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2018年2月の記事

2018年2月28日 (水)

あなたは「立ちション」派、それとも「座りション」派 ??

本来、男性のカラダは立って排尿すようにできているのです。つまり、「立ちション」派が生理的にも当然なのです。(o^-^o)

 

ところが最近は、「座りション」がかなり増えています。その原因は最近のズボンの形にあるのです。男性の最近のズボンはジ-ンズ・スタイルのものが多くなり、ズボンの股上が極めて短くなっており、したがって、ズボンの前開きのチャックがかなり短くなっているからなのです。ですから、従来の姿勢でズボンの前チャックを開けて放尿することが困難になってしまっているのです。ともかく最近のズボンは股上が15 - 12 cmくらいであり、ジンズ並みの短さなのです。そのようなズボンではチャックも当然短いので、タチションは不可能に近いのです。

すこし脱線しますが、そのような股上が極端に短いズボンが普通になっていますので、すこしお腹が出ている中年男性の場合には、大きくなった腹部の下にズボンのバンドが来るので、横から見るとズボンが極端に下になっていて、極めて格好が悪い

のですが、最近はそのような中年男性が至る所で見られます。

 

なお、最近の統計では「座りション」は四割近いとのことです。

 

基本的には立ちションで、尿を前へと飛ばすために、腹筋と骨盤底筋に力を入れて排尿しなければいけないところを、「座りション」だと体内で尿道が圧力で圧迫されてしまうのです。そのため、すべて出きらずに長い尿道の途中に、尿が残ってしまう可能性があるのです。

 

そのような結果として、「座りション」派の男性の場合にはさらに、排尿障害や前立腺肥大、前立炎症を起こす可能性があるとのことです。最悪のケースだと、この炎症から膀胱がんや精巣がんになる危険性も指摘されているのです。

 

このように考えると、男性の放尿の基本は「立ちション」なのです。そもそも男性が立ちションで便器の下に滴下させない努力をすれば問題はなくなるのですが、それにはまず家庭内での男性全員に対する教育が必要なのです。つまり、毎回の立ちションをした後に、まず下を見て、尿滴があれば紙で拭く、そして便器の上部もついでに紙で一回り拭く、くらいの習慣を持つようにさせるのが一番かもしれません。でもそのようなことをする男性はほとんどいないと思うのです。

 

立ちションで問題なのは便器の手前に垂れ落ちる尿滴以外でもあり、それは便器の周り、そして床に便のシブキが飛び散ることなのです。そのため目には見えない尿のシブキが毎回至る所に付着するので、毎回、トイレの紙で綺麗に便器の内側をトイレの紙でふき取ることが必要なのです。

 

この尿のシブキは多くの場合、なかなか目につかないことがあるのです。しかも、便器の構造によっては便器内の水たまりに小便を直射するとそれこそ目には見えないような微細なシブキが上部に飛び散るのです。

 

場合によっては、排尿のやり方によっては一メトルくらいの高さにまで飛び散るのです。ですから、普通の家庭内で男性が三人とか四人もいるとその家のトイレは毎回猛烈な尿シブキが舞い上がるのです。これがトイレを掃除する主婦の大きな悩みなのです。従って、そのような状況下では当然のことながら「立ちション禁止」となるのです。

 

もっとも、立ちションでの尿のしぶきを防ぐ簡単な方法があるのです。それは立ちションする前に、台所用の液状洗剤を数滴落としてから、立ちションをするのです。そうすると上からおちてくるの尿によって小さな泡がたち、その泡によって尿のシブキが飛び散ることがかなり防げるのです。ですから、立ちションをする人の家庭の便器のそばに小さい瓶に液剤をいれたものを置いておけば、小便をする時にはその数滴を垂らしてから放尿すると尿のシブキが飛び散ることがかなり防げるのです。

 

いずれにしても、家庭内での男性の立ちション問題は世界共通のようです。<

 

でもこんなことを気にするのは私だけかもしれませんね。ともかく、このような注意を立ちションする男性に求めるのは無理かもしれませんね。だって、普通の男性に立ちションするときにはこのようにしてくださいなんて言っても、無理だからです。ましてや、家庭内で男性が複数いる場合にはまずそのような要望は絶望的に不可能です。

 

..

