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2014年7月の記事

2014年7月31日 (木)

タミフルに関する記事を読んで考えた臨床試験のありかた

スイスでタミフルに関する記事を読んで考えた臨床試験のありかた

1.コクランによるタミフル評価についてスイスでの反響記事

タミフルを製造・発売しているスイスの製薬企業,ロッシュ社への批判記事が最近に,地元の新聞に報道されました.

4月10日のロッシュ社の地元バーゼルの新聞(Bazler Zeitung)に「タミフルの有用性が再び問題視されている」との表題で,「コクラン・グループによる最終評価にたいしてロッシュ社は激しく反論している」との副題で報じられていました.この記事はBMJに発表されたコクラン・グループの評価結果( BMJ 2014;348:g2545 )についての解説であり,比較的第三者的な簡単な解説に終わっていました.もっとも,同じ日にドイツの有名な週刊誌シュピーゲル(Spiegel)には「抗インフルエンザ薬タミフルは全く役に立たない」との表題で,ある程度専門的に解説されており,「タミフルはインフルエンザ症状を半日だけ短縮するだけである」との内容で解説されていました.ここではリレンザについても同様に言及されていました(www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/tamiflu-umstrittenes-grippemittel-hat-keinen-nutzen-a-963768.html)

ところが,4月13日にはスイスの日曜版新聞(SonntagsZeitung)にタミフルの問題点が一面から三面にかけて解説され,「タミフルは,医師の本来の使命・役割を著しく傷つけた」との表題で大きく報道され,その副題には「抗インフルエンザ薬に関する臨床データ作成に関与していたスイスの医師たちも制裁を受けるべきだ」と激しく非難されていました.ともかく,この新聞には三面に亘ってロッシュ社が如何にタミフルで膨大な利益を得ていたかが詳細に報道されていました.たとえば,2005年に最初の鳥インフルエンザがヨーロッパやアメリカで社会的に取り上げられた時のタミフルの売り上げは1,558 Mio sFr【1sFr=110 Yen として約1760億円】であり,その後毎年のように似たような売り上げ高の膨大な量のタミフルが販売され,2013年にアメリカでの売り上げが635 Mio sFrとなり,それまでの9年間での合計が12,506 Mio sFrにもなっていました.この間に,一番売り上げ高が大きかったのは2009年に豚インフルエンザに関連して3,200 Mio sFrとなっていました(www.sontagszeitung.ch 13 April 2014).

さらに,スイスの中立的で評価の高いチューリッヒの新聞NZZ(Neue Z üricher Zeitung)の日曜版(13 April 2014)に載った風刺絵がなかなかうまく皮肉的に描かれていました.

そこには社内会議(もちろん,ロッシュ社内)で,一人の重役らしい人がタミフルの売り上げについてのスライドを指しながらコメントしています.そのスライドにはタミフル製品の箱に「タミフルは膨大な利益をもたらした」と書かれてあり,それに対するコメント発言として「でも,副作用として,インフルエンザ症状を多少は軽くするかもしれない」とあります.なかなかの傑作です。

2.タミフルに関連した臨床試験の問題点 

この新聞で問題が指摘されているのは,このタミフルの臨床試験に関与した医師の倫理問題にもスイス連邦医師会FMH (Federatio Medicorum Helveticorum)が言及しており,もし何らかの違反が判明したらそれなりの対応がとられることを表明されていること,また今までに公表されていなかった臨床データが最近になって公にされたことによりその全体像が解明され,抗インフルエンザ薬備蓄への社会的ヒステリー状態に終止符が打たれたとされています.また,全般的にはタミフル備蓄への社会的ヒステリー状態の発生は行政の責任でもあることにも触れています.さらにタミフルを認可したスイスの衛生行政当局Swissmedicがスイスで売られている医薬品の価格の1%弱がスイスの企業から寄付されていることも問題視されていました.

