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2022年8月の記事

2022年8月 4日 (木)

美智子皇后のお一人旅

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この写真は美智子皇后が当時としては考えられなかったお一人でのスイスへのご旅行で滞在ホテルの前での在バゼルの日本人にご挨拶されていた時の写真です。

この写真は当時の新聞などにも載っていないのです。この写真は美智子皇后がバゼㇽにおいでになられたときに、私は当時の日本人会会長として、大使館の人たちとご一緒に皇后をホテルの玄関でお迎えした時に私がホテルの外で撮ったものなのです。

ではいつ、どのような機会に皇后としてではスイスに来られたのかとの詳細は以下の通りなのです。

 

美智子皇后が皇后としてではなく、大会の名誉総裁として、極めて例外としてお一人でスイスに来られたことがあるのです。とても、日本国内では考えられないことなのです。バゼルご滞在中には朝にホテルの近辺をおひとりでご散歩されていたとのこと、まさに「美智子さん」との心理的な自由感覚を経験されていたのではないでしょうか。

以下の記事、皇后が大会の式場で述べられた全文なのです。その内容を詳細に記述しています。

 

 

国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会
平成14年9月29日(日)(スイス:バーゼル市コングレス・センター)

ムバラク夫人,ドライフス夫人,コンティ首相,
島会長,マイセン議長,IBBYの皆様
創立50周年という,大きな節目を祝うIBBY(イビ)のバーゼル大会開催にあたり,ムバラク夫人,ドライフス夫人と共に,大会の名誉総裁に任じられましたことは,私にとり思いがけない喜びでございました。今日この式典に臨み,これまで子どもと本との出会いのため,世界の各地で誠意をもって働いてこられた皆様方とお会いいたしますことを,心から嬉しく思います。

IBBYの50周年おめでとうございます。

57年前,第二次大戦の終わったその年,後にIBBYの創設者となるイエラ・レップマンは,戦後ドイツの疲弊した社会で生きる子どもたちに,本を見せたいという抑えがたい願いを抱きました。子どもの知性と想像力に働きかけ,子どもの心をふるい立たせるために,今,自由世界で子どもたちの読んでいる本を送ってほしい,できれば絵本や挿絵のある本を,というレップマンの要望は,やがて世界に発信され,20カ国から約800冊の本となって彼女の手許に返ってきました。

この度再版されたレップマンの著作「子どもの本は世界の架け橋」によると,これらの本は,ドイツの各都市を巡り,百万人を超える子どもや大人の手にとられ,ある時は子どもたちの胸に抱きしめられ,その出発の地に戻って来ています。多くがページの端は折れ,やぶれ,これ以上に素晴らしい本はないのだ,とレップマンが言った,ボロボロになるまで読まれた本となっていました。

困難の中で生き延びようとしている子どもたちが,どうかその心の支えとなる本に巡り会ってほしい,という願いは,かつて自分自身子どもとして本から恩恵を受けた多くの大人たちの願いであり,この恐らくは世界に共通する願いが,50数年前,レップマンの叫びに呼応し,戦後のドイツの子どもたちに本との出会いを作ったのでしょう。このレップマンの願いを継承し,IBBYは50年にわたり,世界の各地で子どもと本をつなぐ仕事を続けてきました。

私自身がIBBYの活動と最初につながりを持ったのは,1980年代の終わり頃であったと思います。IBBY日本支部(JBBY)は,1990年国際ハンス・クリスチャン・アンデルセン賞の候補者として,詩人まど・みちお氏を選び,詩の翻訳を私に託しました。受賞することよりも,せめて各国の審査員に,日本にはこういう詩人がいることを知ってほしいから,という手紙と共に,まどさんの詩集が数冊送られて来ました。手紙の末尾に,翻訳料はなしで,と書き加えられていました。

私はそれまでに,それ程多くの詩を英訳していたわけではなく,十数年にわたり招かれていた英詩朗読会で読むために,年に3,4篇を訳していたに過ぎません。そのほとんどは,私が結婚し,3人の子どもを育てている頃に読んだ日本の詩の英訳でした。

子どもが生まれ,育っていく日々,私は大きな喜びと共に,いいしれぬ不安を感じることがありました。自分の腕の中の小さな生命(いのち)は,誰かから預けられた大切な宝のように思われ,私はその頃,子どもの生命(いのち)に対する畏敬(おそれ)と,子どもの生命(いのち)を預かる責任に対する恐れとを,同時に抱いていたのだと思います。子どもたちが生きていく世界が,どうか平和なものであってほしいと心の底から祈りながら,世界の不穏な出来事のいずれもが,身近なものに感じられてなりませんでした。このような日々に,心をひかれた詩を英訳し,私は朗読会の方々と分け合っておりました。

