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2014年1月の記事

2014年1月27日 (月)

日本語は難しい (5)  「不」常識か「非」常識が ?

日本語は難しい (5)  「不」常識か「非」常識が ?

  よく、「あの人は非常識だ」、と言いますが、「不常識」とは言わないようです。すくなくとも「不常識」は辞書に載っていません。その逆に「不承認」とは言いますが、「非承認」はあまりl言わないようです。また、「不正」とは言いますが「非正」とは言わないのです。

  このように考えると「非」と「不」のような否定接頭語は両方は使われていないのが普通です。いずれにしても、このような使い方の区別は外国人にはわかりにくいのです。私たちは日常生活の中で日本語を使っているので、「非常識」という表現は頻繁に聞いたり、読んだりすることが出来るので当然と思いますが、改めてなぜ「不常識」とは言わないのかと問われたときには当惑してしまいます。

  日本語を教えていてそのような場合に、ただ「いゃ、日本語ではそうは言わないのです」と答えてもなかなか納得できないのです。そこには何らの説明、解説もなく、断定的だからです。そんな時に、もし相手から、ではなぜ「不正」とはいっても「非正」とは言わないのですかと逆に質問されたときにはどう答えたらよいのでしょうか。一般的に欧米人は理が叶った考え方が主流ですので、ただ単に[日本語ではそういうのです]と紋切り型の説明をしている日本語の先生は落第だと思うのです。

  私の理解では「非」はイエスかノーかのような絶対的な判断ではなく、すこし柔らかい判断だと思うのです。ですから、「非承認」であっても場合によってはそれが承認になりえる可能性があるからです。その逆に「不正」などはかなり絶対的な要素が強いのではないでしょうか。もっとも、「不満」となると場合によっては「満足」に移行する可能性はあるのですが・・・・。

  このように日本語で普段何気なく使っている言葉でも案外その使い方をと、となると答えるのが難しいかもしれません。

  そのように考えているとき、「習慣」と「慣習」と、これまた当惑しそうな表現もあります。この場合の「習慣」は日常的な生活に密着したものに対して用いられ、「慣習」はもっと幅が広く、「ある社会の中で歴史的に発達しその社会の成員に広く承認されている伝統的な行動様式」だそうです。

2014年1月20日 (月)

副作用救済制度の問題点

副作用救済制度の問題点

この制度の基本は、医薬品(病院・診療所で投薬されたものの他、薬局で購入したものも含みます)を適正に使用したにもかかわらず副作用による一定の健康被害が生じた場合にのみ救済されるのです。ここで重要なのは「適正に使用された」場合にのみに限定されているのです。

したがって、適応症外投与とか、用法用量が添付文書記載以外とか、添付文書に記載がある検査が規定通りになされていない場合には救済基金支払いの対象とはならないのです。さらに悪いことには現在の副作用救済制度は基本的には患者が救済に必要な書類を自分で取り揃えなくてはならないことなのです。これは現実にはかなり困難な場合もあり得るのです。ともかくねその副作用を発生した医薬品を投与した医師に投薬証明などの必要書類を揃えなくてはならないからです。本来ならば患者からの申請があった場合にはこの副作用救済業務を担当している機構が患者に代わって医療機関に請求すべきなのです。

(例えば、ある年の不支給となった事例が14%(663件)。つまり申請の1割以上が支給の対象外だった)

これでは患者が可哀そうです。いったい何のために副作用救済基金があるのでしょうか。上記のような規定外の医薬品使用は患者が望んでしたことではなく、全く患者が関与してはおらず、医師の責任になるのですが、その場合の責任を患者に転嫁していることになります。

最近の医薬品副作用被害救済制度の不支給決定によるとやはり添文に赤枠で警告があるにもかかわらずそれが無視されている現実が浮かび上がっています。このことからも医療の現場では添付文書があまり注意深く読まれていないことが分かります。これは副作用報告と同じように、恐らく「氷山の一角」現象だと考えられます。(「医薬品・医療機器等安全性情報」No.296)