 

 

2018年2月16日 (金)

日本は医薬分業ではなく薬局分業

医薬分業ではなく薬局分業

 

未だに医薬分業の問題がいろいろな場面で議論されています。でもどうして、いつまでも医薬分業の話題が絶えないのでしょうか。

 

その大きな原因は、そもそも日本で医薬分業が正式に取り上げられた時に薬剤師会の対応が極めて消極的で、大ナタを振る事が出来なかったことに由来するのです。(この間の事情については拙著「薬社会への処方箋」1997に記述しています)

 

ともかく、現在の日本の薬局の状態を分類すると、以下のようになるかもしれません。もっとも、似たような形態もありますが、少なくとも表現としての薬局は実にいろいろなものがあり、素人にはそれらの区別を正しく認識することは難しいのではないでしょうか。

 

ともかく薬を取り扱う営業形態に使われている薬局関連の表現には以下のようないろいろな名称が使われているのです。

 

a) 門前薬局
b) 門内薬局、敷地内薬局
c) 調剤専門薬局 (一番問題なのは調剤だけしかやらず、しかも場所によっては昼休みがあったり、週末は閉店のこともあるのが問題です。)
d) 調剤薬局 (多くの薬局はこのような看板を掲げています)
e) 非調剤薬局 (このような看板は見られないが、現実には薬局と言う看板を掲げていても、処方箋調剤を引き受けない薬局もみられるのです)
f) 保険薬局
g)健康サポト薬局 (2016/10から発足)
h) ドラッグストア (処方薬以外での一般医薬品の多くを取り扱っていますが、一般的には顧客が自分で選ぶ方式のものが多く、薬剤師が常駐していることはまれな場合が結構多いようです)
i) 通販薬店 (最近はインタネットでも手に入れることが出来る医薬品が増えているのではないでしょうか)
j) 薬種商 (薬種商販売業、都会にはそのような形態の店は見当たらないようですが、地方に行けばいまだ存在するのではないでしょうか)

このほかにも「調剤をするドラッグストア」が最近は増えていることなのです。これは明らかに医薬分業のそもそもの理念が日本では無視されているので、その逆にドラックストアの中で調剤だけをするとが可能になっているからです。ですから、今後、このようなドラックストアがどんどん増えると今までのんびりとしていた調剤専門の薬局はどんどん消滅することになるのですが、このような異常ともいえる日本の医薬分業に関しては日本薬剤師会はただ傍観しているだけなのです。もしかしたら、今後はドラッグストアがますます増え、日本には薬局がなくなり、いたるところにドラックストアがみられるようになるのです。こんな国は欧米には存在しないのです。

このような状況では医薬分業の本来の姿はいまだ日本では見受けられないのです。医薬分業の歴史的発祥地でもある欧州の薬局では処方箋薬をはじめとして、すべての医薬品を取り扱っており、在庫が無い場合でも数時間以内に卸が薬局にとどけてくれるような体制になっていますので、日本の薬局のように「すみません、うちにはその薬は置いていませんので…」のような対応は絶対にありえないのです。

 

ましてや、薬局に薬剤師が留守にすることはまさに違法になるのです。日本のように薬局に薬剤師が留守にする時の対応などが考慮されることは全くないのです。

 

ですから、日本の医薬分業議論は医薬分業ではなく、「薬局分業」論なのです。

 

でも、逆にこのような薬局分業の発想をプラスと捉えて、「高齢者薬局」とか「薬局サロン」のような形態のものに発展させてはどうだろうか。

 

ただ、医薬分業がいろいろと議論された結果として、導入された「お薬手帳」は確実に使われていれば極めて有意義な制度なのです。特に、最近では多剤投与の問題が大きく取り上げられていますが、この「お薬手帳」を上手に利用、活用すれば多剤服用に起因する『多罪』服用を防ぐことが出来る筈です。

 

なお、この「お薬手帳」制度を海外に発信し、世界に広める運動をなぜ薬剤師会は取らないのでしょうか。日本の薬剤師会はいつも外国の制度を参考ばかりしていますが、時には日本初の立派な提案を世界薬剤師会議あたりに提言してはどうでしょうか。

 

 

2018年2月15日 (木)

国籍法11条の解釈

国籍法11条の解釈

 

現在の国籍法11条の二項には「日本国民は自己の志望によって外国の国籍を取得した時は日本の国籍を失う」と表記されといるが、その後の対処に関してはなにも記載がないので、この条文の実施実務として考えられる手順は以下のようにいろいろと解釈することが出来るのです。

 

➀ 私が最初に考えたように、この条項は該当者は「自動的に外国籍を取得した時点で日本の国籍を失う」ので、その時点でもう日本人ではなく、外国人になっているので、国籍喪失届を外国人に対して提出してくださいとは言えない、と解釈できるのです。従って海外領事館はこの条文の履行に際しては、該当者の外国籍取得事実を確認し、記録に残し、そのデダを領事館自らが行政行為の一環として該当者の市町村に送付することにより、該当者の戸籍が消滅、つまり除籍、され、11条該当事項が完成する。

 

  問題点  該当市町村は海外領事館からの書類を以て、戸籍法に基づいて該当者の戸籍を消滅することになるが、このような領事館からの一連の業務は戸籍法には記載がない。つまり、戸籍法では戸籍喪失の手続きは国籍喪失届と言う書類が必要になるのではないだろうか。
   海外領事館が該当者の戸籍を実際に知る必要があるかどうかは、理論的には該当者の旅券発行時の書類には戸籍も明記されている筈なのです、ですから該当者に戸籍の記述を求めなくとも理論的には確認できるのだが、海外領事館は該当者に対して戸籍のデタも必要なので、国籍喪失届を出すことを求めている。
ところが、東京法務局の回答によると11条該当者は既に外国人であるので海外に居住する11条該当者には国籍喪失届の提出は求められないとも理解できるのです。

