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2014年6月の記事

2014年6月30日 (月)

私の架空発明 (19) 自動車の速度を後ろ窓にも表示する

最近の自動車にはいろいろな新しいノウハウが詰め込まれていて便利なものもあるが煩わしいものもある。例えば、最高時速が制限されている車道でそれ以上の速さで走ると自動的に「制限速度をこえていますので、注意してください」のような音声警告が自動的に発信されます。つまり、制限速度の標識が有るところをその制限速度を少しでも超過するとそのような音声警告が聞こえるのです。

確かにこのような装置は制限速度内で安全運転をするということに関しては極めて効果的であり、有用性は高いのですが、そのような制限速度内で走っていると必ずと言ってよいくらい後続の車がイライラしてすぐ後ろに接近してくることが往々にしてあります。そのような場合、こちらは制限速度を守っているのに、と自分もイライラしてしまうことが有るのです。

そこで考えたのですが、車の後ろ窓にジギタル数字で現在の速度を表示し、もし制限速度以上に走っているときにはそのジギタル数字に赤線でバツが付くような仕掛けを作るのです。そうすることにより、少なくとも接近して後続している相手の運転手にこちらの意識表示を伝えることが出来るのです。

まぁこのような装置は遊びの範囲内かも知れませんが、ある意味では意義のあるものかもしれません。

2014年6月19日 (木)

曲解、誤解への正解(1)  床屋のサインボール

曲解、誤解への正解(1)  床屋のサインボール

 

世の中にはいろいろな解説、説明があり、多くの場合、それが正しいと考えがちですが、意外とそれらの説明が正しくないこともあるのです。そのような場合、いろいろな文献を読んで解釈、理解する人によって無意識的に正しくない理解をしてしまうことはよくあることです。つまり、そこには曲解、誤解が入り込んでしまうのです。その典型例は日本での通説となっている医薬分業のそもそもの発祥は毒殺を防ぐ目的から生まれたとの通説なのです

そこでこのシリーズではそのような例を挙げて正しい解説を試みました。

 

今回は床屋、つまり理髪店のマークであるサインボールに関連して、理髪店の店先にある、赤、青、白がグルグル回っている看板に関連しての説明に、あの赤は人間の動脈を、青は静脈を、白は包帯を表わしていると説明されています。そして、何故理髪店がそんな意味の看板を置くようになったのでしょうかとの問いに対してほとんどが「それは、中世ヨーロッパでは、理髪店が簡単な外科医も兼ねていたためです。」とか、「一説によると、中世ヨーロッパ、髪を切る行為は手術などのために毛を剃る行為と一緒で、理髪と外科医とが同一職業だった」、ありますがこれは誤解、曲解で、床屋は床屋であって外科的行為はしていなかったのです。

古代ローマの時代から床屋はTonsoreと呼ばれ、継続していたのです。古代ローマ帝国時代の多くの人、特に貴族社会の人たちは髭などを生やしている人たちは少なく、きれいに顔を剃って清潔にしていました。それと並行して、当時は戦争が茶判事のことであり、槍、刀、弓などによる外傷は当たり前で、それらを手当てする人たち、つまり外科的手当てをする人たちがいたのです。このような社会構造はローマ帝国が崩壊する頃まで並行して存在していたのです。つまり、床屋と外科的手当て屋とは一緒ではなかったのです。

ところが、中世期頃になると法治社会となり、いろいろな法規制が設けられ、中世紀になっていままで外科的手当てをしていた職業の明文化、教育などが他の職業、たとえば医師とか薬剤師など、の資格と同様に厳格になり、それまでの外科屋にとってはかなりの厳しい制度となったため、従来の外科的手当てを放棄して床屋の領域に入り込んできたのです。特に、1940頃に“医薬品に関する法令“(Ordinanza medicinale di Federico II/ Constitutiones medicinales)がイタリアで施行されるようになってからは従来の一般的な外科屋の存続が難しくなった。

なお、歴史的な考察をするとやはり教会の僧院の役割を理解することも必要になります。

中世ヨーロッパにおいてはキリスト教修道院は病院も兼ねていたのです。当時は医療と言うものが明確化されておらず、また病気に対する知識も深く理解されておらず、それぞれの疾患に対しての対症療法だけだったのです。つまり、それぞれの疾患に対してどうすればその疾患を軽快、或いは治療できるかとの目的から薬草による治療という概念が自然に生まれたわけです。

そのような環境下にあって、教会の僧侶たちが心の病の救いという概念を発展させて肉体の病をも救うという観点からも病気への関心が当然のことながら高まり、その結果として僧院内にそのような施設ができたものと理解することが出来るのです。その結果として、僧院内の農場では薬草も栽培されていたのです。その延長として体を傷つけられた人たちも治療の対象に拡大されていたのです。中世期頃の社会はいろいろと混乱していて争いが起こり、当然のことながら戦争が頻発し、傷ついた兵士が多く発生し、それらの兵士をどこかで手当てしなければならず、結果的には僧院などに運び込まれ、傷の手当てもなされていたのです。

ところが1163年「教会は流血を忌む」と言う趣旨の法令がローマ法王から出され修道院内での外科的手術が禁止されることになってしまったのです。しかし外科手術の需要は当然あった。

一方、1092年に「僧侶は髭を綺麗に剃ること」との法令がローマ法王から出されたのでした。その結果として各修道院では髭を剃らせるため床屋をやとっていたのです。当然のことながら髭を剃るには鋭い刃物を使用することになります。つまり、床屋は刃物の取り扱いに慣れていたのです。

そのような環境下で修道院内での修道僧による外科的処置が禁止されてしまったので、そこで僧院の修道僧達は雇っていた床屋にその技術を託したのでした。このような経緯が床屋が外科医を兼ねたとの発展につながる訳です。その当時は彼らは床屋外科医「Barber-surgeon」と呼ばれるようになったのです。
このような状態が1731年まで続いたのです。

 

A partire dal secolo XIII la categoria dei chirurghi francesi, si faceva più numerosa ed aumentava la sua visibilità, mediante l'utilizzo della toga per effettuare la chirurgia maggiore. Nel corso dei secoli successivi comincia a utilizzare il termine "barbiere" per fare riferimento a una gilda di "praticanti", non medici, non conoscitori del latino, ed il cui campo di azione si limitava ad interventi minori, come la flebotomia, estrazioni dentarie, cura di piccole ferite. In Francia, durante il Rinascimento, il successo della chirurgia portò alla scomparsa della differenziazione di classe tra medici e chirurghi.
Senza dubbio i barbieri continuarono ad esercitare la propria funzione sociale liberamente per molto tempo, ovvero fino alla fondazione della Académie Royale de Chirurgie nel 1731, diretta all'inizio dal chirurgo Jean-Louis Petit, che perfezionò il tourniquet, e la promulgazione della ordinanza di Luigi XV che proibì ai barbieri l'esercizio della chirurgia.
In Inghilterra, senza dubbio, nel corso del secolo XV gli internisti andarono rafforzandosi, riuscendo a fondare il Collegio Reale dei Medici, con l'effetto di equiparare i chirurghi ai barbieri. Nel 1540 il parlamento autorizzò la formazione della Compagnia dei Barbieri-Chirurghi; sarà però Thomas Vicary, chirurgo incaricato di curare una ferita nella gamba di Enrico VIII, a consegnare nelle mani del re la carta dei diritti della Gilda dei Chirurghi[40].

 

従って、床屋は床屋で古代ローマ時代から連綿として存在していたのですが、外科的手当てをしていた人たちがそのような厳しい資格を取ることを断念してしまい床屋に転向したことになるのです。ですから、日本での通説となっている「中世の欧米諸国では理容師は外科的処置を行う外科医、歯科医師でもあった]との解説は原因と結果が逆で 、「床屋の社会に外科医的技能者が入り込んできた]のです。

その頃、医学は内科学主流とされていたため、怪我の処置や四肢の切断等に至るまで、理容師がこれを行っていた。「瀉血(血抜き)」、吸角法、ヒル療法、浣腸、抜歯を行った。そのため、彼らは "barber surgeon(理髪・外科医)" と呼ばれ、1094年に最初の組合を作った。

つまり、古代ギリシャからローマ帝国時代には当時の床屋が外科的行為をしていたのではなく、その逆に外科的行為者が中世期以降の社会構造、法制化の変化に伴い、いろいろな職種の資格の厳格化がなされに、徐々にそれらの外科屋が床屋に移行したものと理解すべきなのです。即ち、十五世紀頃から外科的手当てを専門にしていた職種が明確化され、さらにその目的のための外科医となるためには特別な教育を受けねばならず、それまでの外科屋の役割維持が困難になってきたのです。

特にナポレオンの時代には専門知識のある外科医の存在は重要であり、戦場にはかならず外科医が必要で、貴重な存在であった。

したがって、中世期前後には床屋と外科的手当て屋とが一時期的に混在して同じ職業を構成していたのです。その結果、現在見られるようなサインボールがあるのです。もっとも、最近ではこのようなサインボールは欧州大陸ではあまり見られなくなっています。

なお、現在の床屋(イタリア語Barbiere、英語Barber)の表現は野蛮人Barbaraに由来し、ローマ帝国の衰退とともに北ヨーロッパから髪の毛を伸ばし、髭を伸ばしていた人たちがイタリアに来るようになり、その人達を野蛮人と呼び、そのような格好を改めさせる役割を担っていた人に対してBarbiereという表現が使われるようになったのです。つまり、古代ローマ帝国時代には剃髪に従事していた人はTonsoreと呼ばれていたが、その後になってこれらの人たちが北ヨーロッバから来た“野蛮人“の髪やひげなどを整えたりするようになったと理解できるのです。つまり、床屋(Barbiere,Barber)という表現は少なくとも古代ローマ帝国の時代には使われていなかったことになります。