例えば、チアマゾールを服用して無顆粒球症を発症したケースでは、投与開始以降、無顆粒球症が認められるまでの約7週間、血液検査が実施されていなかったために適正使用とは認められなかったのです。また、ベンズブロマロンを服用して薬物性肝障害を発症したケースでは、投与開始以降、肝障害が認められるまでの約10カ月間、肝機能検査が実施されていなかったため、適正な使用と認められなかったという。この場合は、添付文書に赤枠で警告されているにもかかわらず、血液検査がなされていなかったのです。

つまり、定期的な血液検査とか腎、肝機能検査が必要とされているような医薬品の場合には意外と添付文書の中の記述が無視されていることが分かります。でもこのような場合、患者には何らの罪もないのですが・・・・。

このように考えると、ある意味では、現在の副作用救済制度は、例えば、交通事故を受けても、相手の車への責任、保障に関する手続きは被害者自身で書類を作成し、加害者は全く関係ないことになり、その相手に責任賠償があるかどうかは被害者本人が判断してください、と言われるのに相似ていると思うのです。


2014年1月19日 (日)

なぜ医薬品安全性情報の共有化が出来ないのか

なぜ医薬品安全性情報の共有化が出来ないのか

市販後医薬品で大きな問題の一つはその安全性、つまり副作用情報の収集、そしてその対応となります。今日のように膨大の量の医薬品が毎日使われ、その結果理論的にはそれらの安全性に関する情報量も比例して増大している筈なのですが、意外とそのような傾向にはなっていない。なぜなのか。
その原因の最大の要因は報告制度、そして医療関係者の認識度のふたつに要約されます。現在では医療関係者が医薬品投与をしていてもしかしたら副作用かなと疑って、それを報告する場合、その報告先は二カ所( 行政か企業)あって、どちらに報告すべきであるかの判断は医療関係者に一任されています。しかも、最悪の場合にはもし行政に直接に副作用を報告する場合には「軽微な副作用を除く」という除外規定があるのです。その一方、もし企業に報告する場合には原則としてすべての副作用を報告することが出来るのです。

一方、現在では同じ成分の医薬品でも先発品と後発品(ジェネリック製品 )とが入り乱れ、それぞれの医薬品製造者が副作用報告をする義務があるのです。問題はそのような環境下でそれぞれの企業が医療関係者から、あるいは時として臨床論文から該当する成分含有の副作用情報をそれぞれ個別に収集、対応しているのが現況なのです。

でも、こと安全性に関しては一旦なにか問題が起こるとその該当成分含有の医薬品全部が影響を受けるのです。したがって、こと安全性に関しては企業間の安全性に対する認識、理解の相違は許されないのです。となると、ある成分を含有する医薬品を販売しているすべての企業が安全性情報の共有化を図ることにより、安全性対応業務の効率化を図ることが出来るのですが、なぜかいまたにそのようなら動きは見られないようです。このような提案は私が過去に何回かしていますが、二十年以上経った現在でも未だに実現していません。
こんな簡単な概念が医薬品業界で認識されていないのは製薬協とか薬剤師会の認識不足、怠慢ではないかと考えるのですが、・・・・・。

2014年1月18日 (土)

海外留学の勧め/ イタリア留学の例 (*)

海外留学の方法 イタリア留学の例

現在の日本の若者の海外に出かける熱気がどんどん下がっていて、最近では海外の大学に出かける人はかなり減りつつあることが指摘されています。その最大の傾向はアメリカの大学で勉強する若者が極端に減りつつあることが指摘されています。とくに比較されるのは中国や韓国の学生のアメリカの大学留学生数で、最近は日本からアメリカに留学する若者の比率がどんどん下がっていることです。