 

東京法務局でございます。
 お問い合わせいただいた件について回答させていただきます。
 鈴木様の御意見・お考えについては,お聞かせいただきましたが,当局は,鈴木様の御意見・お考えについて,それが正しいとか間違いとかいうことをお答えはしておりません。当局が御返答できるのは,行政庁としての当局が行っている事務の内容や法的手続になります。
 なお,日本国籍を喪失した者は既に外国人ですが,国籍喪失者本人が国内に居住する場合は,国籍喪失の届出義務があります。
 (連 絡 先)
 東京法務局民事行政部戸籍課
 〒102-8225 東京都千代田区九段南1丁目1番15号 九段第2合同庁舎8階
 TEL03-5213-1344  担当 斉藤 (平日9:00~17:45)

② まず、この条文が海外領事館で説明されるときには条文に無い「自動的に」という表現がしばしば使われているのです。つまり、自らの意思で外国籍を取得した時には自動的に日本の国籍を失うと解釈されているのです。このような説明で考えられるのは、もし外国籍を自分の意思で取得した時にはその時点で自動的に日本の国籍が無くなるものと考えるのが普通だと思うのですが、実はこのような解釈は海外領事館の見解によると間違いなのです。

 

どういうことかと言いますと、「国籍を失う」ということは「国籍を喪失する」と言うことではないのです。つまり「失う」と「喪失」とでは意味が異なり、また当然のことながら解釈も異なるということなのです。このような解釈は以下のようにドイツにある日本大使館の説明によっても明確にされているのです。

 

「鈴木様
 「国籍喪失届」は、「帰化」により日本国籍を喪失した人の最後の身分事項変更の届出と言えます。
 すでにドイツ国籍を所持し日本の国籍を喪失したと言っても、届出がなされ、それにより、戸籍に帰化により「除籍」と反映されないかぎり、「喪失」とは言えません。
  領事部 中嶋」

上記の領事館の説明によれば、そのような該当者は日本の国籍を“失っている“が、その事実を戸籍に反映させない限り、日本の国籍を“喪失している“ことにはならないのです。たしかに、戸籍が消されていなければその該当者はいまだ日本の国籍を喪失していないことになるということなのです。しかし、この理論には現実性がなく、戸籍がいまだ存在するから、「国籍喪失」にはならないという概念には一貫性が無いのです。例えば、ある人が死亡しても、その関係者が死亡届を出さなければ該当者の戸籍は存在するのですが、だからと言って、その該当者が生存していることにはならないのです。となると上記のような領事館の説明には妥当性が無いものとも解釈されるからです。

 

もっとも、このような解釈は、ある意味では一般的な法律、例えば、刑法の解釈にも当てはまるのかもしれません。つまり、殺人した場合には刑法により死刑になるが、殺人を犯した時点で自動的に死刑になることはないのです。つまり、その殺人と言う行為を証明することにより、殺人罪が成立し、死刑とするのであるとの理論に共通性があることになります。ですから、殺人を犯した時点で、自動的に殺人罪が成立するわけではないとの論理が
国籍法11条の場合にも当てはまることになります。

 

更に現実の問題として潜在的に大きく存在するのは、この海外の11条該当者が外国籍を取得したのだから日本の旅券はもう必要ないとして、日本の旅券をどこかにしまって、旅券の有効期間が切れてもその更新に領事館に出かけなければ、公式にはその該当者が日本の国籍を喪失しているという事実は表面化されず、従って該当者の戸籍は存在するのです。このような事例は意外と多いのですが、このような例では理論的には国籍法11条が死文化されていることにもなるのです。

 

なお、このような解釈は外務省も同じで、以下のような解説となっています。

 