このような背景を理解すると、日本での通説とし信じられている床屋が外科的業務をもしていたのではなく、その逆で現在の床屋という職種、少なくともBarbiere,Barberという表現の職種の中に昔の概念での外科屋が入り込んできて、一時的には両者が混在していたものと理解すべきなのです。したがって、日本で通説となっている「当時の欧州では理容師が外科医を兼ねていて床屋外科と称されていた」は正しくなく、どちらかというとその両者が混在していたのです。

もっとも、床屋外科のような表現はイタリアにはないが、英国では一時的にそのような存在があった時期がある。つまり、欧州と言ってもイタリア、フランス、英国とではそれぞれの変遷過程が異なるので、一概に「欧州では」と一括することは出来ない。たとえば、英国では1368年に「ロンドン外科組合」が結成され、床屋と外科医とを区別することが目的とされていた。

 

 

追記 (2022 July)

これはスイスでの話ですが、スイスでは床屋はドイツ語でCoiffeur、つまりフランス語が主として使われているのですが、最近はスイス以外からの移民が床屋を開き始め、それらの店先には例の三色、サインボ―ルが使われているのです。

 

 

2014年6月17日 (火)

患者指向の医療用医薬品情報 -特に安全性情報のあり方-

患者指向の医療用医薬品情報
-特に安全性情報のあり方-

【目次】
Ⅰ 初めに
Ⅱ 現状分析
Ⅲ環境の変化
Ⅳ 今後の医薬品情報の拡大・充実
Ⅴ 医薬品情報の活用拡大
Ⅵ 結語

Ⅰ 初めに
医療用の医薬品には医療用医薬品添付文書があり、またさらにそれよりも詳しい情報源としては各医薬品のインタービューホームがある。一方OTC製剤には患者用の添付文書、正式には「説明文書」が購入した箱入り製品の中に自動的に添付されている。
医療用医薬品添付文書は製薬企業(以下、企業と省略)から医療関係者に配布されるものであり、臨床医が実際にそれぞれの医薬品を患者に投与する場合に参考するものとなっている。日常診療業務の中で自分が処方する医薬品の添付文書すべてを手元に置くことはあまりなく、あるとすれば「ポケット版臨床医薬品集」(薬事日報社)などがコンパクトでいつも手元におくことが出来る。そのような机上型参考書には適応症、用法用量、禁忌、副作用などの臨床関係情報が極めてコンパクトに記載されてある。オリジナルな医療用医薬品添付文書は医療機関の薬局などに一括保管されているのが一般的であり、医療関係者が必要に応じて参照できるようになっている。
これらの添付文書情報は、該当医薬品の適応症を知ること、そして副作用情報を知ること、最終的にはその用法用量を知ることが出来る。しかし、適応症情報はそのほとんどが適応疾患名の羅列であり、そして副作用情報には副作用の羅列、例外的に発生頻度、が記載されているに過ぎない。このような医薬品情報のあり方に疑義を持って、改めて現状分析ならびにその改善策を考察した。

