以下は前にあるところで講演した内容のものです。
「MRのための マーケッティング・ツールとしてのファルマコビジランスの実践」
1.現状分析
1.1 現在の添付文書情報の問題点
現在の医療用添付文書は基本的には医療関係者が一応目を通すものとの大前提で作成されている。しかし、医療関係者、ことに臨床医がそれらを参照する機会は意外と少なく、全く新しい医薬品の場合とか、初めて使う医薬品の場合には参照することはあるが、その実態はあまり明らかにされていないし、またそのような実態調査を行うことにはほとんど関心が示されていない。新薬のような場合には訪問したMRを通じて処方用量、効能、効果、安全性などにについて説明を受ければ、あとは各医師の経験の積み重ねで処方実態が形成されることになり、よほどのことがない限り該当医薬品の添付文書は日の目を見ないことが多い。しかも、紙の媒体としての添付文書は病院内の薬剤部に一括保管されていることが多く、またPCで添付文書を参照することが出来るので、したがって、今日では紙の媒体としての添付文書の存在価値はあまりない。
極言すれば、添付文書は日常の医療行為の中ではその存在価値は意外と極めて低いのが普通である。過去において、ある大学の先生が、添付文書は生命保険証の裏に書かれてある細かい契約内容の詳細文を誰も見ないのと同じように、ごてごてといろいろと書かれてある添付文書なんて誰も読みませんよ、と新聞に投稿、豪語されていましたが、案外本音なのかもしれません。でも、なぜそのような極論がまかり通るのでしょうか。その理由の一つには添付文書の記載内容は実際の医療の現場のニーズを反映させていないからだと考えられます。
1.2 情報の性格:「点情報」から「球情報」提供
基本的には、情報には「点情報」、「線情報」、「球情報」と三つがあり、「点情報」はただ存在するだけを伝え、「線情報」はその情報に関連した付加価値情報をも意味し、最後の「球情報」は付加価値情報に加えて背景情報、関連総合情報を意味している。ファルマコビジランス分野で一番大切な安全性情報が危険情報と捉えられないためには最低、「線情報」が大切であり、最終的には「球情報」が必要になる。たとえば、一つの副作用に関連して、その存在および発生頻度は「点情報」であり、現在の添付文書記載様式である。しかし、その副作用がどのような時期に発生しやすく、どのような状態で進展し、どのくらいの期間にわたって継続し、その治療方法は、そして転帰はどのようになるのか、などの実務的な情報は「線情報」になるが、このような情報は添付文書には全く記載がない。もっとも、厳密な意味では「副作用発生率」は「点情報」ではなく「線情報」扱いになるかもしれないが、極めて概念的な情報であり、「点情報」に近い。
さらに、その副作用に関連した疫学情報、または副作用とは関連しなくても同じような症状がどのような疾患でも起こり得るのか(たとえば鑑別診断、因果関係評価に参考になるような情報)、あるいはそのような副作用の発生機序はどうなのか、どのような要因(年齢別、性差、投与期間の長短、など)がその発生に関与しているのか、などが「球情報」になる。例えば、軽微な副作用とされる「吐き気」が、添付文書に記載されているだけでは単なる「点情報」に過ぎない。しかし、少なくともその「吐き気」が服用当初に見られるだけで服用継続中の数日後には自然消失するものなのか、あるいは服薬期間中ずっと継続するものなのかということは、患者にとっては大切な情報になる。しかし、こんな簡単、しかし重要な情報はどこにも記載されていない。そもそもそのような情報を解析、演繹できるだけの情報量(副作用症例の絶対数)が不足しているからである。なぜなら、そのような軽微で既知の副作用は誰も行政あるいは企業に報告しないし、また企業もそのような症例の収集には全く関心がなく、場合によってはMRがそのような情報の受け取りを間接的に拒否することは知られている。
つまり、最終的にはコンピューターに医薬品名と副作用名を入力すると、これらの総合的な情報、「球情報」が ただちに画面に現れるのが望ましい。そのためにはたとえ軽微でもすべての副作用がすべてのデータとともに報告されてくれば、それらを社内の関連部門が解析して、それぞれの「球情報」をMRを通じて医療関係者に自動的に提供できるようになる。繰り返しになるが、医学的にはたとえ軽微な副作用でも、患者にとっては必ずしも軽微とは受け止められないこともある。
すなわち、安全性に関連した情報について言えば、「球情報」はひとつの副作用項目に関連したいろいろな付加価値情報を意味している。ただ、ここで注意しなければならないことは、確かに「球情報」はもろもろの付加価値情報の集大成版と考えるべきであるが、付加価値の「付加」は企業が努力していろいろな情報を作成することができるものではあるが、「価値」そのものは企業が判断するものではなく、その受け手である医療関係者が判断するものである。したがって、一生懸命企業が「球情報」を念頭に置いていろいろな情報を収集、解析、提供しても、それが顧客である医療関係者のニーズに会わなければそのような付加価値情報は全く意味のないものになり得ることを銘記すべきである。つまり、一口に「付加価値情報」と言ってもその意味には二つの視点が介在することである。
1.3 無意味な「慎重投与」表示
現在の添付文書の最大欠点は「慎重投与」の表現である。例えば、妊婦とか子供などに対しての「慎重投与」とは何を意味しているのだろうか。そこには何らの具体的な情報はなく、「点情報」以下である。この慎重投与の対象になる患者に対して臨床医はどのような方法で該当医薬品を投与しているのだろうか。実際にはいろいろな投与方法が存在するが企業はそのような貴重な詳細情報を積極的に収集しないのはなぜなのだろうか。おそらく、そのような情報はいままで臨床医から求められたことがない、だから求められることのない情報を苦労して集める必要はない、との暗黙の了解があるのかもしれない。あるいはそれらの情報は特別に行政からの指示がないので、あえて特別な対策は講じていないのかもしれない。しかし、実際は臨床医の全員がそのような慎重投与のいろいろな実例を経験しているのである。いっぽう、現時点では仮にそのような細かい情報、データを企業に求めても企業にはそのような情報はなく、したがって何らの返事も来ないから、聞いても無駄だ、との過去の蓄積が医師にはあるので、当然のことながら医師から企業には問い合わせが来ない。したがって、新しく医局に赴任した経験のない新任の医師はそのような場合には、先輩などに聞いて実際に医薬品を投与していることになり、企業に気楽に問い合わるといった発想は全くない。このように考えると、すくなくとも添付文書は医薬品中心の情報であり、臨床医中心の情報ではない。
1.4 情報源の開拓
ではそのような臨床医中心の実際例データは誰が収集するのだろうか。理論的には企業がそのようないろいろな症例を実際に集大成し、一つのデータべース化することが出来るが、それらの具体的な情報はMRが日常接している臨床医側に集大成されているにも関わらず、それらの情報、データの存在並びに収集に関して企業はほとんど関心がない。しかし、このような情報源への対応は一人のMRの力ではどうにもならず、企業全体がそのような概念、理念を如何に理解し、実行に移すかとの全社的な対応が必要になる。一般的に、このような情報・データが積極的にいまだ収集されていないということは、見方を変えれば他社に先駆けてそのような情報・データを集大成して臨床の現場に積極的に還元できれば、明らかな他社製品との差別化につながることになるが、このような発想は企業内ではあまり歓迎されていない。これほどの宝の山を全く無視しているのはなぜなのだろうか。
