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2023年4月19日 (水)

国籍法を理解してください

法律施行時の理論と現実との乖離

  その典型例としての国籍法施行時の問題点

鈴木伸二 (元・スイス・バゼル日本人会長)

 

「はじめに」

法治国家にはいろいろな法律があり、それらの法律に従って社会構成が成り立っています。つまり、いろいろな法律の存在、そしてその実行、実施に関しては時として柔軟性が介在することはよく知られています。つまり、現実にそれぞれの法律の解釈、実施に際してはかならずしも条文どおりに施行されていることではなく、状況によっては軽視、さらに極端の場合には無視されている場合もあるのです。別な観点、理解をすれば、人間性のある対処、が無意識的に関与することもあり得るのです。

つまり、法律実行の場合にはその判断に人間性が加味されて必ずしも法文通りに判断されず、ある程度の柔軟性のある解釈があり、実施されることは屡々あるのです。もっとも、その場合には大きな役割を果たすのは例えば、裁判の場合での裁判官の実際の状況への理解が重要な判断基準にもなるのです。ですから、該当する法律が現実(現実での施行状況)に、日常的に、どのように判断され、理解され、実施されているかとの総合的、かつ現実的な判断知識が無いと、単に条文の文面だけで判断してしまうこともあるのです。

そのような例として本稿では国籍法という法律を取り上げてみました。

「国籍法の問題点」

国籍法には「自らの意思で外国籍を取得した場合には、日本の国籍を失う」と規定されています。(国籍法11条)

  では国籍法という法律は何の目的で作られているのでしょうか。国籍の概念は,封建制度が崩壊し、近代国家が成立するにつれて構成されたもので,18世紀末から19世紀初めにかけてようやく確立したといわれています。日本でこのような国籍の概念が生まれたのは明治の開国とともに発生し,1873年公布の太政官布告〈外国人民ト婚姻差許条規〉,1890年公布の民法人事編(第2章〈国民分限)を経て,同年公布の憲法18条に基づき1899年になって初めて国籍法が制定されるようになったのです。

この国籍法は、日本国民たる要件を定めるために制定された法律で、昭和25年に公布され、(旧)国籍法(明治32年法律第66号)は廃止されているのです。この法律により、日本人夫婦の間に生まれた子は、出生地が国内・国外いずれであっても、出生によって自動的に日本国籍を取得します。出生届により戸籍に記載されますが、戸籍の記載対象は日本人に限られています。国籍と戸籍がこのような関係であることを、日本人が日本に居住している限り、知らなくても良いことですが、いったん日本人が海外に居住し(例外的には、日本で外国人と結婚する場合)、いろいろな分野で活動する場合にはこの国籍法が重要な役割を示すことがあり、場合によっては日本人であることが拒絶されることもありうる重要な法律なのです。

ある意味では、この国籍法という法律は日本に居住し、日本人同士で結婚している日本人には全く関係のないという極めて例外的な法律なのです。ですから、この国籍法が関与する問題については一般の日本人には全く関係がなく、またその国籍法の影響がどの様になっているかとの関心はゼロになるのです。ですから、実際にこの国籍法の存在、そして施行時にどの様な役割をしていて、判断されているのかとの現実、つまりこの国籍法という法律が関与している諸問題、そしてその実施状況の現実、についての関心、知識などは皆無に近いのです。このことは国籍問題に関与する裁判などでの裁判官も意外とその国籍法施行状況の実態を正しく把握していない、つまり実際にはどのような問題点、現実での解釈、判断があるのかなどという現実の状況には殆ど関心がなく、法文だけを念頭にして判断している場合がほとんどなのです。

従って、日本で生活している日本人には、ある日突然、自分が日本人であることを拒絶されるようなことが起きるとは、全く想像がつかないのです。

例えば、日本人が初めて海外に生活の拠点を移すというその時点では国籍法の規定が妨げになることはないので、後になって国籍法が重国籍を法律的に禁じているような事態は一般的には理解できないのが普通なのです。(国籍法周知の皆無)(国籍法という法律の周知度の欠如)

