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2014年4月の記事

2014年4月29日 (火)

カネボウ化粧品による白斑の予後 (*)

カネボウ化粧品による白斑の予後

現在日本ではカネボウ化粧品で成分にロドデノールRhododenolを含むものが使われたときの副作用として白斑が大きな問題となっています。

この場合に考えられるのは白斑がロドデノールによる副作用と考えることが可能だと考えます。この場合には外用剤としての化粧品による副作用と考えたほうが妥当だと思うのです。このロドデーノルという成分がどのような経過で化粧品として採用されたのかはよくわかりませんが、いずれにしてもこの化粧品を使った女性全員が同じように白斑症状を呈してないので、やはり発生頻度の高い副作用と考えることが出来るのです。

ここで思い出すのは、医薬品による副作用として白斑発生の典型例は利尿剤のハイグロトン(chlorthalidone)があります。この利尿剤は以前はかなり広範囲に使われていましたが、長期服用による副作用として今回のカネボウ化粧品による白斑と極めて類似した白斑が出るのです。しかも、ほとんどが女性なのです。その白斑は首筋とか両腕などに発生します。

この副作用はヨーロッバ人には全く発生せず、日本人によく発生していました。もっとも、海外でもギリシャ人の一部にもその発生が見られていました。当時、私が調査した範囲内での結論は、アジア人、つまり蒙古斑を生じる人種のみこのハイグロトンによる白斑が発生していたのです。ちなみにギリシャ人でも蒙古斑の出る人が居るのです。

従って、今回のカネボウの化粧品による白斑はハイグロトンと同様にロドデノールによる副作用と考えることが出来るのです。

ただ、問題はこの副作用としての白斑はかなり顕著に出て、原因医薬品を止めてもすぐには直りません。少なくとも二年から三年ぐらいの月日が必要なのですが、特別な治療をしなくとも自然消滅します。ですから、今回のカネボウの化粧品による白斑も辛抱強く待つしかないのかもしれません。もっとも、その間にいろいろな治療方法が解明されれば自然消滅の期間が多少は短縮されるかもしれません。しかし、月単位の期間では消えてなくなることはないと思います。

これが私のファルマコビジランス研究の過去の経験から言えることですが、その消失には残念ながらかなりの年月が必要だということで、一部の被害者の方にはこの白斑は一生残るのではないかとの危惧がありますが、一生消えないで跡が残るということではないと思います。何らかのご参考になれば幸いです。

なお、上記の利尿剤、ハイグロトン、はなぜか日本では発売禁止になってしまっています。

追記(2014 May)
この問題で未解決なのはロドデノルによる白斑発生のメカニズムなのですが、このカネボウの化粧品は米国などでも発売されているようですが、米国では問題になっていないようです。あの訴訟大国のアメリカで現時点でほとんど問題が報道されていないことは、もしかしたら上記のハイグロトン起因の白斑と同じように白人には白斑が出ないのかもしれません。

追加(2014 Aug)
最近の報道ですと、カネボウ製品起因の白斑が一部の人で改善がみられているとのことですが、もしかすると同じ白斑でも内服薬による白斑のほうが治りにくいのかもしれません。つまり、化粧品の場合には白斑誘引物質が外部、つまり皮膚の表面にあるからで、その逆に内服薬による場合には皮膚のかなりの深部から発生しているため、自然治癒にはかなりの期間が必要なのかもしれません。

追記(2016 Nov)
最近の朝日新聞(2016 Nov.30)にこの白斑問題の記事が載っていました。その中で、京都地裁の法廷でカネボウ商品を使うのをやめてから三年経っているのにいまだに白斑が残っていることが証拠写真として提出されていました。つまり、三年でも完全には消えていないことになります。勿論、当初の症状がどの程度であったのかは分かりませんので、なんとも言えませんが、当初の症状がかなり重度の高いものであれば三年経ってもいまだに白斑症状が残っていることになります。ただし、現在の症状は発症当時と比べたらかなり軽快している筈です。


2014年4月27日 (日)