1.5 情報提供の理論と実際 (既存情報の提供から創られた情報の提供へ)
従来の医薬品情報の提供の代表的なツールとしては添付文書、場合によってはインタビューホームがあげられるが、前述のように実際にはそれらの情報源の価値はあまり高いものとして医療関係、とくに臨床医、には捉えられていない。したがって、臨床医が実際に何らかの新しい情報、データが必要なときにはそれらの既成の資料は何らの参考にもならないからである。つまり、既存の医薬品情報は実際の日常医療のニーズに十分こたえていないものと考えられる。
もし、医療の現場で必要とする具体的なデータ、情報がある時点で必要なときにそれらの必要なものを医療関係者はどこから手に入れることが出来るのだろうか。つまり、企業にとっては実際の医療のニーズをどのようにして読み取り、それに答える努力をどのようにすべきかが大きなチャレンジになる。
1.6 .現在の情報提供の問題点
繰り返しになるが、現在の添付文書内の情報は「点情報」であり、しかも、現実には既成の情報・データをもとにしてMRは情報提供活動を行っているといっても過言ではない。例外的に、医師から特別情報を求められたときには本社の担当部門に問い合わせてから対応することになるので、担当医師に即座にその場でコンビュターを駆使して要望された情報を提供できるようなシステムが完備しているとは限らない。一般的に、MRが即座に参考にできる基本的な情報は添付文書、インタビューホム、専門資料などの範囲内であり、それ以外の情報、データを求められたときには本社内の関連部門に問い合わせてから(つまり、時間的間隔を置いて)医療関係者に提供するといった極めて受身的な対応に終わっているのが普通である。
1.7 受動的情報提供から積極的情報提供へ (待ちの姿勢から攻めの姿勢へ)
しかし、企業内には意外といろいろな情報、データが蓄積されていることもあるが、以下に列挙した分野の情報は全体的には必ずしも満足できるような状態ではなく、今後積極的に収集し、解析し、提供することが急務である。
1) 市販前の安全性情報で不足しているもの中で重要と考えられる患者対象群には小児、高齢者、妊婦・授乳婦、肝障害ならびに腎障害などの併合疾患のある患者、治験の段階では対象になっていなかった該当適応症の重症疾患群などがあげられる。したがって、市販後になってからこれらのデータ、情報を収集しなくてはならない。そのほかの分野でも、遺伝子要因の影響などが挙げられる。
2) 前述のようなデータ、情報を収集するには、それぞれの副作用症例のすべてで少なくとも最低限必要とされるものに発症時期、継続期間、治療内容、経過、転帰などの詳細なデータ、情報などが既知、軽微な症例すべてが必要になる。そのほかにも基礎疾患と副作用症状との鑑別診断などもある。したがって、従来のように医療関係者から提供を受けたものだけ(主として安全性関連情報)をそのまま本社の担当部門に伝えるのではなく、必ずこれらの付加情報を念頭に置いて医療関係者から関連情報・データを積極的に求めるべきである。しかし、現実にはこれらのデータ、情報を即座に求めるのは極めて困難かもしれない。その理由のひとつは、医療関係者にとってなぜMRがそのような詳細な情報、データを企業が求めるようになったのかとの背景状況の理解の有無が大きく影響するからである。
3) 有効性情報の具体的表示
実際の医療の現場でいろいろな疾患に医薬品が投与されているが、すくなくとも適応症として認
められている各疾患での有効率、並びにその詳細、つまりどのような患者の場合には有効率が変
動するのかなどの実際例の収集、提供は殆どなされていない。極端な場合には、無効の場合もあ
り得るが、どのような患者の場合には効果が認められないのか、その場合の患者背景等の情報は
殆ど関心の対象にはなっていない。
現在の副作用自発報告制度の大きな難点の一つに、無効例の情報がその報告対象にはなっていないことである。つまり、ある医薬品を投与しても効果がない場合には誰もそのような症例を企業か行政に報告しようと考える人はいない。しかし、既存の医薬品でほとんど有効性がない時は、最終的には市場から撤退させることが必要になることもある。数年前にBritish Medical Journal(BMJ 2010; 341:4737)誌に報告されていた論文によると、既存の抗うつ剤レボキセチンのすべての論文を検討したところその四分の三が未発表の論文であり、それらの論文すべてを改めて検討したところ全く有効性が認められなかったとのことである。このような例は稀かもしれないが、大きな問題だと考えられる。(過去においてこのような無効例が社会問題となった例として「脳循環改善薬」の場合が挙げられる。) したがって、もし個別症例としての「無効例」の情報もある意味では副作用と理解して副作用自発報告制度の対象にすれば、薬剤疫学的研究の経過を待たずに、早期の段階で「無効例」を検出できたかもしれない。
したがって、定期的に企業は有効性情報の収集、フォローアップも行い、更にどのような状態の患者の場合(疾患状態、性差、年齢差、合併症の有無、効果発現までの時間的経過など)には有効率が低いのか、あるいは高いのかとの継続的な調査を行うことが求められる。しかし、現在の医薬品行政ではそこまでの情報を企業に要求しておらず、そのような有効率の変動は医療関係者それぞれの経験から判断されているものであり、そのような貴重な臨床情報・データを医療関係者全員が共有できるような情報提供システムは未だ確立されていない。このような情報を集大成出来、その結果を積極的に医療関係者に提供できるならば、明らかに他社との差別化情報に役に立つと考えられるが、企業はあまりそのような領域にまで活動を拡大することには積極的ではない。その背景には、そのような情報は医療関係者側の問題であり、さらにいままでそのような情報を医療関係者から求められたことは皆無であり、したがって、そのような情報には価値がないと暗黙の了解があるのかもしれない。しかし、本当にそうなのだろうか。いずれにしても、患者個人の観点から重要なのは、一般的に、医薬品が一人の患者に使われた時の有効率は100%なのか或いは0%なのかのいずれかにしかならないとの再認識が必要である。
一般論として、適応症として認められている各疾患での有効率、並びにその詳細、つまりどのような患者の場合には有効率が変動するのか、あるいは無効であるのか、などの具体例の収集、提供は必要であるとの再認識が必要になる。
医療用医薬品添付文書には適応症が記載されているが、それらの疾患に対して該当医薬品がすべての場合に100%有効とは限らないが、そのような有効率情報は現在の添付文書には通常は記載がない。例えば、セフェム系の抗生物質セファドロキシルの添付文書の効能・効果の適応症には、表在性皮膚感染症、深在性皮膚感染症、慢性膿皮症、咽頭・喉頭炎、扁桃炎、急性気管支炎、慢性呼吸器病変の二次感染、膀胱炎、腎盂腎炎、猩紅熱が列記されている。一般的にはこれらの疾患に本剤が投与された時にはほぼ100%効果があるものとの暗黙の理解があるのではないだろうか。ところが、これらセフェム系の抗生物質、たとえばセファレキシンの疾患毎の臨床効果は以下のような数値が報告されている。(ポケット版臨床医薬品集、薬事日報社)
セファレキシンの有効率
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皮膚感染症(92.3%) 外科領域感染症(92.6%) 呼吸器感染症(79.4%) 尿路感染症(88.3%) 産婦人科感染症(100%) 眼科領域感染症(96.4%) 耳鼻科感染症(65.2%) 歯科・口腔外科感染症(82.4%)