このことに関して、アメリカの大学関係者からはもっと沢山の日本人学生がアメリカの大学に留学すべきであるとのコメントが出されています。でもこのコメントはアメリカ人の時代感覚のずれを示していると思うのです。というのはもし日本人の留学生が減っていることに対して懸念を持つならば他の欧州からのアメリカへの留学生についても言及すべきなのですが、欧州と日本とでは状況が同じとは考えないのでしょうか。

つまり、欧州の若者がアメリカの大学にわんさと留学すべきであるとは発言せず、彼らに対してはあまり関心が無いように、日本も昔とは異なりそのようなアメリカ留学への関心が減っていると理解すべきだと思うのです。このことを裏返せば、そのアメリカの大学関係者はアジアはいまだ開発途上国だからもっとアメリカに留学すべきとの暗黙の解釈があるのです。ある意味では日本の学生はわざわざアメリカまで出かけて箔を着けて帰ってくるという時代はとうに卒業してしまったものと解釈すべきかもしれません。

このような日本の若者の海外志向の減少はある意味では当然のことなのです。今日のような情報社会では海外の情報は瞬時に得られるので、戦後まもなくの頃のようにわざわざアメリカに出かけて勉強する気にならないのかもしれません。

それとそのような日本の若者の傾向を現在の中国や韓国と比較することはあまり意味が無いのではないでしょうか。往時は日本からアメリカの大学に留学する学生はかなりの数になり、あまりに希望者が多く、正規にアメリカの大学に留学することはかなり難しい時期がありました。そのときには中国や韓国からの学生は極めて少数ないしはゼロであり、ちょうど現在の状況とはまさに対比的な状況だったのです。

したがって、たんなるアメリカ留学学生の数だけを比較してもあまり意味は無く、それぞれの国内事情、学生の価値観の変化などがそのような現象の背景にあるものと理解すべきではないでしょうか。したがって、単なる学生数だけを比較して、日本人学生の海外学習熱の低下を嘆いてもあまり意味が無いでしょう。

それでも、若いうちに海外の大学とか研究所に行くことは大きな意味があり、出来ればいろいろな国に出かけて欲しいものです。特に日本のような島国に住んでいると、とかく国際的な観点からのものの見方が出来なくなり、最終的には日本にとっても大きなマイナスとなるのです。

ここで海外に勉強に出かけるといってもいろいろな場合があります。なお、本稿では単なる語学留学は対象外としています。

例えば、大きく分けてその可能性を分析しますと以下のような状況が考えられるのではないでしょうか。

 1)高校とか大学に在籍中に一年とか二年間海外の学校に留学する
 2)大学を卒業してから海外の大学、研究所に留学する
 3)大学を卒業して就職してから業務に関連した大学、研究所などにある期間留学する

これら三つの可能性はそれぞれマイナスの面とプラスの面とがあり、どの時点でどの方法を選ぶかが大きな問題になります。ただひとつだけいえることは海外の大学に行く場合には日本の大学を卒業してから行ったほうがいろいろな観点から有利なのです。特に日本の大学を卒業していれば、国によっても制度は異なりますが、多くの国ではその国の大学の全過程を再履修する必要がないからで、途中編入することが出るのです。したがって、そのような例では相手国の大学によっても異なりますが、一年半か二年の学習で必要単位を取得してその大学卒の免状を手にする子ができるのです。

そのほかにも大学院に留学して、その国の修士号、博士号を取得することもできるのです。もっとも、日本の大学で専攻した分野とは全く別な過程となると日本で履修した単位はあまり活用できません。ここで言及した途中編入の意味は日本と同じ学部を他の国で卒業する場合になります。この方法の得点は、一年か一年半くらいの習得期間でそのくにの言葉をかなり身に着けることができ、しかも、同じ学部であるので、日本での知識がそのまま生かされる可能性が高く、短期間でその国の大学卒の免状を手にすることができるというメリットがあります。