地域に無料図書回覧システムの導入を/ 大きくなり過ぎた蔵書の処分法

地域に無料図書回覧システムの導入を/ 大きくなり過ぎた蔵書の処分法

 本を購入し、読んだ後に皆さんはどうされるのでしょうか。多くの人はそのまま自宅の書庫に入れて保存するのではないでしょうか。このような場合には月日の経過とともに蔵書がどんどん増え、ある時期にはその処分を考えなくてはならなくなるかもしれません。

 問題はその処分方法なのです。昔は古本屋に持参して引き取ってもらうことが普通でしたが、今日のような膨大な図書が毎日出版されているような状況下ではそれも難しくなりつつあります。その一つの原因は古本屋がだんだん少なくなってきているからです。そうなると、ある時点で今までの蔵書を捨てなくてはならないことにもなります。でも考えたらこんな勿体ないことをすることにはなかなか踏ん切りがつきません。普通の図書館ではそのような図書は受け入れてくれません。
 
 そこで考えたのですが、ある狭い地域、例えば村単位、街単位、会社単位、などで「無料図書回覧システム」を導入することです。
 
 目的: 地域の人たちが所有してる本を有効に活用してもらうために所持者に利用者が直接接触して該当書籍を受け取り、読み終わった時点でその利用者が更に同じ要領で他の新しい利用者に手渡すことにより、一つの本が有効に多くの人に読まれ、また同時に従来の図書館という概念を省略し、保管場所、管理費用を必要としないシステムである。

方法: 本システムの書籍はその地域の人が読み終えて引き続き自己の所蔵図書としない本に限る。したがって、その図書は基本的にはこのシステムに提供された時点で個人の物ではなくなるのです。

実際の引渡しは所持者と受け取り者との間で連絡しあい、お互いの都合の良い方法(例えば、所持者宅に伺う、街中で落ち合う、など)を選択する。 

管理: 現在、実際に該当図書が誰の手元にあるかの情報がもっとも重要ですので、所持者が相手に手渡したことを確認する。その方法は該当図書の欄に手渡し日、相手先の電話番号またはメイルアドレスを必ず記入する。
  例えば、
1) 司馬遼太郎 「坂の上の雲」 全六巻    
  xxxxxx@ eeeee (05. May 2014) ⇒ yyyyyyy@xxxxxxxx
のように記入する。

つまり、この情報を見た人は、この日の時点で上記の本が誰の手元にあるかがが分かる。

従って、このシステムでは本の受け渡しが比較的簡単に出来る小さな村単位、町内単位、会社単位などでその実施が可能になる。

もっとも、このシステムでは誰か一人がそれら書籍の移動状態の記録を管理するボランティアを必要とすることです。

2014年4月19日 (土)

日本語は難しい (7) 「きっぱり綺麗」

日本語は難しい (7) 「きっぱり綺麗」

ある人が書いた次のような文書がありました。
「目的地のデュッセルドルフ駅で下車すると、そこはきっぱりおかしな世界だった。」 (江藤詩文の世界鉄道旅)

なんだか有名な文豪の最初の表現「トンネルを出たら・・・・・」に似ているのですが、ここに使われている「きっぱりおかしな・・」との表現が気になりました。

そもそも、「きっぱり」という表現は辞書的には「きっぱりした態度」とか「きっぱりと断る」のように言動や態度に関して断定的に使う副詞なのですが、「きっぱりおかしな」とはいささか例外的に理解するのです。

でも、もしこのような使い方が問題なく使えるのだとすると「きっぱり笑う」とか「きっぱり怒る」などとも使えるのでしょうか。同じような調子で「きっぱり満腹した」「昨夜はきっぱり睡眠できた」などと表現するのでしょうか。いささか気になる日本語表現でした。

それにしても、「きっぱり綺麗」とか「きっぱり偉い」なんて言えますかね。

2014年4月15日 (火)

日本人はインド人のことを知らなすぎる (***)

日本人はインド人のことを知らなすぎる

 

日本人は未だ島国的感覚から外国を見ており、日本式の判断で外国をみており、またいろいろな国の人との直接な接触も殆どないので、どうしても相手の考えを正しく理解していない場合が多い。したがって、場合によっては結果的には大きなマイナスとなることもある。

