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2016年1月の記事

2016年1月19日 (火)

ピエトロ・ロンギの「薬剤師」絵の考察 (その二)

実はその説明にはいろいろとあるのです。

「考察」
まず、この絵についている説明なのですが、この絵があるベニスのAccademiaという美術館にはイタリア語で「Farmacista」となっています。つまり、このイタリア語をそのまま訳すと「薬剤師」になります。なお、この「絵」は現在はこの美術館にはなく、また別の美術館Ca‘ Rezzonicaにもありません。なんでも現在修復中とのことでしたが、ここ二年ほどは両方の美術館にも見当たりません。

この絵が作成されたのは1752年となってます。イタリアでFarmacistaという表現が使われ始めたのはまさにこの絵が描かれた18世紀から19世紀にかけてなので、果たしてP.Longhiがそのような新しい表現を使っていたかはやや疑問があるのです。そのころはSpezialeという表現が使われており、現代風に日本語表現すると「薬屋」になり、薬剤師という確立した職業名ではなかったのです。

次いで一番の問題はこの絵の中で誰が「薬屋」であり、彼が何をしているのか、という解釈なのです。一般的になんらの予備知識もなく、ただこの絵をみてその説明が「薬剤師」となっているのを見たときにほとんどの人が理解するのは中央に白い帽子のようなものを被った人が「薬屋」で、歯を治療しているような印象を受けるのです。でもその当時に「薬屋」が歯の治療をしていたのだろうかとの疑問が生じるのです。

事実、イタリアの説明書には「歯を治療している薬屋」との記載もあるくらいで、昔には歯磨き製品の宣伝にこの絵が使われていたこともあったそうです。つまり、この「絵」を自由に解釈するとそのように解釈してもあまり無理がないのです。そのほからもこの「薬屋」は歯の治療ではなく、この女性の患者は淋病に罹っており、歯肉に問題があり、「薬屋」が水銀を歯肉に塗っているとの説明もあります。確かに「薬屋」、「水銀塗布」となるともっともらしくなりますが、そのような記述の出典がなく私の友人がどこかで読んでいたようでした。つまり、彼の説明ではこの女性は売春婦で性病に罹っているのだということなのです。

しかし、その後の資料を考察すると、この「絵」の説明にL’Apotecario di Pietro Longhi, 1752, Veneziz, Galleria dell’Accademia. Si noti il cerusico in visita presso la farmacia. Lo speziale sta prendendo nota della prescrizione. (Rivista di Storia della Farmaica dell’A.I.S.F. 2013)とあり、「薬屋」は絵の右側にある机に向かって薬の処方を記述しており、中央に立っている人は外科屋(Cerusico)であると説明されているのです。つまり、外科屋が薬屋に来て治療を施していることになるのです。もっとも、ここでは何の治療をしているかの説明はなされていません。つまり、この説明では中央に立っていて治療を施しているのは「薬屋」ではなく「外科屋」なのです。ここでイタリア語のCerusicoは外科医という確立した職業以前の名称で、当時はいまだ経験だけの外科的治療を施して居た人に過ぎず、医者とは格が一多段と低いのです。その頃は「薬屋」の地位は医者の次くらいで、外科屋よりはかなり上だったのです。ただ。ここで注目したいのは「薬屋」に該当する言葉にApotecarioという表現が使われていることです。

このような状況は中世期のドイツ語でBaderという表現がありますが、この意味は格の低い外科屋を意味していたのです。今でもこのドイツ語の単語を辞書で引くと「ふろ屋・散髪屋・外科医兼業」のような(古)訳が載っています。

そのほかにも、この絵を複写したFrancesco Bartolozziによると次のように解説にされています。
Vezzosa giovinetta un morbo assale/
che rauca rende la parola e il canto/
l'esamina un perito e scrive intanto/
Medica penna la ricetta al male

つまり、この説明では治療を受けている女性は可愛い歌手で声がでなくなったので喉の治療を受けている、との説明なのです。こうなると、最初の説明とはかなり違ったものになっています。

ところが、そのほかにも次のような説明もあるのです。
[Gli altri pazienti attendono speranzosi, che il farmacista termini la cura del fastidioso mal di denti che affligge la popolana davanti a lui, l’attesa, lunga e “dolorosa” si rispecchia negli ambienti, che il Longhi rende celebri per la saturazione di sentimenti, ci sembra di attendere infatti, con i pazienti, ore interminabili, sentendo le grida sommesse della popolana causate dal mal di denti e dalla cura del farmacista!] (Ilaria Simeoni)

