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2015年7月の記事

2015年7月31日 (金)

誰も知らなかった常識の背景

私がかなり前に書いた本に「誰も知らなかった常識の背景」があります。
この本はどちらかと言うと日本と欧州とでの生活環境に関連した相違点、起源などを比較しながらいろいろな見地から随筆調に書かれたものですが、既に絶版になっており、新本は書店で購入できません。

現在、この本は無料電子書籍ライブラリwww.ipad-zine.comから無料でダウンロドして読むことが出来ます。このサイトを開いて私の名前、鈴木伸二、で検索すると私が書いたいろいろなものを読むことが出来ます。
なお、最近になってこのサイトは停止されていますので、もしこの本の電子版が欲しい方は私に直接お申し込みください。無料で送信いたします。
ssuzuki@bluewin.ch


この本の内容の一部は以下のようなテマがあります。


生活習慣編(日本ではどうしてドアーは外開きなのでしょうか?「外開き文化の悲劇」
青信号は本当は緑信号なんですけど「単色文化と複色文化」 ほか)

人間本質編(嫌なものは外に投げ出しましょう!「内向社会と外向社会」
あなたは今日何回笑いましたか?「瞑想文化と笑い文化」 ほか)

社会編(歓迎会は自分のポケットマネーで開くんですよ!「同属社会文化と自己中心文化」
駅の改札は本当に必用なのでしょうか?「自己責任と組織責任」 ほか)

食習慣編(ご飯なしの食事はできませんよね「おかず社会と主食社会」
日本料理はやはり旨い「ソース文化と煮込み文化」 ほか)

言語・交流編(英会話の勉強はあきらめなさい「意在言外」社会と「有言伝達」社会
日本語を国際語にしましょう「自国語を卑下する日本人」 ほか)

この電子版を読まれて何かコメントがありましたら頂きたいと思います。
なお、この本の奥付にあるメイルアドレスは以下に変更されています。
  ssuzuki@bluewin.ch

よろしくお願いいたします。

2015年7月 3日 (金)

一般消費者からみた薬局の価値、 日本は「医薬散業」なのだ

一般消費者からみた薬局の価値


最近の薬局を取り巻く環境はなぜか厳しいものがあります。高騰する調剤技術関連費用、処方薬の一般薬への切り替え促進、薬局数の削減、門前薬局の見直し、などなど、いろいろと新聞種になっています。


つまり、これらの議論は現在の医薬分業のあり方がいろいろな角度から検討され始めていることなのです。でもナゼ今頃になって、つまり医薬分業が始まってから四十年近くも経っているのにです。

しかし、このような議論で欠けているもののひとつは一般消費者の立場からの意見、理解なのです。つまり、現在医療を受けていない一般の人たちが考えている薬局の存在価値なのです。

これら一連の問題は意外と根が深く、現在の薬剤師側は医薬分業実施の影響もあって医療関係者との意識があると思うのですが、外部、つまり一般消費者側からの概念の多くは未だに一般薬局の薬剤師は「薬屋のおじさん」的なのです。この概念がいままで長らく続いていたので、いたし方が無いのです。


その端的な例は郊外とか町の外れなどにある調剤を引き受けない薬局をみれば明白です。つまり、そのような薬局がいまだ存在するが、そこでの医薬品在庫数は極めて限定されているのです。いっぽう、しかも最近の傾向としては普通の人がクスリを買いにいくのはもうドラッグストアという概念がほぼ定着しているのです。ですから郊外とか中心街から離れたところにある調剤を引き受けない薬局は閑古鳥が鳴いています。いずれこのような薬局は淘汰されるでしょう。そうなると病院通いをしていない一般の人はますますドラッグストアと従来の概念の薬局とが重なり合って、薬局、イコル、ドラグストアになってしまうのです。

このような状況に拍車をかけるように日本チェーンドラックストア協会が現在の医薬分業に関して、「今までは分業を進めるためだったが、これからは分業はホンマもの」と述べ、分業はドラッグストアが担っていくものであるとの姿勢を強調していたそうです。これはまさに薬剤師会の怠慢を間接的に指摘し、薬剤師会には任せておれないとも解釈できるのではないでしょうか。
いゃ、本当に日本の医薬分業は支離滅裂です。

特に都会で気が付くのは繁華街には昔の概念での薬局はほとんど見当たらないのです。例えば、新宿とか渋谷などで多くのクスリを扱っている薬局は探すのに一苦労です。私の知っている限り、渋谷の繁華街には昔からある薬局が道玄坂のソバ一軒だけあるだけなのですが、意外とその存在は知られていません。なにしろいたるところにドラッグストアの看板が派手に目に付くからです。さらに日本の悪いところは薬局の存在を明確にした標識が全くないのです。つまり薬局の明確な意思表示となる全国共通となるべき薬局の印が無いのです。ですから普通に歩いていても薬局をみつけるのは容易ではないのです。

