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2018年12月の記事

2018年12月14日 (金)

「人の名前がなぜすぐに出てこないのか」を考える

高齢化に伴って起こる一つの現象に「ものわすれ」があります。
多くの識者はこの「物忘れ現象」は認知症のはじまりだと説明しています。
しかし、このような「ものわすれ」現象を経験している人すべが認知症になるのかと言うとそうではありません。

この物忘れ現象は結果であって、原因でないことは誰でもわかりますが、ではその原因は何かとなるといろいろな要因が関与してきますので、その対策、理解は複雑なのですが、いろいろな本にこのことについての説明がまことしやかになされていますが、どれが自分にとっての正解なのかとの判断は難しく、また一般化できるものではないのです。

その理解のひとつとして何歳くらいからこの「物忘れ」現象がおるのかはそれぞれの人の性格、健康状態、家系、食事習慣、生活習慣など、ともかく極めて複雑な要因が絡んでくるのです。ところが「人の名前が出てこなくなった時に読む本」のような類の本がいろいろと出版されていますが、その内容はいずれも概念的なものであり、脳の機能の解説から始まって、食事内容、運動などいろいろな要因の関与が記述されています。勿論、それらの個々の要因も直接的、間接的に「ものわすれ」現象に関与するかもしれません。しかし、問題はそれらの本の読者それぞれの、家庭環境、食生活、職業、年齢などなどはまさに千差万別で必ずしもそれらの本に記述されている注意事項を実践すれば「ものわすれ」現象がなくなるかどうかは分からないのです。

さらに注意しなくてはならないのは「ものわすれ」現象、イコル「認知症」ではないのです。
「ものわすれ」現象が何歳ぐらいから出るのかはこれまた実に千差万別で、90才くらいから起こる場合もあり、その反対に60再前後から始まる場合もあります。

このような「ものわすれ」現象の経験時点での脳機能の詳細は不明なのですが、その一方、認知症となると完全な疾患状態であり、その時点での脳生理現象の解明などが進められていて、そのような認知症の人の脳生理、脳機能はどうなっていますなどとの論文がいろいろと発表されていますが、それらの成果はいずれも認知症との疾患と診断されていることになるのですが、その時点ではもう「ものわすれ」現象は全く意味がなさなくなっているのです。ですから、「ものわすれ」現象と認知症は完全に別物であり、物忘れ現象の人すべてがいずれかは認知症になるとは限らないのです。

では「ものわすれ現象」の段階での原因は何かを考えてみました。「ものわすれ」の具体的、典型的な現象はよく言われるように「人の名前が思い出せない」だと思うのです。でもこのような人の名前は、いったい誰のことを対象にしているのでしょうか。そのほとんどは数日前にあった人の名前とか、昔に逢ったことがある人の名前などが該当するかもしれません。この場合の「人の名前」ですが、その人とは今までに何回くらい逢っていたかとか、接触があったりして、その人の名前は何回となく使われていたかどうかがキイポイントなのです。例えば、二三回くらいしか逢ったことしかなく、しかもその時期はもう何か月前だと仮定すると、その人の名前が即座に出てこないかもしれません。勿論、この場合には年齢も関係してくることにもなりますが…。

でも、そのような状態になって、いゃ、最近はものわすれが顕著になりましてね。となるのですが、そのような人にもう何十年前に亡くなっている母親の名前はなんですかと聞くと、不思議なことにその人の母親の名前はすぐに口に出てくるのです。ではどうしてなのでしょうか。その人の母親はもう何十年前に亡くなっているのでそれ以降母親の名前を口に出すことがなかったのかもしれないのですが、その人の母親の名前はすぐに出来るのです。その原因は母親が生存していた時には母親の名前を日に何回となく記憶する機会があり、母親の名前は脳細胞に何回となく刻まれていたはずなのです。つまり、単なる年とともに経験し始める「ひとの名前が思い出せない」現象の原因は脳細胞にいかに頻繁に刺激としてその名前が残されていたか、その回数に左右されるのです。

しかし、このような説明を脳生理学的に証明することは殆ど不可能かもしれません。つまり、るある年齢に至ってから起こりえる「人の名前がおもいだせない」現象の大きな原因の一つは脳細胞にその名前が頻繁に刺激として残っていたかに左右されるのです。でも、このような現象を脳生理学的に解明することは困難かもしれません。

人の脳には何億と言う細胞が存在し、人の名前がそのどこかに一度刻まれるとその細胞に残っているはずなのですが、そのようなことを証明することはまず不可能かもしれません。しかし、例外的にそのような可能性を実証できことがあるのです。それはforensic hypnotismと言って法医学分野でも稀な領域が存在するのです。このことを説明すると、ある殺人事件で、犯人が自動車で逃げてしまったのですが、たまたま一人の女性がその逃亡の様子を目撃し、車の後ろ姿を目撃していたのです。しかし、その後に警察の聴取に際して、警官からその車の番号を覚えていますかと聞かれても、車での逃亡は一瞬の出来事であり、その車の番号までは覚えていません、と答えざるを得なかったのです。しかし、たとえ一瞬にしてもそのナンバ-プ-レは見ていたことは事実なのですか、すぐには記憶からその番号を口にすることは出来なかったのです。これは当然で、通常の場合にそのような一瞬の出来事を口に再現することは通常の場合には不可能に近いのです。ここで、警察はforensic hypnotism、つまり法医学的催眠術、の専門家を呼んで対応させたところ、その人の脳細胞内に刻まれていた車の番号を引き出すことが出来たのです。このようなことは例外の例外かもしれませんが、一回でも、一瞬でも、脳細胞に刻まれた情報は必ずどこかの細胞に残されていることになるのですが、通常の状態ではそのような一瞬の脳細胞へのインプットを引き出すことは不可能に近いのです。