この人(Ilaria Simeoni)の説明では「薬屋」(Farmacista)が歯の治療をしているとなっているのです。

このように一つの絵の解釈でも立場が異なり、また歴史的経過の知識が在るか無いかによってかなり違ってくるのです。

これらの検証を考察すると、このPietro Longhiの絵は「薬屋の内部で、外科処理者が歌手の喉を治療しており、その治療内容を傍らの薬剤師が記録している」と解釈するのが論理的であると考えました。

今回学んだことはいろいろな絵画、ことに歴史的な背景を持った絵画の解釈、理解には意外な落とし穴があり、今まで説明されていたことが間違い根あるいは曲解であることもあるのです。ですから、美術館に行って解説員の説明をそのまま鵜呑みにするのではなく、批判的な発想を持つことも意外な発想につながることがあるのです。

2016年1月16日 (土)

「英語医薬論文の読みかた・訳しかた}」

自己宣伝で申し訳ありませんが、この一月に「英語医薬論文の読みかた・訳しかた」 (薬事日報社)が改定され、出版されました。

 

やさしく理解できる英語医薬論文翻訳の決定版!
初版(2002年)・改訂版(2010年)の発行以来、ロングセラーとなっている「英語医薬論文の読みかた・訳しかた 」を新訂版として6年ぶりに改訂しました。

 

前版の内容を一から見直したことにより、好評だったさまざまな英語論文翻訳例のわかりやすい解説や詳細な用語解説などはよりグレードアップさせ、 新たに臨床関連論文に2つの論文を追加するなど内容がさらに充実しました。前版に比べて類似表現の検討、解説を補充しました。

 

英語医薬論文には独特な表現が多くみられるので、翻訳例を読み難解な部分は用語の解説を参考にして、
再度自分で翻訳にチャレンジするなどの学習方法が効果的です!

 

幸いなことに、この本が東京薬科大学で教科書として採用されていますので、毎年ねかなりの数が増刷されています。

「バ-ゼル日本人会のはじまり」

「バ-ゼル日本人会のはじまり」

世界各地には日本人が滞在、居住し、現在では年によっては日本人街を形成しているところもあります。例えば、欧州ではドイツのジュッセルドルフには日本人が多く住んでいて、毎年の夏になると日本の花火大会が開催されるくらいです。

スイスにも現在では日本人が恐らく千人単位の日本人が生活していると思われます。そのような環境下では自然と日本人同士の集まりがあり、それが発展して日本人会が結成されるのは当然の成り行きなのです。

スイスの都会で日本によく知られているのはチュ-リッヒ、ジュネ-ブ、ルツェルン、などの観光都市ですか、バ-ゼルはあまり知られていないかもしれません。もっとも、バ-ゼルは製薬関係者にとっては知られているかもしれません。

日本人会が形成されると、当然のことながら会報が作られるのです。バ-ゼル日本人会の会報は1977年に発行され、年に数回発行されています。

六十年代、七十年代前半にはバ-ゼルの日本人はそれほど多くはなく、スイス人と結婚された女性と、何らかの経緯でバーゼルに居住していた男性とほぼ半々くらいではなかったかと思います。私の記憶に残っている範囲内では男性としては伊藤慧さん、三洋電機のヨーロッパ事務所長の杉本さん、三共製薬欧州連絡所長の庄田さん、バーゼル大学病院の麻酔の先生の宮本さん、などでしたが、当時はいまだ日本人会としての集まりはなく、伊藤さん、アーベルさん、ショイバーさんなど当時すでに小さな子供さんが居られた家族同士の集まりなどがあり、たとえば伊藤さんが音頭を取ってのSissach郊外のSissacher Fluhへのハイキングなどがありました。当日は帰りに雨に降られ、子供たちと一緒に上から徒歩で駅までビショビショになってたどり着いたことを覚えています。

