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2016年10月の記事

2016年10月10日 (月)

スイスの言語環境はバビロン時代そのもの

スイスの言語環境はバビロン時代そのもの

スイスの言語環境がバビロン時代であるとの皮肉的、或いは楽観的表現はスイスの現実を知らない人にはあまりピンとは来ないでしょう。それよりも、バビロン時代の背景を知る必要があります。その背景は古代にバベルの塔を建てたことに神が怒り、世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた状態から、全地の言葉を混乱させ、いろいろな言葉が世界中にばらまかれたとの伝説があるのです。つまり、このことは現在、一つの地域、国にいろいろな言葉が混在していることはあたかもバビロン時代に居るという比喩的な表現なのです。


現在のスイスにおける公式の使用言語はドイツ語、フランス語、イタリア語、そしてロマンシュ語の四ヶ国語が憲法に規定されている国語になるのです。ですから、スイスのすべての日常品などの説明書などは最低でドイツ語、フランス語、イタリア語で書かれてあります。ですから、スイスの紙幣にもそれぞれの四ヶ国語で書かれてあります。このことを逆にみれば、ある製品にその説明文が三か国語で書かれてあれは、それはスイス製品であることがすぐに分かるのです。

更に問題なのは特にドイツ語地区でのドイツ語方言、所謂「スイスドイツ語」が日常生活に加わります。スイスのドイツ語圏では日常会話はもっぱらそれぞれの州のスイスドイツ語であり、お互いに癖があり、ドイツ語地区で話されているスイスドイツ語がすべて同じとは限らないので、事情はもっと複雑になります。つまり、スイスで話されているドイツ語方言はそれぞれの州によってすこしずつ異なるのです。

しかし、テレビにはドイツ語局、フランス語局、イタリア語局とあり、時間帯によっては短時間ではあるがロマンシュ語での放映もあります。テレビでのニュウスはそれぞれの標準語ですが、例外的に、ドイツ語の番組の天気予報では完全な方言、つまりスイスドイツ語なのです。このスイスドイツ語はそれを初めて聞いたドイツ人には全くのチンプンカンプンで殆ど理解できないのです。丁度、NHKで日本語で放送していたのが、天気予報になると東北弁に突然切り替わるような状態なのです。この現象は往時はなかったのですが、ここ十数年くらい前からそのようなドイツ語方言の天気予報になって居るのです。おそらく心理的にもドイツ語方言でのテレビが望まれていたのかもしれません。それはそうでしょう、テレビは日常生活には全く欠かすことが出来ないものであり、毎日ほとんどのスイス人が見ているにもかかわらず、かしこまった標準ドイツ語では気分が楽にならないのでしょう。それで、せめて天気予報くらいは、となったのでしょう。

それだけドイツ語方言は日常生活に溶け込んでいるのです、いゃ、溶け込んでいるというよりはそれが日常用語であり、むしろその逆に標準ドイツ語は外国語感覚なのです。ですから、スイス人の家庭の子供は方言のスイスドイツ語環境で育っているのですが、正式にはやはり標準ドイツ語を習う必要があることから、近年になって、幼稚園に入ると幼稚園では標準ドイツ語を使うように義務ずれられているのです。しかし、それでも日常的には家庭でも街中でももっぱらスイスドイツ語なのです。ですから、そのような環境にどっぷりと浸かっている通常のスイス人には標準ドイツ語を使う機会がないので、時たまそのような環境に置かれれると全くのしどろもどろになってしまうのです。

たとえば、あるスイス国内の都市での市内観光で観光案内人がスイスドイツ語で説明し始めたので、標準ドイツ語で話してくださいませんかと頼んだのですが、初めは標準ドイツ語で話していたのですが、数分と経たないうちに「悪いけどとても標準ドイツ語で話すのが辛いので、勘弁してください」となったのです。曲がりなりにも彼は市の観光ガイドなのです。

このスイスドイツ語方言に関連した笑い話があるのです。
あるドイツ人の家族がスイスの知人を訪問した時、その家族の子供に外に出て近所の子供と遊んでらっしゃい、と子供を外に出したのですが、その子供がすぐに家に戻ってきて、「みんな間違ったドイツ語ばかり話すので、わからないから」と言ったとか。また、その逆に、スイス人の子供がドイツ人の子供が母親に話しているのを聞いて、そのスイスの子供の母親に「ママ、あの人たちは教科書に書いてあるドイツ語を話していたよ」とのことです。