投稿者 様
このたびは,外務省ホームページを御利用いただき,ありがとうございます。
御照会の件について,回答いたします。

政府において,日本国籍にかかる取扱いは,国籍法の定めるところによりなされており,国籍法の解釈をめぐり,同法を所管している法務省と外務省の見解に違いはありません。
自己の志望により外国の国籍を取得した方は,国籍法第11条に基づき日本国籍を喪失します。このような方については,戸籍を除籍する必要が生ずるため,戸籍法第103条第1項により,御本人,配偶者又は四親等内の親族が市区町村長に国籍喪失の届出をする必要があります。なお,戸籍法第40条により,その方が外国に在るときは,その国に駐在する日本の大使,公使又は領事に届け出ることができます。
戸籍法は外国に在る外国人には適用がないとされておりますが,この届出がされれば,御本人の戸籍に国籍喪失事項が記載され,国籍を喪失したことの証明(公証)となり,御本人が市区町村長に対して求めれば,国籍を喪失した事実が記載された戸籍謄本等の発給が受けられるようになります。我が国において,国籍喪失事項が公的に記載されるのは戸籍のみであり,ご自身の身分を安定させるためにも国籍喪失の届出は重要なものであることから,外国に在る日本国籍を喪失した方からの届出でも受理することができるとされています。
そこで,在外公館では,外国国籍をお持ちであることを認知した場合,それに気づいた時点で外国国籍取得の経緯をお伺いし,自己の志望によって外国国籍を取得したと考えられるときは国籍喪失届の案内を,自己の志望によって外国国籍を取得したものではないと考えられるときは,国籍選択の案内をしております。こうした御案内は,事務手続として該当する方々に等しく行っています。
なお,戸籍法では,戸籍の記載は届出に基づき行うことを原則とし(戸籍法第15条),身分変動等のあった者や一定の関係者に届出義務を課すことで戸籍の真実性を担保しようとしています。また,公的機関等から市区町村に対し通知をする際にも,その身分変動が生じた公的書面を添付しなければなりませんが,外国国籍を取得した際の帰化証明書や国籍取得証明書はその本人が所持しているものであることから,まず一次的には御本人等から届出を行っていただくことになるものと考えます。
 以上につきまして,御理解いただければ幸甚です。
平成30年2月 外務省領事局領事サービス室 戸籍国籍班 電話(03)3580-3311(内線3186)

③ 一方、法律を管理している日本の法務局の解釈は上記のような海外領事館の対応とは全く異なった解釈を示しているのです。

メールを拝見いたしました。
 日本の国籍法第11条第1項は,「日本国民は,自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは,日本の国籍を失う。」と定めています。すなわち,自己の意思により外国の国籍を取得した日本国民(典型例としては,外国に帰化した方)は,当該外国国籍取得の事実をもって直ちに日本国籍を喪失することになります。
 したがって,在スイス日本国大使館の説明は,正当なものであると考えます。
 なお,国籍喪失届は,既に発生した国籍喪失の事実を戸籍に反映させるという報告的な目的のための届出であり,当該届出が受理されること又は戸籍に記載されることをもって,国籍喪失の効果が発生するという性質のものではありません。
法務省民事局民事第一課         
担当 国籍第一係 本山     
TEL.03(3580)4111(内2451)


この法務省の解釈では国籍喪失届そのものはたんなる事務的なものであって、国籍法そのものが決定的な国籍喪失の要因、条件であり、戸籍そのものの存在は二次的なものでると解釈できます。このことは戸籍が残っていようがいまいが、それはあくまでも二次的なもので、重要なのは国籍法11条該当者であることがその事実を持って国籍を失うことになると解釈できるのです。この概念は私が、最初に考えたように①に述べたようになるのではないかと理解するのです。

 

ただ、この法務省の解釈でも私が考えている11条該当者はその時点で外国人になっているとのことにたいしては肯定的な意見と解釈できるのですが、国籍喪失届の提出については外務省が説明しているとおりであるとの見解なのです。つまり、両者の間には一貫性がないものと理解できるのです。この法務省の解釈を演繹します。②に言及しましたような潜在的な国籍喪失者も、国籍喪失届の提出がなく、戸籍も存在していても既に国籍を失っていることになる訳です。ちなみに、例のペル大統領だったフジモリ氏は国籍法11条該当者であったにも係わらず、戸籍があることを理由に日本政府が日本の旅券を交付していたこと自体が、国籍法、戸籍法違反なのですが、あの当時は、首相をはじめとして誰も国籍法とか戸籍法についての言及はなかったのです。いゃ、言及がなかったというよりは、誰もその存在を知らなかったということが出来るのです。

 

以上三点の問題点に関連して言えることは外務省と法務省との見解について、国籍喪失届の提出を該当者に求めることは間違いないとされているのですが、東京法務局の見解とは異なるのです。

なお、基本的な問題として「自己の志望」という表現なのです。もし、自己の志望ではなく、外国籍を取らざるを得ない環境下で、外国籍を取得した場合には、「自己の志望」には該当しないので、たとえ外国籍を取得しても日本の旅券は更新されるべきと判断できるのですが、殆どの領事館の対応はそのような説明、解釈は一切せずに外国籍をも持っている人に対して日本の旅券の更新を拒絶しているのが現状なのです。これは明から11条の曲解であり、またこの条文を正しく理解していないことにもなるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年2月 4日 (日)

国籍法11条と戸籍法との関連性

国籍法11条と戸籍法との関連性

日本に住んでいる本来の日本人にとっては国籍法のような全く関係のない法律もあるのです。日本も法治国家であるので実にたくさんの法律が存在しますが、その中でも例外として本来の日本人にとっては全然関係のない法律があるのです。それは国籍法という法律なのです。勿論、日本人と外国人との関連に関しては国籍法も関与してきますが、外国人との関与が全くない本来の日本人に関しては国籍法は全く関係がない法律の典型例なのです。