もっとも、それ以前にはスイス人と結婚されていたStraeuliさんの奥さんがバ-ゼルに住んでいた最初の日本人ではないでしょうか。旦那さんのシュトロイリ-さんは1950,1960年代に時折日本からいろいろな分野で研修するためにバ-ゼルに短期に滞在していた日本人のお世話をしていまして、当時の地元の警察からそれらの日本人で何か問題があった時の世話を頼まれていたのです。このシュトロイリ-さんは戦争中は日本に滞在されていて、東京にあったアメリカ大使館の管理者をされていたのです。戦後、バ-ゼルに戻られて当時のガイギ-社に勤められていました。なお、その後に大使館の関係者からシュトロイリ-さんの日本人に対する貢献という観点から日本政府に叙勲の推薦の話がありましたが、それが実現する前にお亡くなりになってしまいました。

そのような関係で、やはり皆さんにいろいろなお知らせをするにはどうしても会報のようなものを作る必要があると痛感しまして、私が1976年の暮れに東京の神保町のタイプライター屋で「ひらがな・英文キィー付ポータブルタイプライター」を見つけ、当時の金額で二万七千円で購入してバーゼルに持ち帰り、そのタイプライターで最初のひらがな書きの日本人会会報を作り始めたのが1977年の初めでした。つまり、いまからおよそ四十年前になります。このようなタイプライターは当時でも稀で、ましてや現在では貴重な骨董品になるかもしれません。

当初は一枚刷りの会報で、そのコピ-を三共の事務所でさせてもらったことを覚えています。その後三年か四年ほどは確かこのひらがな書きの会報が続いたはずです。と言いますのは残念ながら会長の交代などに伴う資料の保管の不備から当時のひらがな書きの会報が消失しまっているからです。

その後になって、日本で最初にワープロが売り出されたときにはすぐさま日本で最新のワープロを購入して以来、このひらがな・キ-ボ-ド・タイプライターの役割は終わりになりました。

たまたま最近ソーランドさんからこのひらがな書きの会計報告書(1980)のコピーを頂いたので、それをみますと、当時の日本人会員数がなんと現在以上の100人前後であったのです。そこには会報31号が1979年8月に発行されていたのが明記されています。そしてその年の暮れに会報32号が発行されているのが分かります。ということは、1977年, 1978年, 1979年の三年間で32回も会報、(もっともひらがな書きの一頁ですが)、が発行されていたことになります。


2016年1月15日 (金)

2016年は世界的な避難民発生の年になる

私の予感では2016年は避難民の年になりそうです。

確かに昨年2015年は欧州に何十万、何百万という避難民がやってきて、とくにドイツは国内的にも大きな問題を抱えてしまっています。

しかし、今年年、2016年は欧州以外では東アジアでの避難民が問題になるような気がするのです。つまり、そのような避難民の火種が朝鮮半島、台湾にあるからです。それに加えて中国大陸の問題もあります。

もしこれらの地区で政情不安になれば避難民が発生するのです。それらの避難民が一番到達しやすいのは日本なのです。ところが日本の政治家はそのような可能性すら認識していないのです。現在のドイツが直面している避難民問題を考慮すれば、せめてその「対策チ-ム」、いや「検討チ-ム」くらいは発足させるべきなのですが、地震と同じで実際に起こってみないと誰も検討しないのです。

そのような避難民発生の原因はいろいろとあるのですが、日本を破滅に追いやろうと考えれば、どこかの国からの避難民を日本に向かわせれば済むことなのです。

でも現在の欧州での避難民問題で問題なのはなぜほとんどの避難民がドイツへ、ドイツへと向かっているのかということです。これはなにもドイツのメルケ首相が寛容だからではないのです。メルケ首相は昨年、いやそれ以前から避難民がドイツに向かっていることに対して人道的な見地から表明していたのですが、それ以前にもすでに大量の避難民がドイツ、ドイツとなっていたのです。

それはなぜか。欧州で現実にそのような避難民がイタリアに大きなゴムボトで危険をおかして、到着している実情を欧州でテレビを毎日のように見ていて私が一番最初に感じたのはその避難民の全員が若者で、しかも全員がスマホなどを手にしていたことなのです。

しかも、それらの若者の全員が連綿としてドイツに流れ込めば最終的には困るのはドイツなのです。だれがドイツが困るように仕掛けているのでしょうか。それはロシアだからです。ロシアはEUからボイコットされていますが、その原因は主としてドイツにあるとロシアは考えているのです。つまり、中近東の政情を不安にして避難民をドイツに向かわせれば、終局的にはロシアの思うとおりに、ドイツを混乱におとしめることができるからです。このような遠大なトリックはロシアだからできるのです。