3.第三者機関による臨床試験実施の提案

このタミフルの問題,さらに最近のノバルティス社と臨床試験に関与した大学との不明瞭な関係などを考えると,今まで製薬企業が主導して実施してきた治験とか市販後臨床試験,つまり企業が開発した新薬の第Ⅲ相,第Ⅳ相試験は企業が行うことを禁じて新たに第三者機関がすべてを行うようなシステムを創れないものかと考えたのです.つまり,企業が新薬を開発し,第Ⅱ相試験まで終了した時点で第Ⅲ相に進むべきと企業が判断した時点で動物実験データを含めすべてのそれまでのデータを第三者機関に提出して,申請に必要な第Ⅲ相試験データ作成を企業から完全に切り離すことです.そうすればすべての臨床試験データが公表されることになります.もし日本が世界に先駆けてそのような新しいシステムを創ることが出来れば素晴らしいと思われます.この第三者機関に対しては該当新薬の臨床試験などに必要な直接経費は該当企業が負担するのは当然なのですが,その機関の運営費用はかつての副作用救済基金制度を参照して,それぞれの新薬申請企業の売り上げ高に準拠した企業拠出金でなされるようにすることです.

追加(2015 Jan)
最近発表されたデタでは以下のような成績があります。つまり、プラセボと比較して、タミフル投与群では症状の継続は一日だけ短いが、入院を必要とする場合や抗生物質投与を必要とする気道下部の疾患は半分以下であったとのことです。
In patients with lab-confirmed influenza, oseltamivir was associated with shorter time to symptom resolution than placebo (4 vs. 5.1 days), fewer hospital admissions (0.6% vs. 1.7% of patients), and fewer lower respiratory tract complications requiring antibiotics (4% vs. 9%). On the other hand, oseltamivir recipients were more likely to have nausea (10% vs. 6%) and vomiting (8% vs. 3%).

http://click.jwatch.org/cts/click?q=227%3B68133601%3BdD9tMKEyCMMe3QatSnJKOomw8C%2BOzRYCr1wJmwD2%2BrY%3D

もっともこの研究は企業からの資金援助でなされたものです。

2014年7月22日 (火)

日本の存在が過去のものになりつつある現状 (1) 

日本の存在が過去のものになりつつある現状 (1) 

日本に居てはなかなか気がつかなくとも、海外で生活していると意外と日本そのものの存在が段々と薄れてくることに気がつくのです。つまり、日本という存在がいろいろな分野で徐々に消えてなくなりつつあるのです。日本に居ればやれ日本の自動車の輸出がどうのこうの、日本食、ことに寿司、が世界で拡がっている、などなど日本の存在が大きく影響していると理解しがちですが、これらは確かに国外での日本の存在感を感じさせるものかもしれません。

でも、このような日本への存在感は海外の人たちの好みに依存しているのですが、その逆に、商売として消費者を相手に販路を考えるような生産者側から見るのとその立場はまったく正反対なのです。つまり、日本食とか漫画とかオタク文化などは相手が望むことにより成り立っているのですが、その逆に消費者としての相手を念頭に置いた場合の日本の存在はまったく異なるのです。この場合には日本に対する認識、認知度によって大きく影響を受けるのです。

このような観点から海外での日本の存在感を改めて認識してみると、意外と日本に対する認識度は低下しつつあるのです。そのような例を日常生活の中でのいろいろな商品から日本の存在感が消えつつある実態を報告したいと思います。

(その1)
欧州でもいろいろなカタログ通信販売が盛んであり、そこにはいろいろな商品が載せられています。たとえば、旅行者向けの小型自動翻訳機がありますが、この機械では欧州の各国語会話の自動翻訳が出来るのですが、欧州語以外には昔は日本語も入っていたのです。しかし、最近の新しい機械にはいつの間にか日本語が消えてなくなり、その代わりに中国語が入っているのです。機械によってはいまだ日本語が中国語とならんで入っているのもあるのですが、最近は日本語が消えてなくなりつつあることです。

このような傾向はいろいろと探せば見つけられるのですが、なんかさびしい感じを抱くのは私だけでしょうか。

2014年7月18日 (金)

