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2013年11月の記事

2013年11月29日 (金)

心臓と重力の関係 「年を取り腰が曲がるのは心臓が原因 / 心臓と重力(**)」

心臓と重力の関係 「年を取り腰が曲がるのは心臓が原因」

 年齢を重ねるにつれて多くの人の頭は前下がりになり、次いで上半身がだんだん前下がりになり、極端な場合には腰から上が45度近くも前下がりになる人を見かけます。特に、戦前での農村ではそのような姿勢の老婦人は目新しいことではなかったのです。

このように年齢とともに頭から上半身が前下がりになることはよく知られており、その原因は脊髄の疾患とか老化現象と説明されています。この点に関してよく言われていることの一つに日本の農業従事者のように常に前屈みの姿勢で長年作業していた場合には身体がそれに順応し自然と上体が前下がりになると説明されています。

前述のように極端な場合には上半身が45度近くも上半身が前倒れになっている人を昔はよく見かけたものです。しかもそのような状態の人でも前屈みになっている上半身は意外と一直線で屈曲していないのです。昔は農村ではそのような格好の老人が結構居たものです。ですから、このような場合、脊髄障害などは考えられないのです。つまり、私の解釈では、そのような姿勢になる原因は心臓機能の補足につながるのです。でも、このような説明を信じる人はおそらくいないでしょう。でもこのような説明には説得力があり、誰も疑義をはさまないと思うのです。いかがでしょうか。しかし、物事にはすべて「原因と結果」があり、そのような姿勢は結果であって、姿勢だけが原因ではないのです。

ところが、進化論に関して最近ある説明を聞いて、いゃ、もしかしたらそのような上体の変化は「結果」であって、脊髄状態とか習性が「原因」ではないのではないかと考えたのです。

その前に、人間の進化を振り返って考えてみましょう。進化論では人はサルから進化したものと考えられています。そこで考えたのですが、サルや他の哺乳動物では生まれた子供はすぐに四足で歩けることです。つまり、四肢を有する動物では新生児でもすぐに四足で立ち上がったり、這い這いすることができるのです。馬や象などはその典型例です。サルでも生まれて間もなくの新生児では母親に抱きついて四肢、いゃ、サルの場合は手足、が完全に使えるのです。ところが人間の新生児はそのようなことは不可能で、抱かれたり、あるいはベットに横になることしか出来ないのです。なぜなのでしょうか。もっとも、誰もそのような非常識な考えは持たないでしょう。つまり、人の場合にはそれが当たり前であり、常識なのです。

では人間が歩く場合と、他の哺乳動物が四肢で歩く場合とでの大きな違いはなんでしょうか。それは人が歩くときには頭部を含めて上半身も地面から垂直に上に向かっていますが、四肢で歩く動物の身体部分は地面と平行になっています。この違いはある臓器に大きな影響を与えるのです。その臓器とは心臓なのです。人が四肢歩行から進化して下肢歩行、つまり直立することになった結果、心臓は地球の引力に逆らって身体全体にくまなく血液を循環するというものすごい働きをしなければならなくなったのです。その結果、他の四肢で移動する哺乳動物と比較すると人間の心臓は膨大な労力をこなさなければならないのです。したがって、人間の心臓は他の哺乳動物の心臓と比較すると極端に負荷が大きいのです。

て゛も、人類の進化論に人間はなせ゛二本足で歩くようになったのかとの説明はみあたりません。もっとも、最近のチンパンジーでの観察研究によると、食べ物をより多くつかむことが手をその目的にした結果であるとされています。

人間の老化現象の判断には基本的には年齢がありますが、年齢だけではそれぞれの人の老化度は図れません。目とか血管などの老化度はある程度は客観的に判断できますが、心臓そのものの老化度はどのような判断できるのでしょうか。心臓検査には、心電図とか脈拍数などがありますが、心臓そのものの機能を測定する方法は無いのではないでしょうか。いわゆる、人間の臓器の老化度はいろいろな検査値から推定することは出来るのですが、心臓そのものの老化度を測定する方法はあるのでしょうか。

いずれにしても、年齢とともに心臓機能も老化することは当然で、その機能が衰えれば身体全体にその影響を及ぼします。したがって、身体全体への影響を少なくするためには心臓の機能を低下させないことになります。しかし、その本来の機能が老化現象で老化すればそれを何らかの形で補わなければなりません。その手段として心臓の場合にはその負担を軽くするためには理想的には心臓への重力の影響を出来るだけ小さくすることになり、そのためには上半身を前向きに倒すことにより心臓への重力の影響が軽くなるのです。上半身を15度前後に前倒しにすると、引力の影響が20%前後も低下するとも言われています。

その結果、身体全体への血液補給がスムースになるのです。したがって、心機能の低下如何によっては頭から下の上半身が少しずつ前倒しになると理解できるのではないでしょうか。全身の血液は地球の重力の関係で全体の七割が下肢に集中していると言われています。