 

そのように推測するのは私だけかもしれませんが、繰り返しますが、私が不思議に思うのはそれらの難民の全員が若者であり、ほとんどすべての人たちがスマトフォンなどを手にしていることなのです。いったい誰がそのようなIT機を避難民全員にあたえているのかと思うのですが、マスコミはこのことに関しては全く報道していませんでした。確かに、2010年代には欧州の若者たちでもスマホなどは持ち始めたころなのです。

2016年は中近東からの避難民がますます発生し、最終的にはEU全体が破滅するかもしれません。

追記(2021 June)
最近のある雑誌に
「EUは移民排斥に傾斜、人道主義の裏の本性の「裏」の本性露わに」との記事がありました。
しかし、このような判断は表面的な観点からのみのものて゛あり、そのうらに在る真実、現実を知らないからて゛す。確かに、人道的には避難民は援助、救助すべきかもしれません。しかし、そこには限界と言うものがあるのです。

現時点で、イタリアへの避難民がそれこそ毎日のように押し寄せてきていて、その対応としてEU全体での避難民受け入れが、人道的な見地から容認されています、しかもそれらの難民は文字通りの難民であり、子供たちを連れた家族難民がほとんどなのです。ですから、私が最初にアフリカ大陸から大きな立派なゴムボトで青年ばかりの難民とは全く事情が異なるのです。

もしこのまま続けば、今後20, 30年後にはそれらの移民、その多くはイスラム教徒、の人口は膨大なものとなり、イスラム教の影響は膨大なものとなり、欧州全体がイスラム教国家となるかもしれないのです。
でも、そのような将来的な事情は現時点では誰も口に出すことは人道的な見地から、不可能なのです。
しかし、そのような結末は、EUの崩壊にもつながるのです。それこそまさにロシアが望んでいたことなのです。

 

2016年1月12日 (火)

文献調査の難しさ/ピエトロ・ロンギの「薬剤師」絵の解釈 (その1)


  ひとつの論文を書くときにいろいろな文献、資料を引用、参照しながら書くのが普通ですが、問題は参照する場合なのです。ここで、一応明確にしたいのは文献などの「引用」は文字通り、参考にした文献などの記述そのものを転記するのであって、そこには自分の考えで勝手に判断して書き直してはならないのです。その一方、「参照資料」または「参考資料」はそこに記載されてある内容を参考にして、場合によっては私見を加味して記述することができるのです。ですから、厳密には「引用文献」と「参照文献」とでは若干の違いがあるのです。

ところが、そのほかにもう一つの問題点があるのです。例えば、ある絵画に関しての解説が挙げられます。美術館に行っていろいろな有名な絵画などを美術館専属の専門家の解説を聞きながら鑑賞する機会は稀ではありませんが、その人の説明が本当にその絵を描いた人の考えそのもののを代弁しているのか、それとも第三者的な観点からの理解なのかは定かではありません。多くの絵画は画家自身がその背景となる考えなどを詳細に記録しているとは限らないからです。

例えば、かの有名なロダンの「考える人」の彫刻です。一般的に解説されているのはあの像は「何かを考えている」といった哲学的な概念の象徴として一般的には捉えられています。ても、この像の解説をみると次のように書かれています。

「東京の国立西洋美術館の前庭に、ロダン作の「地獄の門」があります。巨大なこの作品の上の方に、かなり小型の「考える人」の像がついています。京都国立博物館の「考える人」の形はこれにもとづいて、さらにそこから独立させたものなのです。「地獄の門」は、ダンテ(中世から近世初頭にかけてのイタリアの詩人)の『神曲』という詩編の中の「地獄編」に描かれる、地獄におちた者たちを審判官が見ている場面からきているのですが、いっぽうの「考える人」はまったく同じ形ではあっても、そのような背景はいっさい切り捨てられ、ひとりの人間の思惟している姿となっています。前の作品からその一部を借用して、そこにまったく別の意味づけを与えてしまうというはなれ術は、何もこの像だけに限ったことでなく、いろいろなジャンルの芸術作品にしばしば見ることができます。
 「地獄編」の内容から解放された「考える人」は、もはや地獄の霊魂について考えているのでないことはもちろんのこと、何について考えているかについては、鑑賞者の自由な想像力にまかされます。」