私は,まどさんの詩を少しずつ訳し始めてみました。私の力ではなかなかはかどらず,始めてから4年目に,ようやく80篇の翻訳が整いました。この翻訳の仕事を通し,私はJBBYを知り,各国のIBBYの会員の方々ともお会いする機会を持つようになりました。

私はIBBYの会員が,様々な分野にわたることを次第に知るようになりました。作家,画家,研究者,翻訳者,出版関係者,教育関係者,そして図書館関係者。ヘルシンキでお会いしたIBBYの長年の協力者は,小さな可愛い劇場を持つ人形使いでした。会員を結んでいるものは,子どもと本とが良い巡り会いを持ってほしいという共通の願いであり,また,本を通し,世界の子どもたちを少しでも近づけたいという,共通の理念であることを知りました。子どもと本に関わるあらゆる分野の人々が,IBBYという世界的な連絡網で結ばれ,世界に目を向けつつ,子どもと本をつなぐ仕事に携わっている姿が少しずつ見えて来ました。

1998年,IBBYのニューデリー大会における基調講演を求められました。大会のテーマは「子どもの本を通しての平和」で,私は第二次大戦の末期,小学生として疎開していた時期の読書の思い出をお話しいたしました。

身近にほとんど本を持たなかったこの時期,私が手にすることの出来た本はわずか4,5冊にすぎませんでしたが,その中の1冊である日本の神話や伝説の本は,非常にぼんやりとではありましたが,私に自分が民族の歴史の先端で過去と共に生きている感覚を与え,私に自分の帰属するところを自覚させました。この事は後に私が他国を知ろうとする時,まずその国に伝わる神話や伝説,民話等に関心を持つという,楽しい他国理解への道を作りました。

子どものために編集された「世界文学選」2冊には,当時の対戦国の作家も含め,世界の作家の作品や,作品からの抜粋,ー簡略化したものではなくー,詩,手紙等が入っていました。

2冊の本は,私に世の中の様々な悲しみにつき教え,自分以外の人が,どれ程に深くものを感じ,どれ程多く傷ついているかを識らせました。そして生きていくために,人は多くの複雑さに耐えていかなければならないことを,私に感じさせました。それとともに,それらは私に文字や言葉の与える心の高揚を実感させ,私の中に喜びに向かって伸びようとする芽を植えました。戦時下の地方の町に住みながら,私は本という橋の上で,日本の古代の人々とも,また,異国の人々とも出会い,その人々の思いに触れていました。疎開先に私を訪ね,黙ってそれらの本を手渡してくれた人があったことは,私にとり,幸運なことでした。

私がこのたびバーゼルに参りましたのは,私自身がかつて子どもとして,本から多くの恩恵を受けた者であったからです。大会の名誉総裁に推され,また,大会へのお招きを頂いた時,私は自分がそれに相応(ふさわ)しい資格を欠くことを思い,ためらいを感じておりました。私がこの大会で自分に出来ることは何かを自分に問い,それはかつて自分が本から受けた恩恵に対し,今も私が深い感謝を抱いていることをお伝えし,世界のあちこちで,今日も子どもと本を結ぶ仕事に携わっておられる方々に,その仕事への評価と,感謝をお伝えすることではないかと気付かされました。もしかしたら,私は私の中に今もすむ,小さな女の子に誘われてここに来たのかもしれません。

IBBYの活動は,本の持つ価値と,子どもの持つ可能性を共に信じる人々により,これからも息長く続けられていくでしょう。今大会の標語「子どもと本 ワールドワイド チャレンジ」は,IBBYを支える人々の強い使命感の表明であると思います。

貧困をはじめとする経済的,社会的な要因により,本ばかりか文字からすら遠ざけられている子どもたちや,紛争の地で日々を不安の中に過ごす子どもたちが,あまりにも多いことに胸を塞(ふた)がれます。会員の少なからぬ方々が,このことにつきすでに思いをめぐらせ,行動されていることを知り,心強く感じております。私たちはこの子どもたちの上にただ涙をおとし,彼らを可哀想な子どもとしてのみ捉えてはならないでしょう。多くの悲しみや苦しみを知り,これを生き延びて来た子どもたちが,彼らの明日の社会を,新たな叡智をもって導くことに希望をかけたいと思います。どうか困難を乗り切っている彼ら一人一人の内にひそむ大きな可能性を信じ,この子どもたちを,皆様方の視野に置き続けてください。