 法治国家には極めて膨大な法律が存在するのですが、その中の一つの国籍法は日本人であることを‟間接的”に意義付けているのですが、現実には子供が生まれて出生届を出せばその事実が戸籍に収載され、その結果として当然な事のこととして日本人になるのです。つまり、日本人であるかどうかは戸籍に載っているかどうかで決まるので、繰り返しになりますが、国籍法そのものは直接には日本で生活している日本人にはまったく関与しないという極めて特殊、かつ例外的な法律なのです。(戸籍があれば日本人)

「国籍法対応、実施に関する問題点」

ではこの国籍法という法律が関与している現実の諸問題点を列挙してみました。

その①

数年前に新聞や週刊誌などでもテニス選手の大坂ナオミさんに関連した記事がありましたが、彼女がアメリカと日本の両方の国籍を持っていて、22才になった時に国籍法の規定により、どちらからの国籍を選択するか、ということが大きな注目を浴びていたのです。以前にも似たようなスポ-ツ関係者の重国籍問題が話題になったことはありますが、大坂ナオミさんのような世界的にも有名になったスポ-ツ選手だけにマスコミの取材のよき対象になっていたのです。 しかし、日本に生まれ日本に居住し、日本で働いている人にとっては、このような一時的な大坂ナオミさんの記事を読んでも、そんな問題があるのですね、くらいの印象しかないのではなかったのでないでしょうか。ましてや、そこには国籍法という極めて重要な法律が大きく立ちはだかっていることには全く気が付かず、また関心も向けられていなかった筈なのです。つまり、大坂ナオミさんが日本の選手として活躍していることが重要であり、もし彼女がアメリカの選手として活躍し、日本に住んでいなければ、通り一片の二ュース で終わっていることにもなるのです。丁度、ノ-ベル賞受賞者の発表の時にアメリカで活躍している複数の ( 国籍法上は元日本人 ) ノ-ベル賞受賞者の国籍が簡単に無視、軽視されられていたのとでは、大きな違いがあるのです。その典型としてしこれらの元日本人研究者がノベル賞を受賞した時は日本の政治家は「日本人としてよろこばしい」との発言を無造作にしていたのです。このような場合も、国籍法という法律の存在、意義などはまったく知らないからそのような発言が出来るのです。

もっとも、大坂 ナオミさんの国籍問題についてマスコミの取り上げ方にも問題があり 、色々な芸能人やス-ポツ関係の人たちのコメントを読んでいると、早合点して彼女の重国籍が認められていた、ということだけが殊更に強調されているものが多く、国籍法の条文を読んだことがない一般の人達の短絡的な誤解を招きかねません。しかも、このことに関して、いつものことながら法務省とか外務省の関係者のコメントは一切なく、マスコミ関係者による管轄官庁に対する取材も全く皆無だったのでした。つまり、ある意味では国籍法なんていう法律の存在自体が重要 ではないのです.これはまさに国籍法が関与する問題に対しての「無関心対処」の典型例であるのです。

また、ごく最近(2023)では、アメリカでの世界野球決勝戦で日本が優勝し、その時の日本の投手、について、米国との決戦を制し、世界一を達成したグラウンドで記念写真には母久美子さん、ヌートバー選手そして、父チャーリーさんの写真が新聞報道されました。また、このことに関しての記事にも彼は日系人と明記されていました・つまり、ヌートバー選手の国籍はアメリカ人なのですが、誰も国籍法のことには関心がなく、いゃ、知識は全くなく、誰もこの選手に関連して、国籍法についてはまったく、言及されてはいないのです。

つまり、このような例は国籍そのものへの関心が殆どゼロになる典型例ではないでしょうか。

その②

ある意味では、問題なのは国籍法そのものの周知・認知度が余りにも低く、首相や、大臣、官僚などでも、かなり以前までは全く誰もその存在すら気が付いてなかったのです。それは当然で、繰り返しになりますが、日本の官僚には国籍法と言う法律の存在そのものへの認識はゼロであり、また関与することは殆どないので、したがって、国籍法の条文を熟知している官僚は皆無なのです。

