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2022年6月の記事

2022年6月21日 (火)

海外生活者の高齢化


海外にいろいろな目的で出かけ、長い間、仕事、研究などに従事し、定年退職後もそのまま現地に長い間、年金生活をしている人は現在ではかなりの数に成長しつつあるのです。
そのような人たちが現地で家族を持ち普通のような生活環境で定年退職をしている人たちは今後ますます増えるのではないでしょうか。海外に五十年以上も生活しているといろいろな問題が派生してくるのは当然なことなのです。特に、高齢者になると、健康問題や家族構成の変化、伴侶の死などの大きな変化が現れてくるのは致し方ないのです。そのような場合には時として日本人としての意識がよみがえることもあるのですが、このことは意外とそのような高齢者にならないと理解することは無理があるのかもしれません。

その大きな要因は故郷と言う概念が時として現れることがあるのです。つまり、そのような場合の故郷とは日本のことなのです。とくに高齢で一人の生活になると大きなジレンマは故郷に帰れるかどうかと言うことなのです。最近ではそのような海外永住者の日本永住帰国者のためのいろいろな援助サイトがみられようになっているのもそのような海外永住者の人間的なジレンマが認識されつつあるのかもしれません。

2022年6月20日 (月)

日本海か東海か

嫌日、反日の韓国が例の日本海の名前をけしからん、として東海という名前にすべきとの国際的な運動をしていますが、それに対する日本の識者、政治家は極めて幼稚な反応しかしていないのです。

つまり、いゃ、昔から日本海と言う名前が使われていたのです。その証拠にはと、ふるい地図などを探し出し、反論のつもりでいるのです。

でも、このような幼稚な反論では韓国は納得しないし、世界的にもあまり受け入れられない可能性はあるのです。

そうではなく、世界の地図を観れば、いろいろの国の名前を付けた海、湾などがごまんとあるのですが、なぜか日本の政治家、識者はこの点を指摘しないのでしょうかね。

東シナ海、メキシコ湾、など探せばいくらでもあるのです。

ですから韓国がこの問題で国際機関に提訴した時には、むしろ、韓国と一緒にそれらの国名を付けた海、湾などの名前を完全に改定する運動をしましょうと、逆に韓国に提案することなのです。このような単純な発想がなぜ日本から提出されないのか、不思議でなりません。

2022年6月16日 (木)

とんでもない地名の例

なんと、スイスにはPetersburg 並びに Moskauという名前の村があるのです。
その由来は例のナポレオン時代の影響でこのような現在のロシアの都市の名前がそのまま導入されていたとのことです。でも、現時点ではあまり簡単には受け入れられないかもしれませんね。もし、あなたはスイスのどこにおすまいですか、と聞かれて、「モスクワ」です、なんと返答できませんね。

これなどはまさに歴史の遺産かもしれません。

しかし、そのような歴史的背景はあるのかどうかは知りませんが、東京という地名は中國には無いのです。中国には西京、北京、南京との地名があるのですが、東京は日本にしかないのです。勿論その発音も中国式ではないのですが、中国語で「京」が何処を表すのかは調べていませんが、その由来を調べたら面白い結果があるかもしれません。でも、東京の地名は何処から来たのでしょうかね。

「誰も知らなかった常識の背景」(絶版)

かなり以前(平成十五年)に私が書いた本の紹介です。残念ながらこの本は現在は絶版になっていて入手はかなり困難ですので、その簡単な紹介とともに全文を読まれたい人への紹介です。

 

 

「誰も知らなかった常識の背景」  

 

はじめに

 