日本の国籍法によると「自己の意志で外国籍を取得した場合には“自動的“に国籍を失う」と規定されているのです。(国籍法11条) もっとも、この条文には「自動的」という表現はありませんが、法務省のホムペイジには「自動的」という表現が使われています。

しかし、この国籍法の規定の周知度はゼロに近く(それは当然で、国籍法というものは日本に居住している日本人に関しては全く関係のない法律だからです)、また行政もそのような存在の広報などは100%していないのです。

ところが在外日本人が何らかの事情(職務上、行政上、国際性意識など)から「自らの意思」で滞在国の国籍を取得した時に起因する日本国籍喪失についての知識は殆どの在外日本人が認識していないのです。当然のことながら、日本の政治家、知識人などもその意味するところの理解は全く欠如しているのです。その典型例は、フジモリ元ベル大統領が日本に避難してきたときに当時の政府は、あっ、フジモリさんは日本にいまだ戸籍があるので、日本の旅券を出してもよいですよ、いとも簡単に対処していたのです。つまり、そのことに関与した日本の政治家は国籍法の知識は全くゼロだったのです。ところが、国籍法そのものの存在について、在外日本人が国籍喪失の事実を知らされたときに対する驚きに対して、そのようなことを表明すると在日日本人はそんなことは当然でしょ、ちゃんと国籍法に記載があではないですか、のような反論をいとも簡単にしているのですが、そのような人も国籍法そのものをその時点では全く読んだことなく、、全く理解していないのです。

そのような在外日本人がある日、自分が所持している日本の旅券の有効期限が切れたので、海外公館に出向いて旅券の更新を申請しようとした時に、通例の場合には、領事館はその人の該当国での滞在許可証の提示を求めるのですが、居住国での国籍を取得している時には当然ながらその国での滞在許可証は必要がなくなっており、したがって、その結果としてそのような滞在許可証は所持していなのです。

そうなると、領事館は国籍法11条に基づきもうあなたは日本の国籍を失っていますので、日本の旅券の更新はできませんと断られ、そこで初めて事の重大性を認識させられることが殆どなのです。それは当然で、在外日本人にとって、日本の旅券があることは日本人であることの唯一の証明書になるからです。考えてもて下さい、ある日突然に日本人であることが否定されてしまうことが如何に重大であるかということを。でも、このような経験は在日日本人には全く理解できないのです。

このように、在外日本人を含めて殆どすべての日本人は国籍法11条の存在、その意義などを全く認識していないからなのです。さらに最悪なのはこのような事態に直面する可能性のある日本人は海外に居住している日本人に限定されていることなのです。


更に問題なのは、国籍法に基づいて日本の国籍を失っても、その時点では日本の戸籍は厳存するので、日本で旅券の更新、再交付を考えれば再び旅券が手に入ると考えている人もかなりいるのですが、そうすることは厳密には戸籍法違反、そして旅券法違反になるのです。もっとも、日本で旅券の再交付をすれば旅券が手に入ると簡単に考えて、日本でのそのような該当者が一時的に旅券の交付を考慮しても、最近では日本での住民証が無いと旅券交付は困難、不可能になるのです。

なお、このような事務処理は全ての海外領事館が同じように対処しているかと言うと、それぞれの国の領事館員の裁量に任されている場合もあるのです。もっとも、厳密には十年位前まではそのような自由裁量処置をとっていた大使館員もいたのですが、最近ではそのようなことはほとんどなくなりました。


ここで多くのそのような該当者が考えるのは、戸籍がいまだ残っているので、自分は日本人であり、当然のことながら旅券を交付して貰えないのはおかしいと考えるのです。しかし、このことに関連して、以下のような類似例があるのです。

それはある人が死亡した時には当然ながら戸籍法第86条により、 死亡の届出は、届出義務者が、死亡の事実を知った日から7日以内(国外で死亡があつたときは、その事実を知った日から3箇月以内)に、この届をしなければならないとなっているのですが、もし、関係者がそのような死亡届を提出しなければ当然その死亡者の戸籍は存在するのです。でも、だからといってその人がいまだ生存しているとは誰も考えません。つまり戸籍がいまだ残っているが、生存している(国籍法の該当者の場合にはいまだ日本人である)ことにはならないのです。これは当然のことなのです。

戸籍法によるとその第132条には、「戸籍の記載又は記録を要しない事項について虚偽の届出をした者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する」。また、第135条には「正当な理由がなくて期間内にすべき届出又は申請をしない者は、5万円以下の過料に処する」となっているのです。でも、罰金を払えば戸籍は存続するかと言うと、死亡の場合には実際には死亡届を遺族自身が記入提出するケースは少なく葬儀業者に依頼する場合がほとんどであるようで、これがなされていない場合には火葬許可証が下りないのが現実なのです。