いずれにしても、このような語学環境にあるスイス人は多くの人は二ヶ国語を話すのは珍しくないのです。更に最近では英語がそこに加わってくるので、スイスでの外国語環境はとても日本人には想像できないのです。したがって、そのような環境に住んでいるといろいろな言葉を話すのには便利になります。

そのようなスイスに住んでいる私の外国語環境は、日本語が母国語、次いで、イタリア語、そしてドイツ語、その次に英語が来ます。退職してからは全く英語を使う機会がないので、英語は四番目になって居るのです。もっとも、それに加えて、毎日フランス語のテレビをみたり、ラジオを聞いたりしているので、片言ながらそこにフランス語が加わるかもしれません。


追加(2017 March)
スイスの地方テレビ Telebaselは今まで方言のスイスドイツ語ですべてが放映されていたのですが、この四月からは主要ニュウスは標準ドイツ語でのサブタイトルを使べきとの政府からの指示で、その変更にかかわる経費を
政府に依存しているとのことです。

2016年10月 4日 (火)

外国語会話カッフェの開設を

外国語会話カッフェの開設を

最近は日本からの「ネコ・カッフェ」が欧州の大都会にも開かれているのです。

この概念を活用して、「外国語会話カッフェ」を開いてはどうでしょうか。

ここで、外国語と書いて英語としなかったのは、必ずしも英語だけではなく、それよりも学習人口のより少ない外国語を含めたいろいろな外国語を勉強し、少しでも何とか話せるような機会を作るのです。勿論、他言語間の意思疎通は困難かもしれませんが、そのような人たちの学習方法などをも披露することが出来れば他の人の為にも参考になると思うのです。

日本では外国語というとすぐに英語を連想しますが、中国語をはじめフランス語、イタリア語、ドイツ語など色々あり、それらを学習している人たちとの交流にもなり、さらに、もしこの「カッフェ」の存在が外国人観光客にも伝われば、そのような人たちにも来れるような環境を作るのです。この「カッフェ」でいろいろな外国語を耳にし、場合によってはそれらの人たちの学習についての苦労話なども聞けることになります。勿論、日本語を交えての会話も自由にできるのです。もしかしたら、この「カッフエ」を通して、いろいろな外国語の存在を知り、それらの特徴なども知ることが出来、他言語への関心が深まるかもしれません。

どなたかこの運動を始めてくださいませんか。

2016年10月 1日 (土)

「欧米では」の表現は止めてほしい

日本の新聞などでよく使われる表現に「欧米では・・・」「欧州では・・・」があります。

 

例えば、最近の新聞記事に日本人が細かい支払いの時に小銭とお札を出しても、問題なく暗算されておつりが返ってくるのだが、欧州ではそのような暗算をできる人はいないと書かれ、そのような場合に、単純に欧州と表現されているのです。

 

このような経験を欧州のある国で経験したことが、結果的には簡単にひっくるめて「欧州では」となるのですが、これほどいい加減な表現はないのです。一つの経験をある国でした時には厳密にその国の名前を用いて、例えば。「イタリアでは・・」と記述すべきで、それを「欧州では・・」としては誤りになるのです。

 

しかし、日本人はいとも簡単に「欧米では・・」「欧州では・・」とほとんどの場合、概念化してそのような表現を使っているのです。もしそのような概念化が許されるのなら、日本の「おもてなし」のことを「東洋でみられるおもてなし」ということになるのですが、海外の人たちは「日本のおもてなし」と表現、理解し、決して「東洋での・・」のような概念的な表現は絶対に使いません。ましてや、いま海外で流行している「すし」は日本の典型的な料理のひとつなのですが、これはだれも東洋の「スシ」とは言いません。

 

これと似たような表現に「海外では」とひっくるめての表現が新聞などでも無意識に使われています。

 

つまり、「欧州では」「欧米では」「海外では」のような概念的、かつ不正確な表現は避けるべきなのですが、だれもこのような表現の使用に関してはコメントしません。これも日本が島国だからなのかもしれませんね。

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