海外戦没者の放置と靖国参拝閣僚

海外戦没者の放置と靖国参拝閣僚

太平洋戦争中に海外で戦死した日本兵の多くの遺骨がいまだ野ざらしのままに放置されていることが過去に何回と無く報道されています。例えば、硫黄島がその典型例ではないでしょうか。たとえば、日本から硫黄島に遺骨収容に行く人々は自費で渡り、政府に許されたごく一部の地域でしか、活動を許されていないのです。そして、米軍が作り、今は自衛隊が使っている滑走路の下には無数の遺骨が、今も眠っているのです。およそ2万人の硫黄島戦没者のうち、遺骨として収容されたのは、いまだ8千数百柱に過ぎないといわれています。

 ほんとうは、日本は戦後教育で日本兵は悪者だったと教えてきたから、英霊は英霊ではなくて悪者だと教えてきたから、悪者だから忘れて良かった、悪者だから放っておいてよかった、悪者だから滑走路の下に閉じ込めて滑走路を便利に使ってよかった、これが戦後日本の本当の真実なんです。(JOG-Mag No.856 ぼくらの祖国を甦らせる)

まことに痛ましい限りであり、またそれら日本兵の遺族の方々の心情を考えると涙ぐまざるを得ません。でもなぜそのような事実が判明しているにも関わらずいまだに海外で多くの日本兵の遺骨が野ざらしにされているのでしょうか。もちろんそれらの野ざらしにされている遺骨以外にもどこかに埋もれている多くの日本兵の遺骨もあるはずです。でもどうしてこれらの遺骨収集作業が遅々として進まないのでしょうか。

このことに関連して思うことは靖国神社に他国の人たちの反対を押し切ってまで参拝する閣僚は本当に靖国神社に祭られている英霊のことを考えてあえて参拝しているとはとても考えられないのです。なぜならそれらの閣僚の誰一人として海外に野ざらしにされ未だに故国に帰ることのできない英霊のことは全く眼中にないのは靖国神社参拝は単なる政治的パッフォマンスと捉えられても致し方が無いのではないでしょうか。それとも靖国神社に祭られている英霊と海外に放置されている日本兵とは全く別とでも考えているのでしょうか。この際、せめてそれらの閣僚の一人でも海外に放置されている日本兵の遺骨を一刻も早く日本に持ち帰る議員活動をしてほしいものです。

2014年7月 8日 (火)

市販後副作用報告はやはり自発制度である

市販後副作用報告はやはり自発制度である」

昨今の製薬企業と大学医療関係者との癒着の問題に関連し、ノバルティス社が臨床試験の副作用症例報告の取り扱いで不正の疑いがかけられている。さらに臨床試験のデータや副作用症例データ収集を企業のMRがタッチしていることに対しても疑義が投げかけられているが、このような行為は従来から恒常的に行われていることであり、最近になって一部のメディアがそのようなデータを企業のMRに渡すことはデータの信頼性に欠け、不正が介入する「可能性」があるとの疑いの目をもって報道されているに過ぎない。

更に企業が副作用症例を関連医療機関から収集し、それらの行政への報告が規定通りに処理されていないことも指摘されている。また、大学医療関係者との間にとりかわされた臨床試験の解析に企業が関与し、データの不正解釈の疑いがかけられている。そこには臨床データの解析に企業が関与し、その解析結果に「不正の可能性」があると判断されている。

このような背景を考慮すると、企業が医療関係者から副作用症例を収集すること自体が企業はその内容について手を加えて医師からの副作用情報を改ざんできる「可能性がある」ということを理論的には認識すべきであるとされている。たとえば、企業のMRなどが収集した市販後副作用症例の臨検値とか発生期日などを改ざんする「可能性はある」「可能性を排除できない」となる。