一方、国籍喪失者が自ら戸籍法に基づいた国籍喪失届を提出すことになっているのですが、ここで疑問になるのは国籍法11条該当者の場合にはその時点でもう国籍を失っている(法務省の見解)ので、国籍喪失届を出す対象者にはもうなっていないと理解できるのです。つまり、その時点で該当者はもう日本人ではなく、外国人になっているので、外国人に対して日本の国籍喪失届を出しなさいということには不合理性が存在するのですが、このことに関しては誰も異議を挿まないのです。

むしろその逆で、海外公館(外務省の出先機関)は「本人の志望により外国国籍を取得した場合、取得をした時点で日本国籍は失われるため、国籍喪失届を提出し戸籍に反映する必要があります」と広報していることなのです。これは明らかに領事館の誤解、曲解なのですが、もっとも、法務省のホムペイジにも明確に国籍喪失届の提出も記載されていますがね具体的にどのようにするかはめいりょうにしていません。。

死亡の場合の届け出は近親者が出すことが求められ、国籍喪失の場合には該当者自身がその届を出すことが海外公館による広報されているのですが、このような対応は間違っているのです。

海外公館がとるべき正しいやり方は、国籍喪失者の場合には領事館がその事実を該当者の外国籍から確認し、その事実を該当者の市町村に届けることにより、戸籍が無くなるのですが、このような正しい対処をしている海外領事館は全くゼロなのです。

いずれにしても、在外日本人が無意識に自身の目的の結果として、外国籍を取得するとその時点で「自動的」に日本人ではなくなることを認識している日本人は殆ど皆無なので、外国籍を取得する前に熟慮することが必要なのです。しかし、日本人が海外に出かけるときに手にする旅券にはそのような注意事項は全く記載されていません。つまり、国籍法11条の周知度はゼロに近いのです。
このことを訂正するためには国籍法11条を改正するしか方法がないのです。


外国籍取得の意義、 国籍法11条の影響

外国籍取得の意義、 国籍法11条の影響

 

日本に生活している本来の日本人にとっては日本の国籍という概念を身近に考える機会はほぼゼロだと考えられるのです。いゃ、全くないはずです。

 

しかし、場合によっては在日日本人が意図的に外国籍を取得することがあります。その典型例はスポツ関係者かもしれません。例えば、「猫さん」のようにマラソン選手としてカンボジャから出場するためにカンボジャの国籍を申請、入手していることがあります。国籍を変えるという大胆な方法で、マラソンのカンボジア代表になり、リオ五輪に出場した猫ひろしさん。しかし、当然のことながら「猫さん」は国籍法11条により日本の国籍を自動的に消滅させられているのです。もっとも、「猫さん」が自ら「国籍喪失届」を提出していなければ、戸籍は残っていることになるのです。

 

この場合は自らの意思で積極的にカンボジャ国籍を申請、取得しているのですが、このような例は極めて稀で、在外日本人の場合には外国籍取得と言うことは不本意な場合が殆どなのです。

 

在外日本人が滞在国でいろいろな分野で活躍する今日のような時代には、それらの分野は、海外にある日本企業以外にもその活躍範囲は極めて広大になっています。たとえば、研究者として、経済人として、国際人として、など色々な分野がありますが、場合によってはその滞在国での国籍を持っていないとそれらの活動に制限が課される場合もあるのです。

 

その典型例として、LEDの発明でノベル賞を受賞した中村さんはアメリカの大学で現在も研究を継続されていますが、その研究内容によって外国人である場合、アメリカ政府からの研究費が得られないのでやむを得ず米国籍を取得し、結果的には現在の国籍法11条により、自動的に日本の国籍を失う、つまり日本人であることを消されているのです。しかし、中村さん自身は私はいまでも日本人ですと公言しているのです。それは当然で、本来の日本人が本人の意思に反して日本人であることを消されてしまうという非人間的な結果は簡単には受け入れられないのです。

 

つまり、在外日本人が海外でいろいろな分野で活躍する場合、時として外国籍が無い場合にはそのような活動が出来ない場合があるのです。そのような例として、例えば居住国での地域社会に貢献したい場合にはその国の国籍が無いと出来ないとか、米国では、国籍がないと配偶者の死により受ける相続の税率が変わったりと様々な問題が出てくるので仕方なく米国籍を取得する者がいますが、配偶者の死後は日本で暮らしたいと考えているのに、国籍を奪われてはまた再申請など大変です。

 

このように在外日本人の一番大きな問題、悩みはある条件下では国籍を失う、つまり日本人で無くなるという法律の存在なのです。つまり、在外日本人が以下のような関連要因で外国籍を得ることは結果的には日本の国籍を失う、つまり日本人ではなくなるということなのです。このような心理的、感情的、人間的な葛藤は在日日本人にはまったく理解が及ばないのです。

 