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もし、このような有効率の大きなばらつきをみた時、どのような反応を医療関係者はするのだろうか。つまり場合によってはあまり効果が期待できないような場合もありえるかもしれないので有効率が低い適応症には初めから使わないで、そのようなときには他のセフェム系抗菌剤を最初から使った方がよいかもしれないとの安易な選択技が生じる。しかし、どのような患者、疾患状態のときに使われた時には有効ではなかったかとの過去の実績が何処にも集積されていないので、該当医薬品投与前に医師はその医薬品選択に際して熟考、選択することは出来ない。実際に使ってみて初めてその効果が判明することになる。
1.8 同効類似薬の安全性情報・データ
同効類似薬のような場合には必ずしも該当する他社医薬品の添付文書に記載がなくとも因果関係不明な未確認症例(つまり、有害事象症例)として該当医薬品の企業には報告があるかもしれない。従って、未知で重大な有害事象が初めて自発報告されてきた時、同効類似薬を発売している他の企業に問い合わせることが出来れば理想的であるが、現時点ではそのような動きは全く見られていない。(企業間での同効類似薬情報共有の必要性)
その逆に、同効類似薬、たとえば非ス剤、で時として横並び的に警告ないし副作用とか相互作用項目を追加することが行政指示で求められることがある。しかし、実際にそのような対応が自社製品の場合には果たして本当に該当するのかどうかとの検討の結果、横並び情報があてはまらないこともある。したがって、同効類似薬での横並び情報をそのまま機械的に受け入れる是非も検討する必要がある。
2.環境の変化
2.1 患者の医療への関与
最近では患者の医療への直接の関与が検討されている。では患者の医療への直接な参画とはどのような意味を持っているのだろうか。たとえば、患者の医療全体への関与ということをいろいろな団体が推進しているが、その結果はいまだあまり思わしくはない。例えば、「はばたき福祉事業団」が「患者が変われば、医療も変わる」とのスローガンのもとでいろいろな活動を続けているが、その結果はいまだあまり明るくない。一般的に、企業がそのような患者教育を念頭に置いた集会、啓蒙会などを積極的に推進していることは極めてまれである。
2.2患者の副作用報告の受け入れ
最近では、安全性問題に関連しては、患者が直接副作用を報告することが出来るようになっているが、いまだその具体的な方法は明示されておらず、現時点ではいまだ検討の段階である。しかし、行政的には、患者は副作用を医療関係者と同列に報告することが出来ることが安全対策課長通知ですでに2005年に通知されている。
2.3 医療の個別化への進展
最近は医療の個別化(Personalized medicine)の概念が取り入れられつつある。その背景には副作用と有効性の個別化という概念が介在する。このことは医薬品の本質と大いに関係があり、医薬品には必ず副作用が多かれ少なかれ発生することである。逆に言えば副作用の全くない医薬品は存在しないとの概念は医療関係者や患者も全員が同じような感覚で共有されている。しかし、不思議なことに有効性に関してはこのようなネガティブな要因はほとんど話題にならない。このネガティブな要因というのは市販後の医薬品の有効性は常に100%ではないにも関わらず、誰もなぜ効かない場合もあるのかということにはほとんど関心がない。そこには、医薬品は100%有効であるとの暗黙の了解、期待があり、もし効かない場合にはある意味では広義の副作用、つまり医薬品のネガティブな一面であるとは考えないのはなぜなのか。従来の有効性、副作用もいずれも医薬品を投与した結果を観察し、有効かどうかを臨床的に、場合によっては臨床検査値から判断し、同時に副作用が発生するかどうかを観察するというスタンスである。そこにはなぜ、一部の患者の場合には有効でない場合があるのか、なぜ副作用は一部の患者に発生するのかといった個別的な要因解明はいままで無視ないし軽視されていた。このような状態は極言すれば、医薬品の効果は、「やった、効いた」「やった、見つけた」式の観察結果にすぎない。極言すれば「現象論的判断」ともいえるかもしれない。確かに、治験の場合では統計手法でプラセボと比較して有効性が何パーセントと判断され、科学的な判断がなされていると理解されている。しかし、治験の場合でも個人個人の無効例はその原因究明の調査研究の対象にはなっていない。
今後の医療は疾患、症状の対症療法ではなく、患者を中心とした医療が求められるべきである。これは医療の基本であるにも関わらず、医薬品中心の医療社会ではどうしてもそのターゲットとして疾患が最優先されてしまう。血圧の高い人のために抗高血圧薬が開発され、高血圧の患者に投与して、血圧そのものが正常値に戻ればそれで治療効果は100点になる。そこにはなぜこの患者に高血圧が生じたのかとの原因究明は不要なのである。もし、この原因究明が個人レベルで詳細に検討、究明されれば、場合によっては抗高血圧剤投与が不要になるかもしれない。しかし、現実にはそのような医療は殆どの場合無視されている。そこには患者一人一人の特異性というものが完全に無視ないし軽視されているからである。
しかし、最近ではこのような「現象論的・統計的判断」でなされた医薬品情報ではなく、患者個人個人を念頭に置いて、どのような患者の場合には有効ではないのか(あるいは有効なのか)、あるいはなぜ副作用が発生するのか、といった研究がなされ、実際に適用され始めている。これが医療の個別化といわれている。
つまり、一人一人の患者にたいして有効性が完全に保証され、しかも副作用が起こらないような医薬品の使用方法が判明すれば、まったく理想的な医薬品の投与方法になる。もっとも、逆の立場から判断すれば、一人の患者に対してどの医薬品をどのように投与すれば有効性、安全性ともにほぼ完全な結果を期待できるのかという患者中心の考え方になる。このような考え方が医療の個別化、あるいは個別化された医療(personalized medicine)という新しい考えである。なお、日本語ではオーダーメイド医療のような和製英語表現も使われているが正しい英語表現ではない。つまり、医薬品中心の治療から患者中心の医薬品投与に移行しつつあるものと理解すべきである。
2.4 市販後調査からファルマコビジランスへ
薬事関連環境の変化の中で過去二十年くらいの間にファルマコビジランスという概念が浸透してきているが、その概念を理論的にしかも正確に把握しようとする努力は意外と軽視ないし無視されている。その典型例として、ファルマコビジランスは従来のドラックモニタリンク、市販後調査、安全性調査のような表現が新しい表現に置き換えられたものとの単純に理解され、したがってその日本語訳に「医薬品安全性監視」のようなあたかも安全性のみを念頭に置いている概念と理解されている。
安全性関連分野の表現の変遷
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(文献情報調査) --> ドラック・モニタリング --> 市販後調査 --> ファルマコビジランス
現実には、ファルマコビジランスという表現が従来の安全性対策、市販後調査などといった表現に置き換えられつつあり、現在では企業内の医薬情報部とか市販後安全性担当部門はファルマコビジランス部、あるいは品質保証本部のような表現に変化している。しかし、残念ながら多くの人は従来の市販後調査部門とかドラッグモニタリング部門とか医薬情報部などの名称がファルマコビジランスという表現に単純に置き換えられたものとの短絡的な考えしかない。しかし、この理解はファルマコビジランスの側面だけを念頭に置いており、なぜこのような表現が台頭してきたのかとの歴史的進展への理解がないと本来そのもつ意味を理解することは困難になる。
