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2022年9月の記事

2022年9月28日 (水)

日本人の色彩感覚」

日本人の色彩感覚

 

青信号は本当は緑信号なんですけど。

 

著者の母は黒以外の茶とか樟とか桃色などは全部赤の表現で済ましていました。ですから、普通 のような派手な靴は使わなかったものです。 靴の色は黒系統、茶系統の基本的には二色しかありませんでした。勿論、白靴も存在はしましたが普通の人が日常使用する黒以外の茶系統の色の靴は全部赤い靴となるのです。

 

これと似たような例として青があります。その典型的な表現例は交差点にある青信号です。例えば、青に関連した表現に青信号を出す、があります。つまり「計画に青信号をだす」などとも表現されています。でも の表現は英語で企画などへの了解のサインとしての意味にも使われていますが、これを日本語の訳 ですから、海外ではグリーンライトになるのです。実際海外に出掛けてみれば交差点の信号機には緑色が使われています。

 

青信号の色は本来ミドリ、つまりグリーンなのです。国際的な規則ではグリーンであって、青ではなく、 グリーンの日本語訳は本当は緑なんですが。グリンピースも日本語に訳すと青エンドウ、

 

本当に混乱します。このような日本語の場合、日本語の表現そのものと実際の色との違いを指摘すことは殆どないのです。

 

本来、日本でもこの信号機が最初に導入された当時には「緑」の用語が使われていたのです。ところが日本 では、青と雑に大まかに日常会話では表現されてきたのです。その結果、日常生活 人はどうも白、赤、黒、黄以外の色は青と大まかにまとめていたようなので、その色彩は実際は緑 、つまりアオと表現していたので、いつのまにかアオが本当の色であるべきだとの錯覚に れません。これはまさに「俗な表現」が「公式の表現」を駆逐してしまった典型例かもし れません。色の場合にはなんとなく青を用いる傾向となり、現在ではいつのまにか青色が使われるように変わってしまい、その為、現実に使われていた緑の信号がおかしいと思うようになり、その結果次第に信号機については青色の表現が 使われていました。

 

ですから当時の警視庁の告示にも「緑色信号ハ進行スベキコトヲ示ス」となっ ていたのです。

 

因みに最近の英語の辞書には信号機にかんして、青信号と訳されていますが、古い辞書には みてください。でも日本語で青信号との表現にどっぷり漬かっていますが、ヨーロッパの信号は ちゃんと緑信号となっています。

 

でもどうしてこのように日本人の色彩表現は大まかで、周辺の色をひとつの色にひっくるめてしまう傾向は意外と高いのかもしれません。残念ながらこのへんの実態についての統計的デタはありません。

 

最近では色覚障害などの表現が使われていますが、現実に或いは日本人の色盲率はもしかしたら世界一かもしれません。

 

例えば、石原式色盲識別法は特に赤とミドリを識別するのに効果があります。なお、色盲検査に際し、色盲検査という表現は欧州の医者から、お国の専門家のものですよ、と親切に石原式色盲表を見せられたことがあります。こ 日本眼科医が考案した方式(石原式)が世界的に評価され広く使われています

もっとも、色彩式信号機の導入は赤とミドリの判別が困難な人の場合にはまさに致命的だったのかもしれず、従って、結果的には世界でも流通する信頼性の高い石原式色盲表が出来上がったのかもしれません。

 

それを識別するためにいろいろな色盲表が日本人の眼科医によって考案 り、桃色を赤と表現したりする人が当時は多かったので、色盲と間違われていた可能性がゼロだっかどうかはなんとも言えません。

このようなことを念頭に置いて身の回りで使われている 意外と思われる表現がありますあります。著者の祖母の年代の人達にとっては青、赤の表現で日常生活でのいろいろな色 いろいろと矛盾のある表現が何気なく使われていて、色全部を対象にし、総括して表現してしまうところに問題があるのです。

ですから、 問題は言葉上の色の表現と実際の色との違いの指摘という次元のものではなく、ひとつの色の名前、 色で十分なのです。このような例を挙げたらきりがありません。