このような考えは血圧測定の場合に実感できるのです。血圧測定に際してその測定場所の位置によって血圧値が変動しますが、それは引力の影響を受けるためです。血液の比重は水とほぼ同じ1.0で、高いところより低いところの方が圧力が高くなる傾向があります。これは、水道の水圧と同じで、マンションの下の階よりも上の階の方が低くなるように、下腕を上げると血液が流れにくくなるため、血圧が下がります。「血圧値」に置き換えて換算すると、心臓より10センチメートル高い位置で測ると正しく測定した値より約8水銀柱ミリメートル低くなり、心臓より10センチメートル低い位置にすると約8水銀柱ミリメートル高く出るといわれています。

このように理解するとれ、人間の場合には新生児がやがて這い這いするようになるのも心臓への引力の負担への準備段階であると理解でるかもしれません。さらに、年齢を重ねるに従って、腰が曲がることは心臓の要求にこたえていることになり、そのような人は長生きするのです。もしかしたら、そのような関連性に関しての疫学調査を実施したら案外興味深い結果が得られるかもしれません。例えば゛、養護施設などで暮らしている高齢者で、特別な疾患がなく、ほとんと゛寝たきりの人の心臓は負担が少ないので、そのような人は意外と長生きしているのて゛はないて゛しょうか。もし、そのような観点からの疫学調査がされれは゛面白い結果が得られるかもしれません。

そのほかにも、姿勢と心臓の老化度との関連性を研究してみれば意外な結果がでるかもしれません。もっとも、これは私の珍説で、笑われるかもしれませんが・・・・。

そのほかにも椅子に座って両足を前に出して高くした姿勢にすると気持ちが良いのはそれだけ心臓への負担が軽くなるので、気持ちが良くなると考えることができます。また、長くベットなどに寝ているときにベットの頭の部分を少し上げて上半身を15度くらい上げた位置にすると気持ちが良いのも、心臓への血流があまり負担なくスムスになると理解することもできます。つまり、心臓そのものの位置以外にも血流があまり抵抗なくよくなる状態は間接的に心臓への負担が軽くなり、これも重力が関与しているものと理解できます。

つまり、長く椅子に座っていて、同じ姿勢を長時間続けていると重力の影響で血液の循環が悪くなり、脚のむくみが出ることがあります。このような場合も脚のふくらはぎを意識的にピクピクと動かすことを数回繰り返すことによって、血流を促進し、むくみの状態が改善されるのです。この運動は私は毎日しています。つまり、座っているようなときには、意識的に脚のふくらはぎの部分をつねにピクピクと運動させることが心臓の負担を軽くすることになるのです。ある意味ではそのようなピクピク運動を常時していると心臓への負担が常に少なくなり、心臓の負担の軽減にもつながり、長期的に見れば長生きの生活に貢献することになるのです。でも、このようなことを意識的に患者に説明、進言する医師は 一人もいません。いわゆる、脚のふくらはぎは第二の心臓とも言われているのはこのような効果があるからなのです。その他にも、いろいろな健康維持、留保が毎日のように新聞広告されていますが、不思議とこの「ピクピク運動」を書いている人は一人も居ないようです。

或いは、椅子に座っていて片足を他の膝の上に乗せるしぐさも意外と無意識的に心臓の負担を軽くしているのかもしれません。このような姿勢は多くの人が無意識的にしているのですが、誰もどうしてそのような姿勢をするのかという原因を考えていないのです。これと似たような解釈は「安楽椅子」の場合にも適用されることになります。この安楽椅子と言うのは背もたれが45度前後に後ろに傾斜するので、そのような安楽椅子に身体を任せれば上半身が45度前後に横たわることになり、重力の心臓への影響はかなり弱られることになるのです。

少なくともこのような考えを未だ誰も持っていないのは従来の常識が大きな邪魔をしているものとは考えられないでしょうか。

追記(2014 Jan.4)
 このように心臓の働きが重力により影響されると理解すると、マラソンなどで選手がゴ-ルに着いたとたんに大地に仰向けに大の字をかくのも心臓が要求しているものと考えることができます。つまり、そのような状態に体を置くと心臓の血流機能が引力に殆ど影響を受けないことのように理解すると心臓と重力との関係はいろいろな場面で理解することができるのです。ホントカナ ????

いゃ、本当なのです。簡単な証拠は、疲れたときに横になると身体がらくになり疲労が回復することは誰もが経験していることですが、これは身体を横にすることにより心臓の労力が極端に楽になるので、血流が促進して疲労回復につながるからです。
つまり、躯体が地表面と平行になり、躯体の血流が楽になるからです。立位から寝位になることにより心臓の働きが地球の引力にあまり影響を受けなくなるからです。

追記(2015 May)
最近の若い人たちがスマトフォンなどに熱中している姿を横から眺めていると頭が15度くらい前に倒れているのです。これはそのような姿勢が楽なのかも知れません。しかし、このような姿勢が絶え間なく続くと何も使っていない普通のときでも頭が自然に前に傾いてしまうかも知れません。もうそうなると高齢者の前かがみ姿勢の予備軍かもしれません。