2.5ファルマコビジランス概念の二面性
過去においては、医薬品の開発、販売の許認可は一国内での問題であったが、医薬品のグロバリゼーションの結果、医薬品の開発、市販などの区分がそれぞれの国で異なり、世界的にそのような開発・市販後段階が混在し、一つの医薬品について市販前、市販後の区別が不明瞭になり、さらには市販後も単なる安全性中心の調査だけではなく、新規の適応症の開発、リスク・ベネフィット比評価、有用性の評価などその対象範囲が著しく拡大し、全体的な有用性にまで拡大された結果、新しい表現としてのファルマコビジランスが登場したと理解すべきである。
ファルマコビジランスの流れ
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患者 => 副作用 => 安全性データの集積 => ファルマコビジランス(薬剤疫学研究、データマイニングをも含む) => 有用性の個別化へ
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しかしながら、現実と理想とではかなりの乖離が存在し、企業サイドとしては行政が規制しているいろいろな規則などの対応に追われ、理想的な倫理面にまでファルマコビジランスの実施には積極的に取り組まれていないのが現実である。したがって、その表現の日本語訳に「医薬品安全性監視」のような訳が付けられているのはあくまでも行政対応面のみを念頭に置いているからである。ましてや医療の個別化に向けた取り組みまでは企業は積極的に考えていない。
一方、医薬品情報を対行政型からさらに企業としての倫理面にまで介入したファルマコビジランス分野までを自発的に収集、提供する場合に、どのような分野に拡大することができるのだろうか。特に、以下に述べるニッチ薬理学領域の部分のデータ、情報を企業が自発的に、しかも積極的に収集、解析、提供する部分であることを強調したい。現時点では、このような観点からの活動は多くの企業が実践していないので、もしこのような分野での活動を活性化できれば他社との差別化情報になり得る可能性は極めて高い。
つまり、ファルマコビジランス概念の両側面、すなわち対行政の業務(逆の見方をすれば行政が企業に求めている最低限の業務)、そしてもう一つの局面は医療の倫理面での業務とに大別することが出来る。このことはちょうどコインには両面があるように、ファルマコビジランスという概念にも両側面あり、その片面だけに限局すれば「医薬品安全性監視」と訳しても大きな間違いにはならないかもしれない。
ファルマコビジランスの両側面
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1) 行政が規制している側面 (副作用自発報告、市販直後調査、PSUの作成など)
⇒ 企業が実施すべき最低限のデーター収集、情報提供
(レギュラトリサイエンスの研究対象)
⇒ 現在の企業が実施している業務
2) 企業独自のイニシャブによる医療情報の収集、解析、提供 (「慎重投与」
などの表現で概念化されている分野の実務的な情報の収集、解析、提供など)
⇒ 企業が積極的に実施し、最終的には医療の個別化に貢献するデータ、情報の
収集並びに提供
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このように本来あるべき姿のファルマコビジランスは行政が求めている以上の医薬品の全体像を積極的に収集、評価、情報化、そして提供という広い分野の活動を意味している。しかし、このような理想的な活動すべてを企業各自のイニシァティブに期待することは非現実的であるので、そのような分野を行政面で少しずつ実施するための検討方法として、最近になってレギュラトリーサイエンスという概念が生まれているものと理解することができる。すなわち、最近になって日本でもレギュラトリーサイエンスという概念が取り入れられ、レギュラトリーサイエンス学会が2010年8月に設立され、かなり急速にその概念は浸透しつつある。ちなみに、FDAが定義しているレギュラトリーサイエンスという概念は医薬品の安全性、有効性、品質、有効性の評価を対象にした新たな規制を念頭に置いている。(Regulatory science is the science of developing new tool, standards and approaches to assess the safety, efficacy, quality and performance of all FDA-regulated products) ちなみに、従来の日本公定書協会は2011年6月に、医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス財団と改名されている。
ここで、興味あることはMRの定義にも二通りあることである。このMRについて、厚生労働省は、平成17年4月の改正薬事法施行にあたり、「GVP省令」において、MRを「医薬情報担当者とは、医薬品の適正な使用に資するために、医療関係者を訪問すること等により安全管理情報を収集し、提供することを主な業務として行う者」と定義している。
一方、財団法人医薬情報担当者教育センター(現在のMR認定センター)の「MR教育研修要綱」では、MRの定義を「医薬情報担当者とは、企業を代表し、医療用医薬品の適正な使用と普及を目的として、医療関係者に面接の上、医薬品の品質・有効性・安全性などに関する情報の提供・収集・伝達を主な業務として行う者」と定義している。
このようにMRの定義が行政の解釈と民間の解釈との間に乖離があることは極めて興味深い。つまり、行政サイドからは安全性にのみ重点を置いているのに対し、民間は有効性、安全性などと極めて広範囲の情報収集、提供を念頭に置いていることになる。したがって、民間の定義にしたがえば、MRは該当医薬品のあらゆるデータ、情報を収集、情報化、提供という大義名分があるので、医薬品情報収集・提供の拡大・充実に向けて大いに活躍できる立場にある。換言すれば、ファルマコビジランス本来の姿、つまりファルマコビジランス概念の「両側面」全体を念頭に置いた活動がMRに期待されていることになる。いっぽう、行政の立場からすれば、市販後の段階では最低限、安全性に関しての情報を収集してくださいとのスタンスである。
いずれにしても、医薬品についてはその有効性、安全性、有用性情報・データを総合的に収集し、医療社会に貢献し、最終的にはレギュラトリーサイエンスは行政指導を通じて国民の健康に貢献することを最終目的としている。このように理解すると、ファルマコビジランスが最終的には医薬品治療の最適化、患者指向の情報収集、提供といった総合的、両側面的な概念と理解すると広義の意味でのレギュラトリーサイエンスと同じことになる。もっとも、よく考えてみれば最終目的は同じではあるが、レギュラトリーサイエンスの立場は医薬品の許認可をするという上からの立場(つまり行政サイエンス)であり、その反対にファルマコビジランスは患者を念頭に置いた実際面の立場(医療の患者への貢献サイエンス)であり、下からの視点(医療関係者、企業、患者)であると考えると、どちらも全く同じ目的に向かっているものと解釈できる。基本的には、ファルマコビジランスの両側面を念頭に置いた活動を積極的かつ自主的に常時に企業が実行していれば、何も特別にレギュラトリーサイエンスという名目の活動は不要になるかもしれないが、現実的には、行政が法律、規則、マニュアルなどを作成し、企業がそれに従うという従来の企業の受け身的立場が世界的見地からみても残念ながらいまだ一般的である。なお現実を考慮すればファルマコビジランスの両側面を企業は実践化しておらず、したがって、行政がレギュラトリーサイエンスという概念のもとにいろいろな規則、法律などを検討、制定することになっているのが現実である。