 海外と日本とでは歴史、文化、民族、習慣、地勢などの違いがあるのは当然ですが、それらのちがいが私たちの日常生活に直接、間接といろいろに影響しています。しかし実際にそのような影響、ちがいを知る機会を日本にいてはなかなかえることは困難です。普段、我々が何気なく考えていること、食べていること、行動していること、などが海外ではとんでもないこであったりします。たとえば、日本食の場合、お茶碗んやお碗などは食べる時にはちゃんと手に持って食べるのが普通で、これらを西洋料理のお皿などのようにテ-ブルに置いたまま食べることは犬食いとみなされ、日本では最低のしぐさになります。その逆に、西洋料理の場合には出された皿を手で持ちあげて食べることは禁忌になります。また、お隣の韓国では日本のように手でお茶碗などを持つことは物乞いみたいだと考えられ、誰もしないのが普通とのことです。これほど大きな違いはがあることを知らないで韓国で日本式の食べ方をしたらひんしゅくをかうことになります。つまり、日本では当然の常識が海外ではかならずしも常識としてとおらないことがあります。常識は国、文化、時代によってさまざまにことなります。普段当たり前と思っていることにもそれぞの背景があることを知ることは意外と難しいことがあります。

 

 もちろん、このような常識の相違の存在を認識することはたしかに大切なのですが、お互いにそれぞの生活習慣・環境などを比較、検討してよいものはよいものとしてそれらを積極的に取り入れることができたら私たちの生活環境もさらに向上するかもしれません。これはなにも内なるものを捨てて外なるものをなんでもかんでもどんどん取り入れるということではなく、私たちの生活環境を向上、改善してより快適な人間生活を築きあげるという観点から考えれば十分意義のあるものです。また、海外に出掛けるような場合には海外での生活がより一層快適になることもありえるのです。

 

 今までの習慣、常識を我々の昔からの習慣、常識だからと、時と場合によっては頑固なまでに固執するのではなくあらためて取り入れることができるかどうかの検討だけでもする価値がある場合は意外と多くあるものです。そのためには海外では一体どのようになっているのだろうか、われわれの常識はどのような経過で常識となっているのだろうかとの情報をまず入手することも必要です。ただ、ここで注意しなくてはいけないのは海外といっても実に様々な国があり、それらの国々では実に様々な環境、習慣、生活様式などが存在することです。ですから、ただ一言で海外では、と片づけられないのです。日本でよく使われている表現のひとつに「欧米では」がありますが、ひとつヨ-ロッパだけをとっても南と北とでは気候、民族もことなり、生活習慣、考え方なども大きくことなります。ですから、日本で頻繁に使われる表現、「欧米では・・」の表現は実は無責任、無知をさらけ出し、無意味、あいまいな表現なのです。すくなくとも、南欧、北欧、西欧、東欧の区別ぐらいはしてほしいものです。しかし、そうするためにはそれなりの正しい知識がないとそのような詳細な表現を使えなくなります。ですから、日本ではあいまいに「欧米では」、の表現が気楽にいまだに使われているのかもしれません。丁度、その逆に欧米人が「アジアでは・・・」と日本やカンボジャやタイなどと一緒に論じるのに相似ています。それにしても、「海外では」とは言わずに「欧米では」と表現すること自体が明治維新以来の欧米に追いつけ政策がいまだに尾を引いていることになります。「欧米では・・」は実は明治維新の政策用語だったのです。

 

 さらに海外事情を調べる場合でも、ただ単に表面的な観察、視察だけでは本当の姿を知ることはできない場合がよくあります。たとえば、最近は日本の地方都市で、市電を復活させる動きがあるようですが、それに関連した日本からの海外視察団の新聞記事にはかならず、「ヨ-ロッパでは市電がかなり復活しているが・・」、とあります。しかし、これほどいい加減で無責任な表現はないのですが、日本ではごく当たり前の表現として認容されています。ヨ-ロッパの都会では日本同様に市電は昔からありましたが、日本のように簡単に廃止されなかった都会がかなり残っていたのです。それを一回のヨ-ロッパ視察でかなりの都市に市電網が発達しているのを目の当たりに見て驚嘆し、これほどまでに市電
が復活しているとは、となるのです。ちょうど、戦後最初の日本からの農協観光団体客がロ-マを見物し、コロシアム(古代ロ-マ遺跡)の前で「へぇ-まだイタリアには戦争中の空襲の跡がそのまま残っているんですね」と感嘆したとか。まさに、これと似たような観察、理解が今でも日本人の一部に存在することになります。

 