子どもを育てていた頃に読んだ,忘れられない詩があります。未来に羽ばたこうとしている子どもの上に,ただ不安で心弱い母の影を落としてはならない,その子どもの未来は,あらゆる可能性を含んでいるのだから,と遠くから語りかけてくれた詩人の言葉は,次のように始まっていました。

生まれて何も知らぬ 吾が子の頬に/母よ 絶望の涙を落とすな/その頬は赤く小さく/今はただ一つの巴旦杏(はたんきょう)にすぎなくとも/いつ 人類のための戦いに/
燃えて輝かないということがあろう…

マイセン夫人

長年にわたるあなたのIBBYへの献身に対し,深い敬意を表します。IBBYの50周年を祝うこの大きな会を,あなたはどんなに心をこめて準備なさったことでしょう。

この意義ある会に招いてくださり,有難うございました。

出席の皆様方にとり,このバーゼル大会が,楽しく実りあるものとなりますように。

国際会議は,国境を越えて志を同じくする人々が集い,経験を分かち合い,意見を交わし合う素晴らしい機会であると思います。皆様方一人一人が,ここに来られた時にまさり,豊かにされ,強められ,これからの仕事に希望を持ち,ここを去ることができるよう念じております。

私は,IBBYの仕事に大きく貢献していける立場にはありませんが,この度の会議に出席し,皆様方の活動の一端に触れることにより,私自身少しでも深くIBBYを知ることとなり,これからも遠くよりこの活動に心を寄せていかれるのではないかと感じております。

皆様の御多幸をお祈りいたします。

 

追記(2022 Aug)

なぜ今頃になってこのような記事を書いたかと言いますと、私がもう高齢になり、「生前整理」をしはじめているのですが、その時に昔のふるい写真の中からこの写真が見つかったので、懐かしくなりこのブログに書き込んだ次第です。ある意味では非常に貴重な写真になるかもしれません。美智子上皇さまのお目に触れれば幸甚なのです。

2022年8月 2日 (火)

スイスのBASEL紹介

この記事はかなり前に「薬学図書館」という雑誌に連載として記述したので、内容的にはやや古いのですが、とうじ私がスイスのバゼルという都会に初めて来たときのいろいろな印象を書いていたのです。

 

例えば、スイスの他市と同様に町中至る所に市電が走っているのですが、現在でもそのままの状態であり、どこかの市内に出かけるときには市電を簡単に使うことになるのです。欧州の都会の中でも、日本と同様に市電などはどんどん廃止して、バス交通だけにしているところもあるのですが、スイスはむしろその逆なのです。
ですから、そのような過去のことを知らない日本の人が初めてスイスなどに来て至る所に市電が走っているのを見て、いゃ、これほどまでに市電が復活しているとは驚きだ、とのコメントをしていましたが、これはその反対で、復活しているのではなく、維持されていることなのです。

 

 

 

 

 

 

心臓と重力との相互関係

心臓と重力との相互関係については一般的な情報で色々なところに簡単に記載されています。
しかし、その関連性について実際に経験していることからかなり深く考察すると意外な発見もあるのです。もっとも、このような発見と言うのはある意味では信頼性が薄い、つまりそのことについての疫学調査とか臨床的な考察がないからです。
つまり、以下に記載されていることはある意味では私の推論であるのですが、いろいろな観点から考察するとそのような関連性、相互関係は十分に可能なのです。

 

心臓と重力の関係 「年を取り腰が曲がるのは心臓が原因」

 年齢を重ねるにつれて多くの人の頭は前下がりになり、次いで上半身がだんだん前下がりになり、極端な場合には腰から上が45度近くも前下がりになる人を見かけます。特に、戦前での農村ではそのような姿勢の老婦人は目新しいことではなかったのです。

このように年齢とともに頭から上半身が前下がりになることはよく知られており、その原因は脊髄の疾患とか老化現象と説明されています。この点に関してよく言われていることの一つに日本の農業従事者のように常に前屈みの姿勢で長年作業していた場合には身体がそれに順応し自然と上体が前下がりになると説明されています。