2.6 安全性関連情報の共有化の問題 (同効類似薬、ジェネリック製剤)
医薬品の安全性に関連して、今までにいろいろな重篤な副作用が社会問題となっており、日本では薬害という表現が広く使われている。一方、医薬品には先発品と後発品との存在もいろいろな問題を抱えている。しかも、理論的には、それぞれの企業が独自にそれぞれの情報収集、提供を行っていることになる。
とくに最近では医療費の削減という観点からもジェネリック製品の使用が推奨されている。このような場合で問題になるのは同じ有効成分を有する先発品企業とジェネリックメーカーはいまだに安全性関連情報の収集、評価、伝達をそれぞれ別個に行っているのが現状である。しかし、こと安全性の問題になるとその影響は同一成分含有の医薬品すべての製品に均一に影響を受けることになる。このような場合には、ある重大な副作用で問題となっている医薬品は当社のものではないので、当社とは関係がありませんとのスタンスを保つことは不可能である。つまり、同一成分を有するすべての製品(先発品、後発品を問わず)に大きな影響を同時にもたらす可能性が大である。つまり、こと安全性に関しては先発、後発を問わず、すべての企業が「呉越同舟の考え」が必要なのである。
したがって、大乗的な見地からは少なくとも安全性情報、データの共有化が今後検討されるべきである。つまり、こと安全性に関する重大な問題が発生したときにはその該当成分を有する製品を扱っている先発企業、ジェネリックメーカーのすべてがまったく同じ影響を受けるとの認識が必要である。しかし、現実にはそのような考えはほとんど見られない。理論的には、このような対策はレギュラトリーサイエンスの検討課題にすべきことかもしれない。
2.6.1 酸化マグネシュウムによる高マグネシュウム血症から学ぶこと
この安全性に関しての呉越同舟の概念が全く欠けていた例として次のような実例が挙げられる。数年前(2008年)にきわめて広範囲に、しかも約60年近くも便秘に対して誰にでも使用されている酸化マグネシュウムによる死亡例が新聞報道され、添付文書に「重要な基本的注意」と「副作用、重大な副作用」の二項目が新たに追加された。いずれの死亡例も高マグネシュウム血症が原因とされている。この問題については医薬品情報の取り扱いという観点からは極めていろいろな死角が潜在する。その問題点を掘り下げてみた。
酸化マクネシュウムの従来の添付文書の副作用欄にも「長期大量投与により高マグネシュウム血症が現れることがあるので観察を十分に行い、異常が認められた場合には、減量または休薬などの適切な処置を行う」との記載があったが、現実にはここで記載されている「異常」に気がつくことがほとんど不可能に近いことである。つまり、ここにはどのような異常かの注意事項の記載がなく、もし臨床所見で気がつかなければ血中マグネシュウム値の測定以外には高マグネシュウム血症の可能性を知るすべがない。しかも、その初期の臨床所見は高マグネシュウム血症独特なものではなく、日常頻繁に見られる症状(例えば、起立性低血圧、嘔気、嘔吐など)が多い。つまり、ごく通常の軽微な副作用であり、したがってそれらのほとんどが自発報告対象例としては誰も考慮しないものである。
さらに一般的な便秘の治療に際し、定期的に血中マグネシュウム値を測定することは極めて非現実的な検査であり、日常診療時にそのような検査を考慮する臨床医はほとんど皆無に近い。ここでも、添付文書記載事項が如何に守られていないかを間接的に裏付けるものである。もっとも、添付文書に記載の「異常」は臨床検査値を意味しているのではなく、臨床症状を意味しているものと考えられる。
この酸化マグネシュウムは1950年から便秘薬、制酸剤として広く使われ、現在でも一般的に広く使われている。しかも、往時の日本薬局方の解説にも、腎機能の障害がある場合には中枢神経系の中毒を起こすと記載されている。最近の推定では年間4500万枚の処方箋(延べ発行枚数)が発行されているといわれている。
ところが、この新聞報道に端を発して改めて詳細が調査されてみると、2005年4月から 2008年8月までの約三年間に高マグネシュウム血症の報告例が15例行政当局に報告されていることが判明した。それ以前の報告例は不明なるも、それまでに企業に寄せられた類似症例は前記の15例を含めた25例となっていた。これらの数字から推測すると約三年間で15例は極めて少なく、氷山の一角にすぎない可能性が極めて大である。つまり、2005年4月以前には(理論的には1950年から55年にわたり)わずか10例の類似症例が複数の企業内に集積されていたことになる。それも数多くある企業内に散発的に別個に収録されていた可能性が高い。なお、これら25例も行政がそれぞれの企業に指示して改めて再調査された結果明白になったもので、それまでは企業から自発的には報告がなかったことになる。
酸化マグネシュウムは腸管からはあまり吸収されず、比較的安全な薬とみられている。また実際に長期連続使用しなければ通常の場合は安全である。しかし、年単位の長期使用でなくとも、何らかの原因で腸管内での異常吸収が起こって、中毒症状としての高マグネシュウム血症が発生することは考えられる。基本的には酸化マグネシュウムは腸管からはあまり吸収されず、たとえ吸収されても腎機能が正常であれば体外にすみやかに排泄され、まず問題はない薬である。したがって、たとええ長期服用しても腎機能が正常で、しかも何らかの原因で急激な異常吸収が起こらない限り、安全な薬として扱われてきた。
酸化マグネシュウムによる高マグネシュウム血症はすでに2004年の透析学会誌に二例発表されているにもかかわらず、2007年に関西の医療機関から行政への直接報告がなされるまで、全く問題視されていなかったことになる。また、2007年には日本麻酔科学会誌に同じく酸化マグネシュウムによる高マグネシュウム血症例が報告されていた。しかし、その後の行政指導に際しての添付文書改定にさいしては、この三例についてはまったく言及がなかった。酸化マグネシュウムを発売しているのは中小企業ばかりであり、その数は十社以上にものぼり、問題はそれらの企業の安全性情報に対する従来の取り組み方が極めて低調であり、結果的には高マグネシュウム血症報告例が極めて少ないことにも関係がある。つまり、酸化マグネシュウムはあまりにも普遍的、かつ安全な医薬品であり、しかも数あるそれら販売企業は中小企業であり、安全性情報収集という観点からはあまり満足するような社内体制ではなかったことが推測される。その証拠には前期の学会報告症例、三例はすくなくとも企業から行政には報告されていないことになる。このような社内環境は一般的にはジェネリック製品販売企業全体にあてはまることが多い。なお、このような場合、学会報告では商品名が明記されていないので、どの企業も自社製品としては取り扱わなかった可能性も高かったのかもしれない。あるいは上記学会誌が通常の文献検索の対象範囲内には入っていなかったのかもしれない。
この例から学ぶことが出来るのは:
1) 文献情報の取り扱い (とくに学会報告例をも広く収集、できればインターネット情報も)