三番目の日本での就職先から海外に研究目的で海外の大学、大学院、研究所などに留学することはその職場環境いかんにより、かなりその可能性が狭まりますが、可能性は探せは意外とあるものです。そこでひとつの可能性として筆者が選んだ経験を述べてみます。

私は日本の大学を卒業して国立の研究所に勤務したのですが、その業務関連で海外に出てみたいとの漠然とした希望がありました。そして考えついたのはそれぞれの国が提供している国費留学生制度を利用することでした。周知のようにいろいろな国が海外の学生や研究者に対して国費留学制度を提供しています。確かにその年間枠はあまり大きくはありませんが、それでも国によっては二桁台の学生、研究者が利用できるようになっています。確かに、このような制度を利用するときの問題は相手国如何によってはその競争率はかなり激しくなり、またその選抜試験もありますので、必ずしも簡単ではないかも知れません。

私の場合には実際の業務に関連した相手国を選ばなくてはならなかったのですが、その可能性のある国はドイツ、フランス、イタリアしかなかったのです。周知のように相手国の国費留学制度を利用するにはその国の言葉ができなくては最低限の資格がなく、そのための選抜試験には該当国の言語での試験があります。そうなると、当時の私にはこれらの外国語の知識はほとんどゼロに近く、とてもその国の言葉での試験に通る可能性はゼロであったのです。

しかし、それぞれの選抜試験の内容を検討したところイタリアにいく場合には例外項目があったのです。それは医学、薬学などの自然科学関係のイタリアの大学、研究所に行くための人に対しては例外として語学試験は英語でも可とあったのです。つまり、イタリア政府としては芸術、美術、音楽分野ではイタリア留学を希望する人はごまんといるのですが、それ以外の科学分野の人たちにも来てほしいとの願いがあったのです。それでそれらの分野の人たちには例外として選抜試験は英語でも可となっていたのです。ちなみにその当時のイタリア国費留学生の年間枠は十人でしたが、試験結果の発表ではやはり音楽・芸術関係の人も多かったのですが、自然科学分野からは三人が入っていました。そのときの留学生同期には声楽の東 敦子さんがいました。

このように相手国によっては意外と似たような例外項目があるので、やはり詳細に検討する必要があることです。ですから、スエ-デンとかデンマ-ク、オランダなどはそのような可能性があるかも知れません。ですから、相手国の国費留学制度を利用するときには海外留学は英語圏だけの大学、研究所しか可能性がないと考えるのではなくもっと柔軟に考えてみてください。なにも留学は英語圏だけではなく、ある意味では無尽にあるのです。言葉なんて、その国に行って三か月くらい勉強すればなんか講義についていけるようになるものです。

もちろん、このような国費留学生制度以外にも自費留学という方法もありますが、これにはかなりの出費が伴いますし、既存の留学援助団体を利用するといろいろな問題があるようです。たとえば、私の知人はイタリアに留学したのですが、現地では日本語の通訳がついていたような場合もありました。このような留学は最低だと考えられ、あまり意味がありません。

もっとも、中には、海外に留学して帰国したときに就職がどうなるかとの心配があるかもしれませんが、一度海外で勉強したいと考えて実行する人ではそのような考えがあったら、いっそのことその国に残留するくらいの気力は持っているはずですよ。

追記 (2014 March)
  最近では「留学へトビタテ」とのモット-のもとに文部科学省が留学支援制度を始めているようで、もちろんこのような制度を利用することも可能になります。要は、よく探せば結構いろいろな方法があるものです。単に規制の制度だけを念頭に置くのではなく、例えば、論文などから自分の専門分野での相手先を選んで、大学とか研究所に直接手紙を書いてみることです。相手によっては意外と真剣に受け入れを考えてくれる可能性もあるのです。

2014年1月17日 (金)

