外国籍取得の意義、 国籍法11条の影響
外国籍取得の意義、 国籍法11条の影響
日本に生活している本来の日本人にとっては日本の国籍という概念を身近に考える機会はほぼゼロだと考えられるのです。いゃ、全くないはずです。
しかし、場合によっては在日日本人が意図的に外国籍を取得することがあります。その典型例はスポツ関係者かもしれません。例えば、「猫さん」のようにマラソン選手としてカンボジャから出場するためにカンボジャの国籍を申請、入手していることがあります。国籍を変えるという大胆な方法で、マラソンのカンボジア代表になり、リオ五輪に出場した猫ひろしさん。しかし、当然のことながら「猫さん」は国籍法11条により日本の国籍を自動的に消滅させられているのです。もっとも、「猫さん」が自ら「国籍喪失届」を提出していなければ、戸籍は残っていることになるのです。
この場合は自らの意思で積極的にカンボジャ国籍を申請、取得しているのですが、このような例は極めて稀で、在外日本人の場合には外国籍取得と言うことは不本意な場合が殆どなのです。
在外日本人が滞在国でいろいろな分野で活躍する今日のような時代には、それらの分野は、海外にある日本企業以外にもその活躍範囲は極めて広大になっています。たとえば、研究者として、経済人として、国際人として、など色々な分野がありますが、場合によってはその滞在国での国籍を持っていないとそれらの活動に制限が課される場合もあるのです。
その典型例として、LEDの発明でノベル賞を受賞した中村さんはアメリカの大学で現在も研究を継続されていますが、その研究内容によって外国人である場合、アメリカ政府からの研究費が得られないのでやむを得ず米国籍を取得し、結果的には現在の国籍法11条により、自動的に日本の国籍を失う、つまり日本人であることを消されているのです。しかし、中村さん自身は私はいまでも日本人ですと公言しているのです。それは当然で、本来の日本人が本人の意思に反して日本人であることを消されてしまうという非人間的な結果は簡単には受け入れられないのです。
つまり、在外日本人が海外でいろいろな分野で活躍する場合、時として外国籍が無い場合にはそのような活動が出来ない場合があるのです。そのような例として、例えば居住国での地域社会に貢献したい場合にはその国の国籍が無いと出来ないとか、米国では、国籍がないと配偶者の死により受ける相続の税率が変わったりと様々な問題が出てくるので仕方なく米国籍を取得する者がいますが、配偶者の死後は日本で暮らしたいと考えているのに、国籍を奪われてはまた再申請など大変です。
このように在外日本人の一番大きな問題、悩みはある条件下では国籍を失う、つまり日本人で無くなるという法律の存在なのです。つまり、在外日本人が以下のような関連要因で外国籍を得ることは結果的には日本の国籍を失う、つまり日本人ではなくなるということなのです。このような心理的、感情的、人間的な葛藤は在日日本人にはまったく理解が及ばないのです。
このようないろいろな原因を以下のように纏めることが出来るのです。
【結婚】 外国人と結婚することにより、一部の国では当然のこととして該当国の国籍が結婚の届け出に伴って無条件に与えられることがある(もっとも、最近の情勢では「与えられることもあった」となります)のです。つまり、結婚という「原因」があると、その「結果」として、該当国の国籍が得られるのです。このことは、もし結婚という「行動」「原因」が無ければ当然のことながら外国籍は得られないのです。外国人と結婚するということは自己の意志であり、その結果として一部の国ではその居住国での国籍が自動的に付与される場合があるのですが、このような場合も理論的には自己の意志で外国籍を自動的に得ることを暗黙の了解で実行していることにもなると解釈することが出来るのです。このような解釈は一部の憲法学者が使う「擬制」に該当するのです。
【職業上】 例えば、海外の大学とか研究所にて何らかの研究を続行するために、該当国から研究費などを獲得するためにはその国の国籍が無いと不可能な場合もあり、そのような場合には研究費の獲得という「目的」の為に該当国の国籍を手に入れることになる。つまり研究費の獲得という「原因・目的」の為に便宜的に外国籍を獲得するという「結果」になる場合がある。その典型例としてはノ-ベル賞などの日本人受賞者の場合がこれに該当します。
【行政関与】 該当国に長く居住している結果、該当地区、該当国に何らかの行政的な貢献を果たしたいという「原因・目的」から該当国の国籍を取得する「結果」に至る場合もしばしば知られている。
【人間性関与】 外国に長らく居住していることにより、様々な人間性問題が関与する事態(「原因」)に遭遇することがあり、その「結果」として、該当国の国籍を入手せざるを得ない場合となることもある。 たとえば、一部の高齢者施設に入所するにはその国の国籍所有者に限るという場合があったり(スイス)、或いは家族の墓地に自分が亡くなった場合、一緒に埋葬してほしい(「原因」)との願いがあっても、一部の墓地では外国人を一緒に埋葬されない場合(リヒテンシュタイン)もあり、さらには国によっては該当国の国籍がないと配偶者の死により受ける相続の税率が変わったり(アメリカ)、など色々な要因が存在するのです。このほかにも、在外日本人が滞在国の国籍を入手せざるを得ない原因には数多くいろいろあるのですが、それらの行為はいずれも必然性の高いものであり、在日日本人には全く想像、理解も出来ないことなのです。
いずれにしても、海外在住日本人にとっては国籍、つまり日本人であることの証明は国籍、現実的には日本の旅券の存在なのです。一方、国籍、旅券とは全く関係のない日本国内で生活している日本人には海外在住日本人の国籍問題に関しては、外国籍取得と言う行為に対して必ず、ネガティブの要因、つまり、外交権、兵役が取り上げられ、外国籍共有に対するネガティブな反論が起こるのです。しかし、物事にはネガティブな面があれば、必ずポジティブな面があるのです。特に海外で生活、活動しているというポジティブな面については外国籍共有に対する反対者は、疑念者、はそのようなが以外で活躍している日本人のポジティブな面には全く考えが及ばないのです。
兵役に関しては滞在国の規則に従うのが当然であり、税金なども滞在国の制度に従うことになるのです。
日本では国籍問題、簡単に言うと、重国籍になること、についての反対者の論議は、兵役、税金、が常に挙げられるのです。しかし、こんな簡単なことが海外の日本人に限ってあげられるのですが、全く意味がないのです。兵役に関しては、その国の国籍を有すれば当然の義務になることは常識なのです。さらに問題なのは日本の国籍を維持していても日本には一銭も税金を払わらないのはおかしい、となるのです。もし、そのような理屈が通るのなら、例えば、埼玉県民が東京の会社に勤務し、その会社から収入を得ている場合には、税金は当然のことながら東京で払うべきとの理屈になるのです。そんなことを日本で解説、説明したら笑われますよ。税金は居住地で申請、納税するのが常識だからです。つまり、重国籍者でも税金はその人の滞在国で払うのが常識なのです。
一方、外交権、つまりなにか問題が起きた時には日本政府としては海外在留邦人、特に重国籍者の場合の対処が問題になるかもしれませんが、基本的には日本政府は海外在住邦人の外交的保護権は軽視ないし、否定しているのです。その証拠に、現在の旅券の最初の頁にその旨が書かれているのです。
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