その典型例として挙げられるのは嘗てペル-の大統領であったフジモリ氏が政変で日本に亡命してきたときに、彼はペル-の国籍を持っていてぺル-の旅券で日本に亡命してきたのですが、その時の政府は彼の戸籍が未だに日本に厳存していたので、全く問題ないとして日本人として日本滞在が問題なく許可されたことがあったのです。現時点ではとても考えられないことが、フジモリ氏の場合には無造作に行われていたのです。しかも、最悪なのは当時の法務省、外務省、法学者など、誰もそのことに関して、批判、コメントを挿まなかったのです。この場合は、国籍法という日本の法律が完全に無視、或いは無関心であるがゆえに、ベル―の国籍しか持っていなかったフジモリ氏に対して、国籍法を完全に無視して、単に日本に戸籍がいまだ残っているという事実だけが重要であり、まさに「人間性」が関与した政府、官僚の盲目的な対処であり、国籍法を完全に無視していたのです。もっとも、もしかしたら当時の大臣、官僚などは国籍法の存在意義を全く無視、いゃ、そのような法律があること自体を知らなかったのです。まさに「"無関心"、"無知"対応」なのです。これはまさに政府の国籍法無視、すなわち、国籍法に違反しているにもかかわらず、正式に国籍法の存在が無視されている典型例なのです。

その➂

この例に関連して、現実に戸籍にはそのまま載っているが、外国籍を取得してから、その人が゜日本の旅券を全く使わず、従って、所持の日本の旅券の有効期間が過ぎても、滞在国でその更新をせずにそのまま現地での生活をしている人は意外と多いのですが、そのような人の場合には日本の戸籍はそのまま現存するのです。このような例は意外と多く、日本人の子供として海外で届けられ、日本の戸籍には載っている子供、つまり二世、三世の場合には意外と日本の戸籍が現存するのです。しかし、そのような戸籍上のみの日本人の正確な情報は全く把握することは不可能なのです。このような例の統計は現存せず、また法務省もその実態については全く関心がないのです。それはこのような例は国籍法にはまったく言及されていないからです。このような例として潜在的に存在するのではないかと推定できることは戦前の南米移民なのです。当時の南米移民は現実には棄民対象者であり、そのまま日本の旅券を所持していたものの、更新はせずにそのまま現地で生活し、現在の観点からは南米移民二世、三世などの存在となっているのですが、その人たちの日本での戸籍の実情については何らの調査もされていないのです。(重国籍者が日本の旅券を更新しない現実例)

その④

そのほかにも、日本人女性が海外で外国人と結婚した場合、国によってはそのような日本人に該当国の国籍が自動的に与えられる場合もあるのです(或いはあったのです)。このような場合でも外国人と結婚するような人は当然のことながらそのような滞在国の法律の存在を知っているべきともなりうるのですが、実際はほぼ全員がそのような事実を知っているわけではないのです。つまり、結婚前にそのような法律の存在を認識している女性は極めてゼロに近く、ましてや海外で結婚する前に外国人と結婚することにより日本では禁じられている重国籍者に自動的になる可能性についての認識は殆どの場合皆無なのです。勿論、この場合には国籍法の条文に「・・自らの意志で外国籍を取得」ではないので、重国籍所持は認められており、日本旅券の更新に際してもまっく問題なく、更新されているのです。この例はまさに重国籍者になるのですが、日本に居る重国籍反対者は全くこのことには関心がなく、また何らの言及もないのです。これはまさに国籍法無関与の「重国籍者の存在」が現存する典型例なのです。たしかに、この例では国籍法に定義されている「自らの意志での外国籍取得」ではないと解釈されているからなのです。(日本人女性の重国籍の厳存)

その⑤

 国籍に関する議論の中では必ず重国籍の問題が取り上げられ、日本は基本的には重国籍を認めていないとなっています。その主な理由として、「納税、兵役義務、外交保護」の三点がおもに取り上げられているのが普通なのです。このほかにも、重国籍と言う概念的な問題で必ず取り上げられているのは、もし重国籍を認めたら中国人などが日本の国籍と中国の国籍を持つことが可能になり、大変なことになるとの概念論が介在するのです。

しかし、本来の日本人が外国籍を取得する場合と、外国人が帰化により日本国籍を取得する場合は、制度が根本的に違います。外国人が日本に帰化する場合の条件として法務大臣の許可が必要であり、その許可の範疇には「重国籍防止条件として、帰化する者は、国籍を有しないか、又は日本の国籍の取得により、それまでの国籍を喪失すること」とあるのです ( 国籍法第5条第5項 ) 。 それに対して、本来の日本人が外国籍を取得する場合は、国籍法第11条が適用され、法務大臣の許可を要せず、自動的に日本国籍を失うことになるのです。

