« 「名は体を表す」 甘利大臣や島尻大臣の場合 | トップページ | 抹茶サロンを海外に出しませんか »

2016年2月21日 (日)

シリア難民、プ-チンの遠謀

シリア難民、プ-チンの遠謀

 

現在のシリア問題から端を発している大量の難民がなぜドイツに向かっているのとの推測は誰もしていません。

 

確かにこの中東を震源地とした難民はもうかなり前から始まっているのですが、不思議なことにそのほとんどが、ドイツ、ドイツへと向かっているのです。難民のほとんどが一般人、しかも普通の家族なのですが、たとえ内乱で生活が破壊されてしまっても、全く異国に、しかも膨大な距離感覚を無視してまでも外国、特にドイツに向うという決断は大変なものだと考えるのですが、現在の難民には果たしてそのような悲壮感があるのでしょうか。ましてやその行き先がドイツに集中しているのです。ほとんどの難民はドイツのドの字も知らない人たちなのです。よく研究していれば、南のイタリアのほうが住みやすいしね南イタリアの人たちの鷹揚さを知っていればイタリアに移住の地を求めたほうがはるかに良いと考えるのですが…。

 

さらに、シリア以外からの難民が大きなゴムポトでギリシャやイタリアに渡っていますが、あのような大きなゴムポトは誰がどこで入手できるのでしょうか。たとえ、通称「マフィア」の存在が公然の事実とされていますが、その背景には大きな組織が動いているのです。

 

もちろんこの難民問題が発生し始めたころはドイツのメルケ首相は人道的見地から難民引き受けを宣言していましたし、その結果、メルケ首相は昨年は「時の人」に選ばれていましたが、現在のようにいまだに難民が続々とドイツに向かっている現状では彼女のドイツ国内での支持率は極端に減少しています。もしかすると彼女は首相の座を降りなければならなくなるかもしれません。

 

現在のようにシリア内戦が収まるどころか激化しているのは明らかにシリアから難民をドイツに向わせているものと理解しても無理がないのですが、このような背景情報は誰も口にはしません。

 

では、なぜプ-チンはシリアのアサド政権をあれほどまでに支持し、難民を毎日のように外に追いやっているのでしょうか。

 

ロシアは本来欧州と仲良くし、できれば欧州の一員として認めて欲しかったそうですが、ドイツなどの反対もあり、その後にEUの東欧への拡大、ロシアのウクライナへの介入もあり、欧州から経済封鎖のような嫌がらせを受け、それが主としてドイツを中心にしてそのような行動がとられていると考えるプ-チンが現在のような難民をドイツに向かわせることにより、メルケ首相を窮地に追いやり、その結果ドイツの政情が混乱することを陰から推し進めているのです。もっとも、このような影の影の存在は実証するのは至難の業ですが・・・・。でもプチンの過去の経歴から推測するとそのような遠大な、しかも陰の陰に隠れた対策を講じることは朝飯前なのです。

 

今年2016年はいろいろな意味で欧州の政情に大きな変化がおこると思います。

 

追記(2016 March)
ドイツの右翼とされるAfDがこの日曜に勝利を収め、メルケ首相の立場がさらに困難になった。その翌日にはロシアが突然にシリアからロシア軍の大半を撤収しました。まさによいタイミングだと思うのです。これでメルケ追放の駒は前に進んだのですが、誰もそのようには考えていないようです。このロシアの撤退は対アメリカの勝利との論説が出ていますが、その中で「プーチンはこの夏にはEUの制裁の解除を要求し得る立場になったと書かれていました。つまりね相対的に解釈するとこれがプチンの本ねなのです。

 

追記(2016 March)
難民流入の抑制策を巡り、欧州連合(EU)加盟28か国とトルコは18日、トルコからギリシャに渡る不法移民らをトルコに送還することで最終合意したことが報道されています。しかし、もう一つ忘れてはならないのはこの条件をトルコが呑む代わりに、トルコ人がEUに入るにはビザが必要がなくなったことはマスコミはあまり報道していません。このことは間接的にトルコがEUに一歩近づいたことになるのです。この進展はロシアにとっては望ましくないことであり、その結果、トルコにテロ事件がこの日を境に勃発しています。さらに、同時にドイツがトルコにある大使館、領事館をテロの可能性があることから一時的に封鎖しました。ここでもなぜドイツだけが、との疑問があります。

 

ここでも不思議なことはその危惧の対象がドイツだけで、他の国の大使館は全くそのような反応を示していません。ここでも、なぜドイツだけがテロの対象となるのかを日本のマスコミは全く触れていません。

 