このようないろいろな原因を以下のように纏めることが出来るのです。
【結婚】 外国人と結婚することにより、一部の国では当然のこととして該当国の国籍が結婚の届け出に伴って無条件に与えられることがある(もっとも、最近の情勢では「与えられることもあった」となります)のです。つまり、結婚という「原因」があると、その「結果」として、該当国の国籍が得られるのです。このことは、もし結婚という「行動」「原因」が無ければ当然のことながら外国籍は得られないのです。外国人と結婚するということは自己の意志であり、その結果として一部の国ではその居住国での国籍が自動的に付与される場合があるのですが、このような場合も理論的には自己の意志で外国籍を自動的に得ることを暗黙の了解で実行していることにもなると解釈することが出来るのです。このような解釈は一部の憲法学者が使う「擬制」に該当するのです。

 

【職業上】 例えば、海外の大学とか研究所にて何らかの研究を続行するために、該当国から研究費などを獲得するためにはその国の国籍が無いと不可能な場合もあり、そのような場合には研究費の獲得という「目的」の為に該当国の国籍を手に入れることになる。つまり研究費の獲得という「原因・目的」の為に便宜的に外国籍を獲得するという「結果」になる場合がある。その典型例としてはノ-ベル賞などの日本人受賞者の場合がこれに該当します。

 

【行政関与】 該当国に長く居住している結果、該当地区、該当国に何らかの行政的な貢献を果たしたいという「原因・目的」から該当国の国籍を取得する「結果」に至る場合もしばしば知られている。

 

【人間性関与】 外国に長らく居住していることにより、様々な人間性問題が関与する事態(「原因」)に遭遇することがあり、その「結果」として、該当国の国籍を入手せざるを得ない場合となることもある。 たとえば、一部の高齢者施設に入所するにはその国の国籍所有者に限るという場合があったり(スイス)、或いは家族の墓地に自分が亡くなった場合、一緒に埋葬してほしい(「原因」)との願いがあっても、一部の墓地では外国人を一緒に埋葬されない場合(リヒテンシュタイン)もあり、さらには国によっては該当国の国籍がないと配偶者の死により受ける相続の税率が変わったり(アメリカ)、など色々な要因が存在するのです。このほかにも、在外日本人が滞在国の国籍を入手せざるを得ない原因には数多くいろいろあるのですが、それらの行為はいずれも必然性の高いものであり、在日日本人には全く想像、理解も出来ないことなのです。
 

いずれにしても、海外在住日本人にとっては国籍、つまり日本人であることの証明は国籍、現実的には日本の旅券の存在なのです。一方、国籍、旅券とは全く関係のない日本国内で生活している日本人には海外在住日本人の国籍問題に関しては、外国籍取得と言う行為に対して必ず、ネガティブの要因、つまり、外交権、兵役が取り上げられ、外国籍共有に対するネガティブな反論が起こるのです。しかし、物事にはネガティブな面があれば、必ずポジティブな面があるのです。特に海外で生活、活動しているというポジティブな面については外国籍共有に対する反対者は、疑念者、はそのようなが以外で活躍している日本人のポジティブな面には全く考えが及ばないのです。

兵役に関しては滞在国の規則に従うのが当然であり、税金なども滞在国の制度に従うことになるのです。

日本では国籍問題、簡単に言うと、重国籍になること、についての反対者の論議は、兵役、税金、が常に挙げられるのです。しかし、こんな簡単なことが海外の日本人に限ってあげられるのですが、全く意味がないのです。兵役に関しては、その国の国籍を有すれば当然の義務になることは常識なのです。さらに問題なのは日本の国籍を維持していても日本には一銭も税金を払わらないのはおかしい、となるのです。もし、そのような理屈が通るのなら、例えば、埼玉県民が東京の会社に勤務し、その会社から収入を得ている場合には、税金は当然のことながら東京で払うべきとの理屈になるのです。そんなことを日本で解説、説明したら笑われますよ。税金は居住地で申請、納税するのが常識だからです。つまり、重国籍者でも税金はその人の滞在国で払うのが常識なのです。

一方、外交権、つまりなにか問題が起きた時には日本政府としては海外在留邦人、特に重国籍者の場合の対処が問題になるかもしれませんが、基本的には日本政府は海外在住邦人の外交的保護権は軽視ないし、否定しているのです。その証拠に、現在の旅券の最初の頁にその旨が書かれているのです。

2018年2月 3日 (土)

国籍法11条と日系ノ-ベル賞受賞者

国籍法11条と日系ノ-ベル賞受賞者

殆どの人はこのような三つの要因の関連性について理解できないかもしれません。つまり、国籍法、日系人、ノベル賞とはどんな関連があるのかすぐには理解できないと思うのです。ところが大ありなのです。
国籍法11条では本来の日本人が何らかの理由から外国籍を取得すると、自動的に日本の国籍が消され、日本人ではなくなることなのです。