2) ごく普通の軽微な副作用症例も意外な重要性をもたらすことがあること
3) 製品名ではなく成分名での報告例の取り扱い
4) OTC薬、ジェネリック製品などの場合の安全性情報の各社共有化の必要性 (すくなくとも、安全性情報に関しては呉越同舟の概念が必要で、各社共通のデータべースを構築すべきであ
る。)
3. ニッチ薬理学領域の臨床情報の積極的収集・提供
ここでニッチ薬理学と特別に区分したのは以下に述べる領域は通常の臨床薬理学領域の影に隠れていて、あまりそれらの重要性がいまだ認識されていないものとも考えられ、現時点ではあまり重視されていないために、ニッチ、つまり隙間(あまり顧みられていない)のような意味に便宜上使っている。
このニッチ薬理学分野として考えられるのは以下の表に纏められるかもしれない。もっともこれらの分野でもニッチ以上に深く研究対象となっている分野もあるが未だ例外的な存在である。例えば一部の領域では国際学会が設立されている場合もある。その例として、国際性差薬理学会が2006年に設立されたが、四年後にはこの学会はその活動を停止している。
ニッチ薬理学領域
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時間薬理学Chronopharmacology、
遺伝薬理学Pharmacogenetics、 (一般的には薬理遺伝学)
ゲノム薬理学Pharmacogenomics
性差薬理学Genderpharmacology
心理薬理学 Psychopharmacology
年齢差薬理学Natuspharmacology (natusはラテン語で年令を意味する)
小児薬理学Infanspharmacology、
高齢者薬理学Gerontopharmacology
人種薬理学Ethnopharmacology
(なお、人種薬理学と遺伝薬理学とはかなり密接な関連性がある)
民族薬理学 Ethnopharmacology
(なお、民族生物学, 人種生物学もethnobiologyと同じ表現が使われているが、人種と民族とでは意味が異なる)
体重薬理学Ponduspharmacology (pondusはラテン語で体重を意味する)
気候薬理学 Climapharmacolgoy (climaはラテン語で気候を意味する)
妊婦薬理学Graviduspharmacology (gravidusはラテン語で妊娠を意味する)
個体薬理学 Individual pharmacology
* 一部の英語表現は必ずしも確立されているものではなく、便宜上演者が造語したものである
3.1 今後積極的に収集すべきニッチ薬理学領域並びにその方法・対応
これらのニッチ薬理学分野での実際例を全部ここら紹介することは不可能なので、その概念を知るために、それらの一部を以下に列挙してみた。
[具体例]
その1. 妊婦薬理学
現在の添付文書記載の不完全例の一つとして妊婦、産婦、授乳婦等への投与情報は極めて曖昧、かつ不十分である。例えば「妊婦又は妊娠している可能性のある婦人には投与しないこと。また、投与中に妊娠が判明した場合には、直ちに投与を中止すること」のような記載方式は稀ではないが、もし妊娠中に投与された場合には、その後の追加調査が必要で、直ちに投与を中止するだけではなく、その後の出産までの経過を観察することを義務付けなくてはならない。(もっとも、現時点ではこの問題に関連してレギュラトリーサイエンスの検討課題にいまだ取り上げられていないようである) その結果、似たような症例が蓄積されれば、妊娠のどの時期で投与されていれば問題がないのかとの極めて有用な情報が得られるかも知れない。ここで必要な情報とは服用時期、妊娠時期、妊娠中の経過、出産時の状態、胎児の状態、出産後の生育状態などが挙げられる。
実はこの領域の安全性情報に関しては一番必要な情報であるにも関わらず具体的な情報はほとんど収集されていないし、また誰もあまり関心を持たないと言っても過言ではない。たとえば、過去の新型インフルエンザ流行に対して、タミフルを妊婦に使用することが産婦人科学会により推奨されていたが、現時点では妊婦への投与が胎児に対してどのような影響があるかは全く不明でありまたその投与を推薦した学会もそのようなフォローアップには関心を持っていなかった。本来ならはタミフルが妊婦に投与されていたすべての症例を出産まで追跡調査をすることを義務づけるくらいの指示がないとこのような情報の収集は不可能に近い。ここでも行政指示の有無が大きな影響を示している。
そのほかの例として、若い女性が避妊薬を長期にわたり使用したときにおこる副作用の一つに骨量低下が知られているが、この副作用はデチャレンジによって骨量が数カ月後にはまたもとに戻る可能性があることは極めて大切な情報になる。このような場合、更に多くの妊婦への投与症例が集積されてくれば、それぞれのデチャレンジ期間ごとの回復期間、年齢との関係などの数値(%)が得られようになり、より具体的な情報となる、
また、抗うつ剤「パキシル」の妊娠中の服用で「先天異常などのリスクが高まる」ことが指摘されていた。本剤は国内で延べ100万人が服用されているといわれ、妊婦へのリスクは2006年、「添付文書」に使用上の注意として追加された。ところが、新聞報道(2009年10月21日 毎日新聞)ではパキシル服用で新生児の先天異常などの副作用が8年間で約30件あった。2008年度までに国に寄せられた副作用報告に、新生児の心臓の一部が欠損する先天異常が7件、生まれた直後に痙攣や呼吸困難などを起こす「新生児薬物離脱症候群」が21件含まれていた。また、流産や子宮内胎児死亡の報告もあった。しかし、他の抗うつ剤では、これらの先天異常の例は報告なしとされていた。このような場合でも、30症例の詳細なデータは公表されていない。もしかしたらそれぞれの詳細なフォローアップがなされていないのかもしれない。つまり、このような場合でも「点情報」での段階で、それ以上の詳細な追跡調査はなされていないようであった。
このように、妊婦への投与例ではいろいろな有用情報収集の可能性が至る所に存在するが、それらの情報を積極的に集大成するような動きは一部のセンターが試験的に試行錯誤しているくらいである。ところが、副作用/有害事象報告用紙には必ずと言ってよいくらい「妊娠あり/なし」にチェックするようになっているが、なんの目的でこの項目があるのだろうか。なお、一部の企業では、もし用紙の「妊娠あり」の項目にチェックが付けられてある場合にはその後のフォローアップをしている例もあるが、実際にどのようなフォローアップをしているのかは公表されておらず、まったく不明である。すくなくとも対外的にそのようなデータを医療関係者に公表ないしフィードバックすべきである。もし、そのようなデータが集積しているのなら積極的、かつ前向きに活用すべきである。
その2. 高齢者薬理学
世界各国の共通現象の一つに高齢者への多剤投薬と副作用発生への関心がきわめて低いことが挙げられ、保健衛生上の主な課題の一つともいえる。例えば、高齢者に頻繁に処方される睡眠薬の使用実態は闇に包まれた状態であり、したがってそれらの睡眠薬による副作用はあまりにも普遍化しているので、誰も副作用として報告の対象にはしていない。高齢者への睡眠薬の自動的ともいえる安易な投薬は、場合によっては薬効の遅延に起因する朝のふらふら感による転倒が原因で骨折を生じる間接的な誘因にもなり、その結果、入院、誤嚥、肺炎、死亡といった典型的な副作用発生はあまりにも既知のことであり、副作用自発報告の対象にはならないのが現実である。(高齢者施設は副作用の宝庫)