要するに、トルコがEUに近づくことはロシアがさらにEUに取り囲まれてしまうことを意味しているのです。従って、この日を契機としてトルコがテロに見舞われるのはその陰の陰にはロシアがあると考えても不思議ではないのです。いずれにしても、最悪の場合にはトルコに今後テロが頻発するかもしれません。

 

追記(2017 Jan)
年末からアメリカの大統領選挙にプチンの関与が報じられていますが、これはなにも新しいことではないのです。さらにダボスのWEFの会議でアメリカの副大統領が欧州の首脳交代の選挙にプチンが干渉する可能性に言及していますが、今年2017年はロシアは欧州の政治に顕著に介入してくることになります。とくにドイツに対してはいろいろな形でメルケ首相へのダメ-ジを顕著にしてくるでしょう。

 

 

追記(2017 July)
今回のG20の会議で一つの提案がなされたのですが、ロシアの反対で廃案になったのです。それは「EUは地中海を渡る移民船対策で密航業者への国連制裁の提案を目指したが、ロシア、中国両国の反対で実現しなかった」ということです。
ここで考えたのは、なぜロシアが反対したのかということです。
ここで、すこし勘ぐれば、ロシアが陰の陰で難民をドイツにむかわせているという推測が正しいのかもしれません。

 

追記(2024 July)

 

ある新聞記者がつぎのような記事を書いていますが、プチンの遠望との理解は全くないようです。
森岡みづほ
@mizuhomorioka
フィンランドはなぜ国境を閉じたのか ロシアの影と欧州で高まる緊張
 「フィンランドがロシアと接する1340キロの東部国境を閉鎖する」。昨年11月、こんなニュースに驚いた。
 昨秋以降、隣国ロシアからフィンランドに入国しようとする移民が急増したことが理由だという。ロシア国民ではなく、ほとんどが中東やアフリカなど第三国から来た人だ。
 「国境や社会を不安定にするため、ロシアが移民を『手段』として送り込んでいる」。フィンランド政府はそう認定し、11月末までにロシアと接する8カ所の国境検問所をすべて閉鎖。ほぼ再開することなく、今年4月上旬に閉鎖の無期限延長を発表した。5月には「手段化された移民」を国外退去させる法案を議会に提出した。
 「世界一幸福な国」といわれ、穏やかで平和なイメージがあるフィンランドで何が起きているのか。現地へ飛んだ。
フィンランド南東部ラッペーンランタの街並み。ロシア国境から30キロしか離れていない=2024年4月24日、森岡みづほ撮影
移民の姿が見えない町
 フィンランド南東部ラッペーンランタ。ロシア国境から30キロほどしか離れていない、人口約7万人の小さな町の検問所にも昨秋、ロシアから移民が押し寄せた。
 雪のちらつく4月下旬に訪れると、町は拍子抜けするほど平和そうに見えた。移民とみられる人の姿もない。
 それもそのはず、入国した移民は、町はずれにある国営の移民・難民の施設に収容されていた。今も100人以上が難民申請の審査が終わるのを待っているという。
 そのうちの1人に話を聞くことができた。
 「政治のことはわからない。ロシアに利用されたかもわからない。でも僕はいつこの施設を出られるのか。新しい生活を始めたいだけなのに」
 せきをきったように話し始めた男性は、29歳のオマーンさん。中東・シリアから欧州連合(EU)圏内を目指し、ロシア経由でフィンランドにやって来た。
 故郷のシリアは政情不安定で、周辺地域の紛争にも人員を派遣している。ひとたび徴兵されればモノのように扱われると聞いていた。多くの男性が兵役逃れのため出国、2人の兄もオランダに逃れていた。
 学生ビザが取りやすいロシアからEU圏に近づこうと考え、オマーンさんは2022年12月、サンクトペテルブルクの学校に入学した。
 ロシアに着いても、いつシリアに強制送還されるかおびえていた。スマホで、ロシアからフィンランドを入り口にEU圏に入る方法をアラビア語で伝える動画を見つけたのは昨年の秋のことだ。食い入るように動画を見て、決めた。「フィンランドに向かおう」
 昨年12月中旬、タクシーに2時間乗り、ロシアのフィンランド国境近くに向かった。動画の指示どおり自転車を買ってタクシーに載せ、車道が無くなると雪の中を2時間こぎ、フィンランドの検問所にたどり着いた。

 

フィンランド南東部ラッペーンランタにあるヌイヤマ検問所。バーが設置され閉鎖されている=2024年4月23日、森岡みづほ撮影
 国境で難民申請の審査のためパスポートを預けた。念願のフィンランドだった。
 だが、それから数カ月たっても入国許可のめどすらみえず、施設に隔離されたままだ。「不安で気が狂いそうになる」と、オマーンさんは声をつまらせた。
 施設の関係者や他の収容者にも話を聞いた。現在施設にいるほとんどが、シリアやイラン、ソマリアなど政情が不安定な母国からロシアを経由し、昨秋以降にフィンランドに入国した人たちだという。
 移民を手助けする「ガイド」を雇い、森を歩いて入国した人もいるが、多くはSNSで拡散された動画で「フィンランドからEU圏への入り方」を学び、ここにたどり着いていた。紛争が続く自国から逃れるためで、ロシアのウクライナ侵攻とは無関係のようだった。