なぜこのようなことを書いたかというと、最近の新聞に第一三共がインドの子会社を売却したことが報じられていました。(朝日新聞 2014/4/8)  第一三共は2008年にインドの後発医薬品会社ランバクシーを買収したが、その後になって品質などの問題絡みで巨額の損出をだした結果、今回の売却に至っている。

私がこの買収報道を2008年の当時の新聞で知った時、これはあまり長続きせず三共は失敗するのではないかと直感したのです。その理由はインド人の性格、民族性を少しは知っていたからです。

インド人はある意味では自己主張が朝鮮人並みに強く自分の主張を日本流に表現すれば、ヅケヅケ言うのです。これは彼らにとっては当たり前のことであり、たとえその可能性が低くてもともかくなんでも要求するのです。
このようなインド人の性格を知らない日本人がインドで最初に感じるのはインド人は大声で自説をとうとうと述べることなのです。

そのような強い性格は一通りの日本人的感覚ではとても理解できず、しかし、要求されれば通常の日本人として何とかしてしまうのです。これが個人間の場合にはその被害は大きくないのですが、企業間同士となるとその被害はかなりなものになってしまいます。さらに忘れてはならないのはインドの国民性、種族の多様性などを十分に理解しなければなりません。

従って、今回の第一三共の損失も日本人がインド人を十分に理解できていなかった結果と私は理解しています。

似たような例はかなり前にスイスのチバガイギー社がある理由からインドに研究所を設立したのですが、その後何十年経っても新規化合物がまったく出てこないので、その後にこの研究所を閉鎖していました。

ところが、最近になって、また世界の大手の製薬企業、たとえばノパルティス社、が研究所をインドに設立し始めていますがおそらく失敗するでしょう。もし、どうしてもインドで何かをしなければならないようなときにはインド人の考え方、性格、民族性を十分に理解しないとその計画、事業などは失敗する可能性が高いのです。

このことは何もインド人が良いとか悪いとかということではなく日本人とは全く彼らの考え方、自己主張、倫理観などが異なるので、日本人がインドでなにか事業を展開させる場合には日本人的倫理観をすべてを捨てるくらいの覚悟がないとインドではあまり成功しません。

似たような懸念はアメリカもあり、最近の報道でもインドについては、医薬品などの特許を保護する仕組みが不十分で、アメリカなどの製薬会社の研究開発に影響が及んでいると指摘されている。

1) たとえば、会社で使っている物は自分のものととの感覚が強い。 (日本的感覚では盗み)
2) ともかくなんでも要求してくる。 (日本的感覚からはアキレタ態度)
3) 相手のことは考えない。(日本的感覚からは厚顔無恥)  などなど。
4) 時間的なル-ズさがあり、とても日本人には理解できない。官庁などは九時に始まるのですが、その時間帯に出勤した官僚は30%ぐらいだとのことです。

でもこのような考え方はインドでは普通なのであり、日本人などがそれに違和感を感じるのは自国の通念で相手を判断するからです。

一般的に言われていることに次のような説明が有ります。

「日本人の学生は、一人ひとりではあまり意見発表もしないが、グループで共同研究をさせると、途端に何倍もの力を発揮する」と言われています。逆に中国人やインド人の留学生は、一人ひとりは授業中にどしどし発言をしますが、グループを組ませると論争ばかりして、なかなか結果が出せません。

そのほかにも、日本の美徳が昇華した小企業の話があります。
http://blog.jog-net.jp/201210/article_2.html
しかし、このような未来企業のやり方は日本でこそ成功するのかもしれませんが、このような考え方は海外では必ずしも成功するとは限らず、むしろ海外企業に食い物にされてしまう可能性が高いかもしれません。
ある意味では日本人と朝鮮人との違いに近いのかもしれません。特に韓国のサムソンのやり方を見ていると日本人的感覚では理解が困難かも知れません。

 

