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2019年7月の記事

2019年7月15日 (月)

タトゥーへの認識

タトゥーへの認識

 

訪日観光客が増加し、2020年の東京五輪開催に関した記事の中に、メディアで頻繁に「タトゥーをいれた外国人が温泉/銭湯/プールに入れない」問題が取り上げられるようになっていました。一般的に欧州の若者には意外にタトゥーを入れている場合が多いのです。 そういった記事に対して集まるコメントは、「郷に入れば郷に従え」という単純な論調が多いとのこと。しかし、真夏に来る外国人、殊に欧州の若者が日本で温泉などに行くことは考えにくく、まさに非現実的な対応なのです。

 

一般的に、タトゥー丸見えの肌丸出しの真夏に電車やレストランなどでそのような若者が隣に座ったら一般の人はどう反応するのだろうか、まさか逃げ出したりしたらそれこそ「おもてなし」は死語になるのです。
しかも、最悪になる可能性が高いのはサングラスをかけてタトゥー丸出しの外国人への対処なのです。

 

実際のタトゥーを全然見たこともない地方の人たちでの反応は思っただけでもショックになるはずです。そこで、これからは少しはずつタトゥーへの理解を念頭に置いた広報をもすべきではないでしょうか。例えば、日本では誰でも知っている江戸時代劇の「遠山の金さん」の背中の入れ墨などをはじめとして、きれいなタトゥーの写真などを添えてタトゥー認識への順応性を高めることです。もっとも、このようなことは永遠に不可能かもしれません。

もっとも、このような対応を公にすること自体が問題であるようで、私が過去にこのような趣旨の記事を新聞に投書したのですが、全く無視されてしまいました。それはある意味では当然のことであり、もし、このような投書を新聞社が採用したら、もしかしたら非難されるかもしれないからです。

 

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その手始めに空港などの検査官などにそのような啓蒙広報を行うべきかもしれません。なぜならタトゥーに対する理解のない入国管理官などが、タトゥーをしている若者に限って意識的に手荷物検査をすることが知られているからです。ですから、もし、タトゥーを腕などにしていて、さらにサングラスをかけていたら、一部の入国管理官は無意識的に荷物の検査をすることにもなりかねないのです。

 

つまり、日本では一般の人に対してタトゥーへやサングラスへの理解を期待するのは不可能なのです。 夏になると暑さが増し、従って多くの人は薄着になり、腕なども載るだしになったり、女性の場合には肩が丸見えになることもあります。つまり、夏になると人々の素肌が丸見えになる機会が増加することです。ましてや、欧米からの観光客の場合にはそのような肌だしの人たちが多くなります。その結果として、そのような観光客の中で入れ墨、つまりタトゥーをしている人の場合にはタトゥーそのものが丸見えになるのです。 更に、欧米人の場合には日本人の想像以上にサングラスを使用している人が多いのです。サングラスは一時年中使われていることも珍しいことではなく、極めて日常的な現象、いゃ、習慣なのです。 しかし、日本ではタトゥーとかサングラスはいとも簡単にヤクザとの関連性が強く認識されていて、殆どの人は内心的に嫌悪感があるのではないでしょうか。 このことに関連して、以前に私の知人の娘さんが女ともだちと一緒に真夏に日本に観光旅行に行ったとき、成田の空港で入国する時に税関の検査があるのですが、そこで友人は問題なくそのまますぐに税関吏検査が終わったのですが、彼女の場合にはすべての荷物検査をされてかなり時間を取られてしまいました。そのわけは、彼女は両腕にタトゥーをしていたからなのです。 つまり、タトゥーをしている人は日本人的に解釈すると、ヤクザか不良のような対象に解釈されるからかもしれません。ですから、もしかしたら麻薬などを持っているかもしれないとの先入観で税関吏に検査されたと考えられるのです。 しかし、欧州、例えば私が住んでいるスイスではタトゥーをしている人達、男女も含め、はかなり多いのです。何しろ街中にも堂々とタトゥー実施の店の看板がよくみられるのです。つまり、タトゥーは若者の装飾として簡単に受け入れられているのです。特に男性の場合には上半身全体にタトゥーをしている人を見ることは稀ではないのです。確かに、日本人的感覚からみりば、そのような人を見ると一瞬、いゃな感じをするのが普通なのですが、こちらの人たちはそのような日本人的感覚は殆ど持ち合わせていないのです。つまり、欧州ではタトゥーはサングラスと似たような感覚で見られているのです。 似たような状況にあるのがサングラスの使用ではないでしょうか。 でも、不思議なことに日本ではタトゥーは嫌悪感で見られるのですが、映画やテレビで有名な「遠山の金さん」が裁判で最後に全身にしている入れ墨、「桜吹雪の入れ墨」を見せる光景があありますが、これは例外なのでしょうか。 このことに関した説明には、 文化~天保年間にかけて、江戸で巻き起こった空前の入れ墨ブームとあり、幕府はそんな風潮を「風紀を乱すもの」として、たびたび禁止令を出すなど引き締めをはかったとされています。 このように理解すると日本でも以前には入れ墨流行があったことなのです。 いずれにしても、将来的には、ますます欧米からの観光客が日本に来ることが期待されていますので、タトゥーへの解釈、理解も柔軟にすべきではないでしょうか。