つまり、この像そのものを全体から切り離してみれば「考える人」との解説にうなずかれると思うのですが、本来はこの像は地獄を見ていることになるのです。つまり、このような理解の違いは絵画鑑賞の世界ではあり得るので、我々が美術館の専門官の解説、説明を聞いてもそれが絶対であるとは限らず、もしかしたら、その絵画の原作者は全く異なった意図で書いていたのかもしれません。

ところが、場合によってはこのような自由度のある解説が当惑することがあるのです。
それはイタリアの中世期の有名な画家のひとりであるロンギ(Pietro Longhi)という人が描いたものです。この絵はイタリアのベニスにある美術館(Academia)にあるのですが、この美術館にある目録にあるこの絵の解説には「薬屋」との記載があるのです。(オリジナルはイタリア語でFarmacistaとなっていますので、直訳すれと薬剤師になるのですが、これが描かれた時代は中世期の時代ですので薬剤師という表現にはせず薬屋という訳にしています。ちなみに当時の薬屋はイタリア語でSpezialeと呼ばれており、Farmacistaという用語は1800年代以降に使われ始めたのです。このような歴史的背景を理解すると美術館に展示されている絵にFarmacistaと書かれてあるのは誰かが勝手に書き足したもので、ピエトロ・ロンギ自身が書いたものではないことになります。)

この絵は容量が大きくてここに添付できませんがPietro Longhi Farmacistaで検索すればすぐに見られます。

この絵と表題とを見て皆さんはどの人が薬屋で何をしているのかを想像できますか ?!!。

実はその説明にはいろいろとあるのです。 (つづく)

2016年1月11日 (月)

私のラテン語学習歴

私のラテン語学習歴

 

日本でもラテン語を学習する人は医学部、薬学部の学生を除いてはほとんど居ないと思いますが、これらの学部の学生でもラテン語を学習する人は少なく、ラテン語の学習は選択項目になっているのではないでしょうか。つまり、敢えて言語としてのラテン語を勉強しなくとも問題はないからなのです。

 

わたしも大学の授業の中にラテン語の科目はありましたが、必須でありませんでした。それでも最初の授業には出席したものの、最初が文法で、全然面白くないので途中でやめてしまいました。

 

その時のラテン語の先生は古川晴風という人でした。この先生はラテン語とギリシャ語の辞書をそれぞれ編集されていて、今でもこれらの辞書の広告が新聞にときおり載っているくらいです。それでも、解剖学とか薬用植物学では学名はラテン語なのでなんとなくそれらの学名は頭に残っていて、いまでもMatricaria chamomileなどが頭に残っています。

 

その時、ラテン語はこれでおさらばと思っていたのですが、その後にイタリアに留学した時にロ-マをはじめ、イタリアの都市にはたくさんの教会があり、それらの教会に入ると至る所にラテン語で書かれた文章が目に入ります。それらの文章をおぼつかないイタリア語の知識から解読しようとしてもかなりの困難があり、いつも残念に思っていました。

 

しかし、最近になって、思い出したようにラテン語を少し勉強しようかと考え、町にある語学学校にラテン語クラスがあるのを見つけ、申し込んだのでした。これらの学校のシステムは一般的には各クラスの一学習期間が三か月なので、初級のクラスに申し込んだのですが、申込者が私ともう一人の二人きりでした。原則としては一クラス最低は三人が必要なのですが、例外として二人だけのクラスで始めてもらいました。

 

ここでのやり方は、文法から入るのではなく、直接に文章の解読から入るので興味深いもので、なんとなく三か月が過ぎました。そしてそのあとの中級のクラスに進もうとしたら私一人になってしまい、例外が認められず、それでラテン語クラスは打ち切りになってしまいました。

 

確かに、今時にラテン語を勉強しようとする人はほとんど皆無なので、これも致し方がないのかもしれません。
そんなわけで現在はラテン語とはおさらばです。もっとも、ラテン語で書かれた漫画の本(Asterix / Delta Verlag GMBH< Stuttgart)があるので、それを時たま見ているだけです。もし関心のある方はアマゾンで検索すればあるはずです。ほんの名前は{Asterix apud Briannos}です。この本はドイツで出版されているのでAmazon deで購入できます。この漫画以外にもいろいろな漫画がラテン語で書かれてあります。そして別紙に英語の翻訳が添付されています。

