« 2022年11月 | トップページ | 2023年3月 »

2022年12月の記事

2022年12月13日 (火)

人の名前がすぐに出てこない原因

人の名前がすぐに出てこない原因

高齢化に伴って起こる一つの現象に「ものわすれ」があります。
多くの識者はこの「物忘れ現象」は認知症のはじまりだと説明しています。
しかし、このような「ものわすれ」現象を経験している人すべが認知症になるのかと言うとそうではありません。

この物忘れ現象は結果であって、原因でないことは誰でもわかりますが、ではその原因は何かとなるといろいろな要因が関与してきますので、その対策、理解は複雑なのですが、いろいろな本にこのことについての説明がまことしやかになされていますが、どれが自分にとっての正解なのかとの判断は難しく、また一般化できるものではないのです。

その理解のひとつとして何歳くらいからこの「物忘れ」現象がおるのかはそれぞれの人の性格、健康状態、家系、食事習慣、生活習慣など、ともかく極めて複雑な要因が絡んでくるのです。ところが「人の名前が出てこなくなった時に読む本」のような類の本がいろいろと出版されていますが、その内容はいずれも概念的なものであり、脳の機能の解説から始まって、食事内容、運動などいろいろな要因の関与が記述されています。勿論、それらの個々の要因も直接的、間接的に「ものわすれ」現象に関与するかもしれません。しかし、問題はそれらの本の読者それぞれの、家庭環境、食生活、職業、年齢などなどはまさに千差万別で必ずしもそれらの本に記述されている注意事項を実践すれば「ものわすれ」現象がなくなるかどうかは分からないのです。

さらに注意しなくてはならないのは「ものわすれ」現象、イコル「認知症」ではないのです。
「ものわすれ」現象が何歳ぐらいから出るのかはこれまた実に千差万別で、90才くらいから起こる場合もあり、その反対に60再前後から始まる場合もあります。

この「物忘れ現象」が日常的になることは、いろいろな関心がかなり減少し、日常生活が極めて単純になることもおおきな原因の一つなのです。例えば、高齢者になって、人との会話が極言すると新しい刺激が脳細胞に入らなくなるので、結果的には「認知症」にまで発展するかもしれませんが、その過程の中では同じ返事ばかりがでてくるのも、日常生活の中では極めて単純な会話しかなく、新しい会話はぜんぜん経験しなくなった結果でもあるのです。

このような「ものわすれ」現象の経験時点での脳機能の詳細は不明なのですが、その一方、認知症となると完全な疾患状態であり、その時点での脳生理現象の解明などが進められていて、そのような認知症の人の脳生理、脳機能はどうなっていますなどとの論文がいろいろと発表されていますが、それらの成果はいずれも認知症との疾患と診断されていることになるのですが、その時点ではもう「ものわすれ」現象は全く意味がなさなくなっているのです。ですから、「ものわすれ」現象と認知症は完全に別物であり、物忘れ現象の人すべてがいずれかは認知症になるとは限らないのです。

では「ものわすれ現象」の段階での原因は何かを考えてみました。「ものわすれ」の具体的、典型的な現象はよく言われるように「人の名前が思い出せない」だと思うのです。でもこのような人の名前は、いったい誰のことを対象にしているのでしょうか。そのほとんどは数日前にあった人の名前とか、昔に逢ったことがある人の名前などが該当するかもしれません。この場合の「人の名前」ですが、その人とは今までに何回くらい逢っていたかとか、接触があったりして、その人の名前は何回となく使われていたかどうかがキイポイントなのです。例えば、二三回くらいしか逢ったことしかなく、しかもその時期はもう何か月前だと仮定すると、その人の名前が即座に出てこないかもしれません。勿論、この場合には年齢も関係してくることにもなりますが…。

でも、そのような状態になって、いゃ、最近はものわすれが顕著になりましてね、となるのですが、そのような人にもう何十年前に亡くなっている母親の名前はなんですかと聞くと、不思議なことにその人の母親の名前はすぐに口に出てくるのが普通なのです。ではどうしてなのでしょうか。その人の母親はもう何十年前に亡くなっているのでそれ以降母親の名前を口に出すことがなかったのかもしれないのですが、その人の母親の名前はすぐに出来るのです。その原因は母親が生存していた時には母親の名前を日に何回となく記憶する機会があり、母親の名前は脳細胞に何回となく刻まれていたはずなのです。つまり、単なる年とともに経験し始める「ひとの名前が思い出せない」現象の原因は脳細胞にいかに頻繁に刺激としてその名前が残されていたか、その回数に左右されるのです。