  このことから言えることはたった一回くらいしか聞いていなかった人の名前はすぐには口に出てこないのが普通なのです。このことはなにを意味しているかと言いますと、もし、人の名前が何回となく頻繁に脳細胞に刻まれていれば、その回数に比例してすぐにでてくることがわかります。ですから、子供のころから母親の名前を何回となく聞いていればそれだけの量が脳のどこかの細胞に残っているはずなのです。もっとも、このような可能性を脳生理学的に証明することはいまだ不可能かもしれません。

  つまり、年齢とともに人の名前がすぐに思い出せなくなる大きな原因はその名前の脳への「インプットの回数」と「時間的経過」に左右されるのです。ですから、例えば、高齢になって、初めて会った人のなまえが数週間後にはなかなか口には出てこなくなるのは普通なのですが、そのようなときには、その人の名前を数日間何回と繰り返し口に出すことでその人の名前が脳細胞に何回となく刻まれることになり、それ以降は比較的簡単にその人の名前は口に出てくるものなのです。
  
このことから言えることは単なる年齢に影響されるかもしれない「人の名前がすぐに口に出てこない」現象はその名前の脳へのインプットの回数、つまり、「頻度」と、「時間的経過の」二要因によって左右されるのです。この二つの要因が高齢者になると一般的に減少してくるのです。勿論、この二つの要因のどちらかが欠けてしまえば、また「人の名前がすぐにはでてこない」状態に戻ってしまうのです。

  ここで注意すべきは「人の名前がすぐにでてこなくなる」現象と「認知症」との直接な関連性はないことです。勿論、歳とともに脳機能が衰えて、将来的には認知症になるかもしれませんが、その予防には食事・運動・習慣・呼吸などの影響もあるかもしれませんが、常に関心を以ていろいろな事実、事項などを脳に記憶させる習慣を身に着けることが重要なのです。出来れば、それらのいろいろな事象などを頻繁に口に出して表現することなのです。したがって、高齢者になって人との付き合いも減少し、人との会話も減少するような状態になってしまうと「人の名前が出てこない」現象から、認知症になってしまうのです。このような状態の典型例は高齢者施設に入所してしまうと人との会話が極端に減少してしまうのが普通なのですし、そのような施設ではそれぞれ各人の昔のことを話題にして会話を進める施設の人は殆ど皆無なのです。認知症は、発症すると治療法はないといわれていますが、現在の認知症対策の欠点はその人の脳細胞内に残っている過去の情報を引き出す努力を誰もしていないので、症状が進展してしまうのです。認知症になった人の脳内のいろいろな物質の減少や、異常物質の脳内沈着などが脳科学的に証明されていますが、これらの異常は「結果」であって「原因」ではないと私は考えるのです。
わたしの経験では
このように、なぜなのか、という原因論からまず「人の名前がなぜすぐに口にでてこないのか」という現象を理解すべきなのです。

追記 "2023 Sept.11)

確かに、年齢とともに人の名前がすぐにてでこなくなることはありますが、わたしの経験ではその人との接触時期、そして頻度も関係してくるのです。例えば、以前から長年にわたり接触してい場合では意外とその人の名前はすぐに出てくるのです。

2018年12月13日 (木)

外国人労働者の募集について

今後の日本での労働力不足が真剣に議論の対象となりつつあり、やれ技術実習生だとか語学留学生だとか名目だけの雇用で将来性はほとんどなく、数年後には帰国せざるを得ないという極めて将来性のない募集なのです。

これでは多くの外国人は二の足を踏んでしまい、また仮に日本に来ても悪い経験で帰国し、将来的には日本が嫌日感情を間接的に国外に輸出しているものとも捉えられるのですが、このような概念、理解は政治家にはないようです。いずれにしても日本にいる日本人では給料の点で問題があるので、外国人なら低賃金でも雇えるという極めて自己中心的な雇用概念なのです。

一般的には、労働力不足を補う基本は必要としている団体、企業がそれぞれに募集するのが基本であり、その対象は従来のような日本国内の人だけではなく今後はすべての外国人も同じように扱うことで解消出るのだが、どうしてこのような発想がないのか。

さらに不思議なのは、日系五世とかブラジルの日系人を対象にするとか、どうして意識的に日系人を念頭に置いているのでしょうか。確かに、日本には日本人しかいなかった時代に育った人たちには外国人労働者と言う概念そのものが異常なのです。

欧州でも労働人口が減少しつつあるのは日本と似たような状況ですが、欧州では必要とあればそれこそ外国の新聞広告などで広範囲に人を募集していることもあるのです。そこには一般社員としての概念で募集しているので、数年後には帰国してくださいなどの制限はないのです。

つまり、日本の雇用体系は賃金体系を日本人と外国人とで完全に区別、いゃ、差別てしいるのです。これではどのようにしても正規の外国人労働者という概念は日本には定着しないのです。なお、現在の欧州への大量の避難民と外国人労働者募集とを混同してはならないのです。

もっとも、日本に外国人労働者が定着、居住しては困るという概念が感情的には未だに日本人の間に潜在するのではないでしょうか。


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