また、赤に関しては、赤飯、赤トンボなどがありますが、これも実際の色は赤とは程遠い のです。例えば、青葉城の青葉。青葉とか青田などは本当は緑葉、緑田になるべきな 日常語の表現を良く調べてみますと、例えば「真っ赤な嘘」の表現は間違いだ、との議論をする人は誰もいせん。

そういえば、黒とか茶褐色や灰色もすべてが黒と大まかに括られているようです。例えば、黒い 肌との表現がありますが、これも実際は肌が茶色や褐色で黒みを帯びている状態を指していますが、 現実には「日焼けした真っ黒になった肌」となるのです。こうなると黒といってもその意味は必ず 実際の色ではないことになるのです。その典型例は「黒人」という表現なのです。黒人といっても、その肌の色の強弱はいろいろあり、場合によっては、かなり茶色のような場合もあるのて゛す。

 

それにしてもどうして日本語の色に関する表現がこうも暖昧さを持っているのでしょうか。

このような背景を知らない外国人が日本人の色彩関連の会話の表現を聞いたら、日本人 このような感覚は衣服の色彩にもかなり反映しているようです。極端な表現をすれば日本人は、例えばサラリーマン男性がいろいろな色彩豊かな背広を使わないことは摩詞不思議かもしれません。

このような影響があるのかどうかは不明ですが、日本の典型的ないろが本当の赤なのかどうかが不確かになる可能性がありますが、日常生活ではだれも困惑して なると実際にはどの色を意味しているのかが不明となり本当に混乱してきます。

赤色と表現されて 日本人にとってはひとつの色にまとめてしまうことには何ら違和感が無いのかもしれません。

ひ とつの表現、赤や朱、桃などもすべてひとまとめにして赤で言い含めてしまう傾向が強いのです、。

 

日 本では男性が会社にグリーンとかブルーなどの黒以外のス―ツを着て出社することはほとんど不可 能です。なにしろ、コンビのス―lツとかジーンズを着て出社すること自体が不真面目とみられ、か なりの勇気が要るような環境なのです。

 

このような傾向は会社が大きくなればなるほど強くなりま 女性の場合には男性に比べると多少はさまざまな色彩の衣服が使われていますが、それでも同一傾向 が無意識的には存在するようです。

 

つまり、日本人女性の場合にもどちらかと言、っと単色、薄色傾向 になるようです。ましてや、年配の女性がそのような強い原色が入り交じった衣服をまとうこと、つまりヨ ロッパの女性のような原色に近い赤とか黄色などの衣服を身に付けることにはかなりの抵抗感があると思うのです。

つまり、このように考えますと、日本人は単色民族であり、ヨーロッパ人は複色民族とも表現することが可能になります。

つまり、単色民族は単純文化を有し、複色民族はさまざまな複雑要因を基本にしています。

なにしろ日本の国旗は日の丸であり、完壁なまでの単色主義です。白は一応ここでは色から外し ります。例えば、著者が子供のころの色鉛筆セットには白は確か存在しなかった筈です。

ほとんどの国の国旗には色あざやかな ことから、国旗の色彩とその国の人達の色彩感覚とは関連性はどうやらあるのかもしれません。もちろん例外もあります。

 

 

2022年9月24日 (土)

涙の伝染性

人の感情は個人差が極めて大きく、また年齢の影響もかなり大きいと思うのです。

私の場合には高齢者であること、そして最近に家内が死去したこともあるのかもしれませんが、テレビとか新聞などで悲しいことを知った時に、自然と自分の目から涙がでるのが普通になってしまいました。

まるで、伝染でもするように自然に涙が出てくるのです。

このような状態で、考えたのは「涙の伝染性」の可能性があるのではないかとも考えたのです。

一方、いろいろな環境下で、自然に感動、感激などで涙ぐむこともありますが、意外と知られていないことのひとつに、身体内での反応のことなのです。例えば、脳内で生成される化学物質エンドルフィンには、幸福感を高める作用があるといわれて言いますが、泣くと脳内でエンドルフィンが分泌され、その後の気分が良くなるという研究結果が発表されているのです。 このようなことを知ると、いわゆる「喜怒哀楽」現象の中での「怒」を除く行動は大いに経験することが大切なのかもしれません・