Ⅱ 現状分析
現在の医薬品情報の典型は医薬品添付文書であり、新薬が市販されるときにはこの添付文書が必ず設定され、該当医薬品購入時には医療関係者に配布され、医療用医薬品の場合にはOTC薬の場合と異なり、その配布対象は医療関係者に限定されている。
この添付文章の中の有効性、安全性情報についてみると、適応症に関しては厳密な臨床試験の結果を検討して選択されたものであり、また、安全性情報は市販に至るまでに臨床試験などからの経験をもとにして列挙されたもので、科学的表記とみなされている。例外的に、安全性情報は市販後も随時追加、訂正されてはいるが、基本的には新たな副作用項目の追加に終わっている。もっとも、副作用情報にはその発生頻度情報なるものが概略的に付加されており、概念的な判断には参考になるが、実際の医療に際して医師が目の前に居る患者でどのような副作用が発生する可能性があるかどうかの予測的判断をくだす参考情報とすることには無理がある。
さらに問題なのは、市販後に必ず実施されている副作用自発報告制度の不完全な運用である。副作用自発報告制度の現実は低調ないし欠陥だらけであるにもかかわらず、関係者にそのような認識はきわめて薄い。むしろ、その逆に従来の副作用自発報告制度が低調なるために、無意識的にそれらの安全性情報を補完するひとつの手法として薬剤疫学が新たに導入されている状況である。ここで改めて現行の副作用自発報告制度についての考察をしてみた。
(1) 副作用自発報告制度について
周知のように、医薬品に関しての市販後の一番重要な問題の一つは安全性、つまり副作用に有る。市販後の段階になると治験の段階では予想もされていなかったいろいろな環境下で医薬品が患者に投与されるからである。そのため、副作用自発報告制度が導入されるようになったのは周知の通りである。(なお、厳密には、この副作用自発報告制度は「副作用・感染症報告制度」と総称されているが、企業が行政に報告する「企業報告制度」と医療関係者が行政に報告する「医薬品等安全性報告制度」のふたつがある) この副作用自発報告制度の基本は、医療関係者全員が、医薬品が投与された患者の状態を完全に把握して、副作用かもしれないと思われる「事例」(Adverse drug reaction: ADR)が発生した場合には、詳細な情報、データと一緒にそれらの「事例」を該当企業ないし医薬品医療機器総合機構(以下、行政と省略)に報告することになっている。しかし、このような基本はあくまでも原則であり、また医療関係者の善意に依頼した暗黙の了解事項になっている。したがって、これらの一連の行為は現実には完全に順守されているわけではなく、実際は医療の現場では軽視、無視されている場合がかなりある。(副作用報告の「氷山の一角」現象の存在) このような状況は薬事法改正によりその報告が義務化されてもそれほど大きな変化は見られていない。つまり、現在は副作用報告は「自発報告」ではなくなっており、「義務報告」になっている。
この制度で次に大切なのは、報告されてきた症例について、それぞれの医薬品との因果関係を個別評価することである。つまり、理論的には市販後のそれぞれの副作用データを詳細・完全に(これが極めて重要)全部収集し、それらの因果関係を詳細に評価することにより、最終的にその結果を医療社会に還元することが可能となり、この副作用自発報告制度が完璧な制度として成り立つことになる。
しかしながら今日のようなグロバリゼーション社会ではこの制度はほとんど崩壊してしまっていると認識すべきである。最近のように新薬がいろいろと登場し、古い医薬品がどんどん新しい医薬品に置き換えられているような状態では、健康保険制度の影響もあって、医薬品使用量は毎年かなりの上昇度が見られるが、一方の副作用自発報告制度から上がってくる副作用症例数はここ数年横ばいの傾向がある。両者(医薬品使用量と副作用報告例数)との相関関係を正確に把握するのは難しく、例えば、処方箋枚数をその指標にしても、一人の患者が一つの疾患に対して複数の処方箋をある期間に受け取る可能性もあり、その場合にはその枚数に応じて副作用発生の頻度が上昇するとは言えない。いずれにしても副作用の「氷山の一角」現象を数的に正確に把握するのは困難である。(医薬品使用実態調査、DURの必要性) ではどうして、この制度が既に崩壊しているのかを別な角度から考えてみた。
[主要崩壊原因]
副作用自発報告制度の崩壊の大きな原因としては、以下のような要因が挙げられる。
a)医薬品流通の国際化並びに製薬企業の国際化、巨大化
これら二つの要因はお互いに共通性、関連性があり、従来は、一つの医薬品が主として一つの国内で使われていたのが、近年では世界規模で共通に使われ、その結果当然のことながら副作用数も世界規模に発展し、膨大な副作用症例数が年間に報告されてくるようになってきている。また、最近のように企業が合併、買収を繰り返し、マンモス化し、その結果一社が取り扱う副作用症例数も劇的に増加している。今日のような国際的な巨大製薬企業内では世界中からの年間副作用自発報告症例数が数万台から二桁台の万単位になっているのも稀ではない。しかもそのような規模の症例数も例の「氷山の一角」である可能性がきわめて高い。
b)医療関係者の関心度の停滞
一方、医療保険の導入に伴い医療制度が往時とは根本的に異なり、だれもが気軽に医療を受けることができ、最近ではちょっとした症状でも医療機関を訪問し、その結果医薬品の使用量も往時と比べたらとても考えられない量が使われている。したがって、忙しい日常診療の場では問診から自覚症状関連の副作用を拾い出す作業は最低に保たれ、また軽微、既知な副作用は全く日の目を見なくなりつつある。
c)企業内での環境の変化
企業の国際化、マンモス化に伴う劇的な副作用症例数の増加は社内的にも業務内容の見直しが迫られることになる。企業内のファルマコビジランス関連部門は企業の中でも全く日が当たらない部門であり、営業部門のように目に見える企業への直接的な経済的貢献が見られない部門であるので、必要とする人員を常に確保することはきわめて難しくなりつつある。したがって、企業のMRが軽微、既知の副作用を含めたすべての症例を収集する努力、熱意は次第に失われ、また収集されてきた症例を一例一例詳細にその因果関係を評価し、必要とあれば不足データをMRを通じて再請求するといった評価関連実務業務(データ・バリデーション、データ・ベリフィケーシヨンの必要性)が軽視される傾向が強くなっている。その結果、副作用症例それぞれの詳細な検討という業務が軽視され、安全性全般に関連した医学的、薬学的な専門的、総合的な知識、経験の集積が企業内に見られなくなりつつあるのが現実である。
このような環境下で、それぞれの副作用症例の個別評価を完璧なまでに行うという基本概念はすでに過去のものと軽視、無視され、新しい副作用症例の評価を従来の個別評価から集団の中での評価で代替えする安易な考えが台頭するようになりつつある。その典型例としては、最近の新型インフルエンザとタミフル投与による副作用(子どもの異常行動)の関連性評価が挙げられる。つまり、タミフルによる異常行動という副作用の評価は、個別の詳細なデータに基づく従来の概念での個別因果関係評価(例えば、基礎疾患随伴症状と副作用との鑑別)が困難ゆえに、軽視、無視され、疫学的手法でその因果関係評価、正確には関連性評価、を論じる方法がとられたことである。特にタミフルの副作用のような場合には基礎疾患でも起こりえる可能性があり、したがってそのような副作用の可能性・関連性を疫学的に判断しても、その結果はあまり実用的でないにも関わらず、識者、行政の議論ではあたかも疫学手法でタミフルの副作用の個別因果関係も評価できるものと判断されている。仮に、疫学手法で有意の統計差があり、完全にその関連性評価ができたとしても、それを以てそれぞれの個別症例での因果関係も自動的に証明されることにはならない。つまり、疫学的にはタミフル投与群と非投与群との対照比較をして、タミフル服用群での異常行動の発生において統計上有意差があり、統計的には明確な因果関係があることが判明しても、タミフルを服用したそれぞれの個人の場合の異常行動発症はすべての症例でタミフルに起因するものと無条件に判断することは必ずしも正しくはない場合もある。それと言うのも、薬剤が人体に及ぼす作用は必ずしも一定したものではなく、個々の患者によって効果も副作用も異なることがあり、個々の患者と投与薬剤との間における個別因果関係評価も重要な役割を占めるからである。
d)対行政業務の増加
さらに、行政が関与しているいろいろな規則、法律も複雑になり、過去十数年間に企業内の日常業務が著しく増加している。例えば、PSUR, DSUP、再審査、再評価、などの業務が加わり、さらに報告形式の多様性、報告期限厳守、国際的情報・収集・交換なども挙げられる。
以上のような環境の変化に伴い、現在の副作用自発報告制度が従来以上に遵守されているとはとても判断できなくなっている。ここでなぜこの制度が崩壊しつつあるのかということを強調した理由・原因は、この制度本来の目的はただ単に副作用を収集し、評価し、行政に報告するという面だけではなく、それらのデータを解析して、より充実したきめ細かい安全性情報を自主的かつ積極的に医療機関に還元するという作業を、企業が日常業務に取り入れていないからである。つまり、現在の企業の姿勢は安全性情報を行政に報告し、それらの情報を添付文書に反映させれば済むという短絡的な思考が根底にある。端的な例として、ある医薬品の副作用欄に「うつ状態」とあっても、それが服薬開始後のどの時点(例えば何日目)に集中、発生するのか、あるいはそのような集中現象もなく、服薬初期から後期にいたるいかなる時期にも万遍なく発生するのか、などのきめの細かい情報提供をしてこなかったからである。もっとも、その逆に医療関係者がそれらの付加情報の提供を積極的に企業に要求してこないのも間接的な原因かも知れない。一般的に、顧客からの要望のない業務は企業内ではあまり重視されない。これらの付加価値情報の提供という概念の欠如も、前述したように膨大な量の情報処理に忙殺されているのが原因のひとつでもある。
[崩壊にともなう後遺症]
前述したように副作用自発報告制度の中での基本はimputology(副作用症例因果関係評価学)にあるが、膨大な症例処置の環境下ではその基本は軽視ないし無視されるようになっている。周知のように、従来の因果関係評価では典型的な六段階評価が挙げられる。すなわち、確実(certain)、可能性大(probable)、可能性あり(possible)、可能性ないらしい(unlikely)、可能性なし(unrelated)、判定困難(insufficient data to assess)となっているが、その判断基準には主観、経験、知識などが大きく関与し、さらに万人共通の一定の明確な基準が有るわけではない。その結果、ある時点で一つの症例に対して複数の人が因果関係判断をすれば、一段階の違い、場合によっては二段階の違いが生じるのは当然である。また、このimputologyが導入された当時(1980年代)には、副作用例数も少ないこともあって、同じ症例が集積されてきた時点で、改めて過去の該当副作用のすべての評価をやり直すという作業は可能ではあったが、症例数の劇的な増加とともに一端、評価・判定され、データベースに収録された因果関係評価は永久にそのままデータベースに残り、定期的にそれぞれの評価を見直すということは不可能になってしまった。すなわち、現在の状況を考えれば、そのような副作用データベースに蓄積された個別症例の因果関係評価を定期的に見直すということは物理的にも不可能なので、自然にその判定評価作業の意義が薄れ、最近では関連性あり、因果関係ないらしい、関連性なし、の三段階(WHOの定義)、あるいは関連性大、関連性あるかもしれない、評価不能の三段階(EU)のように簡略化されている。しかし、現在ではこのような三段階法も軽視ないし無視される傾向が強く、最近では収集の対象は副作用(つまり、何らかの因果関係が疑われる症例:adverse drug reaction, ADR)でなく、因果関係の疑義を問わない有害事象adverse drug event (ADE)がその収集の対象となりつつあり、個々の症例の因果関係評価の重要性がさらに低下し、軽視されつつある。
(2) 今後の因果関係評価のあるべき姿
このような背景を理解したとき、やはりimputologyにも最近の傾向であるエビデンスに基づく因果関係評価の導入が必要になってくる。例えば、従来の因果関係評価表示を次のように改定することも一つの方法かもしれない。
Level 0,  Level 1 ,  Level 2 ,  Level 3
このような四段階がその「因果関係エビデンス評価」表示になる。ではここで示されるエビデンスにはどのようなデータが必要になるのか。考えられるのは以下のような要因が挙げられる。
デチャレンジ、リチャレンジ、薬剤投与時間・投与日・中止日、副作用発現日・時刻、副作用消失日、転帰情報、併用薬情報(投与時期、投与量)、症状/症候の判断基準、臨床検査値の完備度、既往歴の完備、関連情報の有無、関連既存情報のエビデンス、データバリデーション、データベリフィケーションなど。
例えば、因果関係エビデンス評価がLevel 3の場合には、これらの要因すべてが具備している症例になる。
ここでいうエビデンスとは基本的には時間の経過に伴って変化するものであってはならない。例えば、判定時点での疫学関連データは絶対的なものではなく、また月日の経過にともなう新たな関連情報・データによりその結果・結論が影響される可能性があるので、エビデンスから除外される。つまり、ここで取り上げられるべきエビデンスとは、時間的経過によって変化してしまう可能性のあるものはその対象にはできない。このような概念から今後は新しいimputologyの定義を更新する必要がある。更に重要なのはどのようなシステム、制度でも実際の使用者が不便とか、面倒、と感じるような場合にはその完全なる運営は困難になる。特に、この副作用自発報告制度の場合は文字通り自発であり、医療関係者の善意に100%依存しているような場合にはなおさらである。理論的には薬事法で医療関係者からの副作用報告は義務制にはなっているものの(平成14年)、その認識度はかなり低く、また罰則も無い。さらに、この薬事法の条文解釈にも問題がある。該当薬事法第77条の4の2第2項「薬局開設者、病院、診療所若しくは飼育動物診療施設の開設者又は医師、歯科医師、薬剤師、獣医師その他の医療関係者は、医薬品又は医療機器について、当該品目の副作用その他の事由によるものと疑われる疾病、障害若しくは死亡の発生又は当該品目の使用によるものと疑われる感染症の発生に関する事項を知った場合において、保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するため必要があると認めたときは、その旨を厚生労働大臣に報告しなければならない。」とあるが、この条文をどのように解釈するかが一つの問題である。なお、この条文により「副作用報告は義務化されている」と一般的には理解されているが、最後の「…報告しなければならない」を以て義務化されていると解釈しても、その前に「…保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するため必要があると認めたときは」という一節(条件節)があることから、該当副作用を報告するかしないかは医療関係者の判断に任されている。つまり、軽微な副作用の場合にはとてもこの項目は適用できないので、報告しなくともよいことになる。事実、行政に報告する場合には軽微で既知な副作用は報告しなくともよいことが明記されている。(「医薬品・医療機器等安全性情報報告制度」実施要領 )
ところが、同じ条文の別項には関連企業の副作用報告義務の条文があり、その中にはなぜか「…保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するため必要があると認めたときは」という条件節が無い。つまり、企業は軽微なものをも含めて報告されてきたすべての副作用を何らかの形で行政に報告する義務がある。それなのに、前述したように医療関係者から行政への副作用報告には軽微で既知な症例は義務付けられていないのである。医療機関が患者から直接得る情報は間引きされ、関連企業が間接的に入手する情報は細大漏らさないという、これほど矛盾した規定が意外にも問題視されていないのは何故なのだろうか。したがって、このようなダブル・スタンダ-ドは日本独特の制度であり、他の国では見られない。
ここで明らかなように日本での副作用報告経路は二つあって、医療関係者が直接に行政に報告するか、あるいは該当企業に報告するかは医療関係者の判断に任されている。もっとも、前記のような二重基準を比喩的に解釈すると、医療関係者は重篤未知又は非軽微未知の副作用は行政に、それ以外のものは企業に報告するものとも解釈することは可能である。
さらに問題を複雑にしているのはその報告用紙である。行政に報告する場合にはその報告用紙は行政のホームページからダーウンロードできるが、企業に報告する場合にはそれぞれの企業の報告用紙を使うことが一般的である。著者が往時(1998年)に企業が協議して統一的な副作用報告用紙を作成することを製薬協に提案したことがあるが、いまだその実現には至っていない。さらに問題なのは、医療関係者が企業に副作用を報告すると企業から一症例あたり一万円以上の謝礼が払われるのも日本独特な慣習である。この慣習は80年代に某外資系企業が導入して以来、現在ではすべての企業がこの慣習を踏襲している。一方、行政に報告しても、行政は金銭的な謝礼はしない。
このほかにも医療機関内部での副作用処理の複雑性もときとして問題になることもある。病院によってはすべての副作用を病院長に報告することが求められたり、薬剤部にて一括取り扱いをしたり、薬剤部が該当副作用を対外的に報告するかどうかを判断している場合もある。つまり、医療関係者個人が自発的に直接行政あるいは企業に直接報告することができないような環境に置かれている場合もある。
そのほかにも、病院内での副作用処理事務、上司との兼ね合い、該当薬剤を処方した前任医との人間関係、訴訟への可能性への危惧、日常診療業務の多忙、等々いろいろな問題がある。このようないろいろな問題が、間接的にすべての副作用を念頭に置いた自発報告がその出発点で阻害されてしまう可能性が高い。しかも、医療の現場でのこのような複雑性の存在に対して、副作用を収集するということに専念している企業関係部門、更に担当行政部門は全く関心を持っていない。さらに副作用自発報告の大きな問題点は、副作用を実際に経験する医療関係者と、副作用を紙の上でのみしか取り扱っていない行政及び企業の担当部門との間に、安全性問題に対する認識や理解という面で根本的に大きな乖離が有るということである。
情報、データの質、量は医療関係者如何に左右されるといっても過言ではない。つまり、実際の医療の現場では、端的に云えば、軽微な副作用などをいちいち報告する時間的、心理的余裕が無い、と殆どの医療関係者が考えている。そのような医療の現場での実態を詳細に把握して、その対策、対応を全体的に整備し、医療界全体でのコンセンサスが出来上がってこそ、初めてすべての副作用情報、データが企業、行政に報告されてきて、副作用自発報告制度が完全なものになる筈である。ところが、そのような動きは医学界、行政ともに全く存在しない。
さらに問題なのは、医療関係者が、例えば軽微な副作用などを何のために報告するのかという理解がないと、当然ながら時間の無駄だと考えて報告はしないことになる。この「何のために」という明確な目的が不明確なためにいまだに副作用報告は氷山の一角現象の典型例にもなっていることになる。
では何のためにすべての副作用報告が望ましいのかという問いに対する答えを、本来ならばそれらの情報、データを収集することが求められている企業が明確にすべきである。ところが、そのような大義名分を企業は医療関係者に対して十分に説明しておらず、まして情報収集の結果を還元していない。いや、還元できないのかもしれない。現時点では企業の状態は、いろいろと報告されてきた情報、データをもとに行政に報告し、必要とあれば添付文書に反映させるのに精一杯である。したがって、一部の薬害関係者が、あのような添付文書情報は安全性情報ではなく、危険情報であるとまで極言するのも理解できる。さらに一般患者ではそのような理解が強く、添付文書の内容を初めて見たとき、そこに記載されてある副作用項目の多様性に驚き、こんな怖い薬は飲めないと反応する場合があるのも理解できる。このように現在の副作用自発報告制度の実態を知れば知るほど、その制度が理想的には運営されてないことに気が付く。ある意味ではもともと超理想的な制度として発足しているので、この制度が崩壊していると批評すること自体が無意味なのかも知れない。
(3) ファルマコビジランスから見た安全性情報
基本的に情報を空間次元で捉えると、「点情報」、「線情報」、「球情報」という三種類があり、点情報はただ事物や現象の存否を伝えるだけであるのに対して、線情報はその情報に関連した付加価値情報をも意味し、最後の球情報は付加価値情報に背景情報を加えた総合情報を意味している。
ファルマコビジランス分野で一番大切な安全性情報が危険情報と捉えられないためには最低、線情報が必要であり、最終的には球情報が必要になる。つまり、一つの副作用に関連して、どのような時期に発生しやすく、どのような状態で進展し、どのくらいの期間にわたって継続し、そして転帰はどのようになるのか、またどのような処置が施されるべきか、などの実際的な情報を意味している。これらの総合的な情報が球情報となる。
例えば、最終的にはコンピュータ-に薬剤名と副作用名を入力すると、ただちにこれらの球情報が現れるのが望ましい。そのためにはたとえ軽微でもすべての副作用がすべてのデータとともに報告されてくれば、それらを解析して、それぞれの球情報を医療関係者に自動的に提供できるようになる。医学的にはたとえ軽微な副作用でも、患者にとっては必ずしも軽微とは受け止められないこともある。例えば、軽微な副作用とされる「吐き気」が、服用当初に見られるだけで服用継続数日後には自然消失するものなのか、あるいは服薬期間中ずっと継続するものなのかということは、患者にとっては大切な情報になる。
さらに別な視点、つまり世界的な視野から見たとき、ファルマコビジランス分野が薬剤疫学分野に比較して極めて低調なのは、先進国対開発途上国の構図に対比できるかもしれない。アメリカを中心に大きく発展している薬剤疫学は過去の副作用自発報告制度が点情報でしか提供できなかった結果、線情報収集の一つの手段として薬剤疫学が導入されると理解できる。ところが、ファルマコビジランス分野では、ここ数年にやっと国際ファルマコビジランス学会が誕生し、WHOが中心となって主として途上開発国を念頭に置いた活動が始まったばかりである。しかし、このまま薬剤の安全性が点情報のみに焦点が置かれてしまうと、いずれ近い将来にはファルマコビジランスの軽視が、途上開発国でも現在の先進国のような状況になるかもしれない。