追加(2014 April)
最近の朝日新聞(25 April 2014)に「ドコモ、インド撤退へ」、の記事がありました。この記事には「…通信行政をめぐる混乱も重なり、・・・」「・・・業績が一定水準に達しない・・・」などと表面的にしか書かれていませんでしたが、わたしが推測するにはやはりインド人の考え方と日本人の考え方の相違が大きく影響していたのではないかということです。

追加(2014 May)
 今回のインドの総選挙で新しい首相が選出され、その人の最初の外国訪問先は日本だと伝えられています。また彼は親日家とも伝えられています。でも、インド人は全体的には親日家なのです。インドの近代史を熟知していればその理由は明瞭なのですが、若い人たちはそのような知識に欠けているのではないでしょうか。インドの英国からの独立にさいしての日本人の関与、戦後の連合国による東京裁判でのインド人判事の日本無罪論などなど、日本との結びつきは強いのです。今後、日本人がインドにますます進出する機会が多くなると思うのですが、インドの歴史を知り、さらにインド人の考え方を十分熟知する必要があるのです。
おそらく今の若い人たちはチャンドラ・ボ-スのことはなにも知らないでしょう。

追加(2014 June)
最近の報道によるとMeiji Seikaファルマがインドのメドライク社を買収したそうですが、先行きは怪しいものです。数年後にインドから撤退するようなことが無いことを祈るばかりです。

追加(2014 July)
最近のランセット誌に以下のような記事がありましたが、現時点では製薬企業の製品の質はあまりよくないようです。
The Lancet, Volume 383, Issue 9936, Page 2186, 28 June 2014
doi:10.1016/S0140-6736(14)61068-0Cite or Link Using DOI

 

追加(2014 July)
Reutersによると、インドのIpca Laboratories社は、FDA(米国食品医薬品局)が懸念を示したことを受けて、インド国内の医薬品成分製造工場の一つから米国への出荷を自主的に停止しました。中規模のジェネリック/医薬品成分メーカーIpca社は、製造工場の査察時に見つかった違反を伝えることを主とする通知Form 483を受け取ったと発表しています。
India's Ipca halts shipments to U.S. from local plant after FDA concerns
http://www.reuters.com/article/2014/07/24/us-ipca-labs-regulator-idUSKBN0FT0D820140724

追加(Aug. 2014)
Pfizerのインド支社が同国ムンバイの工場従業員212人を締め出したと報じられています。規律を守らない、役員への脅し、製造ラインの妨害行為を受けてPfizer社は今回の措置を講じたとのことです。

.Lock-out notice for Navi Mumbai Plant
http://www.thehindubusinessline.com/companies/announcements/others/lockout-notice-for-navi-mumbai-plant/article6272523.ece
Pfizer Inc. (PFE) Forced To Lock Workers Out Of Plant In India
http://www.biospace.com/News/pfizer-inc-forced-to-lock-workers-out-of-plant-in/342067

追加(2014 Dec)
最近の Reutersによると、インドDewas地区にあるランバクシ会社の工場の査察で逸脱が見つかったことを受け、同工場からドイツへの抗生剤セファロスポリン輸出が禁じられました。また同様の理由によりこの工場や同社の他のインド工場からの輸出を米国も禁じています。
Germany bars antibiotic drug from Ranbaxy's central India plant / Reuters
このような状況はインドでは特別に新しいことではなく、まさに日常的に起こりえる状態にあることを物語っています。

追加(2016 March)
最近、以下のようなことがありました。
インドのAlkem社の臨床試験データ捏造をドイツが報告し、欧州医薬品庁が調査中。

追加(2017 Jan)
最近の報道によると、第一三共が感染症と炎症を標的疾患を積極的におこなっていたインドの子会社(DSIN)の閉鎖を決定したとのことです。今回の閉鎖で第一三共のインドでの拠点は無くなった、とのことです。