 いずれにしても、上記のような重国籍問題に関与する三点から重国籍は認めるべきではないとして取り上げられている主張は、机上の空論であるのです。例えば、納税に関しては日本国民であるにも拘わらず税金を納めないのはけしからん、となっているのです。しかし、納税義務はその居住地・国に居る人が対象であり、まして海外に居住している人は滞在国で納税しているのであり、当然のことながら日本に税金を送金することはありえないのです。例えば、埼玉県民が東京の職場で働いている例はかなりの数になりますが、そのような人は都民税は払いません。つまり、埼玉県民はその居住地が埼玉県であるので一般的な納税は東京都に払うのではなく、埼玉県に払うのです。このような基本的な概念が海外居住の日本人の場合にも当てはめられるのは当然のことなのです。

 次の兵役義務は一部の例外を除いては国籍を有する国に滞在している場合にその国の兵役に従事することは当然の義務になるのです。しかし、現時点では日本の兵役は義務制ではないので、日本での兵役義務は海外居住者にも該当しないのです。例えば、本来の日本人がある理由から韓国籍をとっていて、韓国に居住していれば当然のことながら韓国での兵役義務を果たさなければなりません。

 最後の外交保護とは何を意味するのでしょうか。理論的には海外で日本人が何らかの問題に遭遇して何らかの援助が必要な場合には、もし重国籍者であるとその人が持っている他国籍の国との関係もあって必ずしも直ちに援助を差し伸べることは出来ないとされているのです。しかし、この議論はまさに噴飯ものであり、日本政府は基本的には海外に出かけた人はその保護対象にはならないのです。その典型例は日本の旅券の一頁に書かれてある宣言文を見れば明らかなのです。そこには「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助をあたえられるよう、関係の諸官に要請する」と記入されているのです。ここで問題なのは「関係の諸官」の解釈です。英文にはall those whom it may concernとあり、きわめて曖昧な表現なのですが、この旅券の文面は日本が旅券を導入した明治時代から殆ど変更することなくすべての旅券に印刷されていたのです。その名残りがいまだに残っているのです。でも、どうしてこのような文面がわざわざ日本の旅券に現在でも記載されているのでしょうか。なお、1918年に発行された旅券にも同じような文面が既に記載されているのです。その頃の旅券と言うのは紙一枚だけのもので、「日本帝国海外旅券」となっていて、そこに書かれてある文章は「・・・ニ赴ク前記ノ者ヲシテ遠路故障ナク自由ニ通行セシメ且必要ノ場合ニハ保護援助与ヲ与エラレンコトヲ文武官憲ニ請求ス」となっているのです。そもそもこのような文面は海外の諸国政府・官憲に対しての依頼なのです。つまり、もしこの旅券所有者が海外で何らかの支障、困難があったときにはこの本人を助けてあげてくださいよ、との意図があるのです。つまり、日本人が海外で困ったときには外国政府にお願いしますよ、との意図があるのです。この場合は海外にある日本大使館、領事館は関係ないのです。通常の場合にはこの旅券の文章の意味を考えなくとも全く問題はないのですが、万が一何らかの事件、政変などが海外滞在中に発生した時にどのような援助が受けられるのでしょうか。このような場合まず日本政府、日本大使館は極端な例外を除いては殆ど何もしてくれません。このことは外務省旅券課の正式の返事でも「所持人が渡航しようとする外国当局に対し,安全に旅行できるよう通行の自由と適法な援助を公式に要請する公文書という側面も伝統的に持ち合わせています。」と正式に言明されているのです。でも、こんな虫の良いことを平気で未だに日本の旅券に堂々と記載していることに日本政府はなんらの問題もないと考えているのです。

 ともかく、海外で個人が何らかのトラブルに遭遇して、現地の領事館に助けを求めてもほとんどの場合、領事館は何もしてくれないのです。例えば、いささか古いことになりますが、1985年の旧ユーゴスラビア崩壊にさいして、現地の男性と結婚していた日本人女性も数多くいることが報道されていました。当時の在留日本人リピチ都子さん救出に関する記事が日本の新聞に報道されていましたが、その記事を読んで考えさせられたことは、領事館の海外在留邦人への保護に対する対応でした。当時の新聞記事によりますと、リピチ郁子さんの救出に関してフリ-ジャーナリストの水口康成さんの努力により彼女は日本に帰国することができたのですが、肝心の救出に閲して現地領事館の対応が極めて消極的であったとのことです。そして、それに関連した説明に子供をも含めたリピチ都子さんの国籍が不明、本人の帰国意思が不明だからなどの理由から領事館は何らの援助の手を差し伸べてくれなかったのです。