しかし、このような説明を脳生理学的に証明することは殆ど不可能かもしれません。つまり、ある年齢に至ってから起こりえる「人の名前がおもいだせない」現象の大きな原因の一つは脳細胞にその名前が頻繁に刺激として残っていたかに左右されるのです。でも、このような現象を脳生理学的に解明することは困難かもしれません。

人の脳には何億と言う細胞が存在し、人の名前がそのどこかに一度刻まれるとその細胞に残っているはずなのですが、そのようなことを証明することはまず不可能かもしれません。しかし、例外的にそのような可能性を実証できことがあるのです。それはforensic hypnotismと言って法医学分野でも稀な領域が存在するのです。このことを説明すると、ある殺人事件で、犯人が自動車で逃げてしまったのですが、たまたま一人の女性がその逃亡の様子を目撃し、車の後ろ姿を目撃していたのです。しかし、その後に警察の聴取に際して、警官からその車の番号を覚えていますかと聞かれても、車での逃亡は一瞬の出来事であり、その車の番号までは覚えていません、と答えざるを得なかったのです。しかし、たとえ一瞬にしてもそのナンバ-プ-レは見ていたことは事実なのですか、すぐには記憶からその番号を口にすることは出来なかったのです。これは当然で、通常の場合にそのような一瞬の出来事を口に再現することは通常の場合には不可能に近いのです。ここで、警察はforensic hypnotism、つまり法医学的催眠術、の専門家を呼んで対応させたところ、その人の脳細胞内に刻まれていた車の番号を引き出すことが出来たのです。このようなことは例外の例外かもしれませんが、一回でも、一瞬でも、脳細胞に刻まれた情報は必ずどこかの細胞に残されていることになるのですが、通常の状態ではそのような一瞬の脳細胞へのインプットを引き出すことは不可能に近いのです。

  このことから言えることはたった一回くらいしか聞いていなかった人の名前はすぐには口に出てこないのが普通なのです。このことはなにを意味しているかと言いますと、もし、人の名前が何回となく頻繁に脳細胞に刻まれていれば、その回数に比例してすぐにでてくることがわかります。ですから、子供のころから母親の名前を何回となく聞いていればそれだけの量が脳のどこかの細胞に残っているはずなのです。もっとも、このような可能性を脳生理学的に証明することはいまだ不可能かもしれません。

  つまり、年齢とともに人の名前がすぐに思い出せなくなる大きな原因はその名前の脳への「インプットの回数」と「時間的経過」に左右されるのです。ですから、例えば、高齢になって、初めて会った人のなまえが数週間後にはなかなか口には出てこなくなるのは普通なのですが、そのようなときには、その人の名前を数日間何回と繰り返し口に出すことでその人の名前が脳細胞に何回となく刻まれることになり、それ以降は比較的簡単にその人の名前は口に出てくるものなのです。
  
このことから言えることは単なる年齢に影響されるかもしれない「人の名前がすぐに口に出てこない」現象はその名前の脳へのインプットの回数、つまり、「頻度」と、「時間的経過の」二要因によって左右されるのです。この二つの要因が高齢者になると一般的に減少してくるのです。勿論、この二つの要因のどちらかが欠けてしまえば、また「人の名前がすぐにはでてこない」状態に戻ってしまうのです。

  ここで注意すべきは「人の名前がすぐにでてこなくなる」現象と「認知症」との直接な関連性はないことです。勿論、歳とともに脳機能が衰えて、将来的には認知症になるかもしれませんが、その予防には食事・運動・習慣・呼吸などの影響もあるかもしれませんが、常に関心を以ていろいろな事実、事項などを脳に記憶させる習慣を身に着けることが重要なのです。出来れば、それらのいろいろな事象などを頻繁に口に出して表現することなのです。したがって、高齢者になって人との付き合いも減少し、人との会話も減少するような状態になってしまうと「人の名前が出てこない」現象から、さらに進展して、最終的には認知症になってしまうのです。

もっとも、脳機能の衰え、と簡単に表現しましたが、それはどのような意味があるのでしょうか。現在の医学で、年齢とともに脳細胞数が減少するなどとの論文は全く見当たりません。それは当然で、現時点で人の脳細胞数を厳密に表示する事は不可能だからです。