追記(2017 March)
インド人の感覚と日本人の感覚とで大きな違和感、ギャップを感じたことがあります。それは最近、インドの映画「Lion」を観たときです。この映画はインドで迷子になった5歳の少年が、25年後にGoogle Earthで故郷を探し出したという実話を、「スラムドッグ$ミリオネア」のデブ・パテル、「キャロル」のルーニー・マーラ、ニコール・キッドマンら豪華キャスト共演で映画化したヒューマンドラマなのです。この映画を観て、思い出したのは、以前に見た「スラムドッグ$ミリオネア』(原題: Slumdog Millionaire)というインド映画なのです。
この両者に共通しているのは映画の最初の部分にインドのスラム街が映し出されることです。とても、日本人には考えられないような悲惨なスラム街の描写が延々と続くのです。
日本人的感覚から言えば、そのような自分の国の恥とも言えるスラム街の実態を映画にして海外に輸出するという感覚なのです。おそらく、日本人的感覚ではそのような自分の国の恥部ともいえるスラム街を長々と映し出すことは出来ないのではないでしょうか。

追記(2017 June)
最近の朝日新聞の特派員メモ欄にインド人の「明日も昨日も同じ」の記事がありました。
その中で、インド人は「所有」という概念が薄いのではないか、と書かれていました。つまり、他人の物は自分の物でもあり得るということです。
更に驚きは、ヒンディ-語では英語の「have」という概念がなく、「本を持っている」という表現は「私の近くに本がある」とのことです。
このようにインド人を知るためにはそこで使われている言語、そして概念を熟知していないと大きな誤りにもなり得ることです。つまり、日本人的感覚からインド人を理解するととんでもないことになることがあるのです。その後の朝日新聞記者のインドからの発信(2017 Aug.2)に、インド人の時間ル-ズに関する記事がありました。インドで国際ヨガの日」が開催れるので、新聞記者は何と当日の午前三時に集合との言明がありました。でも首相は午前7に来るというのに。でもこの記者は言われたとおり、午前三時に会場に行ったら誰も来ていなかったとのことでした。まあ、こんなことはインドでは普通なのかもしれません。

追記(2017 Sep)
最近の報道によるとスイスのNovartis本社の社長にインド系のVasant Narasimhanが選ばれたとのことです。私はこの人事には疑問を抱かざるを得ないのです。Novartisは過去にも何回となくインドでの仕事に失敗しているのです。この人はいくらアメリカでいろいろな大学で勉強していても、インド人の本質的な考え方は変わらないのです。おそらく数年以内にこの人事が失敗だったことが分かるでしょう。彼はアメリカに移住したインド人夫妻の子供としてアメリカで生まれたとのことですが、両親の親戚は皆インドに居るので、彼とインドとの接触は当然ながら頻繁にあるのです。つまり、インド的ものの考え方はかなり残っていることになります。
まぁ、あと三年後の2020年の東京オリンピックの時には彼はノバルティスに居るかどうかは分かりません。

追記(2017 Oct)
最近の新聞報道によるとリコ-がインドから撤退するとか。
リコーインドをめぐっては、15年11月に監査法人の指摘を受けて、利益水増しの不正会計の兆候が発覚。リコーが17年3月期に69億円の損失を計上していた。
やはり不正が見抜けなかったようです。

 

追記(2018 June)

最近の朝日新聞の特派員メモにもインド人について「うるさい民主主義」として書かれいましたが、日本からインドに派遣されれば当然のことながらかなりの違和感を感じるのです。つまり、インド人は日常でも言葉で主張し
手こそ理解が得られると書いていました。

追記 (2020 Feb)

最近の報道によると、インドのIT人材が米国以外の国・地域での就職を目指し始めた。人材不足に悩む日本の産業界には好機到来。インドの優秀な人材を日本企業に紹介するビジネスも立ち上がる、となっていました。確かにインドはIT専門家が多く居るので、以前から日本にもその分野の専門家がいるのは事実ですが、果たしてそのようなインド人が日本国内の社内に配属されたらいろいろと問題が起こるかもしれません。。

 

追記(2020 July)

最近の記事にアメリカではではインド人が出世をしているのに東アジア系の日本人、中国人などはインド人に比べると、アメリカの企業内での成功率は極めて低いのはなぜかということが記述されていましたが、これは当然で、インド人は自己主張が強烈なので、アメリカ社会では成功しやすいのです。

 

 

 

2014年4月 3日 (木)