そのほかにも、1985年にニューヨーク近郊のアパートで日本人青年が銃犯罪の被害者となり射殺された時、この第一報を日本の両親宅に国際電話で総領事館から知らせがありましたが、その電話はコレクトコールであったとのことです。また、この両親がアメリカで訴訟をおこし、アメリカの検察当局に裁判開始を訴えるために渡米し、日本総領事館員に同行を依頼したところ、本省からの指示がないとの理由で断られたとのことでした。また2001年の九月のニューヨークでのテロ事件で犠牲になった二十数人の日本人については日本の政府はまったく言及しておらず、小泉首相は国家首脳として人道的な対応をとっていませんでした。

 いずれにしても海外在留邦人の救出とかのような最悪の事態が発生した場合の日本政府の基本方針は、まず第一に該当国政府に在留邦人の救助の依頼することにあり、日本政府独自の対策はないとのことです。海外在住米国人はどこの国にもかなりの数の人達がいるので、万が一の事態が起こった場合、米国政府は世界のいかなる地点にも自国の救援機を派遣します。それに日本政府は便乗しようという のが基本姿勢なのです。たしかに、アフリカのような遠隔地に滞在している数人の日本人の国外脱出にわざわざ日本から救援機を飛ばすよりも、米国政府に依頼したほうが簡単です。しかし、これほど虫のいい話はありません。事実、米国政府はもし余裕があれば日本人も救出しましょうと声明しています。これは当然なことなのです。つまり、個人単位の在外日本人に危険が及んでも日本人を保護する法的義務はないとのことなのです。そのほかにも、北アフリカのアラブ諸国で発生したオレンジ革命に際し、その当時に該当する国に何らかの形で滞在していた日本人はどのように扱われたのでしょうか。当時のカイロのデモ騒ぎで空港が閉鎖されたりしてエジプトに居る外国の観光客は空港で大混乱でした。日本の観光客も約千人近くがカイロ国際空港に足止めされていたとか。このことに関し日本の外相が駐日エジプト大使を外務省に呼び、エジプト航空に対し増便をお願いするとの要請をしたとのことです。中国や韓国など他の国が自国から救援機をカイロに飛ばしていたような状況下で、これほど無頓着、無責任な要請はナンセンスそのものなのです。そのような要請が当時のカイロの状況を理解すればそのような他国の援助の可能性が全くないことの認識がなかったのでしょうか。

このように、日本の旅券には上記に説明したように海外政府の諸機関に対して邦人の援助要請が謳われていますので、日本政府はよほどのことがない限りこの旅券に記載されてある文面を尊重して海外邦人救援機を飛ばすようなことは考慮しないのです。確かに、該当する日本人の数は少ないので、わざわざ日本から救難機を飛ばすような発想は日本政府には無かったのかもしれません。つまり、日本政府としてはあくまでも他人頼みなのです。これが単なる旅行者の場合にはきわめて危険な状態に直面することもあるのですが、この日本旅券を持っている限りその本人の安全に関しては全くの他人任せであることをあらためて認識すべきなのです。しかし、殆どの場合このような事態を十分に理解して、海外旅行する人は居ないと思うのです。つまり、そのような事態が起こるかもしれないということはいま原発に関連して使われている流行りの表現「想定外」なのです。ちなみに、欧州諸国の旅券には日本の旅券に書かれてあるような文面の記載があるのはまず皆無です。もっとも、外務省旅券課の見解ではこれと同じような文章はアメリカや英国の旅券にも書いてありますので、それにならっているのです、との全くの能天気的な説明なのです。なにも他国の真似をしなくともよいと思うし、現在の国際環境から考えるとこのような古色蒼然とした文章は前世期の遺物と考えるべきではないでしょうか。