前述のように極端な場合には上半身が45度近くも上半身が前倒れになっている人を昔はよく見かけたものです。しかもそのような状態の人でも前屈みになっている上半身は意外と一直線で屈曲していないのです。昔は農村ではそのような格好の老人が結構居たものです。ですから、このような場合、脊髄障害などは考えられないのです。つまり、私の解釈では、そのような姿勢になる原因は心臓機能の補足につながるのです。でも、このような説明を信じる人はおそらくいないでしょう。でもこのような説明には説得力があり、誰も疑義をはさまないと思うのです。いかがでしょうか。しかし、物事にはすべて「原因と結果」があり、そのような姿勢は結果であって、姿勢だけが原因ではないのです。

ところが、進化論に関して最近ある説明を聞いて、いゃ、もしかしたらそのような上体の変化は「結果」であって、脊髄状態とか習性が「原因」ではないのではないかと考えたのです。

その前に、人間の進化を振り返って考えてみましょう。進化論では人はサルから進化したものと考えられています。そこで考えたのですが、サルや他の哺乳動物では生まれた子供はすぐに四足で歩けることです。つまり、四肢を有する動物では新生児でもすぐに四足で立ち上がったり、這い這いすることができるのです。馬や象などはその典型例です。サルでも生まれて間もなくの新生児では母親に抱きついて四肢、いゃ、サルの場合は手足、が完全に使えるのです。ところが人間の新生児はそのようなことは不可能で、抱かれたり、あるいはベットに横になることしか出来ないのです。なぜなのでしょうか。もっとも、誰もそのような非常識な考えは持たないでしょう。つまり、人の場合にはそれが当たり前であり、常識なのです。

では人間が歩く場合と、他の哺乳動物が四肢で歩く場合とでの大きな違いはなんでしょうか。それは人が歩くときには頭部を含めて上半身も地面から垂直に上に向かっていますが、四肢で歩く動物の身体部分は地面と平行になっています。この違いはある臓器に大きな影響を与えるのです。その臓器とは心臓なのです。人が四肢歩行から進化して下肢歩行、つまり直立することになった結果、心臓は地球の引力に逆らって身体全体にくまなく血液を循環するというものすごい働きをしなければならなくなったのです。その結果、他の四肢で移動する哺乳動物と比較すると人間の心臓は膨大な労力をこなさなければならないのです。したがって、人間の心臓は他の哺乳動物の心臓と比較すると極端に負荷が大きいのです。

て゛も、人類の進化論に人間はなせ゛二本足で歩くようになったのかとの説明はみあたりません。もっとも、最近のチンパンジーでの観察研究によると、食べ物をより多くつかむことが手をその目的にした結果であるとされています。

人間の老化現象の判断には基本的には年齢がありますが、年齢だけではそれぞれの人の老化度は図れません。目とか血管などの老化度はある程度は客観的に判断できますが、心臓そのものの老化度はどのような判断できるのでしょうか。心臓検査には、心電図とか脈拍数などがありますが、心臓そのものの機能を測定する方法は無いのではないでしょうか。いわゆる、人間の臓器の老化度はいろいろな検査値から推定することは出来るのですが、心臓そのものの老化度を測定する方法はあるのでしょうか。

いずれにしても、年齢とともに心臓機能も老化することは当然で、その機能が衰えれば身体全体にその影響を及ぼします。したがって、身体全体への影響を少なくするためには心臓の機能を低下させないことになります。しかし、その本来の機能が老化現象で老化すればそれを何らかの形で補わなければなりません。その手段として心臓の場合にはその負担を軽くするためには理想的には心臓への重力の影響を出来るだけ小さくすることになり、そのためには上半身を前向きに倒すことにより心臓への重力の影響が軽くなるのです。上半身を15度前後に前倒しにすると、引力の影響が20%前後も低下するとも言われています。

その結果、身体全体への血液補給がスムースになるのです。したがって、心機能の低下如何によっては頭から下の上半身が少しずつ前倒しになると理解できるのではないでしょうか。全身の血液は地球の重力の関係で全体の七割が下肢に集中していると言われています。

このような考えは血圧測定の場合に実感できるのです。血圧測定に際してその測定の位置によって血圧値が変動しますが、それは引力の影響を受けるためです。血液の比重は水とほぼ同じ1.0で、高いところより低いところの方が圧力が高くなる傾向があります。これは、水道の水圧と同じで、マンションの下の階よりも上の階の方が低くなるように、下腕を上げると血液が流れにくくなるため、血圧が下がります。「血圧値」に置き換えて換算すると、心臓より10センチメートル高い位置で測ると正しく測定した値より約8水銀柱ミリメートル低くなり、心臓より10センチメートル低い位置にすると約8水銀柱ミリメートル高く出るといわれています。