珍説(3) 対称性臓器・器官はなぜ不均一なのか

珍説(3) 対称性臓器・器官はなぜ大きさが異なるのか

 

人間には対称性の臓器とか器官が沢山ありますが、それぞれの二つの臓器、器官は微妙に不均一なのです。つまり、それぞれの大きさが若干違うのです。でもその理由はあまりはっきりしません。

 

例えば、眼とか耳とか乳房などは対称性の臓器で二つずつ有るのですが、それらの大きさは微妙に違うのです。そのほかにも、右腕と左腕とではそれぞれの長さが微妙に違うのです。このように挙げてみると全く不思議です。つまり、それぞれが微妙に大きさが異なるのは常識なのですが、改めて、ではなぜ違うのかということになると明解はないようです。もっとも、このような愚問は誰も考えないかもしれませんが、あらためてナゼと問われると回答に困るのです。似たようなバカな発想としてなぜ心臓は一つなのでしょうか。心臓ほど重要な臓器はないのに、たった一つしかないのはなぜなのですか。そのように考えるとその逆に肺がふたつあるのが不思議かもしれない。もしかしたら、進化論的には妊娠期の幼児は羊水の中にいるので肺の機能と関係があるのかも。

なお、心臓についても脳と似たように、脳が左脳と右脳との2つにわかれているという見方をするなら、心臓だって左右2房室になっていることです。

 

もっとも、内臓器になると解剖学者でないとなかなかその違いには気がつかないのかも知れません。例えば、右肺と左肺、右腎と左腎、右眼底と左眼底など、それぞれの両者が全く同じではないようです。例えば、眼底の毛細血管の配置位置は左右微妙に違うようです。

 

ここで、自分勝手に、ある程度の想像を入れて珍説を考えてみましたが、なかなか関連性が思い着きません。

 

「腕の長さ」   右利きの人の右腕は左腕より短い      ホントかな?
もしそうだとすると左利きの人では左腕が短いのかも。でも、なぜそうなっているのか。また女性と男性の場合でも同じようなことなのか、それとも女性の場合にはそのような傾向はないのかも。

 

「乳房の大きさ」 右利きの女性の乳房は左乳房が小さい  ホントかな?
           一般的には女性の左乳房が右よりもやや小さいのだがその逆の場合もある。

  この二項には共通性があり、多くの人は右腕が短く、また女性の多くは左乳房が小さいのです。もしかしたら、乳房の大きさと心臓の鼓動と関係があるかのかも ???!!

 

そのほかにも考えてみればいろいろな不思議な現象があります。例えば、虫眼鏡で何かを見るときには右手に虫眼鏡をもっと左目を閉じるのですが、左利きの人ではどうなるのでしょうか。

 

また左手と右手の爪の伸び方は利き手のほうの爪が伸びやすいとか。これは本当のようです。

 

 

 

もしこのような珍説が普遍的であるとすると「眼の大きさ」とか「足の長さ」なども右利き、左利き、に関係が有るのかも。

 

このことに関して次のような面白い本が有りますので、このような相違点に関心のある人は読んでみてください。
  「左対右、きき手大研究」 八田武志著 (化学同人)  

 

 

カタカナ表現万々歳(***)

、わざわざカタカナ表現万々歳

次の文章はある新聞の投書欄に載った文からの抜粋です。

「・・・・プールに入っている若い女性が、フード付きの長袖ヨットパンカーを着て、レギンスとジーンズ地の短パンをはいているのです。ほかには水着の上にブルゾンふうの服を着用した人も。・・・」

この短い文章の中に使われているカタカナが七っありますが、年配者の男性には最初のプールぐらいしか分からないのではないでしょうか。まぁ、ジーンズは分かるかと思うのですが、レギンス、短パン、ヨットパンカー、などは全く想像がつかないのではないでしょうか。確かに若い女性にしてみればこのようなカタカナ表記の用語は当たり前なのかもしれませが、このような短い文章の中にそこれだけのカタカナ表記が日常会話的に使われているのには驚きでした。