このような状態の典型例は高齢者施設に入所してしまうと人との会話が極端に減少してしまうのが普通なのですし、そのような施設ではそれぞれ各人の昔のことを話題にして会話を進める施設の人は殆ど皆無なのです。認知症は、発症すると治療法はないといわれていますが、現在の認知症対策の欠点はその人の脳細胞内に残っている過去の情報を引き出す努力を誰もしていないので、症状が進展してしまうのです。認知症になった人の脳内のいろいろな物質の減少や、異常物質の脳内沈着などが脳科学的に証明されていますが、これらの異常は「結果」であって「原因」ではないと私は考えるのです。

このように、なぜなのか、という原因論からまず「人の名前がなぜすぐに口にでてこないのか」という現象を理解すべきなのです。

2022年12月10日 (土)

外国人と外人を区別する日本の警察官

外国人と外人を区別する日本の警察官

 

時折、新聞に外国人の顔をした人に対して警察官が路上で職務質問をし、顰蹙をかっている事が問題視され、警察当局がそのようなことがないように各警察署に通達している事が報道されています。つまり、普通の日本人の場合にはどのような恰好をしていても路上で警官から職務質問されることは皆無なのですが、日本に住んでいて、特別な外観、つまり顔をしている人に対しては路上で警察官から職務質問がなされ、当事者の心理的葛藤を起こさせています。

これは当然で、なんらの事件性などに関与していない普通の人が、突然に路上で警察官に職務質問され、最悪の場合には署まで同行されることはまさに人権問題にまで発展する可能性があるのです。

ここで、日本人の外国人と外人という二つの表現自体が、そのような影響を及ぼしているのではないかと考えたのです。つまり、日本語での「外国人」と「外人」との表現の間には微妙に区別する心理的な問題があるのかもしれません。欧米人、極論すると「白人」、の場合には「外人」、そしてアフリカ人とか東南アジア人のような場合には「外国人」という概念が根底にあるのかもしれません。欧米人と明らかに分かる外人に対しては警察官は絶対に路上で職務質問はしないのです。

つまり、日本の警察官の心理には明らかに外国人と外人とを無意識的に区別しているのではないでしょうか。もし、そのような心理的な影響が日本人にあるとすれば、すくなくとも「外国人」という表現は新聞などでは使わず、極論すれば禁止すべきかもしれません。

2022年12月 7日 (水)

予測記事の予測性

予測記事の予測性

古い書類を整理していると、以前の新聞の広告などにいろいろな予測本、予測記事があるのですが、そのような内容を改めて解釈すると、ひとつ言えることは「予測記事の非予測性」が常識のようです。

ともかくそのような予測の記事、雑誌、本などは当時には大きく宣伝されていて、おそらくかなりの売れ行きがあったものと理解されるのです。

以下にそのような予測を新聞広告から抜き出してみました。

1)  「2012年、日本経済は大崩壊する」
    この本は2011年に出版され、五万部突破、となっていました。
    ここには、「世界的な商品高騰、日欧米の国際暴落により世界連鎖危機が起こる」、となっていました      
    が、現実はどうなっていたのでしょうかね。

2)   2011 「ひとたまりもない日本、根拠なき楽観論への全反論/アベノミクスでこの国は年内にも破綻する」
    となっていました。年内に破綻していたら、現在はどうなっているのでしょうか。

3)   2011 ある雑誌に記載されていた内容
    「年金は国営ネズミ講だ」、「2020年、近未来シミュレショん、中国は民主化する」
でも、中国は非民主化しているのです。

4)    2011「日米同盟破壊、もう米軍は日本を中国から守らない」

5)   「沈黙が日本を亡ぼす」 
     この本はまさに適格、つまり現在の世界観からは日本はもう存在価値がゼロに近いのです。

6)  「 2013年、中国・北朝鮮、ロシアが攻めてくる:日本国防の崩壊」


など、など、全くきりがないのです。でも、このような予測本が堂々と出版されることはある意味では大切ですが、残念ながらそのような予測は全くの空論に終わっているのですが、その当時にはかなり大きな反応があり、特に本はかなり売れているようです。

もっとも、本などの宣伝広告には「・・万部突破」と書かれていますが、それだけ売れていたのではないのです。それだけ印刷されていたのかもしれませんが、本の流通機構を知っていれば、確かに印刷されたかもしれませんが、本屋に並びられていただけなのですが、ある時期になって、売れない本はまた出版元に返送されてしまうのが、常識なのです。   

« 2022年11月 | トップページ | 2023年3月 »