Ⅲ 環境の変化
(1) 医療情報への患者の直接参画
医薬品には基本的には使用説明書、つまり添付文書、が存在しなければならない。この添付文書は患者が医薬品の使用に際して、読んで参照するものであり、他の一般的な商品の使用説明書と同じ概念である。ちなみに、日本の医療用添付文書には日本標準商品分類番号が付いていて、“商品”の概念で扱われている。ところが、日本では医療用医薬品の添付文書はOTC薬の添付文書と異なり、医療関係者のみに供されるものである。逆の立場に立てば、患者が医療用医薬品という“商品”の投与を受けても、そこには使用説明書は日本では存在しない。これなどは業界の常識が世間の非常識であるものとも捉えられる。
アメリカでも処方薬は医師が患者に処方するものであり、したがって、処方薬の説明書、すなわち医療用医薬品の添付文書は企業が医療関係者に提供すべきものであって、患者自身が読むものではないとの概念が非常に強かったがため、患者に対する処方薬の情報提供を推進する団体として1982年に全米患者情報教育協議会(National Council on Patient Information and Education, NCPIE)が結成された。周知のようにOTC薬には患者向けの添付文書が自動的に入っているのは世界共通であるが、欧州大陸では医療用医薬品も箱単位であって、日本とかアメリカのように錠剤単位の処方形態とは異なり、そのような箱包装には医療用医薬品の場合でも患者向けの添付文書が自動的に入っている。考えてみれば、一般常識としては使用説明書のない商品(医薬品も同じ)は欠陥商品とみなされてもいたしかたがない。
このアメリカのNCPIE活動に刺激されて、日本でもこのような概念が輸入され、「薬の適正使用協議会」が医療用医薬品について「くすりのしおり」を作成し、患者の参考に附するような運動を始めている。そのほかにも日本薬剤師会が音頭をとって1996年からゲット・ジ・アンサー運動をキャンペン的に行っていたが、最近では全く耳にする機会もなく、一時的な活動で終わっているようである。
このような動きに加えて、最近の傾向は患者からの副作用報告の取り扱いが挙げられる。周知のようにアメリカなどでは患者が副作用を直接に行政にも報告できるので、質的に問題のある、まさに点情報の典型例が多数報告されている。そのことはPDR(アメリカの医療用添付文書集)をみれば良く分かる。例えば、同じ成分の薬剤でも、日本とアメリカの医療用添付文書記載の副作用項目はアメリカのほうがかなり多いことも、一つにはこの患者からの直接症例が集積され、影響を及ぼしている。
さらに、大きな変化の一つとして、患者自身が医療関係者並みに副作用を報告できることが告知されていることが挙げられる。従来まで日本では、患者は副作用を行政にも企業にも報告できなかった。過去において時折、企業に患者が副作用を報告しても、企業は患者に対して担当医に報告してくださいと間接的にやんわりと断っていた。ところが、ICHの合意事項として三極でも患者からの副作用を正式に受け入れることになり、日本では平成17年の安全対策課から各都道府県衛生主管部あてに通知(薬食安発0328007号)が出され、患者も医療関係者と同列に副作用を“報告することができる”、と規定されている。ただし、不思議なことに、患者は何処に副作用を報告できるとはこの通知には明記されていない。これは通知の形で各都道府県に対して出されているが、実状はほとんどのひとはこの通知の存在を知らされていない。したがって、いまだに、患者から直接の副作用報告の必要性があるとの論文が書かれたり、中には、そのための署名活動まであるくらいである。もちろん、企業もそのような通知の存在を患者に広報していない。もっとも、もし患者からの副作用報告が企業に直接寄せられるようになると、企業はそれに関連した補足データを積極的に集めなくてはならなくなる。
ちなみに、薬害肝炎事件を受けて厚生労働省に設置された「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」の最終提言(平成22年4月28日)においても,「患者からの副作用報告制度(患者からの副作用に関する情報を活かせる仕組み)を創設すべきである。」と提言されている。しかし、ここでも前記の薬食安発0328007号の通知は全く引用されていない。一方、平成21年度に医薬品・医療機器等レギュラトリーサイエンス総合研究事業の一つとして「患者から副作用情報を受ける方策に関する調査研究」が厚生科学研究費でなされ、その一環としてこの研究グループが今年(平成23年)から「患者からの副作用報告」受付を実験的に開始している。(医薬品・医療機器等安全性情報 No.276)
いずれにしても、理想的には患者からの副作用報告は直接機構(PMDA)あてに一本化し、さらに行政なり、製薬協なり、他の団体なりが共通の副作用報告用紙を作成して全国の薬局、病院などに配布することが望まれる。この報告用紙については、その用紙は正副二枚とし、副の用紙は患者が保存できるようにし、報告宛先は機構の住所を印刷しておくことである。
さらに必要なことは、前述の医療関係者同様に患者に対してもなぜ副作用報告の必要性があるのかとの啓蒙、広報も必要であり、特に重篤な副作用の場合には副作用救済制度が存在することも同時に周知させることが必要である。つまり、何のために自分が経験した副作用をわざわざ面倒な手続きをしてまで報告しなければならないのかとの認識が無ければ、患者は副作用を報告する気にはならない。つまり、自分の経験した副作用が何らかの形で将来的に他の患者に対して貢献出来るかも知れないこと、そしてもし重篤な副作用が発生した時には、申請すれば場合によっては補償・救済措置が得られることを広報・周知することが重要である。従来の患者教育とか患者のためのくすり情報の提供という側面には、このような視点が欠如していた。
例えば、現時点での副作用救済制度の周知度は極めて低いことが報告されている。
ちなみに2010年に行われた一般市民のこの救済制度の認知度は以下のようになっている。
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「知っている」 5.1% ; 「聞いたことがある」 13.8% ; 「知らない」 81.0%
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(総数 21000)   (医薬品医療機器総合機構「認知度調査2010」より)
このように患者への啓蒙も重要であるが、このことはきわめて困難を伴うものであり、いろいろな問題を抱えている。確かにこのような患者への医療関係全体への関与ということをいろいろな団体が推進しているが、その結果はあまり思わしくはない。例えば、「はばたき福祉事業団」が「患者が変われば、医療も変わる」とのスローガンのもとでいろいろな活動を続けているが、その結果はいまだあまり明るくない。
(2) 薬剤疫学、ファルマコビジランスの台頭
過去二十年近くの間に医薬品関連業務は動物実験、治験に始まる医薬品開発、そして市販後調査制度、副作用自発報告制度などから薬剤疫学、ファルマコビジランスの導入など、あらゆる分野で少しずつ変化がみられている。前述のように薬剤疫学導入の背景には従来からの副作用自発報告の限界を認識して、それを補充、補完するという意味からも、患者群の中での医薬品の有効性、安全性に関してより充実した情報・データの収集という観点が存在する。
ただ、薬剤疫学の導入は従来の安全性、つまり副作用自発報告制度が100%完全に作動しておらず、いまだに「氷山の一角」現象的な存在であるので、それらを補充する意味での役割が極めて大である。勿論、有効性に関連しても薬剤疫学は貢献出来るが、最終的には薬剤疫学研究では統計的な有意差の有無が重要になる。しかし、統計的結論を個人の患者治療に直接演繹することにはかなりの無理がある。
つまり、従来の薬剤疫学研究は「患者群を対象にした情報」という概念、提供から成り立っており、総体的な情報であり、ひとりの患者に直接役に立つかも知れないより充実した詳細な医薬品情報という概念はあまり重要視されていない面がある。ここで著者が強調するのは「患者に役に立つ…」は「一人の患者に対して適用可能な意義のある医薬品情報」を指す。
また、ファルマコビジランスの導入も従来の受け身的な行政指向の業務からもっと幅広い意味で、患者指向の医療情報(一人の患者自身がベネフィットを享受できるような情報)の収集、共有化という観点への移行が望まれる。もっとも、現時点ではこのファルマコビジランスという概念の導入を単なる旧来の市販後調査制度の言葉の置き換えと理解する傾向が世界的にもいまだ極めて強い。このような傾向はファルマコビジランスの意図するものを片面だけしか理解していないものと判断出来る。つまり、その日本語訳に「医薬品安全性監視」があてられているかぎり、これは大きな誤解になり、ただ単に従来の市販後調査とか副作用報告などを念頭においた行政対応業務として解釈され、旧来の名称が新しい表現に変わっただけと理解されてしまう。
つまり、世界的なグローバルな観点から見たとき、このファルマコビジランスを医薬品の安全性のみを対象にしていると考えるのは、ファルマコビジランスの片面しか見ていないことを意味している。ファルマコビジランスは市販後に観察される有効性、安全性からリスク・ベネフィット評価を含めたあらゆる面を対象にしており、ただ安全性のみを念頭に置いているのではない。(「新しい理念としてのファルマコビジランス概説」医薬ジャーナル社、2006) 残念ながら、企業の多くは、国が設定した法令や基準や定義に企業が従うという古典的な考えしかないので、医薬品安全監視の訳が出来上がる。これは未だ世界共通の現象であり、致し方ないのかもしれない。確かに、行政の立場からすれば、ファルマコビジランスを従来の市販後調査という概念を置き換えた新しい表現と解釈しても全く問題は無い。
[ファルマコビジランスの両側面]
a) 従来の市販後調査業務 (企業必須業務)
b) 企業独自の有効性・安全性データ、情報の収集、提供 (企業の倫理性、社会的義務)
さらに問題なのは、そのような新しい理念としてのファルマコビジランスという概念が薬学、企業関係者のみに使われ、医療関係者には殆どなじみがないということである。このファルマコビジランスという概念は、医療分野全体が共有して初めて完全なものになるのに、肝心な医療関係者が外れており、片手落ちどころではない。
(3) コンコーダンス概念の台頭
今までに何回となくいろいろな機会に、患者指向の医療、患者のための医療情報、など患者を冠にしたいろいろな提言がなされている。前述の「ゲット・ジ・アンサー」運動もその一つと捉える事が出来る。また、最近はコンコーダンスという表現が使われ始めているが、このコンコーダンスという概念は医療関係者と患者が同じ視点で、最善の治療法を導くという概念であり、患者の視点を十分に理解、尊重することを中核とするコンセプトである。さらに、医療関係者と患者の「お互いの視点が異なっている」ことをお互いに認識すること、つまり「お互いに一致(コンコーダンス)」することを目的とした、医療関係者と患者との関係を示す新しい医療モデルとされている。従来の「コンプライアンス」は医療関係者が患者に対して観察、指導、監視という観点からの概念があり、権威ある人の要求・命令に従うという意味がある。すなわち、「コンプライアンスがよい患者」とは「医療専門職の治療計画や指導に忠実に服従する患者」を意味している。しかし、このコンコーダンスという概念の導入で患者と医療関係者との関係は大きくかわりつつあり、コンプライアンスの改善のみが最良の医療とは言いがたくなっていると考えても過言ではない。
英国王立薬剤師会が1997年に発表した報告書(“From Compliance to Concordance: achieving shared goals in medicine taking”)によれば、服薬における患者と医療関係者との新たな関係のあり方として、「コンコーダンス」という表現が使われるべきとしている。この概念では、以下の三項目が重要とされている。
1) 患者がパートナーとして参画できる十分に医薬品の知識を有すること
2) 処方時に患者がパートナーとして参画すること
3) 患者の医薬品使用に際していろいろなアドバイスをする
(http://www.npc.co.uk/med_partnership/about-us/history--context.html)
(4) ファルマコビジランスとレギュラトリー・サイエンス
最近、レギュラトリー・サイエンスという表現を耳にすることが多くなった。この表現からはなにか規制当局のための方法論的なものとの印象を受ける。さらに日本レギュラトリー・サイエンス学会が設立されたり、かなり急速に浸透しつつある。そこで改めて考察してみると、FDAが定義しているレギュラトリー・サイエンスとは
Regulatory science is the science of developing new tool, standards and approaches to assess the safety, efficacy, quality and performance of all FDA-regulated products.
とあり、これはまさにファルマコビジランスの新しい概念そのものに該当する。つまり、すべての医薬品の有効性、安全性、有用性情報・データを総合的に収集し、医療社会に貢献し、最終的には患者個人の医療に貢献出来るものを念頭に置いているとも理解できる。もっとも、このFDAの定義には患者個人という概念には全く触れていない。しかし、現実の姿は、例えばこの学会の活動内容をみても医薬品許認可行政のためのサイエンスであり、科学的および合理的な医薬品開発のロードマップ、それにともなう諸問題の解決などを目的としていることが分かる。もっとも、ここで使われている言葉regulatoryが大きな役割をしていることになり、ファルマコビジランスが最終的には医薬品治療の最適化、患者指向の情報収集、提供といった総合的、両面的な概念と理解すると、レギュラトリー・サイエンスの概念は根本的に異なっていることがわかる。しかし、the science of developing new tool, standards and approaches to assess the safety, efficacy, quality and performance of all FDA-regulated productsという表現から判断すると、最終的にはファルマコビジランスの概念にきわめて近い。もっとも、よく考えてみれば最終目的は同じではあるが、レギュラトリー・サイエンスの立場は医薬品の許認可をするという上からの立場(つまり行政サイエンス)であり、その反対にファルマコビジランスは患者を念頭に置いた実地面の立場(医療の患者への貢献サイエンス)であり、下(つまり、医療関係者、企業、患者)からの視点であると考えると、どちらも全く同じ目的に向かっていると解釈できる。
もっとも、繰り返しになるが、ファルマコビジランスを従来の市販後調査という概念とほぼ同じと理解している限りにおいては、上記のような行政当局からの視点に立ったサイエンスとは大義名分が市販後調査とは異なったものになっているとも考えられる。したがって、ファルマコビジランスを「医薬品安全性監視」と訳して理解されている限り、レギュラトリー・サイエンスに関するFDAの概念は新鮮に映るのかもしれない。
Ⅳ 今後の医薬品情報、特に安全性情報の拡大・充実
動物実験の実施が動物愛護の観点からきわめて難しくなりつつあり、したがって、ある意味では市販後におけるいろいろな状況下での使用に際し、その有効性、安全性、有用性を予測することが難しくなっている場合もあり、更に副作用自発報告の極めて低調な傾向が市販後の安全性問題を複雑にしているものと考察することは可能かも知れない。
基本的、あるいは理想的には市販後の副作用自発報告の認識度、報告数、精度などが現在以上に向上すれば、最終的には患者における安全性プロファイルの充実につながってくるデータ、情報の集積に貢献することになるので、「Ⅱ 現状分析」の項で言及したように、現実はむしろその逆の方向に向かいつつあると解釈するのはいささかオーバーかも知れない。
では現在の添付文書データ・情報の拡大・充実とはいったい何を意図しているのか。その意図は以下のように要約できる。