ところが、今までにノベル賞を受賞した日本人のなかでは数人の人が受賞時には外国籍を取得していて日本人ではなくなっているのにも関わらず、日本の新聞や安倍さんなどは日本人が受賞したとして無条件に取り扱っているのですが、このことは首相をはじめとして日本のマスコミは国籍法11条のことを全然知らないのか、或いは無視しているのです。

その典型例の一つとしては例のLEDを発明してノベル賞を得た中村さんは、ノベル賞を受けた時は米国籍を職業上の理由から所得せざるを得ない状態であってので、結果的には国籍法11条に基づいて日本の国籍が剥奪されているのです。しかし、当のご本人は自分は日本人であると談話でも明言しているのです。それは当然で、たまたま職業上の理由から外国の国籍を取得にしたにすぎず、日本人であることには全く変化がないし、当然のことながら日本人と捉えていることには誰でも反対することは出来ないはずです。

ところが、現在の国籍法11条の規定により、中村さんは米国人になっているのです。つまり、中村さんは日系アメリカ人と言うことになるのですが、日本人は誰もそのような解釈、理解はしていないのです。

ですから、現在の国籍法11条が存在する限り、中村さんはノベル賞を受賞した日系アメリカ人一世になるのですが、なぜかこのような理解は日本では受け入れられていないようです。中には、いゃ、理論的にはそうかもしれないが、彼がノベル賞を受賞した対象となっているLEDは彼が日本に居るときに成し遂げたものであるので、当然のことながら日本人が発明したものと捉えても無理が無いから、中村さんはやはり日本人のノベル賞受賞者であるとの詭弁を使っているのです。

もしこのような詭弁がまかり通るならば、同じくノベル賞を受賞した利根川さんはノベル賞受賞の対象となった研究はスイスのバゼルにあった免疫学研究所でなされたものなので、日系スイス人になるのかもしれません。なにしろ、利根川さんがノベル賞を受賞した時にはこの免疫学研究所の全員が我々の研究所からノベル賞受賞者が出たと大喜びしていたのです。

しかし、昨年にノベル賞文学賞を受賞した石黒さんは英国籍を青年になってから取得していたのですが、当然のことながら国籍法11条により日本の国籍を消滅させられていたので、当然のことながらマスコミは日系英国人と一斉に報道していましたが、誰もそのことには異議を唱えず、さらに最悪なのは事もあろうに彼の名前はカタカナ表記に統一されていたのですが、このことに関しては誰も異議を捉えていないのです。

そうなると、なぜ石黒さんと中村さんとをそのような区別、或いは差別をしているのでしょうか。でも、イシグロさんの場合にはなぜ100%そのような特別な解釈をしているのでしょうか。もしかすると、昨年はファンが期待した村上春樹氏や自然科学系の日本人研究者は受賞に至らなかったので、やっかみ半分も手伝って、イシグロとカタカナ表記にしたのかもしれません。

イシグロさん並みに理解すると前記の中村さんはナカムラさん、とカタカナ表記をすべきなのですが、日本のマスコミは全然そのようなことはしていません。全く支離滅裂な理解を呈しているのです。

いずれにしても、現在の国籍法11条を尊重するならば、LEDの中村さんは日系アメリカ人ナカムラ・シュウジと書かなければならないのですが…。

その他にも米国籍を持っている日本人ノベル賞受賞者はいるのですが‥‥。

更に問題なのは、このような国籍11条該当者は理論的には日本の国籍を失って、もう外国人になっているのですが、それぞれの滞在国の日本の領事館はそのような事実を当人から書面で確認し、該当市町村にその事実を提出していないので、従って、イシグロさんやナカムラさんの戸籍はそのまま残って居る筈なのです。

本当に、日本のマスコミは身勝手な解釈をしているものです。

2018年2月 2日 (金)

政治家やお役人の頭の良さ

政治家やお役人の頭の良さ

政治家などが国会などの答弁で、のらりくらりと返答して相手をごまかそうとしてことは別に目新しいことではないが、それと似たようなことも意外と似たような結果をもたらしているのです。

例えば、例の学校法人・森友学園(大阪市)への国有地売却問題をめぐる会計検査院の調査について、学園側との交渉内容について、財務省は国会で説明を求められるたびに「記録がない」などと答弁。交渉経緯を調べていた検査院に対しても、検査がほぼ終了して報告がまとまった段階で資料を提出していたことになる。そして財務省は、その後の情報開示請求への対応の中で文書の存在が判明し、「可能な限り速やかに提出した」と釈明したことです。

このような姑息の対応は明らかに意識的になされたものなのですが、もしその責任を問われれば、「いゃ、ちゃんと調べて報告しいますよ」、となるのです。

いずれにしても国会での答弁にはまさにいろいろな詭弁が介在するのです。

このような詭弁に関して、以下のような話があります。
ある自動車の運転手が運転中にハンディで電話しているのを警官に見られ、注意を受けた時に
「いゃ、私は電話なんかしていませんよ、電話をしたのは私の母なのです」と答えとか、まさに政治家が見習うべきの発言ではないでしょうか。

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