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2013年12月の記事

2013年12月16日 (月)

中国はなぜ反英、嫌英でないのか 「英国が中国の租借地になる日」

中国はなぜ反英、嫌英でないのか

現在の中国共産党政府は極端なまでの反日、嫌日政策をとっています。その原因として日本との歴史的葛藤、そして最近になっての尖閣諸島問題が挙げられています。歴史的問題として中国が公言しているのは日本は過去の歴史に対して何らの謝罪を中国に対してしていないことを大きな理由にしています。

しかし、ここで不思議なことにもし中国が過去の歴史的謝罪を日本に求めるのなら、ある意味では日本以上に中国に対しておおきな被害,侮辱を与えた英国に対しては全くそのような態度を示さないのはなぜなのでしょうか。考えてみれば、英国は歴史的に中国に対して日本以上の悪影響を与えていたのです。例えば、アヘン戦争、香港の掠奪的割譲などがその典型的なものなのですが、中国政府はこれらに関しては全く触れていません。

今月初めに英国が首相をはじめ経済界の重鎮を引き連れて北京参りをしていましたが、中国は喜んで彼らに経済的援助を与えているのです。

そこで中国の日本と英国に対する極端なまでの正反対の政策を改めて考えた時、以下の二点が浮かび上がります。

日本は距離的に中国の隣であるが、英国は極端なまでの遠距離にあり領土的問題点は完全に分離されている。したがって、英国は軍事的には全く脅威にはならない。

その次に考えられるのは日本の経済と英国の経済とが中国に与える影響がこれまた極端に異なる。現在の英国はかっての産業革命の時代の繁栄は見られず、国際的にも凋落の道を歩んでいると言っても過言ではない。英国の主な産業は直接、間接的に中国の傘下に置かれてしまっている。したがって、英国は中国にたいしてなんらかの批判をすることはタブーなのである。昨年に、人権問題で中国を非難したときに経済的な圧力をかけられた苦い経験があり、今回の中国訪問に関しては英国は中国に対して一言も人権問題には触れていないのである。いゃ、触れることはタブーなのです。

以上の二点から、中国は意図的に英国に関しては日本に対して行っているような歴史的問題を蒸し返すことは必要がないのです。このように考えると中国の外交は相手を見ながらどのようにも豹変することであり、そこには何らの一貫性もないのです。

追記(2015 Nov, 25)
最近の英中接近を考えると英国は「中国のカネ」だけに関心があり、全ての問題を度外視し、カネを優先しているのですが、このことを対極的に見れば、中国がかっての英国による香港の百年租借地と同じことを今度は中国が英国に対して行うことになることを英国の政治家は知っているのだろうか。

美術館での撮影禁止の理由 (**)

美術館での撮影禁止の理由

 

いつも不思議に思っていたことの一つに国によっても異なりますが、美術館によっては館内での撮影が禁止されていることがあるのです。この掲示を見るときに思っていたのはフラッシュなどで絵画などに何らかの影響が有るのかもしれないのか、との漠然とした理解しか持っていなかったのですが、最近になって面白い論文が出ました。

 

これはアメリカのPsychological Scienceという雑誌に載ったもので、その論文によると、美術館参観者での比較研究の結果、実際に観た物の美術品をいちいち写真に撮っている人の場合には観ていた美術品そのものやその印象を記憶しにくくなることが示されたとのことです。つまり、簡単に写真をやたらに撮りながら鑑賞していると実際の美的鑑賞の印象が薄れることにも繋がることです。このことは美術を鑑賞するという本来の意義が薄れ、ただ単に写真を撮るために美術館に入ることになることだけを間接的に示しているのかも知れません。
Point-and-Shoot Memories: The Influence of Taking Photos on Memory for a Museum Tour. Psychological Science December 5, 2013 0956797613504438

 

このことは鑑賞するという精神的・心理的行為が単純に写真を撮るという物理的行為によって妨げられ、それぞれの印象が薄くなるのかも知れません。その証拠にはここに挙げた論文では、このような心理的・精神的変化は観た美術品をズームしながら撮っていた場合には記憶は妨げられなかったとのことです。つまり、うがった観察をすれば、ズームをするという物理的行動により美術品鑑賞という意識的な認識があまり妨害されないのかもしれません。

 

このように理解すると、ただ単なる「撮影禁止」の張り札よりも、例えば「当館では鑑賞者の皆さんの美術的鑑賞を最大限に発揮して頂く目的から、当館内での撮影はご遠慮ください。写真を撮りながら鑑賞することにより、残念ながらその鑑賞感,余韻感が薄れてしまうことが科学的にも立証されているのです。」くらいに書き換えてはどうでしょうか。

 

まぁ、最近のアイフォン、スマトフォンなどの爆発的普及により何でもかんでも写真をスナップ的に撮りまくるのではそれぞれの対象物の印象が薄れてしまうのかも知れません。とくに、観光旅行などをしている時にやたらに写真を撮りまくるのではなく、それぞれの風景、神社仏閣、海岸などをじっくり眺めて鑑賞することに意義が有るので、ただ写真を撮るために観光旅行をしているのではないのですが、最近の若い人たちには写真をくまなく摂るのが楽しいのかも知れません。京都の寺院の廊下に座ってじっくりと庭を鑑賞するなど言う古典的な発想は今の若い人たちにはないのかも知れません。