2022年9月13日 (火)

私の健康維持方法(その2)

私は毎朝、朝食には大きなコヒ-カップに紅茶をいれ、そこにレモン一個を完全に絞って入れ、それだけでは酸っぱいので、甘みにはハチミツ、そして黒砂糖を使っています。このような紅茶を毎日飲んでいて、もう十年くらいになりますが、高齢になっても特別な病気にはならず、健康的には殆ど問題がないのです。さらに、言えることはもう過去十年以上もまったく風邪をひいたことがないのです。

ところが、ある時意外な本を見つけたのです。その本は「今あるガンが消えていく食事」というもので、現在、西台クリニック院長の済陽高穂という先生が書かれているのです。

そのなかに、「ハチミツ、レモン、乳酸菌、ビ--ル酵母を習慣的にとる」、とありました。基本的にはこの本に書かれてある食事療法で現在あるガンがかなり高い有効率が示されているとのことです。

私はがんは全然関係がないのですが、私が毎日朝食に、レモン一個、ハチミツ、を使っていることがもしかしたらガン発生の予防につながっているのかもしれません。

ではなぜ私はこのような人のやらないような飲み物を十年以上続けているのかと言うことです。実はその当時、私は花粉症で悩まされていたのですが、ある時、ハチミツの中にはいろいろな花粉も含まれていること、そして当時はすでに花粉症の治療に花粉そのものが活用されていることを知ったからです。

その結果、数年後には花粉症は完全に無くなりましたが、レモンの効用も考えて、それ以来、毎朝、上記のレモン・紅茶・ハチミツ・黒砂糖、を毎日続けているわけです。

確かに毎日、大きなレモン一個を絞って飲んでいる人は稀かもしれませんね。いわゆる「レモンテェ」なるものは至るとこでその製品がみられますが、私が毎日大きなレモンを完全に搾り取り紅茶として飲んでいるのと比べ物にはなりません。

 

その他にも、毎日のように生姜製品を摂っています。 朝食の時にパンには必ず、生姜ジャムを使っています。それ以外にも生姜シロップを使って飲み物として頻繁に飲んでいます。この生姜ジャムはなかなか見つけることは出ないのですが、インタネットで探すことが出来ます。

生姜の効用について調べると実に驚くようないろいろな効果があるようです。

 

 

 

 

 

2022年9月 9日 (金)

私の健康維持法 (その一)

現在のような情報社会では健康に関するいろいろな提案、方法などが毎日のように紹介されています。

でも、健康情報に関しての最近のいろいろなマスコミ報道の欠点のひとっは、一つの単純因子を取り上げて、複合現象である一つの疾患との関連性を報じていることです。

その典型例の一つとして、コヒ―を飲んでいると痴呆になりにくいなどのように、一つの要因、つまりコヒ―から複合要因に起因する痴呆を関連付けているようなれいが極めて多く発表されているのです。確かに、疫学的研究では痴呆になりにくい人の群では多くの人がコヒ―を飲んでいるからとの推測なのです。でも、その逆にコヒ―を飲んでいれば痴呆にならないと言う、そのような関連性はあまり確実ではないのです。

いずれにしても、人それぞれの生活習慣や食事習慣、健康維持方法などいろいろな要因が関与しているのが一つの疾患の原因でもあるのです。

ですから、ある本に「パンと牛乳はやめなさい」との表題のものがありますが、そのような健康関連情報がすべての人に当てはまることにはならないのです。

ともかく、健康維持と言うことに関しての情報はゴマンとあるのですが、私自身の健康維持法もそのような範疇に入るかもしれませんが、ある意味では確実性があるので、ここに列挙してみました。

 