2019年7月 7日 (日)

老眼、近視の正常化

通称「老視」だいたい40歳代で始まるといわれています。

しかし、もっと問題なのは、最近の人たちはスマホとかPCばかりを頻繁に使っていて、いつも三十センチくらいの距離のものしか見ていないので、 カメラのレンズの役割を果たす水晶体は、毛様体の働きにより厚さを変え、見ている物にピントを合わせているのですが、いつも近距離の物しか視ていないと毛様体が硬くなり、ピント調節がうまくできなくなるのです。

その解決方法の一つに遠近物体の頻繁な交互の視点合わせが必要なのです。

つまり、遠くと近くを交互に見て毛様体を鍛えたり、目を温めて血行を良くしたりすると、かなりの効果があるのです。

ただ、問題なのはこの「遠近」の程度なのです。この遠近の程度はメトル単位ではだめなのです。少なくともキロメトル単位の遠さが必要なのです。つまり、近所を散歩する程度の遠近感ではほとんど意味がないのです。しかも、距離だけではなく、遠くのものを見る継続時間も常用なのです。少なくとも三十分くらいを遠くのものを偽証しできる状態をつくることが必要なのです。ですから、散歩のときに遠くを見るような状況では意味がないのです。

ですから、家の中ではこの交互の「遠近」行使はまったく意味がないのです。理想的なのは家の窓から遠くの山や森が見られる窓があるところが必要なのです。しかし、そのような環境にある住宅とか職場は現実にはそう多くはありません。ましてや、大都会に住んでする場合には窓から外を見てもキロメトル単位の遠方を見ることは困難です。

それでも、例えば、高層ビルなどで働いている人の多くは窓を背中に向けて机を配置していますが、これを逆にして窓に向けて座れるように机の配置換えをすることなのです。勿論、高層ビルによってはそのような視界を望むのは無理があるかもしれしれません。私の経験では40台でかなりの視力が落ちて、眼鏡を必要とするような状態にあったのですが、当時わたしが働いていた浜松町の世界貿易センタの34階でしたので、机を窓に向けて仕事をしていました。その結果、ちょっと外に視野を変えると遠くの富士山が見えたりしていましたし、それ以外でもかなり遠方の景色を頻繁に見ることが出来ました。その結果一年後には視力がもとに戻り、眼鏡は不要となりました。

ですから、大都会の街の中に住んでいるような場合にはせめて、夜に星空を一時間単位で毎日眺めることです。

つまり、毎日そのような環境に生活していると近視とか老眼にはほとんどなりません。私はもう米寿ですが、私の現在の家屋環境がそのような環境にあるので、PCの仕事から頻繁に遠くの森や山を見ていますので未だに視力は0.9前後になっています。

このような遠近視対策を、毎日、少なくとも一日に数回実行できれば近視、老視は防げるのですが、実際に実行することはかなり難しいかもしれません。

いずれにしても、このような遠近視実行の効果に関しての医学論文は一つもありません。つまり、一般的な概念では、そのような遠近視療法を医学的に検討した眼科医は一人もいないのです。こ遠近視療法実施に関する問題点はその遠近の距離の程度、そしてその実行についての頻度、並びにその継続時間の三要因が大きな影響を及ぼすからです。現実にそのような二要因を医学的、疫学的に検討した論文はいまだ存在しておらず、多くの眼科医の記述でもそのようなときどき遠くを見れば多少は近視、老視の予防にはなるかもしれませんが、あまり期待は出来ません、のような記述しかないのです。

つまり、この「遠近視対策」の効果は、

    「遠くの距離(キロメトル単位)」 x 「一日の実行頻度」 X 「継続時間」 = この数値が高ければ高いほど効果が高いのです。

最近の新聞報道によりますと、裸眼1.0未満の小学生が過去最高の34%にまでなっているとのことです。今後はこのような傾向がさらに拡大し、青年になったらみんな眼鏡を必要する時代になるようです。

 

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