 

 昨年8月以降、ラッペーンランタの検問所を含め、ロシア国境からフィンランドで難民申請をした人は1300人以上に上る。フィンランド国境警備隊によると、それまでロシア国境から入ってくる移民はほとんどおらず、降ってわいたような突然の現象だった。
 昨年11月下旬時点で、ロシアからさらに数千人が押し寄せているという情報があった。フィンランド政府が国境を閉鎖し、移民の国外退去まで検討しているのはこのためだ。今のところ、移民によって地域社会が混乱するといった影響は出ていないが、公共放送YLEによると、国民の約7割が国境完全閉鎖を支持している。
 国境警備を監督するマリ・ランタネン内務相は朝日新聞の取材に、「問題は移民の数でなく、その背後にあるものだ」と話す。
 22年に始まったロシアによるウクライナ侵攻を経て、フィンランドは長年の中立を翻し、ロシアが敵対視する北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。難民が急増したのはその約半年後だ。
 ランタネン氏によると、移民がロシア政府に気づかれずに国境を越えることは不可能だ。つまり、ロシア当局が少なくとも「フィンランドに向かう移民を、以前のようには止めなくなった」ことは確かだという。
 実際、フィンランドの国境警備隊や諜報(ちょうほう)機関の分析で、ロシア当局が移民に自転車を支給するなど、積極的に関与していることが明らかになった。
 ロシアの同盟国ベラルーシとポーランドの国境では数年前から、EU圏への越境を試みる移民がたびたび押し寄せ、混乱が起きた。欧米メディアは「ベラルーシ政府が意図的に移民を送り込んでいる」と批判した。
 同じことがフィンランドでも起きたのだと、ランタネン氏は言う。
 「我々は隣国を侵略するような国と国境を接している。フィンランド国境はEUとNATOの対外国境でもある。外部の圧力を感じたら強く対抗しなければいけない」
「ロシアの手段」とされた人びとの実像は
 ロシアに対する警戒感は欧州全体で高まっている。ロシアが関与した可能性のある事件が多数報告されているからだ。
2024年5月12日、ポーランドのワルシャワのショッピングセンターで発生した火災。
 英BBCによると英国当局は4月、ロシアの民間軍事会社ワグネルに協力してロンドン東部のウクライナ関連企業に放火したとして、男2人を起訴した。ポーランドの大型ショッピングセンターやリトアニアの家具大手IKEAでは5月、原因不明の火災が起きた。
 五輪を控えるフランス・パリでは6月、エッフェル塔の近くに、「ウクライナのフランス兵」と書かれたひつぎが置かれ、仏当局は男3人を拘束した。
 国連機関の国際電気通信連合(ITU)は7月、ロシアがウクライナやフランス、スウェーデンなどの衛星システムを妨害したと報告。航空管制に影響が出たほか、テレビの子ども番組が突然、ウクライナ侵攻の暴力的な映像に切り替わったという。
 メディアやNATO、欧州諸国の当局はこれらがロシアの「破壊工作」に当たると指摘する。
 フィンランドはロシアと隣り合い、1939年から44年にかけて旧ソ連と戦った。国境沿いのラッペーンランタには、祖父母や父母がロシアの侵略に抵抗した過去を持つ人も多い。徴兵制があり、ロシアを警戒して常に戦争への備えを怠らなかったこの国にとって、社会の緊張は大きい。
閉鎖されたヌイヤマ検問所から数百メートルの場所にある教会には、1939年~44年の旧ソ連とフィンランドの戦争の戦没者慰霊碑がある=2024年4月23日、フィンランド南東部ラッペーンランタ、森岡みづほ撮影
 だが「ロシアの手段」とされる移民たちに実際に会ってみると、彼らはロシアもウクライナも関係なく、母国を追われ、必死に新しい居場所を探している人たちだった。
 安心して暮らせる場所がない。それはどんな心持ちだろうか。ロシアを警戒し防衛を強化する欧州と、居場所のない人びとの人生に言葉がなかった。
     ◇
 

 

 

« 「名は体を表す」 甘利大臣や島尻大臣の場合 | トップページ | 抹茶サロンを海外に出しませんか »

国際問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シリア難民、プ-チンの遠謀:

« 「名は体を表す」 甘利大臣や島尻大臣の場合 | トップページ | 抹茶サロンを海外に出しませんか »