 たしかに市電に関しては日本人が日本の都市の実情から判断すれば、一回のヨ-ロッパ視察旅行でそのよな印象を受けたのもやむをえないのかもしれません。しかし、市電が一旦廃止された都市にまた市電を復活させるのは日本と同様にヨ-ロッパでも極めて難しいのです。現在のヨ-ロッパの都市にみられる市電の現状を本当に正しく理解すると、市電を現状のように維持することがいかにむずかしかったかを読み取るべきなのです。 ともかくこのような観点から日本とヨ-ロッパとでのいろいろな日常生活体験を通して日本人の眼からみた文化、習慣の相違に焦点をあてて書かれたのが本書なのです。(なお、本書では原則としてアメリカは対象にしていしません。それは著者はアメリカでの経験があまり無いので、簡単に欧米ではの表現は用いられないからです。)

 

本書は長年にわたってヨ-ロッパに生活の場を築いてきた著者が日本とヨ-ロッパとの間に介在する様々な文化、習慣などの相違点を実際の生活体験を通して比較し、誰もが気楽に読めるようなエッセイ風にまとめたものです。したがって、日欧文化比較論のような堅いものではなく、実際生活に関与したいろいろなテ-マを取り上げて面白く読めるように書き上げました。ただ、すでに記述しましたように、ふたつの異なった文化をただ単に比較するだけでは余り意味のないことですので、一歩進めて、そのような相違を認識することにより、お互いの理解を深めることにもなります。さらに、それぞれの違いを単に違いとしてのみ捉えるのではなく、それぞれの背景をも理解し、最終的にはそれぞれの長所をどのように私たちの日常生活に取り入れて融合を計るかへの考察も必要になります。また、本書を通して、逆に日本にもよい文化環境があることを再認識するよい機会になるかもしれません。

 

目次
はじめに

 

生活習慣編

 

 その1: 日本ではどうしてドア-は外開きなのでしょうか「外開き文化の悲劇」 

 

 その2: 青信号は本当は緑信号なんです「単色文化と複色文化」 

 

 その3: 水は天からの授かり物「風呂文化とシャワ-文化」 

 

 その4: カクシの心理は海外では通用しません「カクシ社会とアケッピロ社会」 

 

 その5: アァ、主人と手をつないで歩いてみたい「お辞儀社会と握手・抱擁社会」 

 

 その6: 嫌いなものは外に投げ出しましょう「内向社会と外向社会」 

 

人間本質編

 

 その7: あなたは今日何回笑いましたか「瞑想文化と笑い文化」 

 

 その8: 日本から匂いがなくなる日「体臭社会と無体臭社会」 

 

 その9: 脚が短い日本人は損をする「胴短社会と胴長社会」 

 

 その10: 喜怒哀楽の表現はそとにだすものなのです「無の感動と有の感動」 

 

社会編

 

 その11: 歓迎会は自分のホケットマネ-で「同属社会文化と自己中心文化」 

 

 その12: 駅の改札は必要なんでしょうか「自己責任と組織責任」 

 

 その13: 日の丸を見たことがありますか「国旗を必要とする国、必要としない国」 

 

 その14: 身分証明書ってなんですか「写真付き身分証明書の必要性」 

 

食習慣編

 

 その15: ごはんなしの食事はできませんよね「おかず社会と主食社会」 

 

 その16: 日本料理はやはりおいしい「ソ-ス文化と煮付け文化」 

 

 その17: 犬肉も鯨肉もにたようなもの「食文化摩擦は歴史的相互理解が必要」 

 

その18: 食器が文化に影響しているのかもしれない「皿文化と小鉢文化」  

 

言語・交流編

 

 その19: 英会話の勉強はあきらめなさい「意存言外社会と有言伝達社会」 

 

 その20: 日本語を国際語にしましょう「自国語を卑下する日本人」 

 

 その21: 海外からの外国人を招くことは呼民なのです「移民と呼民」 

 

 その22: 観光資源を無駄にする国「観光先進国、観光低開発国」 

 

 その23: 海外在住日本人の問題「海外在留日本人の保護と二重国籍問題」

 

