欧州への避難民がどうして発生したのか?
欧州への難民問題はいろいろな意味で重要性があるのですが、我々が知り得ることはテレビとかマスコミ報道しかないのです。しかも、日本ではそのような情報は海外での情報の孫引きであり、マスコミ的な表面的な解釈しかないのです。しかも日本にはそのような避難民が来ることは皆無なので、ある意味では そんなことがあるのですね、くらいの認識しかないのです。
しかし、現在の欧州での難民問題はある意味では時限爆弾的な存在であり、今後どのような変化が表面化するかは全く予想が付かないのです。しかも、英国がEUから脱退した現在、欧州各国に存在するアフリカや中近東からの避難民がどのように扱われるかということは全く不明なのです。
欧州への避難民に関して考えるべきは、どうしてあのような避難民が大挙して欧州に押し寄せてきたのかという現実の背景を知ることが重要なのですが、日本に居てはそのような現実の背景を知ることは不可能に近いのです。
物事の解釈には必ず原因と結果があることを理解すべきなのです。新聞報道などでの情報はそれらの殆どが「結果」であり、なぜそのようになったのか、どうしてそのようなことになったのか、などとの「原因」についての詳細な検討は殆どなされていないのです。
まず考えるべきことは一言で難民、避難民と言っても時期によってその発生背景、避難民の状況、避難民発生国の政治的背景を熟知する必要があるのですが、日本に居てはそのような詳細な実情を知ることはかなりの無理があるのです。
いずれにしても、欧州への難民問題の解釈には原因と結果の判断が必要なのですが、我々の知っている、いゃ、知らされいることは全てが結果なのです。特に、欧州での出来事を身近に感じていない日本人にとっては、一部の人が解説しているようにドイツのメルケル首相の人道的思想、ドイツの過去におけるナチスによるユダヤ人虐殺などの歴史的背景などから理解することで説明していますので、誰もが納得するような説明であり、解釈となることは正しいのですが、なぜ欧州への難民が2014年頃から急激に発生したのか、そして今年2019年の後半になってから急に従来の地中海を大きなゴムボ-トで渡ってくる難民、特に青年、が突然いなくなったのか。
つまり、一口に難民と言っても、避難民の発生時期、発生状況、発生国によりそれぞれの解釈が異なるのです。
勿論.その後も時として地中海を小さなゴムポトでイタリアに向う避難民が全くなくなったわけではないのですが、そのような避難民はまさに典型的な避難民で子供連れの家族ばかりであり、故国の悲惨な状況から逃れるために一家全員が最後の決断をしているのです。異国に逃れる、しかも色々な国境を越えての避難をするには重大な決意がいるのです。
このような難民が最初に欧州に来るようになったのは、2014年前後であり、その時点ではアフリカ大陸から地中海を超えてイタリアなどへの避難民なのです。その頃に欧州のテレビで放映されていた避難民の様子はある意味では全く予想外の姿だったのです。
欧州に難民がゴムボートでやってきた2014年前後では、毎日のように地中海を大きなゴムボートでイタリアに向ってきた避難民の様子をテレビで見ていて、真っ先に私が奇異に感じたのは、その時の難民の全員が、若い青年ばかり、そしてさらに私が不思議に感じたのはその時の若者全員がハンディ、いゃ、スマホを手にしていたことなのです。確かに、その当時でも欧州の人たちにはハンディがかなり普及していましたが、今日のようにほぼ全員がハンディとかスマホを持っているような状態ではなかったのです。つまり、最初に欧州に押し寄せてきた難民は北アフリカからの若い青年場がり、全員がハンディとかスマホなどを手にしていたのです。
それにしても当時にアフリカからの若い難民が全員ハンディとかスマホを持ってゴムボートに乗ってイタリアにやって来た光景をテレビで見ていて、極めて違和感を感じたのです。更に驚くことはこれらの若い難民全員が目的地がドイツだったのです。つまり、全員がドイツ、ドイツと叫んでいたのです。
この当時はドイツのメルケル首相は未だ、難民歓迎の声明は出していなかったのです。この当時の若者の難民全員がドイツ、ドイツ、と発言したことを受けて、「ある理由」からあのような難民歓迎の声明を出すようになったのですが、それはアフリカ大陸からの若者の難民が大挙してくるようになった2015年8月にメルケルは多くの難民を歓迎しドイツに受け入れる方針を表明していたのです。
でも、誰もなぜメルケル首相がなぜそのような声明を出したのか、いゃ、もしかしたら出さざるを得なかったのか、ということは誰も考えておらず、単なる人道的な措置だと考えるのは、まさに表面的な解釈に過ぎないのです。私の推測では当時のメルケル首相は「ある理由」からそのような声明をわざわざ公表したのです。
