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2016年7月の記事

2016年7月31日 (日)

患者学(Patientology)の意義、概念

患者学(Patientology)の意義、概念

  医療が進歩し、治療内容が複雑化し、また治療領域の細分化、患者数の劇的な増加など患者を取り巻く医療環境は著しく変化しています。その結果、医療の対象は「患者」という基本理念から逸脱し、ややもすると「疾患」を治療するという観点が重要視され、肝心の患者の立場、治療を受ける側の心理的、精神的葛藤などにはあまり注意が払われない傾向が強くなりつつあります。

  つまり医療の基本である患者を治療するという観点が、疾患を治療するという観点に置き換えられていることが問題なのです。しかし、現実にはそのような患者志向の治療ということが多くの場合忘れられているのです。

その一つの例として、クラリスロマイシン投与による口中の苦み感を患者が訴えても、そのようなささいな患者の主訴は殆ど無視されて「おかしいですね」くらいに軽くあしらわれてしまうのです。このことに関してはその間の事情をこのブログに書いています。

  このような環境から医療の基本は患者の治療であるという観点を重要視し、患者のための心理的、環境的観点を重視て医療を行うべきとの発想が当然生まれてくるのです。その目的のために「患者学」という新しい概念を医学部の学生が十分に学ぶ必要があるという観点から「患者学」という概念が生まれてくるのは当然のことなのですが、いまだにそのような患者学という概念を導入している医学部は皆無のようです。

一方、日本では、この患者学という概念は英国のNHSにより、従来の「慢性疾患セルフマネジメントプログラム(CDSMP)」が発展的に改組された「患者学プログラム(EPP)」が開始されたと言われています。このEPPは「エキスパート・ペーシェント・プログラム」の略で、2000年7月、NHSによって、長期的ケアを必要とする慢性疾患患者を助け、彼らの健康を維持し、QOLを改善するための「EPP」が打ち出されているのです。同時にそれを実施していく為の「エキスパート・ペーシェント・タスク・フォース、FPTF」が設置され、2001年9月、その報告書が提出されています。

従って、このEPPは患者の立場を念頭に置いた全般的な患者学という観点ではなく、長期的治療、ケアを必要としている特定の患者を念頭に置いているので、すべての患者を念頭に置いているわけではないのです。ですから、患者学プログラムというよりは専門家が患者、特に慢性疾患患者を念頭に置いた医療の概念を特定しているものでpatientologyではなくpatient educationに近いのです。

一方、歴史的な観点に立った患者学、つまりpatientologyは、より広義の意味での患者学であり、1980年にArch Intern Med (1980;140:1286-1289)にBrodyという人が新しい概念としてpationtologyという表現、つまり文字通りの「患者学」を提案しているのです。彼は「多くの医師は患者の立場、考え、心理的要因などを勉強する機会が全くないことを踏まえて、新しい概念としてのpatientologyを導入すべきである」と提唱していたのです。しかし、彼のこの提唱はその後誰からも注目されず、今日に至っているのです。

このような状況下で、上述の英国のNHSの試みが一部の人の関心を呼び、日本のサイトでは患者学として理解されているようです。いずれにして、Brodyが提唱している患者学は患者中心の治療という観点から医学教育の中にそのような教科を取り入れることを念頭に置いているのです。

2016年7月29日 (金)

知事海外出張の意義

知事海外出張の意義

現在、都知事の不祥事を発端として、各都道府県知事の海外出張に関連した経費が調査、検討され、新聞に報告されています。確かに、海外出張に関して常識外れの経費が問題になるのは当然で、必ずしも高級ホテル、ファストクラス利用などの必要性がないかもしれず、また随伴者が多数になることの是非など、その為の検討がなさされることには賛成なのですが、この問題に関し、誰もそのような海外視察・出張の目的、並びにその成果、そして最終的にはそのような海外視察出張の成果がどのように実際の行政に反映されるようになったのかとの検証は誰も関心が無いように受け止められるのです。