このように理解するとれ、人間の場合には新生児がやがて這い這いするようになるのも心臓への引力の負担への準備段階であると理解でるかもしれません。さらに、年齢を重ねるに従って、腰が曲がることは心臓の要求にこたえていることになり、そのような人は長生きするのです。もしかしたら、そのような関連性に関しての疫学調査を実施したら案外興味深い結果が得られるかもしれません。例えば゛、養護施設な施設などで暮らして高齢者で、特別な疾患がなく、ほとんと゛寝たきりの人の心臓は負担が少ないので、そのような人は意外と長生きしているのて゛はないて゛しょうか。もし、そのような観点からの疫学調査がされれは゛面白い結果が得られるかもしれません。

そのほかにも、姿勢と心臓の老化度との関連性を研究してみれば意外な結果がでるかもしれません。もっとも、これは私の珍説で、笑われるかもしれませんが・・・・。

そのほかにも椅子に座って両足を前に出して高くした姿勢にすると気持ちが良いのはそれだけ心臓への負担が軽くなるので、気持ちが良くなると考えることができます。また、長くベットなどに寝ているときにベットの頭の部分を少し上げて上半身を15度くらい上げた位置にすると気持ちが良いのも、心臓への血流があまり負担なくスムスになると理解することもできます。つまり、心臓そのものの位置以外にも血流があまり抵抗なくよくなる状態は間接的に心臓への負担が軽くなり、これも重力が関与しているものと理解できます。

つまり、長く椅子に座っていて、同じ姿勢を長時間続けていると重力の影響で血液の循環が悪くなり、脚のむくみが出ることがあります。このような場合も脚のふくらはぎを意識的にピクピクと動かすことを数回繰り返すことによって、血流を促進し、むくみの状態が改善されるのです。この運動は私は毎日しています。つまり、座っているようなときには、意識的に脚のふくらはぎの部分をつねにピクピクと運動させることが心臓の負担を軽くすることになるのです。ある意味ではそのようなピクピク運動を常時していると心臓への負担が常に少なくなり、心臓の負担の軽減にもつながり、長期的に見れば長生きの生活に貢献することになるのです。でも、このようなことを意識的に患者に説明、進言する医師は 一人もいません。いわゆる、脚のふくらはぎは第二の心臓とも言われているのはこのような効果があるからなのです。その他にも、いろいろな健康維持、留保が毎日のように新聞広告されていますが、不思議とこの「ピクピク運動」を書いている人は一人も居ないようです。

或いは、椅子に座っていて片足を他の膝の上に乗せるしぐさも意外と無意識的に心臓の負担を軽くしているのかもしれません。このような姿勢は多くの人が無意識的にしているのですが、誰もどうしてそのような姿勢をするのかという原因を考えていないのです。これと似たような解釈は「安楽椅子」の場合にも適用されることになります。この安楽椅子と言うのは背もたれが45度前後に後ろに傾斜するので、そのような安楽椅子に身体を任せれば上半身が45度前後に横たわることになり、重力の心臓への影響はかなり弱られることになるのです。

少なくともこのような考えを未だ誰も持っていないのは従来の常識が大きな邪魔をしているものとは考えられないでしょうか。

追記(2014 Jan.4)
 このように心臓の働きが重力により影響されると理解すると、マラソンなどで選手がゴ-ルに着いたとたんに大地に仰向けに大の字をかくのも心臓が要求しているものと考えることができます。つまり、そのような状態に体を置くと心臓の血流機能が引力に殆ど影響を受けないことのように理解すると心臓と重力との関係はいろいろな場面で理解することができるのです。ホントカナ ????

いゃ、本当なのです。簡単な証拠は、疲れたときに横になると身体がらくになり疲労が回復することは誰もが経験していることですが、これは身体を横にすることにより心臓の労力が極端に楽になるので、血流が促進して疲労回復につながるからです。
つまり、躯体が地表面と平行になり、躯体の血流が楽になるからです。立位から寝位になることにより心臓の働きが地球の引力にあまり影響を受けなくなるからです。

追記(2015 May)
最近の若い人たちがスマトフォンなどに熱中している姿を横から眺めていると頭が15度くらい前に倒れているのです。これはそのような姿勢が楽なのかも知れません。しかし、このような姿勢が絶え間なく続くと何も使っていない普通のときでも頭が自然に前に傾いてしまうかも知れません。もうそうなると高齢者の前かがみ姿勢の予備軍かもしれません。