 

上記のことは直接関係がないかもしれませんが、ものの観察に際して、対象物の色彩と注意力との関係が知られています。例えば、顔にほくろがある人を見たときの顔全体の印象、記憶が意外とその人が着ている衣装の色によって左右されるとのことです。これは実験で確かめられているのです。つまり、そのほくろのある人が真っ赤な色の衣装を身に着けている場合にはその人をみる注意力が赤色にひきつけられて、顔の印象、記憶がかなり弱くなるのです。したがって、黒い衣装と赤い衣装とでは相手が赤い衣装の場合には顔のほくろには注意力が働かず、後になってその赤い衣装の人の顔にほくろがどこにありましたか、と聞いてもほとんどの人の場合正しく答えられないとのことです。まぁ、これと美術鑑賞とでは次元が異なるかもしれませんが、ある対象物を観るという行為でもその対象物への注意力如何によってその対象物から印象が著しく異なるのです。

 

この衣装の色の影響に関して、その人を見たときの瞬間の印象、あるいは注意力、は赤のような印象的な衣装を身に着けている場合にはその衣装に注意力が向けられ、その人が誰かはすぐには理解されにくいのです。ですから、たまに友達と人ごみの多い場所で待ち合わせをするときには赤とか白のような極めて印象的な色の衣装を着ていくと相手はあなたを認識するのにかなりの時間がかかるのです。一度、試してみてください。

そのほかにも考えられるのはテレビを見ているときには目と耳、つまり視覚と聴覚の二つの機能を同時に使っているのですが、この二つの機能がいつも同時に、しかも脳に同じような刺激を与えるとは限らないのです。悲しい場面を見ているときには時としてその中での会話よりその場面での状況を見ているだけでも涙が出てくることがあるのです。そのような実態を経験するには一度音声なしで画面だけを見ても悲しい状態になるのです。

追記(2017 Aug)
最近の新聞の「読者の声」欄に「撮影するより一緒に体験する夏に」という記事がありました。これは、夏になると保育園の運動会があるのだが、多くの両親は自分の子供の運動会の活躍ぶりを一生懸命に写真を撮るのが普通なのですが、この投書を書いた先生はカメラで撮るよりも実際のお子さんのまなざしなどを十分にみてほしいという観点から、写真やビデオを撮るのを止めてもらったとありました。
このような対応はまさに正しいのです。確かに写真やビデオを撮ると後からも何回も見られますが、実際に走ったりしている時の子供の真剣さなどは自分の眼で十分に観察することが大切なのです。

 

なお、このような心理的相違を如実に経験させる一つの方法として、あらかじめ悲しい映画を探し、その映画を観るときに最初にビデオとかスマホで絶えず映るようにしてファインダ-から映画を観てから、次には肉眼だけでそのような道具を使わずにスクリ-ンだけを見て居た時との感情、印象などがどのように違うかを経験してみることです。、

 

この他に似たようなことを体験できるのはDVDなどで劇映画などを見るときに、最初は音声なしで、画面だけでみて、出来るだけ理解するようにしながら静かに見てから、それから次には普通のように画面と音声とを同時に見ると印象が異なるのです。

追記(2019.sept)

ある新聞に「米国での実験で、未知の人物の写真を示して、性格を推理してもらう実験をしたのですが、ホットな飲料を手にした人の場合と、冷たい飲料を手にした人の場合との心理的な比較検討をしたところ、ホットな飲み物を持っている人の印象は、暖かい人だと想像する比率が高かった」とのことです。つまり、ものを観るという行為は単なる物理的な対象を念頭に見ること以外に、心理的にもかなりの影響を人に与えることなのです。

 

追記(2020 Dec)

最近の報告によると、例のスマホなどの影響について面白い実験がされていました。それはグルプを二つに分けて、一つはスマホなどを自由に使える環境下、そして別のグルプはスマホなどを全然使えない環境下で、それぞれのグルプの青年たちの記憶力テストを実施したのです。その結果は、スマホなどを全く使えないグルプの記憶力が断然と優れていたとのことです。つまり、スマホなどを常にそばに持っていて、いつもスマホなどに注意が向いている状態では本来の記憶力が低下することになるのです。このことは上述の美術館での写真撮影の影響と全く似た影響があることになります。ですから、同じ勉強をするのも、全くスマホから離れて、勉強するのと、スマホなどを絶えず身近において勉強するのとではそれぞれの記憶力にも影響することなのです。

このような現象は「スマホ症候群」と呼ばれるのです。

似たような実験は大学生20人を二組に分けて、パソコンでの作業をさせた場合、片方は電源を切ったスマホを目の前に置き、もう一方の片方はスマホの代わりにメモ帳を置いての実験ではそのような状態である作業をしたときにはスマホ組の方が作業速度が1.2倍長かったとのことです。

追記(2022 Sept)

最近気が付いたのですが、音楽祭やコンサ―トなどで音楽を聴くときに、殆どの人は楽団の人たちをつねに見ていながら音楽を聴くのが普通なのですが、この場合三人間の視覚と聴覚が同時に使われているのです。そこでね目を閉じて視覚機能を使わずに聴覚だけで音楽を聴いてみてください。その場合には同じ音楽でも、受ける印象はかなり異なるのです。このような経験を殆どの人はしていないことはある意味では音楽そのものの印象がかなり減少していることなのです。

 

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