東洋人はみんなチャイニーズ

東洋人はみんなチャイニーズ

最近の欧州では中国人の団体旅行者が押し寄せ、何処に行っても中国人団体客ばかりなのです。したがって、現在では東洋人の顔をした団体観光客は殆どの場合、中国人として扱われることが多いのです。ですから、日本人でもそのような環境では中国人とみなされることがあります。欧州の人たちでもあまり東洋のことを知らない一般庶民にしてみれば、中国人、韓国人、日本人などの区別はつかないのは当然で、ここ数年の間にどこに行っても中国人の団体客が溢れていますので全部の東洋人が中国人とみなされても致し方が無いのかもしれません。 
このような状況の変化は日本に居ては想像がつかないと思います。しかしこのような状況はちょうど戦後間もなく日本の農協の団体客が欧州に押し寄せてきたのと極めて似た状態なのです。60年代、70年代には今と似たような状況を日本人が醸し出しているのです。ただ、当時の日本人団体客と比べると現在の中国人団体客は無秩序、大声で話す、などと日本人団体と比較にはならないくらい評判はあまりよくないのですが、そのような昔のことを知っている人はごく少数なので、現在では東洋人の団体、イコール中国人の団体なのです。このような時代の変化に応じるように、欧州のおもなホテルのテレビには必ず中国テレビ番組が見られるようになっていますが、かっては日本のテレビ番組だけが見られていたのですが、今はいつの間にか日本のテレビ番組は消えて見られなくなってしまいました。

一方、歴史的にみると欧州には戦前から多くの中国人が各地に散在、存在していたので、東洋人の顔をした人は中国人でもあったわけです。ですから、戦後になって最初の日本人が欧州にやってきても欧州の一般庶民の多くは日本人も中国人と全く同じと考えていたくらいです。例えば、60年代に筆者がイタリアに来たときにも都会の子供でも日本人を初めて見た時に子供が発する言葉は「ママ、あすこに中国人が居るよ」となっていたのです。小さな子供でも東洋人、イコール中国人だったのです。このような一般的通念は現在でも各地に存在し、日本人とか中国人などとの接触が全くない庶民にしてみれば中国人も日本人も同じなのです。似たような現象は欧州人が日本の田舎に行ったらまずアメリカ人とみなされるのと相似ているのです。

ちなみに、南米では東洋人はみんなel cino,と呼ばれているそうで、東洋人はみんな中国人とみなされているとか。もっとも、これは当然で、歴史的にも中国人はどこにも存在していたのです。戦後まもなくアメリカから西部劇の映画が多く上映されましたが、そのような西部劇の映画の中にしばじは中国人が働いているシ-ンがありました。

つまり、時代が代われば団体客の組成は異なるのですが、欧州の人たちにとっては日本人や中国人は同じにみているのです。もっとも最近では中国人団体客の特殊性に悩まされているホテルとか商店の人たちには日本人団体客との区別が出来るようになりつつあります。例外的には最近になってある都会にできた高級ホテルでは中国人団体客お断りと公言していることもあるくらいです。

ですから、みなさんも欧州に観光に来て地元の人から中国人扱いを受けても驚かないことです。


2014年1月12日 (日)

英国型国家に進展/退化する日本

英国型国家に進展/退化する日本

英国と日本の共通点をいろいろな観点から考えてみると、いずれは日本も英国型国家に進化、退化するのではないだろうか。進化と退化は全く正反対の意味があるのですが、ある意味では全く同じ方向に変化、変遷しているものと解釈すれば両者が同じとも理解できるでしょう。特に歴史的観点から眺めると納得いくのではないでしょうか。世界の歴史の中ではそのような進化、退化が長年にわたって進行しているのですが、見方を変えれば両国とも同じ進展過程なのです。