1) 市販前の安全性情報で不足しているもの中で重要と考えられる患者対象群には小児、高齢者、妊婦・授乳婦、肝障害ならびに腎障害などの併合疾患のある患者、治験の段階では対象になっていなかった該当適応症の重症疾患群、現在までに判明している遺伝子要因の影響、人種差などが挙げられ、これらの詳細なデータ、情報を収集、解析、提供。
2) すべての各副作用症例で少なくとも最低限必要とされるものに発症時期、継続期間、治療内容、経過、転帰などの詳細なデータ、情報などが挙げられる。そのほかにも基礎疾患と副作用症状との鑑別診断などもある。
3) 有効性情報の具体的表示
適応症として認められている各疾患での有効率、並びにその詳細、つまりどのような患者の場合には有効率が変動するのかなどの実際例の収集、提供。そのほかにも特殊薬理学領域(例えば、時間薬理学、性差薬理学など)での医療現場の経験を収集することも医薬品の有効性情報としては極めて重要になる。
4) 同効類似薬の安全性情報・データ。
同効類似薬のような場合には必ずしも該当する他社医薬品の添付文書に記載がなくとも因果関係不明な未確認症例として該当医薬品の企業には報告があるかもしれない。(同効類似薬情報共有の必要性)
以下にそれぞれの企業がもっと積極的に活動を拡大すべき収集対象情報例の一部を挙げる。
「例その1:転帰情報」
若い女性が避妊薬を長期にわたる使用による副作用、骨量低下、がおこることは知られているが、この副作用はデチャレンジによって骨量が数カ月後にはまたもとに戻る可能性があることは極めて大切な情報になる。更に多くの症例が集積されてくれば、それぞれのデチャレンジ期間ごとの回復期間、年齢との関係などの数値(%)が得られようになる、(転帰情報の具体例)
「例その2:常識では考えられない薬剤の使い方」
貼付剤とか軟膏などの異常な使い方による副作用は意外と知られていない。つまり正常な使い方が当然と考えられる”常識”も場合によっては常識でなくなることもある。例えば、
インドメタシン貼付剤を背中一面に貼って胃がおかしくなる
サリチル酸軟膏を全身に塗って消化官出血が発生
(医薬品ではないが、日よけクリームを夏の間の外出時にこどもの身体全身に塗った結果、最終的にビタミンD欠乏症が発症)
「例その3:副作用の継続期間」
例えば、シメチジンで、若い女性がかなりひどい抑うつ状態をきたした。この場合、投与を中止しても改善するまでに、3~4カ月以上を要するが、このような薬剤性の精神障害が出た場合、その薬剤性精神障害が薬剤投与を中止しても治るまでには、どのくらいの期間が必要かというより具体的な情報をあらかじめ知ることは、患者にとっては極めて重要な情報かもしれない。
「例その4:無効例の情報」
現在の副作用報告制度の大きな難点の一つに、副作用用語集には「無効例」というのがないので、ある薬剤を投与しても効果がない場合には誰もそのような症例を企業か行政に報告しようと考える人はいない。しかし、既存の薬剤でほとんど有効性がない時は、最終的には市場から撤退させることが必要になることもある。最近のBritish Medical Journal(BMJ 2010; 341:4737)誌に報告されている論文では、既存の抗うつ剤レボキセチンのすべての論文を検討したところその四分の三が未発表の論文で、それらをすべて改めて検討したところ全く有効性が認められなかったとのことである。このような例は稀かもしれないが、大きな問題だと考えられる。したがって、もし個別症例としての「無効例」の情報もある意味では副作用と理解して副作用自発報告制度の対象にすれば、薬剤疫学的研究の経過を待たずに、早期の段階で「無効例」を検出できたかもしれない。
「例その5:妊婦、産婦、授乳婦等への投与例」
現在の添付文書記載の不完全例の一つとして妊婦、産婦、授乳婦等への投与情報は極めて曖昧、かつ不十分である。例えば「妊婦又は妊娠している可能性のある婦人には投与しないこと。また、投与中に妊娠が判明した場合には、直ちに投与を中止すること」のような記載方式は稀ではないが、もし妊娠中に投与された場合には、その後の追加調査が必要で、直ちに投与を中止するだけではなく、その後の出産までの経過を観察することを義務付けなくてはならない。その結果、似たような症例が蓄積されれば、妊娠のどの時点で投与されていれば問題がないのかとの有用情報が得られるかも知れない。ここで必要な情報は妊娠時期、妊娠中の経過、出産時の状態、胎児の状態、出産後の生育状態などが挙げられる。
ことに集団的に投与されるような薬剤の場合にはこれらの情報は極めて重要になる。例えば、新型インフルエンザに関連し今までにいろいろと問題となっていたタミフル、ワクチンの妊婦への投与があるが、理想的にはもし妊婦に投与された時にはそれらすべての妊婦のデータ(妊娠時期、投与期間、新生児の状況など)を出産までフォローして今後の参考にすべきである。
その他の例として、抗うつ剤「パキシル」の妊娠中の服用で「先天異常などのリスクが高まる」ことが指摘されていた。本剤は国内で延べ100万人が服用。妊婦へのリスクは06年、「添付文書」に使用上の注意として追加された。ところが、新聞報道(2009年10月21日 毎日新聞)ではパキシル服用で新生児の先天異常などの副作用が8年間で約30件あった。2008年度までに国に寄せられた副作用報告に、新生児の心臓の一部が欠損する先天異常が7件、生まれた直後にけいれんや呼吸困難などを起こす「新生児薬物離脱症候群」が21件含まれていた。流産や子宮内胎児死亡の報告もあった。他の抗うつ剤では、先天異常の例は報告されていない。しかし、このような場合でも、30症例の詳細なデータは公表されていない。もしかしたらそれぞれの詳細なフォローアップがなされていないのかもしれない。
「例その6:高齢者への投与例」
世界各国の共通現象の一つに高齢者への多剤投薬と副作用発生への関心がきわめて低いことが挙げられ、保健衛生上の主な課題の1つともいえる。例えば、高齢者に頻繁に処方される睡眠薬の使用実態は闇に包まれた状態であり、それらの睡眠薬による副作用はあまりにも普遍化しているので、誰も副作用として報告の対象にはしていない。(高齢者施設は副作用の宝庫)
「例その7:小児用量情報」
一般的には治験の段階では治験参加者は大人であり、子どもの用量は市販後に得られた経験をもとに医師がそれぞれ設定しているのが普通である。一応、小児用量の換算式はあるが、これはあくまでも目安に過ぎない。現在の医療用添付文書の用量記載で、小児用量の規定があるのは全体の約25%と言われている。勿論、薬剤によっては小児用の製剤もあり、そのような場合には原則として小児用の用量を改めて計算する必要はない。したがって、もし小児、子どもに投与する必要性があった時、その医師にとって初めての投与経験のような場合、経験のある先輩からのアドバイスによるか、それとも理論的な計算で決めるか、に限定されている。このように小児用量は市販後に得られた経験をもとに医師がそれぞれ設定しているのが現実である。しかし、実際には小児にも投与されている薬剤は沢山あるが、それらの経験は現場の医療関係者にとどまっていて、それらの情報をお互いに共有しようとする傾向は全く見られない。何故、企業はMRを通してそのような情報を収集しないのだろうか。
「例その8:有効性情報」
医療用医薬品添付文書には適応症が記載されているが、それらの疾患に対して該当医薬品がすべての場合に100%有効とは限らないが、そのような有効率情報は現在の添付文書には通常は記載がない。例えば、セフェム系の抗生物質セファドロキシルの添付文書の効能・効果の適応症には、表在性皮膚感染症、深在性皮膚感染症、慢性膿皮症、咽頭・喉頭炎、扁桃炎、急性気管支炎、慢性呼吸器病変の二次感染、膀胱炎、腎盂腎炎、猩紅熱が列記されている。一般的にはこれらの疾患に本剤が投与された時にはほぼ100%効果があるものとの暗黙の理解があるのではないだろうか。
ところが、本剤の疾患毎の臨床効果は以下のような数値が報告されている。(ポケット版臨床医薬品集、薬事日報社)
皮膚感染症(92.3%)  外科領域感染症(92.6%)  呼吸器感染症(79.4%)  尿路感染症(88.3%)  産婦人科感染症(100%) 眼科領域感染症(96.4%)  耳鼻科感染症(65.2%)  歯科・口腔外科感染症(82.4%)
つまり場合によってはあまり効果が期待できないような場合もありえるかもしれないので、そのようなときには他のセフェム系抗菌剤を最初から使った方がよいかもしれないとの安易な選択技が生じる。しかし、どのような患者、疾患状態のときに使われた時には有効ではなかったかとの実績が何処にも集積されていないので、該当薬剤投与前に医師はその薬剤選択に際して熟考、選択することは出来ない。実際に使ってみて初めてその効果が判明することになる。そこで、もし実際の治療に使われた時に、どのような患者の状態(併合疾患の影響、基礎疾患重症度の影響、性別の影響、年齢の影響など)に用いたときには効果が期待できないのかといった過去の詳細な情報・データが参照できるような体制の確立が望ましい。勿論、このような有効性情報は患者向けではないが、間接的には患者のために使うべき情報ではないだろうか。
そのほかの例として、マクロライド抗菌剤のクラリスロマイシンの耳鼻科領域感染症への臨床効果は66.8%と記載されているが、他のマクロライド剤アジスロマイシンでは100%と報告されている。
したがって、定期的に企業は有効性情報の収集、フォローアップも行い、更にどのような状態の患者の場合(疾患状態、性差、年齢差、合併症の有無、効果発現までの時間的経過など)には有効率が低いのか、あるいは高いのかとの継続的な調査を行うことが求められる。しかし、現在の医薬品行政ではそこまでの情報を企業に要求しておらず、そのような有効率の変動は医療関係者それぞれの経験から判断されているものであり、そのような貴重な臨床情報・データを医療関係者全員が共有できるような情報提供システムは未だ確立されていない。
もっとも、このようにして得られた全般的な有効率情報は薬剤疫学的な情報と同じような性格のものとも理解でき、患者個人に投与するに際してそのような群情報も必ずしも当てはまらないと解釈されるかも知れないが、そのようなデータが従来の単なる受け身情報・データの集積であるデータベースを使ってなされた結果としての薬剤疫学的情報と異なるのは精度の高い各個別症例の積み重ねの集大成情報であり、したがって、より具体的かつ説得性が強く、また患者個人への適用の可能性は極めて高くなる。いずれにしても、患者個人の観点から重要なのは、患者個人に使われた時の有効率は100%なのか或いは0%なのかのいずれかにしかならないとの再認識が必要である。
[例その9:時間薬理学]
例えば、抗がん剤の一日一回投与でも、午前中に投与するのと午後に投与するのとでは、白血球や好中球の減少に差があるとすれば、長期的には副作用の低減にも関係してくる。しかし、このような医療の現場での実務的な経験,データはなかなか外部には報告されにくく、公表されなければその医療機関内の情報にとどまる確率が極めて高い。
[例その10:予想外の効果]
乳がんの治療中に他の目的で非ス剤が投与されていたところ、腫瘍マーカーが減少したことにある医師が気付いて、その非ス剤と腫瘍マーカー値との変動をグラフで追ってみたところ、明らかな関連性が認められた。しかし、このような偶然の発見は患者並びに疾患の程度の影響もあり、その結果は日の目を見ない確率が極めて高い。
「医薬品の安全性情報の共有化」
医薬品の安全性情報は、当該製品だけでなく、競合品やジェネリック製品の安全性情報も統合して、各社が共有することが望まれる。自社製品では上がっていない副作用報告が、他社製品で出ていることがある。また、多数の企業が同一の有効成分を含有する医薬品を製造販売している場合、各企業の副作用情報は少数であっても、全社分を集積すれば多数になることもある。
例えば、数年前(2008年)にきわめて広範囲に、しかも約60年近くも便秘に対して使用されている酸化マグネシュウムによる死亡例が報道され、添付文書に「重要な基本的注意」と「副作用、重大な副作用」の二項目が新たに追加された。いずれの死亡例も高マグネシュウム血症が原因とされている。この問題については医薬品の安全性という観点からは極めていろいろな死角が潜在する。その問題点を指摘し、その改良策を提言する。
(その一) 酸化マクネシュウムの従来の添付文書の副作用欄にも「長期大量投与により高マグネシュウム血症が現れることがあるので観察を十分に行い、異常が認められた場合には、減量または休薬などの適切な処置を行う」との記載があったが、現実にはここで記載されている「異常」に気がつくことがほとんど不可能に近いことである。つまり、ここにはどのような異常かの注意事項の記載がなく、もし臨床所見で気がつかなければ血中マグネシュウム値の測定以外には高マグネシュウム血症の可能性を知るすべがない。しかも、その初期の臨床所見は独特なものではなく、日常頻繁に見られる症状(例えば、起立性低血圧、嘔気、嘔吐など)が多い。さらに一般的な便秘の治療にさいし、定期的に血中マグネシュウム値を測定することは極めて非現実的な検査であり、日常診療時にそのような検査を考慮する臨床医はほとんど皆無に近い。ここでも、添付文書記載事項が如何に守られていないかを間接的に裏付けるものである。もっとも、添付文書に記載の「異常」は臨床検査値を意味しているのではなく、臨床症状を意味しているものと考えられる。
(その二) この酸化マグネシュウムは1950年から便秘薬、制酸剤として広く使われ、現在でも一般的に広く使われている。しかも、往時の日本薬局方の解説にも、腎機能の障害がある場合には中枢神経系の中毒を起こすと記載されている。最近の推定では年間4500万枚の処方箋(延べ発行枚数)が発行されているといわれている。ところが、2005年4月から 2008年8月までの約三年間に高マグネシュウム血症の報告例が15例行政当局に報告されている。それ以前の報告例は不明なるも、それまでに企業に寄せられた類似症例は前記の15例を含めた25例となっていた。これらの数字から推測すると約三年間で15例は極めて少なく、氷山の一角にすぎない可能性が極めて大である。つまり、2005年4月以前には(つまり、理論的には1950年から55年にわたり)わずか10例の類似例が企業内に集積されていたことになる。なお、これら25例も行政がそれぞれの企業に指示して再調査された結果明白になったもので、それまでは企業から自発的には報告がなかったことになる。
(その三) 酸化マグネシュウムは腸管からはあまり吸収されず、比較的安全な薬とみられている。また実際に長期連続使用しなければ通常の場合は安全である。しかし、年単位の長期使用でなくとも、何らかの原因で腸管内での異常吸収が起こって、中毒症状としての高マグネシュウム血症が発生することは考えられる。基本的には酸化マグネシュウムは腸管からはあまり吸収されず、たとえ吸収されても腎機能が正常であれば体外にすみやかに排泄され、まず問題はない薬である。
したがって、たとええ長期服用しても腎機能が正常で、しかも何らかの原因で急激な異常吸収が起こらない限り、安全な薬として扱われてきた。
(その四) 酸化マグネシュウムによる高マグネシュウム症はすでに2004年の透析学会誌に二例発表されているにもかかわらず、2007年に関西の医療機関から行政への直接報告がなされるまで、全く問題視されていなかったことになる。また、2007年には日本麻酔科学会誌に同じく酸化マグネシュウムによる高マグネシュウム血症例が報告されていた。しかし、その後の行政指導に際しての添付文書改定にさいしては、この三例についてはまったく言及がなかった。
(その五) 酸化マグネシュウムを発売しているのは中小企業ばかりであり、その数は数社以上にものぼり、問題はそれらの企業の安全性情報に対する従来の取り組み方が極めて低調であり、結果的には高マグネシュウム血症報告例が極めて少ないことに関係がある。つまり、酸化マグネシュウムはあまりにも普遍的、かつ安全な薬剤であり、しかも数あるそれら販売企業は中小企業であり、安全性情報収集という観点からはとても満足するような社内体制ではなかったことが推測される。その証拠には前期の学会報告症例、三例はすくなくとも行政には報告されていないことになる。このような社内環境はジェネリック製品販売企業にもあてはまることが多い。
このような状況を改善するには安全性対策は各社ばらばらにするのではなく、同一有効成分を販売している関連企業が共同で対応できるシステムを構築すべきである。そこには安全性情報・データの共有化、安全性情報収集の効率化が求められる。