その3. 時間薬理学、
抗がん剤の一日一回投与でも、午前中に投与するのと午後に投与するのとでは、白血球や好中球の減少に差があるとすれば、長期的には副作用の低減にも関係してくる。しかし、このような医療の現場での実務的な経験,データはなかなか外部には報告されにくく、公表されなければその医療機関内の情報にとどまる確率が極めて高い。しかし、MRが医師との間に良好な関係を築いていれば会話の中からそのような情報の入手はそれほど難しくはないはずである。
その4 小児薬理学
一般的には治験の段階では治験参加者は大人であり、特別な医薬品を除いては子どもの用量は市販後に得られた経験をもとに医師がそれぞれ設定しているのが普通である。一応、小児用量の換算式はあるが、これはあくまでも目安に過ぎない。現在の医療用添付文書の用量記載で、小児用量の規定があるのは全体の約25%と言われている。勿論、医薬品によっては小児用の製剤もあり、そのような場合には原則として小児用の用量を改めて計算する必要はない。したがって、一般用の医薬品をもし小児、子どもに投与する必要性があった時、その医師にとって初めての投与経験のような場合、経験のある先輩からのアドバイスによるか、それとも理論的な計算で決めるか、のいずれかに限定されている。このように小児用量は市販後に得られた経験をもとに医師がそれぞれ設定しているのが現実である。しかし、実際には小児にも投与されている医薬品は沢山あるが、それらの経験は現場の医療関係者に集積されていて、それらの情報を医療関係者間で互いに共有しようとする傾向は全く見られない。何故、企業はMRを通してそのような情報を収集し、医療関係者に積極的に提供しないのだろうか。
これらの少ない例はニッチ薬理学情報の重要性を認識するのにはある程度参考になるのではなかろうか。いろいろな文献調査をすればこれらの領域が関与している文献はかなりの数になるが、具体的な症例報告は意外と少なく、それらの多くは臨床疫学の範囲内である。したがって、それぞれの医薬品についてより具体的な情報はやはり医療の現場から吸い上げるしかない。
4. その他の日常業務に関連して得られ雑情報の重要性
「常識では考えられない医薬品の使い方」
貼付剤とか軟膏などの異常な使い方による副作用は意外と知られていない。つまり正常な使い方が当然と考えられる”常識”も場合によっては常識でなくなることもある。例えば、
⇒ インドメタシン貼付剤を背中一面に貼って胃がおかしくなる
⇒ サリチル酸軟膏を全身に塗って消化官出血が発生 などが挙げられる。
(医薬品の例ではないが、日よけクリームを夏の期間中の外出時に毎日こどもの身体全身に塗った結果、最終的にビタミンD欠乏症が発症)
「予想外の効果」
かなり昔に、乳がんの治療中に他の目的で非ス剤が投与されていたところ、腫瘍マーカーが減少したことにある医師が気付いて、その非ス剤投与パターンと腫瘍マーカー値との変動をグラフで追ってみたところ、明らかな関連性が認められた。しかし、その当時、そのような一人の医師の経験は同僚からは全く相手にされず、当時の知識ではそのようなことはありえないと考えられていた。しかし、その当時でも動物実験データを詳細に検討するとそのような腫瘍への影響があることが知られており、その後になって臨床的にも似たような結果が散発的に報告されている。このような偶然の発見はその当時の一般的な知識により強く影響を受け、結果的にはそのような新しい情報は日の目を見ない確率が極めて高い。
「副作用の継続期間」
例えば、シメチジンで、若い女性がかなりひどい抑うつ状態をきたすことがある。この場合、投与を中止しても改善するまでに、3~4カ月以上を要するが、このような薬剤性精神障害が出た場合、その薬剤性精神障害が薬剤投与を中止しても治るまでには、どのくらいの期間が必要かというより具体的な情報をあらかじめ知ることは、患者にとっては極めて重要な情報かもしれない。
5.社内環境の検討、改善
以上のような観点から、それではMRはどのように対応すべきなのだろうか。しかし、ここで言及しているようなことはなかなか簡単に実践に移すことはこんなんと考えられる。そのためにはどのようなことをなすべきなのか。
5.1 専門別MRのメリット、デメリット
最近のMRは、オンコロジー領域MR、循環器MRのようにそれぞれの専門分野別に分かれつつある。確かに今日のような医療社会では一人のMRがすべての分野の医薬品情報を担当することには専門知識的にも無理があるかも知れない。したがって、ある意味では当然の結果とも考えられる。それゆえに今後はMRもさらなる細分化がなされる傾向が強まるのかもしれない。
しかし、このような専門化にもマイナスな面が介在することは致し方がない。たとえば、それぞれの専門領域のMRを特別に育成、配置しなければならず、当然のことながら企業にとっては人件費の増加にもつながってくる。さらに専門領域外の情報については専門化されたMRが持つ専門外の情報量が局限される可能性があり、従前の全般的なMRとの比較から不便さを感じるかもしれない。さらに医療関係者にしても従来型のMRプラス専門別MRの数に対応する時間的な余裕がなくなりつつあるのも事実である。しかし、このような問題は今後もどんどん増え続けるMRの絶対数を考慮したときには、むしろ現在のMRと医療関係者との接点の問題を根本的に見直さなければあまり意味がない。たとえば、現在のような人海戦術的な対応ではいずれ限界が来ることは明らかである。むしろ、現在のような対人関係の維持ではなく、最近のIT機器、たとえばブラックベリーとかアイフォーンなどを介しての情報請求・提供などに切り替えて、対人接触は最低限に保つのも一つの方法かも知れない。そのためにもMRの医療機関への訪問、接触方式を今後は根本的に見直さなければならないかもしれない。ちなみに、本年(2012)4月からメーカー公取協の接待行為に対する新運営基準が実施され、従来のようなMRによる医療関係者に対する華美な接待が禁止されるようになった。このような動きはむしろMRの本来あるべき姿への回帰を促すのによい機会になるのではないだろうか。
5.2 ファルマコビジランス専門のMRの導入
現在のMRの業務は市販後医薬品の効能、効果を中心にしたものであり、場合によっては専門領域向けのMRが存在するが、ファルマコビジランス専門のMRは現時点では存在しない。その大きな原因はファルマコビジランスを安全性関連業務と同義語扱いにしているためであり、また医療関係者のファルマコビジランスという表現に対する全般的な理解が不足しているからでもある。たとえば、この忙しい診療の間になぜ詳細な安全性情報を報告する手間を取らなければならないのかとの根本的な理解が不足しているのも大きな問題である。多くの場合、医療関係者は副作用症例などを企業に報告してもなにがしかの謝礼金を企業から受け取るだけで、その後の社内でのその情報がどのように処理されたのかなどは全く知らされていないからである。(なお、副作用を企業に報告してその症例に対してなにがしかの謝礼を払うのは日本独特の悪習慣である。) さらに、障害となっている原因のひとつは、こと安全性問題に関してはネガティブな要因が極めて強く認識され、そのようなネガティブ情報をポジティブに取り扱うことが出来るとの認識が不足しているのも大きなマイナス要因になっている。したがって、この点に関し医療関係者同様に企業の上層部にたいする啓蒙も必要になるかもしれない。