しかし、もし実際に副作用症例に何らかの操作を企業がしたとしてもその副作用報告を受け取る行政にはその内容をチェックするシステムは全く考えられていない。つまり、現在の副作用報告制度の下では企業が報告してきた副作用症例の内容の正確性について行政はまったく関与がなく、また関心もない。つまり、ただ報告を受けて処理するだけである。しかし、一旦その報告されてきた副作用内容に疑義が持たれた時には当然のことながら報告者側である企業の責任になる。このことは逆の立場から判断すると、行政は企業がそのような内容に不正があるという「可能性は全く存在しない」ことを前提にして現在の報告制度があるものと解釈できる。つまり、行政としては副作用報告についての企業の関与は「性善説」に基づいていることになる。となると今回のノバルティス社関連の一連の問題に関しては行政並びに関係者は「可能性がある」「可能性を排除できない」との立場から対処しており、これは文字通り「性悪説」の概念であり、これは全く支離滅裂な論理になるのではなかろうか。

本来、市販後の段階の医療の実際からの医薬品の副作用は医療関係者が最初にみつけることができるものであり、製薬企業ではない。ところが、日本では薬事法により製薬企業が積極的に副作用を入手し、その副作用は企業自体が行政に報告することが義務とされている。つまり、そこには市販後の段階で医薬品の副作用は「企業がまず最初にみつける」べきだとの暗黙の解釈が存在すると考えるのは考えすぎではないだろうか。

つまり、現在の副作用報告制度では企業が主としてMRを通じて副作用の御用聞きをしているものと解釈できる。このことは間接的には医療関係者は副作用を報告することが義務であることを放棄していることにもなる。

従来は副作用報告に関しては「副作用自発報告制度」と言われていたが、2003年の薬事法改正で医療関係者も副作用報告が義務化されているので、従来の副作用「自発」報告制度は消滅し、副作用報告「義務」制度になっているのだが、現実にはそうではない。つまり、このような状況から判断すると副作用報告はいまだ「自発制度」のままの状態であり、「義務制度」にはなっていないことを行政も間接的に認めていることになる。

しかし、問題は医療関係者も市販後の段階での副作用を報告することは義務になっているにも係らず、多くの医療関係者はそのような義務の認識はほとんど無い。さらに問題なのは医療関係者、特に診療医が薬事法についての知識を得る機会は皆無に近く、よほどのことが無い限り、企業のMRが訪問してきたときに副作用情報をMRに提供するだけで万事OKと理解している場合がかなりある。

つまり、医療関係者が市販後の段階で副作用症例を行政に直接報告することは意外と少ない。このことは行政に報告されてきている副作用症例の報告元の統計を見れば明らかになる。もっとも、さらに問題なのは開局薬剤師からの副作用報告例は極端に少なく、皆無の状態であるのもいまだ自発制度の段階にあるからと理解すべきである。ちなみに開局薬剤師も医療関係者の一員なのである。

このように医療関係者が直接行政に副作用を報告するのか、それとも企業を介して報告するのはもっぱら医療関係者の考え次第なのである。このような副作用報告のダブル・スタンダードは日本独特の制度であり、事実、今回のノバルティス社の問題に関連して、医療関係者が副作用を行政に直接報告すべきであることにはマスメデイは全く触れおらず、行政並びに関係者も全くこの点には触れていないことからもいまだ市販後段階での副作用報告は「自発制度」の段階に留まっていると関係者全員の暗黙の了解事項になっている。あるいは前述の薬事法改正は建前であって、薬務行政当局は医師に対して処罰をすることはタブーなのかもしれない。まぁ、行政の立場から判断すればは薬務局は医務局行政に対して文句は言えないわけである。

さらにこの問題を複雑にしているのは医療関係者は薬事法の内容をほとんど知らないし、まただれも積極的にこの法律の解説を医療関係者にはしていない。したがって、今回のノバルティス社の件を契機として、現在の日本独特の市販後副作用情報提供は医療関係者からの直接報告制度一本制に改正すべきである。もっともこの一本制はあまりにも理論的ではあり、非現実的であるかもしれないが、副作用の本質、並びに医師の倫理から判断すれば医療関係者が直接報告するのが筋ではなかろうか。もちろん、海外の先進国では医療関係者が直接に行政、または類似機関に直接報告する制度だけである。

なお、意外と無視されていることの一つに多くの企業は副作用を報告してきた医療関係者に対して副作用一症例にたいして一万円前後の謝礼を支払っていることは問題にはならないのだろうか。