 それにしても、更に奇異なのは「公用旅券」、つまり政府の役人が国の業務として外国に出かけるときには普通の旅券ではなく、「公用旅券」が交付されるのですが、そこにも普通旅券と全く同じ文章が書かれているのです。お役人が海外に出張した時も、海外で何らかの問題に遭遇しても政府としては何もしませんよ、と言うことを間接に説明しているのではないでしょうか。まったく常識では考えられないことなのですが…。

繰り返しになりますが、この文章は日本が旅券の発行をし始めた明治の時代から全く変わっていないのです。それはそうでしょう、日本が旅券を発行し始め、極めて限定された日本人が海外に出たときに頼りになるのはその国の助けなのです。ですから、日本人が困ったときにはどうぞ助けてあげてくださいとの嘆願状なのです。それが今でも連綿として続いているのです。最近でも時折、新聞に報道されているように個人の場合には日本政府はなんらの援助をしてくれず、また国内にいる一部の人はそれは「自己責任で、勝手にそのような危険な地区に行くこと自体が悪いのだ」となるのです。そのよい例はシリアで反乱グル-プに長らく拘束されていた安田純平さんに対する自己責任のバッシングでした。

その⑥

外務省担当者の対応は状況に準じて変化していることがあるのです。例えばその典型例は、国籍問題で裁判が起こされた以降、外務省の変化は、国籍法の条文には存在しない「外国籍を自己の志望で取得した場合には、国籍法には全く記載のない"自動的に"という表現を各国にある大使館、領事館に指示して、国籍法の解説、説明に意識的に転記させていたことなのです。ところがこの表現は現時点てはまた完全に消えてしまったいるのです。つまり、外務省は意図的に、国籍問題で裁判がおこされても、国籍法には外国籍を自己の意志で取得した時には"自動的に"国籍を失うのです、と強調していたのですが、最近になってはこの自動的に、という表現は法文には無いので、いつのまにか一斉に消えてしまっているのです。なお、このような外務省による法文の自己規定は法律違反になるのです。つまり、海外で旅券更新業務を担当している大使館、領事館の担当者にたいして、重国籍者に対しては意識的、かつ自動的に国籍を無条件に認めないように、と指示を出していたのです。

しかしながら、国籍関連の裁判がされるようになる以前には、海外公館での旅券更新に関しての外務省の海外公館担当者の中には極めて流動的、かつ柔軟な解釈で、国籍法とい法律はあるのですが、日本人であることを意識的に強調し、在外邦人が二重国籍を持っていても柔軟な対応で、旅券の更新を無条件で行っていた場合もあったのです。つまり、大使館などの担当者が人間的な個人解釈、対応で、問題なく旅券の更新が行われていたことも過去にはあったのです。しかし、そのような領事担当者が法律違反だとして処罰された例は全くないのです。

その⑦

現実に、重国籍者が海外公館で、日本の国籍が国籍法により、失われている場合には国籍法に従って、 国籍選択届を提出しなければならないのです。その場合には「国籍選択宣言」の項目があり、日本の国籍を維持する意志がある場合には「日本の国籍を選択し、外国籍を放棄します」となっていますが、この項目は何のためにあるのでしょうか。

つまり、ある条件下で二重国籍を維持していた子供が一定の年齢になった時にはこの国籍選択届を出すことが法律では義務付けられていますが、この選択届を出しても日本の外務省、法務省はそこに記載されている外国籍の国に対してなんらの通知をしておらず、該当の国籍を放棄する手続き自体はこの届を記入した人自身が該当国に対して手続する必要があるのですが、どこにもその旨の記述はなく、結果的には殆どの場合、該当者自らが所持している外国籍を法的に放棄する手続きは全く自由意志に任されていることになります。従って、「外国籍を放棄します」となっていても現実には、二重国籍維持の状態が継続していることになっているのです。さらに問題なのは、国籍法に従って、外国籍を取得した時点で、理論的には自動的に日本の国籍をうしなうのであれば、その時点で、もう日本人ではなくなってといることになるのですが、書類上の手続きの関係で、そのような日本の国籍を"自動的に"失っている人に「国籍喪失届」を出しなさいとすることは出来ないのではないでしょうか。つまり、外国籍を取得した時点で日本の国籍を失う、といことはそ時点ではもうi日本人ではないことになるのです。しかし、そのような人に日本の法律での事項、つまり国籍喪失届、は外人になった人に提出させることは理屈から言えば出来ないはずなのです。