そうなるとその逆に調剤だけしか引き受けない調剤薬局は一般のひとにとってみればまったく関係のない存在であり、自分が病気になり医者や病院に行かない限りまったく無縁の存在なのです。

したがって、このような健康人にしてみれば「薬局」はドラッグストアと同じなのです。それにしてもそのような一般薬局では「うちの店にはそのクスリは置いていません」のように商店感覚のところがいまだかなり多いのです。

つまり、医療関係者との認識が少しでもある薬局、薬剤師が一部に存在する一方、旧来の薬屋のおじさん的感覚の薬局がいまだにかなり存在すること自体が問題なのです。もっとも現時点での薬剤師会の幹部の多くは過去における「薬屋のおじさん」的なひとが未だに多いのです。唯一の例外は医薬分業が施行されたときの日薬会長だった石舘守三博士は旧国立衛生試験所長だったのです。(この間の事情は拙著「薬社会への処方箋」を参照)


結論から言えば、日本が正式に医薬分業を実施したときの日本の薬剤師会の対応が、『出来るところからすこしづつやりましょう、とりあえず病院の調剤業務をとりあえず外に出しましょう、門前薬局にしましょう』との「出来るところから、とりあえず」方式が今日の混乱を招いてしまったのだと思います。したがって、私に言わせるともう手遅れなのです。


ですから、病人でない健康人が、何らかのときにクスリを必要としたときにOTC薬を購入するためにわざわざあまり目に付かないところにある薬局を探すより、何処にでも見られるドラックストアに言ったほうが簡単なのです。確かに、保険薬局にはある程度のOTC薬もそろっていますが、調剤薬局の多くはOTC薬は扱っていないので、まずそんなところには行きません。もっとも、ドラッグストアにある医薬品在庫は極めて貧弱ですこし込み入った内容のクスリを求めても「うちには置いていません」で終わりなのです。


これが現在の一般人の薬局観だと思うのです。現在薬剤師側がいろいろと薬局の職能の拡大という観点から健康診断的なサ-ビスの導入などが論じられていますが、このようなサ-ビスを実施できる保険薬局はいまだ多くは無いようです。もちろんこのような職務は調剤しかしない殿様感覚的な営業時間しか持って居ない調剤薬局や、OTC薬だけを細々と扱っている一般薬局に期待するのは無理なのです。

このような現実を要約すると現在の医薬品販売形態の種類は以下のように分けられるのです。

 ①調剤だけしか引き受けない調剤薬局

 ②特定の病院の処方箋受付が主となっている門前調剤薬局

 ③調剤は主であり、補足的に一般薬も扱っている拡大型調剤薬局

 ④一般薬を扱っているが調剤も引き受けている保険薬局

 ⑤一般薬のみを扱い調剤をしない一般薬局

 ⑥一定の一般薬のみを扱っているドラッグストア

 ⑦処方箋調剤をも引き受けるドラッグストア


つまりこのようないろいろな医薬品販売形態を有するのが日本の医薬分業の実態であり、そもそも医師と薬剤師の職業分担関係が明確にされ、すべての医薬品を均一に扱い、処方箋をも受け付ける薬局、つまり本来あるべき姿の薬局以外にもいろいろな形態があり、これらのこまごまと区分された医薬品取り扱い機関が存在するのが日本の医薬分業の結果であるので、医薬散業、つまり上記のようないろいろな形態に医薬品取り扱い機関が散らばっているのが日本の現況であるとい意味の「医薬散業」なのです。別な見方をすると、日本のやっきゅく業務はいろいろなところに分散されているので、当然のことながらそれぞれのところでの営業利益は激減してしまうのです。その結果、薬局が消えてなくなる事態が既に見られているのです。

基本的には四番目の「保険薬局」があるべき姿なのです。ともかく日本の薬局には自分たちは医療機関の一員であるとの認識が殆ど無く、例えば全国何処でも共通した薬局の看板すら存在しないのです。

さらに、日本チェーンドラックストア協会が現在の医薬分業に関して、「今までは分業を進めるためだったが、これからは分業はホンマもの」と述べ、分業はドラッグストアが担っていくものであるとの姿勢を強調していたそうです(2015 July 17)。これはまさに薬剤師会の怠慢を間接的に指摘し、薬剤師会には任せておれないとも解釈できるのではないでしょうか。

そのうちにマクドナルドなどにも調剤薬局が設置されるかもしれませんね。このように考えると将来の薬剤師が私の職場はコンビニです、マクドナルドですとなるのかもしれません。

いゃ、本当に日本の医薬分業は支離滅裂です。


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