腹言葉」という形で脳と腸の関係性を認識してきました。
 例えば、激しい怒りを抑えきれない状態を表す「腸(はらわた)が煮えくり返る」、非常に苦しくて悲しい気持ちを表す「断腸の思い」、納得がいくという意味の「腑(ふ)に落ちる(腸は五臓六腑の六腑の一つ)」など。感情や思考と腸が密接であることが分かります。

 

 また、「直感」は英語で「Gut Feeling」といいますが、「Gut」の意味は「腸」。「ガッツを出せ」のガッツ(Guts)も同様で、内臓=体の奥にある底力といった意味です。日本語だけではなく英語でも、感情や行動を表す言葉に「腸」が使われているのです。
 私たち人間は人種を問わず、感情や行動を司る脳が腸とつながっていることを、感覚的に知っているからではないか、と想像せずにはいられません。

 

なお、この部分の研究成果は以下の論文になります。

 

(※1) Naoki Saji et al., “Relationship between dementia and gut microbiome-associated metabolites: a cross-sectional study in Japan” Sci Rep. 2020 May 18; 10(1):8088.
(※2) Naoki Saji et al., “Analysis of the relationship between the gut microbiome and dementia: a cross-sectional study conducted in Japan” Sci Rep. 2019 Jan 30;9(1): 1008.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

« 2023年6月 | トップページ | 2023年8月 »