ところが、そのような国籍選択届を出して、日本の国籍を維持し、二重国籍を無意識に継続している人が、ある時期に日本の旅券の有効期間が過ぎて、その更新を申請する時には必ず外国籍有無の事実の確認がなされ、その時点で外国籍をも所持していることがれ判れば日本の旅券の更新はされないのが現実です。つまり、この時点で、国籍喪失届の記載事項「日本の国籍を維持します」は全く意味のない宣言になるのです。

このような経過を考察すると国籍選択届に記載されている「外国籍の放棄」という項目が実際に効果が認定されるのは日本の旅券の更新になって初めて現実性を帯びてくるのです。それまではこの「外国籍を放棄します」という宣言は全く意味のないものになるのですが、このような現実を法務省としてはどのように解釈、理解、説明しているのでしょうか。このことはもしこの届の該当者が日本の旅券の有効期限が切れた時点で、その更新継続をしなければ永久に二重国籍者が厳存することになります。

その⑧

今回、特に私が強調したいことは現在の国籍法11条が世界で活躍している日本人に対していとも簡単に日本の旅券更新を拒絶していることです。殆どの海外居住の日本人はこの旅券更新拒否の解釈を厳密に考えたことがないのが大きな欠点なのです。私も以前はそのように解釈していて、国籍法11条の法文についての疑義を持っていなかったのですが、ある時、私の疑問に関して法務省に問い合わせた時の返事が以下のようになっているのにはある意味では、柔軟性があることなのです。

その回答は、以下のようになっています。

『我が国では日本国籍の得喪は国籍法が規定しており,同法第11条は,「日本国民は,自己の志望によって外国の国籍を取得したときは,日本の国籍を失う。」と規定しています。仮に日本旅券を有していても日本国籍を喪失している場合があるため,旅券を発給申請されるときに,申請者が外国籍を有しているかどうかを確認し,有している場合はそれに至った経緯,事情等をお聞きした上で,場合により必要な書類(滞在国の滞在許可証や査証等,日本人として滞在国に滞在していることが確認できる書類,又は,外国籍を有している場合には外国旅券等の国籍証明書等)の提出又は提示を求め,国籍法第11条に該当するか否かを確認します。提出又は提示いただいた書類により,外国の国籍を有していることが判明しても,国籍法第11条に該当しないことが確認できた場合には,通常どおり旅券を発給します。一方,外国の国籍を有するに至った経緯が国籍法第11条に該当し,日本国籍を喪失していると判断された場合には,旅券は発給されません。なお,申請者が自己の志望により外国の国籍を取得したのではないと主張される場合には,その根拠となる資料を提出又は提示いただいた上で判断することになります。』

つまり、「自己の意志で」の解釈にはアル意味では柔軟性が認められていることなのです。ですから、日本人が外国籍をも欲しいな!、と単純に考えて外国籍を取得するということは非現実性であり、誰もわざわざ日本の国籍を捨てて、外国籍が欲しいと考える日本人は一人もいないのです。何らかの目的、原因、などがあってその滞在国での職業的などの継続のためには滞在国の国籍を取得しなければならないようなときは国籍法の条文「自己の意志で」には該当しないとの解釈が法務省にはあるのです。また、それに類似したような例として、スイスではある時期に、長年スイスで働いている人に対してスイスの国籍を取得しませんか、との勧誘があったのですが、このような場合はもしその勧誘に応募して外国籍を取得したとしても、これは国籍法に規定されている「自己の意志で外国籍の取得」に該当するのでしょうか。

いずれにしましても、法務省の説明では11条の実施に際してはある程度の柔軟性があることで「自動的に」旅券更新拒絶ではないことなのです。しかし、問題なのは、実際に旅券更新業務を担当している外務省の担当者は、そのような柔軟性の解釈はいっさいしておらず、無条件的、無意識的に、国籍法の条文をそのまま適用しているのです。

その⑨

もっとも、国籍法に規定されている事項の実施の場合、日本人でなくなること(理論的には日本の旅券を失うこと)が強制義務になっているのですが、だからと言って日本での戸籍が自動的に消滅する訳ではないのです。つまり、このような対象者が戸籍法に記載されている戸籍喪失届を出さない限り、戸籍法上は日本人、しかし、国籍法上は非日本人になるということになっているので、その時点では未だに戸籍が存在するという極めて混乱した法規制なのです。さらに繰り返しますが、国籍法に規定での日本人でなくなっているときに、つまりその時点では既に自動的に外国人扱いになっている人に対して、日本の法律に規定されている戸籍喪失届を出しなさいということは出来るのでしょうか。