 

 

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2022年6月14日 (火)

選挙などの「公約」はまさに「膏薬」そのものなのです

選挙の「公約」はまさに「膏薬」そのもの、殆ど効果、実現性がないのです。その典型例は前々回での東京都知事の選挙の時の公約なのです。もっとも、膏薬の場合には効くこともあるので全くの項かがないわけですが、都知事が掲げたゼロ公約はなんと100%効かない者でした。

 

その時の、「東京大改革宣言」では、都政の課題を解決するために 7つの0(ゼロ)を目指しますとなっていたのですが、皆さんはもうすっかり忘れているのではないでしょうか。

 

前回の都知事の選挙に際し小池知事が公約したのは以下の七つの項目です。とくに満員電車ゼロについて二階建ての電車とのことでしたがそんなことは初めから出来ないことが分かっていました。
◎待機児童ゼロ
◎残業ゼロ
◎満員電車ゼロ
◎ペット殺処分ゼロ
◎介護離職ゼロ
◎都道電柱ゼロ
◎多摩格差ゼロ 

 

これほどいい加減な公約は珍しいですね。結果的には「公約ゼロ」と言うことでした。つまり、小池知事は最初から「ゼロ公約」を掲げていたことになります。

2022年6月 6日 (月)

旅券に書かれてある文章の問題点

日本の旅券に書かれてある支離滅裂な文章

皆さんは海外に出かけるときには旅券を手に入れなくてはならないのですが、そこに書かれてある文書を理解したことがありますか。その文章は明治の時代に初めて旅券が造られたときの概念がそのまま厳存しているという世界でも稀な旅券なのです。この点に関して私が外務省に問い合わせた時の回答が以下のようになっています。


スズキ シンジ 様

 御連絡を頂きありがとうございます。

旅券とは、一般に、一国が自国民の国外への旅行のために、その権限ある機関により発行する所持人の国籍及び身元を証明する文書であり、日本の旅券だけではなく多くの諸外国の旅券には、渡航先当局に対する通行の許可並びに適法な援助及び保護の要請文が記載されています。

外務省は、海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること、海外における邦人の身分関係事項に関すること、及び旅券の発給並びに海外渡航及び海外移住に関すること等の事務をつかさどることとなっており、旅券、就中、旅券に記載のある渡航先当局に対する当該要請文は、外務省がこうした事務をつかさどるにあたっても重要なものであり、これらが矛盾することはないと考えております。 御理解のほどよろしくお願い申し上げます。

外務省領事局旅券課  ダウンロード申請書担当

(ご質問内容)

現在の旅券の最初の頁に記載されてあることは在外日本人への援助、保護などついては基本的には滞在国政府にお願いしますとの、明治維新以来、連綿として継続して記述されていますが、外務省設置法での記載とは全く正反対の概念なので、現在の旅券の最初の文面は廃止すべきではないでしょうか。

外務省設置法(平成11年法律第94号)第4条 第9号 の規定において、海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全 に関する業務を実施。
             。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


『問題点』

    私の質問に対する旅券課の返答には対称の全く異なった二つの事象を全く同一に論じていることです。つまり、「渡航先当局に対する通行の許可並びに適法な援助及び保護の要請文」という全くその意義,対象が異なることを同一の文章にて論じているのです。最悪なのは近年になって施行された外務省設置法の文章では外国の政府へのお願いとの観点、言及は全く記載されていないことなのです。

旅券そのものは「渡航先当局に対する通行の許可」ということが主目的であり、そのような文章をわざわざ旅券に記述する必要はないのです。例えば、ドイツの旅券にはそのような文章は皆無なのです。それは当然で、旅券そのものの目的は通行の許可を求めている書類だからです。ですから、旅券が無ければ当然のことながら外国に入国することは出来ないのです。

  しかし、二番目の論点、つまり「 適法な援助及び保護の要請」なる文章は多くの国、おそらくすべての外国の旅券には存在しないのです。

   つまり、このような次元、論点のまったく異なった対象を一緒に論じている自体か゜明治の時代の名残りなのです。

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