欧州における日本の存在感はゼロ
欧州における日本の存在感はゼロ
欧州では日本の存在感はほぼゼロに近くなっているのを日本に居る日本人は気が付かないでしょう。
例えば、新聞とかテレビで世界の情勢がいろいろな面で報じられ、それらに関連して、他の政府の立場などが報じられますが、そのような時にも日本との関係が全く報じられていなくなって居るのです。例えば今回のアメリカの大統領が予想に反してトランプが勝利したことに関連して世界主要国の反応が欧州のテレビに紹介されていましたが、そこには日本のことは全く触れておらず、ロシア、中国などの反応は報じられていましたが、日本については全く言及がありませんでした。
欧州には中国からの観光客があふれていますが、不思議にそのような現象に触れるときには「中国人観光客」とは言わずに「アジアからの観光客」という表現が使われています。数十年前までは日本からの観光客が多かったときは明瞭に「日本人観光客」という表現でしたが、なぜか今では「中国人観光客」とは言わずに「アジアの観光客」なって居るのです。
そのほかにも、市販の携帯用の自動翻訳機にはいろいろな外国語が収録されていますが、以前は必ず日本語があったのですが、最近は中国語がそれに代わり、日本語が無くなってしまっているのです。
キオスクの新聞売り場には中国語の新聞は置いてあっても、日本語の新聞は完全に姿を消しています。
欧州の使用都市の大きなホテルには各国の放映が見られるテレビ番組があるのは当然なのですが、日本のテレビ番組、それもNHK Worldだけ、があるのはきわめて稀で、それに反し中国の番組は三つもあることがあるのです。つまり、大きなホテルでのテレビ番組には日本は隅に置かれているのです。
つまり、欧州のマスメデイアにとっては日本の存在感がきわめて薄れているのです。今年の暮れから新年にかけての世界各地の状況がテレビで放映されていましたが、以前は日本での除夜の鐘を打つ光景が他の都市、例えばにニュウヨク、ロンドン、モスクワなどと一緒に放映されていたのですが、今年2017年には日本の光景は欧州からほとんど姿を消してしまっているのです。
まことに残念なことですが、如何せん日本にいる人には全くそのような微妙な変化、つまり日本を囲む状況が欧州では少しづつ消えつつあるのです。
このことは日本人、とくに若い人たち、が海外にあまり目を向けていないことにも関係があるのです。例えば、私の知人のひとがロ-マにあるFAOの中にある国連機関CODEXに赴任するとのことで、その組織図をみるといろいろな委員会の議長国には中国や韓国の名前はあっても、日本はゼロなのです。
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