世界史的にも、エジプト文化、ギリシャ文化、古代ローマ文化、古代シナ文化などを考えればいずれの文化も世界的に進展してから時代の流れとともに退化、消滅しています。ただ、その当時での変化には何十年、何百年という長い月日が必要でしたが、今日のような激動社会、IT文化社会ではどのような進化もあっという間に過ぎ去ってしまう傾向が強いのです。その典型例としてはレーコド、カセットテープ、ディスクへの進展、また携帯からスマトフォンなどへの進展、などが挙げられます。また、国家間での進展も、ソ連邦の崩壊、東西ドイツの統一、そして最近ではアラブ世界の激変、中国共産党政府の進展、などなど勝手の歴史感覚からは理解できないような速さで変化、返信しつつあります。

このような世界環境を見た時ふと考えたのは英国と日本が意外と似ているなと思えたのです。
まず、両国の地理的構成が極めて似ている。確かに日本はそれぞれの島単位であり、英国の場合にはある程度地続きの部分があるものの纏まっていて、その構成概念は日本のそれに似ている。つまり、日本は大きく分けて本州、四国、九州、北海道、沖縄に大別できるし、一方の英国はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドのような地域別になっている。

一方、 歴史的には外両国とも外敵から攻撃はされたことがあるが、占領されたことがない。戦後の日本では一時的に沖縄が米軍の占領下にあったことは例外中の例外かもしれない。日本の沖縄問題を除けば英国も日本も歴史上に残る外国による占領された経験がないことであり、したがって被占領地国の歴史的屈辱感への理解がない。したがって、どうしても自国本位的になる傾向が強い。日本の場合でも沖縄が一時期に米軍の管轄下にあったとの認識は沖縄人以外には非占領地感は皆無であり、そこには被害者意識が殆ど反映されていない。
さらに、地勢的に両国とも対米従属という概念が当てはまるのではないだろうか。第二次大戦後いまだ百年を経過していないのに地勢的、国際的観点から両国ともアメリカ追従のみである。しかも、国としての歴史は他の国と比べると長いし、一時的にせよ日英同盟が結ばれていたことがある。しかもその目的が対ロシア対策という共通点があった。

また、それぞれの国内環境は両国とも多少の違いはあるものの王室と皇室がそれぞれの国の象徴となっており、英国の王室と比較すると日本の皇室の継続歴は極端に長く、英国のそれとは比較できないくらい長いが、英国王室の歴史もある程度の継続歴がある。  

では文化面、産業面から世界への影響を見てみると、その影響の時期並びに規模では必ずしも比較手できないかもしれないが、過去二百年前後からの俯瞰ではお互いに相似ているところがかなりある。

例えば、英国の産業革命が当時の世界に与えた影響は激烈に大きく現在の世界の先進国の発展の基礎は当時の英国の影響があったものと理解することは容易である。では一方の日本はそのような役割を果たしていたかの判断はあまりできないかもしれないが、日本の明治、大正、昭和の時代は国際的にもいろいろな影響を海外に与えてきたと理解することが出来る。特に日露戦争、太平洋戦争の影響を国際的な観点から解釈するとおおきな役割を占めていた。その役割を別な視点からみると英国は産業革命という武器で世界の大半を大きく変え、日本は戦争、そして戦後の技術革命で世界に大きな影響をもたらしと理解するのは考え過ぎだろうか。ここでも時代とともに変化、変遷に至る期間がどんどん縮小されていることである。

その反面、食文化という観点からは英国と日本とではかなりの相違がみられと指摘されるかもしれない。例えば、世界広しといえども、海外には英国レストランは存在しないが、戦後には日本レストランが世界に多く存在する。しかも、この問題は極めて対照的で、英国は食文化を持っていないと理解されているため、現在でも世界には英国レストランと名乗るレストランは皆無に近い。一方の日本は日本レストランは海外の至る所に存在し、とくに寿司はもう世界の大都会ではどこでも手軽に食べられるようになっている。この点では両国は正反対なのだろうか。

その逆に英語は世界共通語となっているが、日本語はその英語のような普及率は全くない。しかし、この両者、つまり食文化とその国の言葉の普及という点に関して一つの共通点がある。それは、両者、つまり英語と日本食文化はなにもそれぞれの国が世界に広めようとの意図を意識的、積極的に推進させたものではなく、世界がそれらを無条件に受け取り入れた結果に過ぎないということである。