なお、現実には、多くのこの国籍法11条該当者は自発的に戸籍喪失届を必ずしも出しているわけではないのです。例えば、最近の統計ではこの戸籍喪失届を出している人は年間わずかに2000から 3000人前後しかないとのことなのです。ですから、戸籍法ではいまだ日本人であることの典型例が上述のフジモリ氏のような場合の様にかなりの数になるのです。また、以前に報道されていたように、かって中国大陸で活躍していた「李香蘭」、こと山口淑子さんの記事がありましたが、山口さんの運命を分けたのは「戸籍」の写しが手に入ったので日本軍に協力した中国人扱いとされて死刑になるところを、日本人として認められ、日本に無事に戻ることが出来たとのことです。つまり、別な見方をすれば、国籍法で自動的に外国人になっても、国籍喪失届を出しておらず、その後の届けも出していないことが大きな運命の分かれ道にもなっているのです。

結語

 このような現状を考慮すると、現在の日本の少子高齢化社会では、何十万人と言う膨大な数に上る海外居住日本人が、将来的には日本社会への大きなプラスにもなるのです。つまり、現在の海外邦人社会はある意味では将来的にかなり日本社会に貢献できる可能性が高いのですが、このような可能性は日本の施政者の頭の中には未だ存在しないようです。

もっとも、法律を文字通りそのまま杓子定規に解釈すれば理論的にはこれら海外公館の対応は違法にはならないのです。なお、その逆に海外公館が国籍法を無視ないし軽視して、在留邦人の旅券更新を外国籍所持とは関係なく、柔軟的に従前通りに受け付けつけていた時も、本省から職務怠慢で海外公館員が譴責された事実は一件もないのです。つまり、当時は現在の国籍法11条は「恣意的」に行使されていたと解釈されても致し方がないのです。なお、世界人権宣言15条2項では、「何人もその国籍を恋意的に奪われない」と規定されているのです。

 理論的には現在の国籍法に基づいて外国籍を所得している人に対しては外国籍所得の事実の確認をしてから「国籍喪失届」の提出が求められるべきなのです。日本の憲法12条でも外国籍がない場合の日本の国籍離脱(無国籍になること)を認めていないのです。つまり国籍離脱を宣言する場合には外国籍の証明がなければ外国籍選択届、あるいは国籍喪失届は出せないことになるのです。ちなみに、現在の国籍法の原則は重国籍を認めておらず、重国籍者の範疇を「自己の意思で取得した場合」と「自己の意思とは関係なく重国籍になった場合」の二種類に分けて、国籍喪失届、または国籍選択届を出すことが求められているのです。いずれの場合もこの届を出さないときには法務大臣による催告書が出されることになっているのですが、後述するように、いままで一度もこの催告書はだされていないという現実があるのです。その理由の一つに海外居住者には日本の国内法が適用しにくいし、また一人に催告した場合にはいままでに催告書が出されていない何十万人、何千万人とも言われる人達との差別が生じてしまうと行政当当局は説明しているのです。

以上のように国籍法が実際に適用されている場合、極めて曖昧な概念が混在し、しかも国籍法そのもの自体にはなんらの罰則もなく、日本にのみ居住している日本人には全く関係のないという極めて異常、例外的な法律なのです。したがって、基本的には外国籍を取得した場合には、現在の根本概念、つまり基本的には重国籍を認めない、という絶対論ではなく、希望すれば「外国籍を取得しても日本の国籍を維持することも出来る」のような柔軟な解釈を11条に明記、改定することにより、解決できるのです。結果として、上記に記述されている色々な国籍維持、喪失の状況が問題なく施行できることになり、今後も日本人が日本人として海外で大いに活躍できるようにすべきではないだろうか。その結果として当然ながら他の国籍法条文の柔軟性解釈がそのまま認められることにもなるのです。或いは、もっと曖昧な文章「・・・外国籍を失うこと」のようにすれば、本格的な法改正をしなくとも条文改正するという忖度解釈を介在させるだけでも十分かもしれません。

 

 

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