いっそのこともう少しカタカナ表記を増やして「・・・・プールに入っているヤングな女性が、フード付きのロングスリーブのヨットパンカーを着て、レギンスとジーンズ地のショートパンをはいているのです。ほかには水着の上にブルゾンふうの服を着用した人も。・・・」のようにしたらもっと現代的になるのかもしれません。

それにしても、更に問題なのはカタカナ表記などを短縮した省略語が巷に溢れています。
例えば上記の文書のカタカナ表記は以下のように省略出来るかも知れません。

これも時代の流れ、年代の違いなのかも知れません。
ロングスリーブ  ⇒   ロンスリ
ヨットパンカー  ⇒   ヨッパン

そういえば、最近は欧州では猫も杓子も会話の中に頻繁に「OK」を使うのです。これなども流行語になっているのかも知れません。

追記(2016 Sep)
最近のパラオリンピックの記事で「日本のバドはどうして強いのか」のように使われていました。これはバドミントンの省略なのです。もうこうなると、いっそのことすべてを英語のカタカナ消略語に書き換えることが必要かもしれません。
 朝日新聞     ⇒ アサシン
 パラオリンピック ⇒ パラオリ
 金メダル      ⇒ ゴメ、または キメ
 銀メダル     ⇒ ギンメ
 フェンシング   ⇒ フェシ
 パスワ-ド   ⇒ パスワ
 
追記(2016 Sept)
古いメイルを整理していたら、カタカナ表記の乱雑さについてある人が書いた記事がありましたのでここに転載します。

「では、このプロダクトドリブンのプロジェクトにおけるプロセスマネジメントのデッドラインに関するコミットメントはフルアグリーということですね」
  この意味が分かりますか。正解は、
、「この製品主体の案件における工程管理の期日に関して皆さんは全員賛同しご協力いただけるということですね」

また、コメディアンのルー大柴氏が英語を日常会話に組み込んで一世風靡したことがあった。
「それは藪からスティックですね(=藪から棒)」
「我々は、あうんのブレスだね(=あうんの呼吸)」
「君は、縁の下のマッスルマンだ(=縁の下の力持ち)」

 「この患者のスモール(小細胞癌)はケモ(化学療法)でも厳しい。ご家族にアイシー(IC)をしっかりしよう。ゼク(病理解剖)になったらウンテン(≒研修医)にも連絡しといて」
もうこうなると部外者にはちんぷんかんぷんです。

 「うちのプレジデントは、エブリー月、デッドラインがカミングで、まさにサイクル操業(=自転車操業)ですね。ちなみに、この後の約束は、都営ニュー宿線(=都営新宿線)で30分のところですので急いでください」
 「ありがとう。ユーのサポートにディペンデントなんで、ヘルにブッダだよ(=地獄に仏)」

追記(2016 Sep) 
 オリンピック関連きじでもカタカナ英語表記「アスリ-ト」が頻繁に使われていましたし、ついに「一流アスリ-トの食事」という本まで出版されました。もうこうなるとこの表現「アスリ-ト」は立派な日本語になって居るのです。
「あのウニのバドのアスリ-トはリオでもギンメをゲインしたのです」なんてなるかもしれませんね。

また、最近の記事に『シナ-ジズム =(相乗効果)』とわざわざ、カタカナ表記を括弧書きで、日本語訳を付けていました。もう、こうなると英和辞典的な表現をわざわざ記事の中に書くという心理が分かりません。この新聞記者はどの様な心理で書いているのでしょうか。

追記(Nov. 2016)
最近の新宿のバスタミナルにかんする記事で、「バスタ」が使われていました。この表現を見た時、一瞬、いたりあ料理のパスタの省略と思ったのですが、Bus Terminalのカタカナ省略語だったのです。もうこうなると日本語はどんどん壊されることになりつつあるのです。

追記(2018 Feb)
新聞を読んでいたら「クレカ」なるカタカナ表記が目につきました。なんとこれは「クレジットカ-ド」の略なのです。
もうこうなると何でもかんでもカタカナ表記の英語を略することが流行なのかもしれません。
オリンピック・ゲ-ムは「オリゲ」になるかも。

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