少なくともそれぞれの海外出張・視察についての目的、成果などについてはどのメデイアも報道していません。一般的に、海外視察にはその目的、実情報告、報告書を念頭に置いた問題改良、成果の評価といった一連の行動の評価が絶対的なのですが、多くの海外視察ではそのような一連の評価は殆どが皆無であり、現状で、海外ではこうなっていました、との実情報告書作成で終わりなのです。

つまり、海外出張、視察という行為は報告書作りが主目的であるといっても過言ではないのです。今日のようなIT社会では実際に視察などをしなくともいろいろな情報の入手は簡単なので、よほどの例外的な海外の現状調査以外は全く必要がないのです。。

かなり以前に、ある市長がその市内の公共交通施設の充実の目的で、海外見学と称して、欧州の某都市の交通事情を視察に出かけ、その報告として、欧州の都会での市電網の充実ぶりに感銘し、その報告書の中に「・・・これほどまでに市電網が復活しているとは・・・」とありましたが、こんな驚きを持ち帰ってもなんらの意味がないのです。しかも、その市電網の現状の背景を全く知らずに、現実を見ただけで、「市電網が復活」と短絡的に報告していたのです。

現在の欧州の一部の都会で市電網が充実しているのは、「復活」したのではなく、従来の市電網を「維持」している結果なのです。今までに市電が走っていないところに新たに市電を新設、増設することは現在のような車社会では非常に困難でもあり、多くの場合には無理なのです。

いずれにしても、もし、本当に海外視察の結果が実際の政策に反映され、目に見える大きなプラスの効果が実現されているならば、それこそその目的のための経費が予想外になっても受け入れらることになるのではないでしょうか。

もっとも、知事の海外視察以外でも、大学とか研究者などがときおり公共の研究費を手に入れて海外事情の視察に出かける例は現在でも珍しくはないのですが、それらの海外視察の報告書が作成、提出された時点でほとんどが終わりなのです。

2016年7月26日 (火)

厳存する世界で一番古い薬局

 厳存する世界で一番古い薬局はイタリアのCamaldoli薬局なのです。

 日本語の資料(wiklipedia)では「1221年フィレンツェに移住してきたドミニコ会の修道院サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィニェ(Santa Maria Fra Le Vigne ブドウ畑の中のサンタ・マリアの意)の修道僧たちが薬草を栽培して薬剤を調合していたのが始まり。この修道院は後のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へと発展する。1612年には薬局として認可された」となって居ます。出典としてはOfficina Profumo Farmaceutica di Santa Maria Novellaとなって居ますが、このイタリア語のサイトには出典資料の記載がありません。

しかし、歴史的にはこれより以前にトスカ-ナ地区にあるCamadoli地区に1543年から現在のような薬局が存在するのです。

そもそもこのカマルドリ(Camaldoli)薬局の起源は、中世期になってカマルドリ修道院の中に医院が設立され、この医院に付属して、調剤所(Spezieriaと呼ばれていた)が設立されていたのですが1276年に火災で消滅し、その後に1331年に調剤所が再建されているのです。しかし、その後も1504年まで続きましたが、再び火事に見舞われ、それ以降になって、現在のような薬局が1543に造られ現在に至っているのです。

つまり、歴史的に古く、かつ「厳存する薬局」としては1543年以降、このカマルドリ薬局が一番古いことになるのです。

資料
1)http://www.camaldoli.it/il-nostro-lavoro-home/antica-farmacia.html
2)https://it.wikipedia.org/wiki/Antica_farmacia_di_Camaldoli
3)https://it.wikipedia.org/wiki/Camaldoli
4)鈴木伸二「イタリアの薬学史」(日本薬史学会編 「薬学史事典」p.63-72 /2016 薬事日報社刊)

追記(2017 June)
世界の主要都市にあるZARAというファッション店はZARA Homeという一般的な店もあるのですが、このお店にはSapone Pappa Realeという石鹸が売られています。この石鹸にはAntica del Monaci/Farmacia Camaldonesiと書かれてあります。つまりこの世界で一番古い薬局が造っている固形化粧石鹸なのです。
このZARA Homeというお店は日本にもありますが、果たしてこの石鹸を売っているかどうかは分かりません。
勿論、この石鹸はイタリア製です。

2016年7月 3日 (日)

家系図作成の勧め (沢村田之助)