Ⅴ 医薬品情報の活用拡大
【マーケッティング・ツールとしてのファルマコビジランス】
どの製薬企業にもMRという特別職の人たちが居て、企業と医療関係者との間の橋渡しをしている。このMRについて、厚生労働省は、平成17年4月の改正薬事法施行にあたり、「GVP省令」において、MRを「医薬情報担当者とは、医薬品の適正な使用に資するために、医療関係者を訪問すること等により安全管理情報を収集し、提供することを主な業務として行う者」と定義している。
一方、財団法人医薬情報担当者教育センターの「MR教育研修要綱」では、MRの定義を「医薬情報担当者とは、企業を代表し、医療用医薬品の適正な使用と普及を目的として、医療関係者に面接の上、医薬品の品質・有効性・安全性などに関する情報の提供・収集・伝達を主な業務として行う者」と定義している。
ここで興味あることは行政の解釈と民間の解釈との間に乖離があることである。つまり、行政サイドからは安全性にのみ重点を置いているのに対し、民間は有効性、安全性などと極めて広範囲の情報収集、提供を念頭に置いていることになる。したがって、民間の定義にしたがえば、MRは該当医薬品のあらゆるデータ、情報を収集、情報化、提供という大義名分があるので、本稿で述べている医薬品情報収集・提供の拡大・充実に向けて大いに活躍できる立場にある。換言すれば、ファルマコビジランス本来の姿、つまりファルマコビジランス概念の「両側面」全体を念頭に置いた活動がMRに期待されている。
ところで、ファルマコビジランスを医薬品安全性監視と理解していることはとりもなおさず、行政の定義にしたがったMRの活動を意味していることにもなる。勿論、MRはこのような大義名分的な活動を通じて自社製品のメリットを全面的に打ち出し、最終的には自社製品の売り上げに貢献することが求められている。つまり、ある意味では他の競合医薬品との差別化情報も重要なマーケッティング・ツールになる。しかし、現実は未だそのような概念を以て活動しているMRは意外に少ないようである。本稿で述べたいろいろな患者単位の治療情報(有効性、安全性、経過、転帰など)を詳細に収集し、それらのデータ、情報が企業内に蓄積されれば、他社との差別化情報として大いに活用できる筈である。残念ながら、現時点では本稿で述べたような総合的に充実したデータ・情報が本社に蓄積されていないので、かりに医療関係者が企業にそのような詳細なデータ・情報を求めても、企業は即座に対応できるような状態になっていない。しかも、すべての企業の安全性担当部署が24時間体制でいつでも即答出来るような体制になっているとは限らない。したがって、現時点では医療関係者は一人の患者の薬剤治療に際し、該当医薬品の有効性・安全性・経過・転帰情報などを気楽にいつでも(昼夜を問わず)企業に問い合わせるという考えはなく、医療機関の同僚、先輩などに聞くなどし、その結果それらの情報はその医療関係者個人の医薬品治療情報のノウハウとなり、第三者との共有化のような発想は存在しない。考えてみれば、これほどの宝の山をMRが掘り起こせる可能性が高いにもかかわらず、他社製品の差別化情報に活用していないのは何故なのだろうか。
基本的に企業の立場としての医薬品情報の正しいあり方としては、以下の二点に要約される。
a) 適切かつ詳細な医薬品情報(有効性、安全性など)の収集、評価
b) 提供された総合的医薬品情報の医療関係者への常時提供
もし提案することが許されるならば、それぞれの企業がこれらの情報を他社との差別化に活用し、最終的には理想的なファルマコビジランス活動をマーケッティング・ツールとして再認識してはどうだろうか。