追記(2016 Sept)
最近の研究報告によると、長年にわたり、「ヒトの知性が進化したのは脳が大きくなったからである」という理論が支持されてきたが、新たな研究報告では、知能の進歩には脳の血流の多さのほうが密接に関連していることが示唆されたとのことです。
Roger S. Seymour, et al. open sci. 2016 Aug 31. [Epub ahead of print]

この論文ではなぜ脳の血流の増大が知能と関与しているのかとの推測はしていますが、ではなぜ血流の増大が起こったのかとの説明はなされていません。

ここで、考えられるのはこのブログで述べている私の珍説が大きく関与してくるのです。つまり、ヒトの進化の過程で、立脚、二本足での歩行という進化にともない、私の珍説の心臓機能の強化が当然の成り行きとなり、その結果として血流が多くなったと推測することが可能になるからです。つまり、この私の珍説を拡大解釈をすると「ヒトの知性が進化したのは二本足での歩行にともなう心機能の強化がもたらさり、それに伴い血流の強化が起こり、その結果として諸臓器の一つである心臓の機能も向上し、その結果として脳への血流が増加して知性の進化に大きな影響をもたらした」と解釈するのが妥当だ考えられるのです。

したがって、私の珍説が進化論的原因説に貢献しているのかもしれません。(!!??) (o(*^▽^*)o)

追記 (2021 May)
最近、このような観点に似た研究成果が発表されていました。それはキリンと血圧との関係なのです。
首が長いキリンは、血圧がほかの哺乳類の2倍ほど高いとなるようである。高い位置にある頭まで血を送る必要があるためだが、にもかかわらず、高血圧症を防ぐ遺伝子によって心臓や血管の病気になりにくいことを、中国・西北工業大などのチームが発見した。この遺伝子をマウスに入れたところ、血圧が上がりにくく、骨密度も高くなったという。長い首を保つために独特の遺伝子を獲得したとみられる。

追記 (2022 July)

最近、出版された本に「背骨の医学」(山口正貴)があり、その広告には「すべての疾患は背骨曲がりから」とありました。でも、背骨曲がりは「結果」であって、「原因」ではないのです。心臓老化、心臓補強、などの目的から背骨がまがり、その結果として、ゆがめられた背骨が老化するのではないでしょうか。つまり、私の珍説では、背骨が曲がる原因は「心臓の老化」であり、それを補強するために自然に前かがみとなり、その結果として背骨の機能が劣化するのではないでしょうか。このように考えると、人間が健康で長生き長生きできるためのひとつの手段は心臓の機能を十分に補足できるような日常生活をすることか゛重要になるのて゛す。ホントかな ??

 

 

追記(2022 July)
このように心臓の働きに関連して、ふと考えたのはなぜ「心臓がん」がないのかと考えて検索してみたところ、その理由の中に以下のような記載がありました。

「最も体温が高い状態が心臓であり、その温度は約40℃あり、この心臓の熱に負けて、腫瘍細胞は消滅してしまうと考えられます。」

このような説明で考えたのですが、心臓内の温度がかなり高いということはそのような高温の血液を出来るだけ迅速に体全体に送れるような「ピクピク運動」を連続して随時に行っていればかなり高温の血液が体内に循環し、もしかしたらガン細胞は少なくなるのではないかと言うことなのです。でも、そのような単純な運動がガン予防になるとの考察は医学的ではないので、誰も考察、研究対象にはしないので、そのような観点からの疫学調査は誰もしないのです。

追記(2021 Aug)

オリンピックを見ていて考えたのですが、陸上競技の100メトル競争では9秒台と極めて短い時間での勝負なのですが、その時の心臓の役割を考えたのです。もし、スタト前にこの「ピクピク運動」をしてたらもっと有利になるのではないかということです。

 

追記(2022 July)

高齢者になるといろいろな障害が出てくるのはごく自然なのですが、そのような現象の一つに「食後の心臓部位の軽度の重力感、痛み、が感じられることがあるのです。これはPostprandial anginaともいわれているのですが、食後の満腹感を感じるようなときには高齢者の場合、食後の一時間前後になると血圧も低下し、胸のあたりが軽い痛みのようなことを経験し、ときとして眠気も現れるのです。しかし、そのような場合にベットに横になっていると不思議とそのような不快感が感じられないのです。それはベットに横になることは重力の影響が心臓にたいして軽度になるからです。

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