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2017年5月の記事

2017年5月30日 (火)

あなたは「ニッポン人」派、それとも「ニホン人」派??

あなたは「ニッポン人」派、それとも「ニホン人」派??

 

カタカナ表記の複雑性

 

現在の日本語にはかなりのカタカナ表記が氾濫していますが、誰もその妥当性については関心を持っていないようです。カタカナ表記の場合、その表記は殆どが英語に由来するのですが、場合によっては必ずしもそうでないこともあるのです。

 

例えば、外国通貨は「ドル」であり英語読みの「ダラ-」dollarではないのです。

 

その他にも「オペラ」は英語の0per、つまり「オ-バ-」なのです。なぜなのでしょうか。

 

このほかにもいろいろと似たような例は日常表現としてカタカナ表記が沢山あるのです。

 

このような観点から、カタカナ表記の妥当性を考えると、意外と日本語の場合にもあてはまることがあるのです。例えば、日本の通貨、「円」はカタカナ発音ではほとんどの人が「エン」だとおもうのですが、これは正式にはYen、つまり「イェン」なのです。また、日本は正式なのは「ニッポン」なのですが、私は普段何気なく「二ホン」と発音しています。ところが、ここで正式にと言ったのは日本のお札にはNippon, Yenと印刷されているのです。つまり、Nihon, Enではないのです。

 

でも、こうなると銀座の真ん中にある「日本橋」は「ニホンバシ」ではなく、「ニッポンバシ」になるのでしょうか。

 

似たような問題は「」外人」と「外国人」との使い分けにもあります。もっとも、この場合はカタカナ表記とは関係ないのですが、その使い分けがなんとなく区別されているのではないでしょうか。つまり、「がいじん」は欧米人を念頭においており、そして「がいこくじん」はそれ以外の人たちを無意識に理解しているのではないでしょうか。例えば、東南アジアの人たちに対しては「外国人」が使われ、「外人」は使わないのではないでしょうか。

 

 

 

2017年5月11日 (木)

「わが闘争」と「日本人慰安婦」との間には共通性がある

教材としての教育勅語に関連した「わが闘争」と「日本人慰安婦」との間には共通性があると言ったら多くの人は一笑に付すかもしれません。でも、よく考察するとこの二つの話題にはある共通性があるのです。

 

それはマスメデイア、つまり日刊新聞が全く触れていないことなのです。もっとも今日のようなIT社会ではなにも日刊新聞を読まなくとも、インタネットで直ちに情報が得られるので、知っている人は知っているのですが、新聞しか読まない人たちにとっては最近の「教育勅語」に関連して、政府がヒットラ-の「わが闘争」を例にとって、そのような本の内容の一部を教材に正しく使っても可ですとの報道が一般の日刊新聞には全く報道されていないので、いきなり「わが闘争」のことが話題になってもどうしてそのような本が問題なのか分からないのです。でも、なぜなのでしょうか。

 

それと同じような例外は日本人の慰安婦の存在にはマスコミは一切触れていません。したがって、戦後生まれの人たちにとっては慰安婦、あっ、それは韓国人の問題でしょうと、割り切っているのです。つまり、そもそも、戦時下で慰安婦を日本国内で募集したのが始まりなのです。その後になって、慰安婦の募集が朝鮮や台湾で行われていたのです。周知のように、朝鮮も台湾は当時は日本の国に属していたのです。一部の人が植民地だと書いていますが、それは間違いなのです。朝鮮や台湾は日本に統合されていたのです。

 

現在の韓国は慰安婦の強制があったことしか宣伝していませんが、必ずしもそうではなかったと理解できるのです。もっとも、どのような場合でも例外はあるので、一部においては強制があったかもしれません。なお、当時は朝鮮や台湾は日本に併合(植民地化ではなく)されていたので、日本国内での慰安婦募集が朝鮮や台湾でもあったのです。

 

いずれにしてもここで取り上げたいのは前述のヒットラ-の「わが闘争」と日本人慰安婦の存在との間の共通性は日本の日刊新聞が全く報道していないことなのです。確かに、日本人慰安婦に関しては朝鮮人と異なって、私はかっては慰安婦でした、とは表立って日本人は口が裂けても決して言えないのです。そこが、日本人と朝鮮人との性格、感性の違いなのです。ある時、朝鮮人慰安婦の問題での討論で、ある人が日本の村山首相に「日本人の慰安婦の存在」について質問したときに、その首相は絶句したとのことでした。

 

戦後まもなく、作られたカストリ雑誌には日本人慰安婦の状況が面白おかしく、しかしまじめに、微に行って記述されていたのです。

 

いずれにしても、この二つの話題に関しては日本の日刊紙はいっさい報道していないという共通性があるのです。

 

その背景にある状況は全く異なるのですが、両者ともある意味では重要な話題なのですが、日本人慰安婦に関して触れたくない話題であり、「わが闘争」に関しては国際感覚が全くない日本の政治家の言動であり、国際的に大きな反応を引き起こさないとも限らないので、おそらく行政からの強い規制があったのでしょう。

 

この「わが闘争」という本がドイツ人がどのような理解をしているのかを知ったら、とてもそのような本をとりあげることは出来ないのです。このことは、逆にドイツのメディアが日本人の慰安婦について日本の政治家に質問したらどのような返答をするのでしょうか。

 

 

 

2017年5月 1日 (月)

犯罪記事はある意味では「広告塔」

犯罪記事はある意味では「広告塔」

最近の犯罪関連の新聞報道を見ていて感じたのは、ある新しいタイプの事件が報道されると、その後になって似たような事件が再び起こることがあるのです。

例えば、最近に起こった神社、仏閣の建物に薬品とみられる液体がかけられていた一連の事件が報道され、どうやら韓国人が意図的に何らかの液体をかけたらしいとのことでした。勿論、この場合にはその目的には悪意があってそのような事件を引き起こしていると考えられているのです。

ところが、四月の半ばになって、今度は二条城にカレ-粉のようなものが御殿の壁や床にまかれていたとのことです。

このような行為はおそらく過去の神社、仏閣への液体散布の記事を見てだれがいたずら的に真似をしたのかもしれません。

それと似たようなことは、海外で起こっているテロ事件でも、最初の事件が起こるとそれと似たような方法でテロが発生することです。つまり、ある意味では新聞報道はいろいろな事件のやり方を間接的に教えているような結果にもなっているのです。

追加(2017 June)
最近のロンドンのテロ事件に関連し、自動車での最初の突っ込み事件が報道されてから、数週間のうちに似たような方法でのテロ事件が発生しています。これはまさに、そのような方法があることを間接に教えているようなものなのです。
このように考えると、ロンドンの高層住宅ビルでの火災で多くの死者を出しましたが、もしかするとこの事件を参考にして、似たような高層住宅ビルの下部に放火するような事件が発生するかもしれません。

外国語カッフエ

最近は特別な目的で気楽に集まることが出来る「バァ-」とか「カッフエ」が出来るようになりつつあります。
その典型的な例の一つに「猫カッフエ」があります。この「猫カッフェ」は日本発のアイディアだと思うのですが、現在では欧州の主要都市にはあるようになりました。

似たような発想で、「外国語カッフェ」をつくってみてはどうでしょうか。つまり、一定の日に外国語カッフェに集まって、それぞれの言語別にテブルを囲んで、それぞれの言語での会話を交わすのです。勿論、片言の会話でも構わないのです。そうしていろいろな人たちの言語を通じて交友があり、また、自身の外国語会話の進展に貢献できるかもしれません。

どなたか音頭をとってそのような「外国語カッフェ」を作ってみませんか。

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