なお、この記事は業界紙「薬事日報」に載っています。(2014 July 7)

2014年7月 5日 (土)

口が裂けても言えないこと  (例: 日本人従軍慰安婦問題)

口が裂けても言えないこと  (日本人従軍慰安婦問題)

 

日本語の意味深長な表現の一つに「口が裂けても言えない」があります。、しかし、最近の議員の女性蔑視発言などは本来は口が裂けても言ってはならないことなのですが、やはりいつもそのような気持ちで居るとつい口が滑ってしまうことであり、とても「口が裂けても言えない」問題ではないわけです。

最悪なのは日本人は戦争中の慰安婦の存在には全く知らん顔をしているのです。本来、なぜ慰安婦<が広く募集されていたのかとの背景を知る必要があるのです。それは、戦争に駆り出された性欲の盛んな若年の兵士に対しては、紙袋に星印と「突撃一番」と印刷されていたコンドームを衛生兵が必ず配布し、慰安婦との性交の際には必ず性病予防薬「星秘膏」と併用することとしていた。性病に感染すると、行為よりも使用しなかったことが咎められる とさえ言われていたのです。でもなぜこのような慰安婦制度を戦地に動員したのかと言うと戦地で地元の女性に暴力で強姦することを避けるという目的があったのです。でも、戦争に際してこのような発想を持った軍隊などは殆ど無いのではないでしょうか。

このことに関連して、韓国が岡本コンドムの非買運動をしていることが報道されていましたが、このことはまさに上記のような背景があったことを十分に認識しているからです。なお、当時はコンドムという名ではなく、サックと言われていたと思います。いずれにしても戦後まもなく日本で発行されていたカストリ雑誌にはしばしば日本人慰安婦による実際の行為のありさまをあからさまに書かれてもいました。

 

なお、以下の解説はあまり知られていないのではないでしょうか、

 

日出づる処の名無し 2014/02/22(土) 07:32:41
公文書館で確認された報告書
http://japanandworld.net/archives/683
~引用ここから~
この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対する尋問から得た情報に基づくものである。
(中略)
多くの女性が海外勤務に応募し、2~3百円の前渡金を受け取った。
(中略)
彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて 6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。
(中略)
ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
(中略)
欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった
(中略)
慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否 は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。
(中略)
1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める胸の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
(中略)
これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。

 

 

 

つまり、この慰安婦なる表現は実際に経験、体験したことであっても絶対に公言してはならない、あるいは公言できない、というきわめて強い意味があるのです。このことはあることを経験していてもその事実を誰にも言えないという強力な意思表示の塊なのです。ですから、浮気したとか、何かを盗んだなどはこの表現の対象には出来ないはずなのです。

 

なぜこのようなことをここに書いたかといいますと、以下のような新聞記事を読んだからなのです。

 

最近の新聞に「731部隊の証言者、篠塚良雄さん」の惜別記事がありました。この篠塚さんは太平洋戦争中、細菌兵器開発のため捕虜への生体実験を繰り返した関東軍731部隊の少年兵として実際に捕虜への生体解剖に立ち会うようになった経験のある人でした。この記事の中で、「この部隊で生体実験に関与した医師や研究者たちは戦後、口をつぐんだ」、とありましたが現実問題としてそのような強烈な忌まわしい過去にたいして私はそのような実験に従事していましたとは口が裂けても公言は出来ないことは十分に理解できます。

 

似たような状況は太平洋戦争のときの従軍慰安婦の存在があります。この問題はお隣の韓国が世界に向けて国家宣伝していますが、朝鮮人の場合には、私はかって日本軍の従軍慰安婦でしたと、いとも簡単に告白できるから不思議です。もっとも、それらの人たちが本当に自らの意思でそのような過去を堂々と告白したのかどうかは不明ですが、いずれにしても何人かの韓国人が告白しているのです。このような場合には上記の表現はまったく当てはまらないのでしょうか。そこには朝鮮人女性と日本人女性との感情表現、倫理観に大きな違いがあるからです。