まず、視力の問題なのです。今日のようなIT社会では、スマホとかアイパッドとか、極めて小型のIT機が氾濫しており、そのような機器をもっていない人は殆ど皆無ではないのでしょうか。ところが、そのような人たちの視力はどんどん低下し、最終的には眼鏡が必要になるのです。私の観察ではテレビにでてくるいろいろな人達の眼鏡の使用率はどんどん高くなっているとの印象なのです。ある報道では小学校の教室の一番前の座席に座っている小学生の中で目の前の黒板に書かれた字が読めない場合があるとか。まさに驚きなのです。

このように、スマホなどの小型機器だけでもなく、通常のPCでも毎日何十時間とその前に座って仕事をしていると視力は当然のことながら少しづつ落ちてくるので、その結果として眼鏡を必要とすることにもなるのです。

このような場合の私の対策は、そのようなIT機器を数時間利用していた時には少なくとも一時間位は外の景色を眺めることなのです。例えば、空の雲を眺めるとか、夜では一時間ぐらい星空を眺めるとか、つまり、遠距離のものを眺めることが重要なのです。

私が若いときに、事務所内の部屋での紙の上での仕事ばかりしていて、少しづつ視力低下していったのですが、会社の事務所が高層ビルの34階にあったので、事務机を窓際に置いて、窓の外が常時見えるようにして仕事をしていたのです。この状態では、机の書類から目を離すと窓際のガラスから遠方の富士山が見えるような場所だったのです。そのような環境で仕事をしていたら、視力がまた戻に戻るようになったのです。

現在、私はもうかなりの高齢者になっていますが、家でPCを数時間使っていると自然に視力が低下しますが、暇を見つけては一時間前後、テラスに座って、空を眺めるという習慣を継続していると視力はあまり低下しません。現在私は90才ですが、視力は0.8くらいで、通常の場合には眼鏡なしに新聞は読めているのです。

そのほかにも、私が毎日実行している運動は、寝る前に、両足を少し広げて立った状態で、腰を十センチくらい下に動かす、上下運動を百回しているのです。そして寝ている状態でも、腰上げ運動をやはり百回するのです。このような運動を毎日しているおかげで、90にもなっても普通に歩くことは問題が殆ど無いのです。ともかく歩くときには姿勢を正しくして、歩くことなのです。

 

 

2022年9月 6日 (火)

海外領事館の対応はあまりにも非人間的ではないでしょうか。

https://digital.asahi.com/articles/ASQ8001LRQ8YUHBI00N.html


 


この記事を読んで感じたことは、日本の大使館や領事館は一介の日本人に対する援助は殆ど無いのです。
この記事にある場合、なぜ領事館は遺族の母親に対して日本の国旗を喜んで提供しなかったのかと言うことなのです。

このような記述を読むと涙が止まらないのですが、どうして国旗を提供することが出来なかったのでしょうかね

2022年9月 2日 (金)

テレビ番組の国際化を

日本のテレビは海外の番組を見ることは基本的には不可能なのです。

なぜなのでしょうか。そのような質問をした時の返事の殆どは、そんな海外の番組を誰もみませんよ、だって、言葉分からないからいです、となるのです。

しかし、もし日本で、普通の番組の中に、せめて米国、英国、ドイツフ、フランス、イタリアの代表的な番組をいつも見られるようにすれば、ある意味での国際感覚を理解は出来るはずです。テレビでの画面を観ているだけでもある程度はその内容を理解することは出来るのです。

例えば、欧州では欧州全体のテレビ番組が百以上も自由にみられるのです。もっとも、自由と言ってもすべてがタダではないのですが、それぞれの番組編成会社のテレビを選択している必要はあるのです。

つまり、日本でNHKが料金を接取しているのと同じことなのです。

繰り返しますが、テレビの場合には場合によっては言葉が判らなくとも大抵のことを理解することはそれほど困難ではないのです。

残念ながら日本は島国であるので、国境という概念を経験することは日常生活の中では不可能なのですが、その結果として、ほとんどの日本人は海外の様子を知ること、少なくとも画面を見るだけでも理解することは不可能なのではないのです。

現在のような国際化の時代に海外の様子を自動的にすくなくとも、画面を通して、知ることは大切なのですが、そのような発想を持つこと自体、日本のような島国では必要がないのかもしれませんね。

 

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