 

でも、医療関係ではいまだにラテン語の痕跡が残っていますので、診断名にはラテン語が使われている場合もあるようです。

 

「なぜ」の発想はあなたを若くする

「なぜ」の発想はあなたを若くする

  いろいろな日常生活の中で、常に「なぜなのか」という考えを持つことはたんなる好奇心だけではなく、その検索とか調査をすることによりいろいろと新しい発見があるのです。その結果、常に物を考えるという習慣が身に付き、間接的にはボケの予防にもなり、最終的には体のためにも良いのです。

   そのような「なぜ、なぜ」の発想の典型例はニュ-トンがリンゴの実が木から落ちるのを見て「なぜなのか」、と考えた結果、引力を発見したといわれています。

  ともかく新聞や雑誌などを読んでいても常に「なぜなのか」と疑問を持つことはいろいろな意味で勉強にもなり、また頭の体操にもなるのです。

  私もこのブログの中で「私の架空発明」と題して好きなことを書いていますが、いまのところあまり反応は多くはありません。

いずれにしても、なぜなのかとの疑問をインタネットで検索すると以外と面白い発見もあります。

2016年1月 4日 (月)

海外在留日本人がどんどん消されている 「無国籍の日本人」

海外在留日本人がどんどん消されているのを知っていますか

もしあなたが今日からもう日本人ではないのでよ、と宣言されたらどう思いますか。ともかくそんなことを考える人は日本にはいない筈です。ところが海外在留日本人の場合には、そのようなことが日常業務として海外公館が無造作に行っているのです。

それは国籍法という法律により、海外の国籍を何らかの理由で取得した場合には、その時点で「自動的に」日本の国籍を失うと定められているからです。詳細な資料は存在しませんが、この法律に基づいて毎年、何百人、あるいはそれ以上の日本人が日本人ではなくなっているのです。つまり、海外では間接的には日本人追放業務が粛々と行われているのです。

いっぽう、日本に住んでいる日本人をも含めて、海外在留邦人のほとんどはこのような国籍法の規則を全く知る機会もなく、したがって場合によってはそのような法律が存在することすら知らないのです。そのような海外在留邦人たちが、日本の旅券の更新に海外公館に申請した時に、その時点で外国籍を所持しているかどうかの口頭質問だけで、もし所持していれば、自動的に旅券の更新はできません、となり旅券が無効にされてしまうのです。すなわち、日本の旅券が失効されるということは日本人ではなくなるのです。その結果、理論的には日本の戸籍も当然存在しないことになるのです。(でも
現実にはこのような場合「戸籍消失届」を本人が出さない限り戸籍は存在するのです。)

このような業務の現実は日本にいる政治家は全く関心がなく、またおそらく知らないことだと思うのです。いま日本では少子高齢化社会が大きな国内問題になっていますが、その一方で海外日本人を無意識的に抹消していることは海外で活躍している日本人並びにその家族を意図的に日本から放逐することになり、極めて異常な行為なのです。

戦後まもなくは海外に在留する日本人の数はきわめて少なかったのですが、現在では一体何万人、いや何百万人の日本人家族が海外で活躍しているかはよくわかりませんが、ともかく膨大な数の日本人が海外にて生活しているのですが、現地でのいろいろな社会状況に順応するために場合によってはその国の市民権、つまり国籍を取得せざるを得ない場合もあるのですが、その結果は日本人ではなくなってしまうという現実を日本の政治家は全く理解していないのです。

日本にいて海外に出かけることのない人には旅券の存在などは関係がないのですが、いったん海外に出かけると旅券は重要な身分証明書に早変わりするのです。つまり、海外に旅に出るための書類、すなわち旅券が身分証明書になるのです。

現実にこのような法律の影響で日本人をどんどん追放している半面、将来の小子高齢化社会に向けて海外からの移住者を考慮しなければならないと政治家は考えているようですが、その反面、本来の日本人を追放している現実をどのように理解しているのか知りたいものです。

最近に、「無戸籍の日本人」という本が出版されていましたが、これて似たような「無国籍の日本人」について本を書いてみたいと考えています。

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