 

このことは、最近になって新たに韓国人慰安婦が韓国政府を提訴していることです。
朝鮮戦争が終わった’50年代から’80年代にかけて、在韓米軍基地周辺で米兵相手に売春をしていた元韓国人慰安婦122人が、今年六月に、韓国政府を相手に1人1千万ウォン(約100万円)の国家賠償を求める集団訴訟を起こしたことが報道されています。つまり、これら122人の韓国人女性が堂々と私は過去に慰安婦でありました、と公言していることです。

 

このような場合も日本人女性の場合には、私は過去に従軍慰安婦でしたとは口が裂けても言えないからです。ある資料によると当時の従軍慰安婦の半数近くは日本人女性であったとされています。しかし、このような事実は日本国内では完全にタブーであり、したがって、多くの一般日本人は認識していないのかもしれません。

 

ある新聞記事によると村山元首相が新聞記者から「あなたは日本人慰安婦についてどうお考えですか」と質問され、「絶句」したとか。この場合、村山元首相はそのような事実を知らなかったから「絶句」したのか、それともそのようなことは口が裂けても公言できないと考えていたから「絶句」したのかはまったく不明なのですが、おそらく推測するに、彼はこの日本人従軍慰安婦については「口が裂けても言ってはならないこと」と認識していたから「絶句」したのかもしれません。

 

追記(2014 Aug 5/6)
最近の朝日新聞に編集担当の杉浦信之氏の二日連続で「慰安婦問題を考える」が掲載されていました。ここでも日本人慰安婦のことには一言も触れていませんでした。このようなマスコミ報道だけしか読まない人には慰安婦の大半は日本人女性だったことなどはおそらく想像できないかもしれません。この記事を詳細に読むと「強制」にかんする記述に対しては「・・・性の相手をさせられた女性がいた事実を消すことはできない」との表現がありますが、この表現は実に巧妙な表現であり、「そのような女性が一部いた事実・・・」が正しいのですが、単に「・・・いた事実・・」を何気なく読むと読者は全員が強制されていたと理解してしまうからです。つまり、この記事では「応募」の事実はまったく触れていないからです。
それから、二日間にわたる長文の中で日本人慰安婦の存在に触れているのは最初の八月五日の記事に「・・・日本本土の日本人のほか・・・」とあるだけでそれ以外にはあたかもこの問題では日本人慰安婦はまったく問題ではないかのような論調なのです。
でもナゼ同じ国民である日本人女性に対して少なくとも陳謝するような表現を書けないものなのでしょうか。

 

追記(2020)

最近気が付いたのですが、この慰安婦を扱った映画「主戦場」がいろいろな話題を醸し出しているようです。私はこの映画を観ていないので何とも言えませんが、日本人の殆どは日本人慰安婦のことについて触れることはタブ-のようです。

 

2014年7月 4日 (金)

有事の際の海外邦人の救助

有事の際の海外邦人の救助

現在問題視されている集団自衛権に関連し、海外邦人の救助について以下のような発言がありました。
「海外で突然紛争が発生し、そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助輸送している時、日本近海において攻撃を受けるかもしれない。わが国自身への攻撃ではない。しかし、それでも日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定だ」

ここで言及されているように米国による海外邦人救助がいとも簡単に述べられているが、これはまったくの他人行儀的な発言であり、非現実的、しかも脳天気的な考えなのです。今までの過去の事例でも米軍は海外での救助対象者の順番は、1)米国国籍を持つ者、2)米国永住権を持つ者、3)英国、カナダの国籍の者となっているのです。したがって、有事の際に米軍が民間人救助に向かっても、日本人はもし余裕があれば救助しましょうとなっているのです。

したがって、過去においても何回と無く米軍に断られていたのです。これは当たり前であるのにもかかわらず、日本政府は米軍が救助してくれるものと高をくくっているのです。まあ、日本の政治家にとっては海外邦人救助などは最後の最後の検討課題なのです

(この間の詳細については拙著「誰も知らなかった常識の背景」を参照してください)

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