家系図作成の勧め (沢村田之助)

  自分の家族並びにその親戚、さらには三世代か四世代前くらいまでの家系図をつくると意外な発見があるかもしれません。しかし、この家系図の作成というのは親戚中の生存者からの聞き込み調査が必要で、かなり困難を伴います。何しろ、明治時代にまで遡らなければ充実した家系図を作れないからです。

  私の家系図の作成の中で、私の祖父母、つまり私の母の父親は大谷龍之介という人で、母はその人の五女だったのです。

  ところがこの祖父、大谷龍之介は再婚し、その時に生まれた八女(再婚後の三女)、の大谷満津子(旧、千代子)という人が沢村宗十郎というひとと結婚し、その息子は沢村田之助(五代目)なのです。つまり歌舞伎役者なのです。意外な発見になります。現在の六代目の沢村田之助は紀伊国屋なのです。

なお、私の父親の親戚には元法務大臣の鈴木義男というひとがいるのです。私の父は福島の白河の出身で鈴木義男というひとも同じ白河の人です。


2016年7月 2日 (土)

ハグは恋愛とは関係がない

ハグは恋愛とは関係がない

最近の新聞には時折、日本人同士のハグについての記事が興味半分的に載っています。例えば、朝日新聞にリオのオリンピック開催に関連し。「恋をして、強くなる」の記事の中に「…吉岡氏は、日本代表コ-チを務めた10年ほど前にイタリアで見た光景が忘れられない。観客席で、天使の輪と羽を付けたイタリア人男性がイタリアチ-ムの演技に合わせて踊り、声援を送っていた。試合後、選手三人が観客席に行き、人目をはばかることなく彼らとハグをした。」そして「これら三人同士は恋人同士だった」と判断していたのです。つまり男と女がハグをしているのをみて恋人同士と理解していたのです。でも、イタリア人なら恋人同士だったらそのような場合、必ずキスをしているはずです。たとえそれが10年まえでも。

つまり、ハグ、イコ-ル恋人同士の仕草、と理解されているのです。それは当然で、旧来の日本人的心理ではハグをすること、しかも男女でハグを人前ですることなぞはとても考えられないからです。たとえ、それが親子とか兄弟でもハグをすることは日本人にとってはいまだに全く不可能なのです。ともかく、そのような行為を自発的にするという発想がないからです。

それにしても、最近では「佐賀県の魅力を多くの人と共有したいと熱い想いを抱いている佐賀県民自身」であると考え、旅行客とふれあいたい県民と旅行客を繋ぐ「抱く県、佐賀」を立ち上げました」のような記事がありました。
また最近のyou tubeに「1人の韓国人女性が京都でフリーハグを実施。感動の結果に涙!」が載っていましたが、このようなことが新鮮に映るのもまさに順にほんてきなのかもしれませな。

つまり、意識的にハグをできるということが観光政策の一つに捉えられているのかもしれません。そのほかにも、以前に新聞広告として公共広告機構が母親と娘がハグをしている大きな写真の真ん中に「抱きしめる、という会話」という表現を使っていましたが、その意図は「子どもたちが親の愛情に見守られながら、すくすくと育っていく。それが社会の基本です。しかし、今の日本は、育児放棄や幼児虐待など、親子の関係がとても危うくなっています。わが子とどう接すればいいのか分からない、そんな若い親たちも増えています。そこで、もっともシンプルな、けれど言葉以上に雄弁なコミュニケーションとして「抱っこ」を取り上げました。「抱きしめる」という、誰にでもできる愛情行為を通じて、親世代の子育てに対する意識を喚起していく作品です。」と説明されています。つまり、ここでは一般的に言われているハグが使われず、「抱きしめる」という表現を使っているのは「抱きしめる」という行為と「ハグをする」という行為とを区別しているのかもしれません。

しかし、西欧ではこのハグという行為は親しい人同士の挨拶形態のひとつになっおり、恋愛とは全く関係はないのですが、日本人にとってはこのような仕草はいまだ未経験、未定着であり、ハグをしている二人、ことに男女の場合、を見慣れていない日本人にとっては、はじめてそのようなハグをしている二人をみれば恋愛関係にあると早とちりしてしまうのです。