しかし、このような欧州に向かう難民もここ、数年は若者の姿は完全に消えて無くなり、避難民自体が難民の本来の姿の典型的な子供と一緒の家族連れに変化してきているのです。しかも、これらの避難民は誰もハンディを手にしておらず、また、乗って来たゴムボートの規模は小さく、粗悪なものばかりで、しかも小型なものばかりでした。あの当時、最初の青年避難民が乗って来た超大型の立派なゴムボートは何処の国が製造、提供していたのか、一体どのような背景でそれらの青年が選ばれたのかなどとの背景情報は欧州では誰も関心が無かったようなのです。ですから欧州のマスコミは全くそのことには触れていませんでした。
いずれにしても2010年代後半になっての難民はアフリカ大陸から中近東の政治的不安な国々から陸路を通ってギリシャなど来るようになり、その避難状況は完全に変化しているのです。しかもこれらの避難民は繰り返すように、本来の避難民、つまり家族連れの人々であり、最低限のものを持って陸路を非難してきているのです。勿論、スマホなどを持つ余裕はないのです。
なお、このような背景を考察した時、では一体「ある理由」とは何なのかは全くの私の推測になるのですが、以下のように解釈できるのです。もっとも、以下のような解釈、理解は誰もしていなことなのです。
➀ ロシアの歴史的、基本的遠謀は南下政策にあるのです。冷戦の終了とともにかってのソビェット連邦が崩壊し、多くの衛星国が独立してしまった結果、この南下政策は一時的に頓挫してしまったのです。
② この南下政策の一端として2014年の初めにウクライナアの南部にロシアが間接的に介入した結果、EUがロシアに対しての経済制裁措置をとったのです。そのため、ロシアが対抗策の手始めにEU、殊にその制裁措置の主導国のドイツ、つまりメルケル首相打倒の一つの手段としてロシアが考えたのはアフリカから前述のような青年避難民をドイツに向わせたのです。
このような背景情報は欧州でもまったく推測されていなかったのです。
つまり、メルケル首相は意識的にプチンに向って、あのような難民歓迎を意図的に発言したのです。でも、そのような推測は現時点では単なる推測に終わっているのです。ですから、メルケの真意は不明なのですが、このような状況は、かってのケネディ大統領の暗殺がオスワルド個人の暗殺で終わってしまい、その陰の大物は解明されていないのと似たような状況なのです。
③ 最終的にはプチンの遠謀がほぼ実際に効果を発揮し、成果を揚げたのです。つまり、彼が望んでいるのは「国家という共同体をぶち壊し、「ボーダーレス」の世界を作るには、難民の破壊力を利用するのが最も効果的だろう。」ということなのです。その歩みは、英国のEUからの脱退から始まって、そして将来的にはEUが崩壊することなのです。ともかく、現時点での欧州の最大の問題は膨大な避難民をeu加盟国にどのように配分するかで、難航しているのです。
④ しかし、その後の欧州での情勢は以前とはかなり変化し、2018-2019年あたりからロシアへの風当たりが弱まり、その逆にロシアから欧州、とくにドイツへのガスパイプラインの建設にまで進展し、2019年後半からドイツのメルケル首相とプチン首相とが頻繁に話し合うようになっているのです。
このような時間的経過に伴って欧州への難民はそれこそ問題の多い中近東のシリア、イラク、アフガニスタンなどから陸路を避難してくる典型的な避難民家族へとの変化しているのです。勿論、現在でも時折、地中海を小さなゴムボートでイタリア、ギリシャにくる避難民家族が全くなくなったわけではありませんが、極めて稀な存在になっています。
このような欧州への避難民の発生に関連して、ほとんどのマスコミは彼らが欧州に向かうために一体どのくらいの金を斡旋業者に支払ったのかとの関心は全く見られなかったことなのです。私の推測では2014年当時の若者は全くお金を払っていなかった筈です。
追記 (2022 March)
今年に入ってから、プチンがウクライナに侵攻し、新たな戦争が始まってしまいました。その結果として、膨大な数の避難民が陸路、欧州諸国に逃げ込んできているのです。毎日のように欧州でテレビを見ているとそれこそ着の身着のままの状態で、しかもその多くは子供連れの母親たちなのです。まさに典型的な悲壮な避難民なのです。現時点ではこのような避難民は欧州各国が進んで引き受けているのですが、こたして今後どのようになるのかは全く不明なのです。
ところが、最近の新聞にある記事が載っていましたが、それはもしかしたらプチンは膨大の数の避難民を欧州に間接的に送り出し、欧州の社会を混乱、崩壊させるのが最終目的ではないかとの記事がありました。これを読んで、いゃ、もしかしたらそれがプチンの最終目的かもしれないと改めて考えたのです。
つまり、2014年前後のアフリカ大陸からの屈強な男性ばかりを避難民としてドイツに送り込んだプチンなのですが、結果的にはそれがドイツの崩壊に至らなかったので、次の対策として、長い間いろいと検討して、今回のウクライナへの侵攻となったことと考えることには無理がないようです。