しかし、財団法人医薬情報担当者教育センターの定義にもあるように、MR本来の業務はファルマコビジランス全般、つまり前述したようにその定義の両側面、を念頭に置いたものである。したがって、従来の単なる添付文書改定情報提供などではなく、前述のような具体的な安全性情報、有効性・有用性情報を積極的かつタイムリーに提供すべきである。このように考えると、今後はファルマコビジランスをマーケッティング・ツールとして活用することを念頭に置くとやはりMRの所属についても大改革が望まれるのではないだろうか。それがまた企業の倫理にも合致することにもなる。
5.3 MRはどこに属すべきか(理論と現実の乖離)
現在の企業内での組織ではMRは営業部に所属しているのが鉄則であり、これは世界共通である。しかし、本来のMRの定義から考えれば理想的にはむしろファルマコビジランス部門に属しているほうが理論的である。しかし、営業所属ということは、歴史的な経過、つまりプロバーと言われた時代の名残りとも考えられ、したがってその当時は専門的な医療情報の提供というよりはもっぱら人海戦術による医薬品の売り上げ向上に専念していた名残りであり、製品の売り上げということにのみ集中していた時代であり、その影響がいまだ続いているものと理解することが出来るかもしれない。つまり、現在のようなIT情報社会では如何に医薬品に関連する医療情報をどのようにして積極的、しかも瞬時に伝達するのかという時代になっていることを考慮したときにはやはりその所属について改めて検討すべき時代になっているものと考えるのが妥当ではなかろうか。それにしても不思議なのは前述のMRの定義には「営業への貢献」は全く触れていないのはなぜなのだろうか。
ただ問題なのはそのような対応の内容である。今日のようなIT社会では社外からでも自社の安全性、有効性データべースにアクセスすることはできるが、実際にそのようなデータの内容・背景に日常業務として精通していないと正しい返答が出来なくなることがある。たとえば、ある製品で死亡例が今までに何例報告されてきていますかとの問い合わせは鬼門なのである。なぜかというとだ簡単に死亡というキーワードから本社のデータべースを使って答えを求めて提供することは極めて重大な結果を及ぼす可能性がある。つまり、死亡という事実が何を意味しているのかを吟味、理解することが大事である、死亡には、副作用による死亡(投与医薬品との因果関係あるかも)、イベントとしての死亡(投与医薬品との因果関係不明)、基礎疾患に起因するとされる死亡(疾病のアウトカム)、突然死(死因不明)などが混在するからである。
例えば、最近社会問題視されているタミフル投与によるとされる異常行動の発生、そして飛び降り死亡のような場合の対応である。この場合の死亡は副作用ないしイベントとしての死亡ととらえられるが、単なる死亡という結果だけを念頭に置いて検索し、死亡例がいままでに何例報告されていますと提供することは非常に誤解を招きやすい。つまり、タミフル服用に起因するとされる異常行動が起こっても六階のベランダから飛び降りるのと、一階のベランダから飛び降りるのとではその結果(死亡)が大きく異なるからである。一階からの飛び降りては死ぬことはまず考えられない。そのように判断すると、この場合の死亡というイベントの持つ意味が全く異なってくることになる。
つまり、このような医薬品特性の副作用、イベントの解釈に精通していないと、ただ単に死亡という用語からデータべースから総数を取り出し、提供することは極めて誤解を招きやすいし、また場合によっては大きな問題を引き起こす可能性がある。
したがって、現在のようにMRが営業部に属しているような状態では、少なくとも年に数回はファルマコビジランス部門内での研修をMRに義務付ける必要がある。
5.4 24時間体制の確立・充実
理論的には対医療機関に対して企業は24時間体制で情報の提供をしていることになるが、週末とか祭日のような場合にどの程度対応できるかはいまだ各社ばらばらではないだろうか。なお、医療用添付文書の「製品情報お問い合わせ先」欄に日曜は除くなどのアクセス制限が記載されているのは本来あるべき姿ではない。理論的には、このような24時間体制はMRでも出来る筈である。なおこのことに関して改めて「需要と供給の法則」を再認識する必要がある。すなわち、今まで、医療関係者からいろいろな質問などが週末には来たためしがなく、また医療関係者もそのような企業体制を熟知しているので、週末とか祭日には誰も企業に電話してきませんよ、との暗黙の了解があるのではなかろうか。実は、このような環境が過去何十年と続いていたのである。
5.5 理論と実際
今後のMRの活動内容をいままでに述べてきた概念をもとにして、改善、改革するにあたって第一番目に大きな障害となるのは企業内部、そして二番目に医療関係者の理解の二点である。
5.5.1 企業内の体質
最初の難点は企業内の体制をどのように改善できるかという点にある。いままで述べてきた諸問題を一挙に実現することはほとんど不可能である。したがって、MRレベルでできることはひとつの製品に限定した情報・データを収集し、最終的には前述したような活動を念頭に置いた既成事実を構築する以外には手段がないかもしれない。ともかく、行政も要求しておらず(つまり,レギュラトリーサイエンスとしての検討課題以前の領域)、また会社内でもそのような体制の根本的な改善、改革の必要性が認められていなければ当初の目的はある意味では自己満足的な行為に受け取られる可能性は極めて大である。
5.5.2 医療関係者への働きかけ
二番目の問題点は肝心の医療関係者の理解(あるいは認識の改善 )をどのようにして得られるかということである。基本的には医療関係者はファルマコビジランスの基本のひとつである安全性情報の企業ないしは行政への報告は薬事法では「義務」になっているが、医師法ではそのような規定はない。医療関係者はこの薬事法の責務事項をどのくらい理解、認識しているのだろうか。したがって、なぜ今になっていろいろ細かな情報・データをMRは求めるのかとの理解、協力がないとまさに「絵に描いた餅」に終わってしまう可能性が極めて高い。つまり、医療関係者に安全性、有効性、有用性情報などを積極的に企業に提供するメリットが感じられなければまず医療関係者の協力を求めることは困難になる。現在の医療関係者はファルマコビジランスの意義などを熟知する機会もなければ関心もない。
6. まとめ
1) MRは医療情報・データの宝庫に毎日接しているとの再認識。
2) 医療情報の提供は作られたものだけを提供するのではなく、MR自らも創る努力をすべ
きである。
3) 同一有効成分を含有している医薬品の安全性情報は企業間での共有が望まれる。
(安全性問題に関しては呉越同舟の概念が必要)
4) 同一社内でのMR間並びに本社の各関連部門の各種医療関連情報をより有効的に共有できる電
子システムの構築が必要。
5) 医療関係者は基本的には副作用報告には積極的ではない。そこにはなぜ副作用を報告しなけれ
ばならないのかとのデメリットの認識しかない。そのメリットを認識させることが出来るのは
MRである。
6)本年4月からのMRによる接待禁止をひとつの契機としてMRの役割を改めて見直すこと。
7. 終わりにあたり
1)「でもね」社会環境からの脱却
⇒「現実を知らぬが仏の夢物語」に終わらせない。
2) 社内コンセンサスの充実 ⇒ 「余計なことはするな」からの脱却。
3) とりあえずは活動目的を一つに絞る たとえば、製品単位。
4) 目に見える成果を挙げるのが最終目的 (他社との競合情報を強調する)
5) 理論的にはここで言及したようなニッシュ薬理学分野の情報収集方法はある意味では古典的な
手法であり、本来ならは最先端技術を使った分子レベルでの解析によるべきであるので、ある
意味では過渡的な手法に過ぎないかもしれない。
(2012/5/7)