人との挨拶の形態にはいろいろなやり方が世界には存在しますが、そのやりかたも時代の流れに伴って、少しずつ変化して、その持つ意味合いが異なるようになる場合もあるのです。西欧では従来から行われていた握手という行為もここ十数年の間に少しずつハグの形態に移りつあり、特に若い人たちの間では握手そのものは形式的と捉えられ、親しい友達同士ではハグをするのが当たり前になり、恋愛関係とは関係ないのです。大の大人同士でも親密な知り合い同士ではハグが当たり前になって居るのです。しかし、一般的なハグは一回だけ抱きしめるような仕草をして終わりです。

ところが、最近ではハグだけでなく、ハグを省略していきなりお互いの頬を付け合わせる行為が浸透しつつあります。それも場合によっては左右二回だけでなく、もう一回付けたして三回の場合もあるのです。この頬合わせの挨拶には特別な名称はいまだ付けられていないようです。このような「頬合わせ」は欧州の政治家同士でも簡単にするのです。

それにしても、日本語の抱擁という表現を使わずにわざわざ英語のカタカナ表記のハグを使うこと自体、おのずと恋愛関係を頭に描いているので、はずかしくて抱擁という本来の日本語表記を使えないのかもしれません。田舎の人とか年配者にはいきなりハグという表現が使われても、それがどのような意味なのかは瞬時にはには判断できないかもしれません。なお、このハグという表現はもともとは「慰める」のような意味があるそうです。

似たような心理はキスという行為にも当てはめられます。キスは日本語では接吻になるのですが、なぜか同じ行為でも日本語は使わずに英語のカタカナ表記、キス、を使うのでしょうか。日本人はしばしば表現が直接的な場合にはカタカナ英語を代用するようです。つまり、そのような英語表現がスマ-トに聞こえるのかもしれません。例えば、「国鉄」は「ジェ-ア-ル」、などなど。

追記(2016 July)
最近の報告によるとハグの効用が実験的に認められているとのことです。その結果は以下のように報告されています。
アメリカのカーネギーメロン大学心理学部などの研究チームは、日常的なハグが風邪の予防に効果があるのかどうか、大規模な実験を行った。404人の健康な大人に協力してもらい、2週間にわたって、対人関係でトラブルがあったかどうか、また、1日何回ハグをしたかを調査した。その後、全員を風邪のウイルスにさらし、隔離して経過を観察した。
 その結果、対人関係でトラブルが多かった人ほど風邪をひきやすく、ハグをたくさんしていた人ほど、風邪にならないか、かかっても症状が軽いことが分かった、とのことです。
• :Does Hugging Provide Stress-Buffering Social Support? A Study of Susceptibility to Upper Respiratory Infection and Illness http://pss.sagepub.com/content/early/2014/12/17/0956797614559284
• ※2:The Health Benefits of Hugging http://health.usnews.com/health-news/health-wellness/articles/2016-02-03/the-health-benefits-of-hugging?int=98e708

つまり愛のあるハグには極めて大きな影響があるとのことです。

追記(2017 March)
最近の朝日新聞の「折々のことば」欄に「男の人に触られると傷つくものだと思っていた。抱きしめられて安心するなんて知らなかった」(文月悠光) が載っていましたが、なにも男の人に限らず、なにか悲しいような時に、誰かにハグ、いゃ、抱擁、つまり抱かれると心が休まるのですが、このような習慣のない日本人にはこの「抱かれる」という行為は極めて違和感があるのかもしれません。きわめて残念なことです。でも、日本語に抱擁という優雅な表現があるのに、なぜかその意図が薄くなる英語の「ハグ」が使われるというのも、典型的な日本人の心理かもしれません。

追記(2018 Feb)
最近の報道によるとある地方の小学校でブラジル人家族の小学生が、たまたま同級生の女の子にハグしたことに対してそのクラスの男性先生がその子に対して「ハグはだめ」と注意したことが書かれてありました。それはそうでしよう、地方の先生にしてみればハグそのものの意味も理解していないので、きわめて異常な行為に感じられたのでしよう。

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