ある意味では好むと好まざるとは関係なく、両国の共通点としてはその国の言葉と食文化は相手から求められて自然に海外に普及したという不作為環境にあるのです。このように日本は英国の英語と同様にその食文化を意識的に世界に広めるような意図で推進させたことはなく、英語は中世期以降の英国の産業革命以来、いろいろな面での役割貢献があったので、結果的には英語が自然に世界に広まったのです。それと似たように日本食もなにも日本政府が意識的にその普及の政策をとったことは皆無であり、戦後の日本の海外発展、ならびに健康食生活への認識に伴って自然に受け入れられたに過ぎないのです。

そのほかにも両国の類似点として海外領土が抱える問題が挙げられる。英国がフォークランド問題でアルゼンチンと争っているのに相似た問題を日本は尖閣諸島問題、竹島問題を中国、韓国に対して抱えている。いずれも相手国に極めて地理的には近く、歴史的、条約的観点からはそれぞれ英国あるいは日本に帰属していると主張されている。

このように英国と日本との間にはいろいろな観点からみるとその共通点があるように理解されるが、今までに列挙してきたことはすべてが過去の事象ある。では、今後は両国はどうなるのかというとその先は悲観的になってしまう。現在の英国の世界的地位、影響力は減退傾向にあり、また日本も似たような傾向に向かいつつある。とくに現在の日本の世界の政治関係では世界への影響はどんどん薄くなっていることに気が付くべきかもしれない。

最近の専門家の意見によると2050年のG7(七大経済大国)の予測には英国、日本のいずれも入っていないのです。つまり、歴史的、経済的にも日英は中流経済圏に落ち込むのかもしれない。

果たして、2050年のG7が予測通り、中国、米国、インド、ブラジル、ロシア、 インドネシア、メキシコになっているかどうかは我々の次世代の人に聞いてみないと判らないようです。もしそうなれば、英語と日本食は衰退してしまうかもしれません。なにしろ人口比較ではこれらの七か国の人口増加率を考慮したら英語圏国の人口はかなり少なくなってしまうようです。

2014年1月 6日 (月)

日展の身内審査は氷山の一角

日展の身内審査は氷山の一角

日展の審査に関連した身内審査優先のような慣習が取り上げられていましたが、これは何も日展だけの問題ではなく、日本社会の昔からの慣習が未だに厳存していることを明らかにしただけに過ぎないのです。

似たような悪習慣は茶道とか華道の世界にもあるのです。これらの分野で師匠の下で何十年もかかってやっとその分派の師匠の免状を得ることが可能になり、その間に師匠に対していろいろな贈り物をしたりして身内の再認識を意図的に確認する行為が必要なのです。そこには特別な世界が存在し、視点を変えれば日展問題以上の慣習が存在するのです。

似たような「身内社会」「まあまあ社会」は大学内での人事異動とか採用などにも存在し、教授の心情を悪くしたらとてもその大学内での昇進は望めないことです。このほかにもいろいろな学会がありますが、学会内の派閥も誰もがその存在を否定しません。いろいろな学会で特に感じるのはどの身内に属するのかということが日本では特に求められるのです。例えば学会での講演の場合、演者に対して参加者がなにか質問をする場合に、必ず自分は何処の誰それかとの公示が求められます。何も言わないと司会者から「お名前と所属を」とのお叱りが必ず来ます。そのようなときに「退職者です」のような返答は禁忌なのです。

それ以外でも研究分野での科学研究費の取得に関してもそれぞれの分野の身内傾向があり、新参者の場合には簡単には研究費は手に入れられないのです。
このようにいろいろな分野での「身内問題」は未だに厳存し、ほとんどの人にとってはその問題を掘り下げることはタブーなのです。

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