Ⅵ 結語
医薬品行政の中で重要なカギを握る医薬品情報には大きく分けて二つ、つまり有効性情報と、安全性情報がある。いずれも直接には医療関係者にとって極めて大切な情報であるが、有効性情報は医療関係者に直接関与・貢献し、そこには患者が直接に関与・貢献出来る可能性は殆どゼロに近く、患者は医療関係者を通じて享受する立場に置かれている。一方の安全性情報は患者自身が直接関与し、自覚症状そのものは患者本人のみが経験、理解できるものであり、医療関係者は臨床検査値とか客観的なデータからしか判断できないといっても過言ではないので、そこには患者が関与・貢献出来る可能性は極めて大であり、また重要になる。そのためには患者に安全性情報の重要性を認識してもらい、その提供に貢献することが求められている。したがって、医療関係者や企業は患者に対して安全性情報の意義を十分に理解してもらい、如何に安全性情報収集に貢献出来るかとのモチベイションを患者にも喚起する必要がある。したがって、患者自身の意思、判断によってはその情報量は無限に広がる性格のものである。このような観点から、今後は副作用自発報告制度の充実、拡大という観点からこの制度の再認識が重要になる。
基本的には、医薬品情報は定期的にフォローアップされ、改定、充実されて、はじめて完全な医薬品情報になる。残念ながら、現在の医薬品情報の集大成版としての医療用添付文書は市販時に設定されれば、副作用情報を除いて、基本的に大きな変化は殆ど見られないのは世界各国共通であり、またその有効性情報でも適応症の羅列で終わっているのは今も昔も変わりない。もしかしたら、市販後になってからいろいろいな臨床試験や薬剤疫学研究が実施され、いろいろな新しいデータが集積され、解析されれば、従来の効能に関しては認可時の有効性を上回るデータがあるかも知れない。(勿論、その逆もあり得る。) しかし、現実には市販後の段階では実際の有効性関連の情報はそれぞれの医療関係機関に集積され、自動的に企業に還元される仕組みにはなっておらず、したがってそれぞれの医療関係者の経験・ノウハウを医療関係者全員が共有できるシステムは存在しない。ことに、医薬品の安全性に関しては如何に患者からの貢献が重要であるかを再認識する必要がある。
特に企業内での安全性情報業務は行政に顔を向けてなされているのが現実であり、最終的には患者に直接貢献出来るような情報は極めて少なく、これは何も日本特有なことではなく、世界共通の現象である。さらに、それらの情報収集目的、方法、制度などはいずれも海外からの影響を大きく受けていて、日本が独自に開発した方法、概念は殆どない。一部では市販後調査制度は日本独特のものであると自負されているが、その制度の結果はあまり実際の医療に反映できるようなものではなく、ましてや医療情報を根本的に改善できるようなデータを収集できる結果には至っていない。(なお、前述のような詳細かつ充実したデータが集積されてきた場合、必ずしもすべてを添付文書に収載することは現実的ではなくなるかも知れない。もっとも仮に「添付文書」が「添付冊子」になっても、誰も読まないかもしれない。しかし、そのように膨大なデータが存在し、いつでも入手できるという認識が重要なのである。
本稿では、対行政にだけに目を向けて仕事をしている製薬企業が、今後は独自な観点から日本発信の有効性・安全性情報の質的向上を念頭において活動すべきであることを強調している。つまり、理想的には将来の世界の医薬品性情報、特に安全性情報のあり方を目標にした一つの方針を念頭に置いて、活動すべきである。最終的にはそのような地道な努力が世界的な「デファクト・スタンダード」、つまり事実上の世界の製薬企業の標準になってほしいとの願いが込められている。現在のICHの議論の過程、結果を観ていると、その多くが日本以外の二極からの提案が採用されていて、日本発の提案は意外と少なく、日本はひたすらICHの成果を取り入れるのに精一杯の感がある。前述の患者も医療関係者なみに副作用を報告することができる通知もICHで合議されたので仕方なく、一応「通知」という形で名目上横並びにした対応、と勘繰ることも出来る。最終的には、このような積極的な詳細な各副作用症例関連のデータ、情報を収集できるようになれば、間接的に前述のエビデンスに基づく新しい因果関係評価も可能になってくる。(副作用情報収集に関連した薬剤疫学からファルマコビジランスへの回帰)

最後に、今回の東日本大震災の最悪の状態を生み出した東電の社内体制を他人事として受け止めるのではなく、製薬企業もある意味では似たような環境にあることを認識すべきかもしれない。今回の東電の対策についての非難に対してある人が「東電は行政からのいろいろな規制などに対応するのが精一杯でそれ以上の対策を考慮する余裕がなかった」とコメントしていた。これを製薬業界に当てはまると「製薬業界も市販後の安全性関連の行政からのいろいろな規制をクリアーするためにいろいろな仕事が増え、とても患者のためになるような安全性情報を十分に収集する余裕はない」となる可能性が大である。したがって、ファルマコビジランスという新しい概念が折角導入されたにも関わらず、いまだにそれは従来の市販後調査と同じような概念で考えているため、そのような結果になっているものとも理解すべきである。

2014年6月 2日 (月)

女性が香水を使う理由を知っていますか (*)

昔から女性と香水とは切り離せないものです。今でこそ男性も多少の香りをオデコロンなどの使用で匂いを発散させる人も居ますが、香水は女性専用と言っても過言ではないのです。

 

でも女性はなぜ香水を使用するのかの理由はなんなのでしょうか。意外と知らないのです。確かに男性にとっては女性の香水は魅力的ですが、もしそれだけならば男性も香水を使って女性を引き付ける努力をしても良いのですが、最近の傾向を除けは、昔から男性は香水などを付けるものではなかったのです。

しかし、最近に発表されたある研究で、香水と女性の顔の魅力との関係が証明されているのです。つまり、いままでなんとなくと考えられていた香水の効用は実際にあるのです。

その研究では、 若い成人18人が女性の顔写真を評価する試験の結果、女性の顔の魅力は、よい香り(バラの匂い)が漂う環境で判断するとより高まることが示されとのことです。また、よい香りは顔の老いや若さを強調しうるようであり、老いた顔をより老いていると判断させ、若い顔をより若いとみなさせるようです。ということは高齢の女性は香水を使わないほうが良いかもしれませんね???

もし、この研究をそのまま鵜呑みすると若い女性が香水を好むのはそれなりの科学的な理由が証明されているのかもしれません。したがって、香水などの使用は相手や自分のお互いの印象を左右するかもしれません。

文献
Pleasant smells increase facial attractiveness / Eurekalert

Odor Valence Linearly Modulates Attractiveness, but Not Age Assessment, of Invariant Facial Features in a Memory-Based Rating Task. PLoS ONE 9(5): e98347. doi:10.1371/journal.pone.0098347

 

 

追加(2014 Dec)
最近の研究では自分は若いと思うだけで生存率が高まるとのことです。このことから演繹すると女性が男性よりも長生きするのはもしかしたら化粧することにより自分は若いと思う心理的な影響があるかもしれません。


Feeling Old vs Being Old: Associations Between Self-perceived Age and Mortality. JAMA Intern Med. Published online December 15, 2014. doi:10.1001/jamainternmed.2014.6580

でも、この現象をさらに演繹すると、自分はまだ若いとい思っていること自体、長生きできるのかもしれません。ですから、「もう年だから」のような考えを持たないことが、健康的に長寿になるのかもしれません。ホントかな ??

 

そのように理解すると女性が長生きする傾向が強いのはそのような長生きする女性は案外、香水を若い時から使っていたのかもしれません。

 

 

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