追記(2016 Sept)
最近の研究報告によると、長年にわたり、「ヒトの知性が進化したのは脳が大きくなったからである」という理論が支持されてきたが、新たな研究報告では、知能の進歩には脳の血流の多さのほうが密接に関連していることが示唆されたとのことです。
Roger S. Seymour, et al. open sci. 2016 Aug 31. [Epub ahead of print]

この論文ではなぜ脳の血流の増大が知能と関与しているのかとの推測はしていますが、ではなぜ血流の増大が起こったのかとの説明はなされていません。

ここで、考えられるのはこのブログで述べている私の珍説が大きく関与してくるのです。つまり、ヒトの進化の過程で、立脚、二本足での歩行という進化にともない、私の珍説の心臓機能の強化が当然の成り行きとなり、その結果として血流が多くなったと推測することが可能になるからです。つまり、この私の珍説を拡大解釈をすると「ヒトの知性が進化したのは二本足での歩行にともなう心機能の強化がもたらさり、それに伴い血流の強化が起こり、その結果として諸臓器の一つである心臓の機能も向上し、その結果として脳への血流が増加して知性の進化に大きな影響をもたらした」と解釈するのが妥当だ考えられるのです。

したがって、私の珍説が進化論的原因説に貢献しているのかもしれません。(!!??) (o(*^▽^*)o)

追記 (2021 May)
最近、このような観点に似た研究成果が発表されていました。それはキリンと血圧との関係なのです。
首が長いキリンは、血圧がほかの哺乳類の2倍ほど高いとなるようである。高い位置にある頭まで血を送る必要があるためだが、にもかかわらず、高血圧症を防ぐ遺伝子によって心臓や血管の病気になりにくいことを、中国・西北工業大などのチームが発見した。この遺伝子をマウスに入れたところ、血圧が上がりにくく、骨密度も高くなったという。長い首を保つために独特の遺伝子を獲得したとみられる。

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>追記 (2022 July)

最近、出版された本に「背骨の医学」(山口正貴)があり、その広告には「すべての疾患は背骨曲がりから」とありました。でも、背骨曲がりは「結果」であって、「原因」ではないのです。心臓老化、心臓補強、などの目的から背骨がまがり、その結果として、ゆがめられた背骨が老化するのではないでしょうか。つまり、私の珍説では、背骨が曲がる原因は「心臓の老化」であり、それを補強するために自然に前かがみとなり、その結果として背骨の機能が劣化するのではないでしょうか。このように考えると、人間が健康で長生き長生きできるためのひとつの手段は心臓の機能を十分に補足できるような日常生活をすることか゛重要になるのて゛す。

 

追記(2022 July)
このように心臓の働きに関連して、ふと考えたのはなぜ「心臓がん」がないのかと考えて検索してみたところ、その理由の中に以下のような記載がありました。

「最も体温が高い状態が心臓であり、その温度は約40℃あり、この心臓の熱に負けて、腫瘍細胞は消滅してしまうと考えられます。」

このような説明で考えたのですが、心臓内の温度がかなり高いということはそのような高温の血液を出来るだけ迅速に体全体に送れるような「ピクピク運動」を連続して随時に行っていればかなり高温の血液が体内に循環し、もしかしたらガン細胞は少なくなるのではないかと言うことなのです。でも、そのような単純な運動がガン予防になるとの考察は医学的ではないので、誰も考察、研究対象にはしないので、そのような観点からの疫学調査は誰もしないのです。

追記(2021 Aug)

オリンピックを見ていて考えたのですが、陸上競技の100メトル競争では9秒台と極めて短い時間での勝負なのですが、その時の心臓の役割を考えたのです。もし、スタト前にこの「ピクピク運動」をしてたらもっと有利になるのではないかということです。

追記(2022 July)

高齢者になるといろいろな障害が出てくるのはごく自然なのですが、そのような現象の一つに「食後の心臓部位の軽度の重力間、痛み、が感じられることがあるのです。これはPostprandial anginaともいわれているのですが、食後の満腹感を感じるようなときには高齢者の場合、食後の一時間前後になると血圧も低下し、胸のあたりがかるい痛みのようなことを経験し、ときとして眠気も現れるのです。しかし、そのような場合にベットに横になっていると不思議とそのような不快感が感じられないのです。それはベットに横になることは重力の影響が心臓にたいして軽度になるからです。

 

追記(2022 Dec.)

最近の実験では、生後7カ月以下の赤ちゃん21人とその母親が協力した。母親が泣いている赤ちゃんをだっこして5分間歩くと、全ての赤ちゃんが泣きやみ、約半数は寝付いた。
 さらに、赤ちゃんがベッドに置かれると起きてしまう、一般に「背中スイッチ」と呼ばれる現象についても検証した。
 赤ちゃんは、何らかの要因で心拍数が速くなると、目覚めにつながる。この心拍数が速くなるタイミングは、背中がベッドに触れるよりも前の、親から体が離れる時だということがわかった。 研究グループはこれを「分離センサー」と名付けた。

この研究で、「何らかの要因」とあるが、そりは重力のことなのです。横になると心臓への重力の影響がゼロになり、心伯数が増加し、体全体に血流が増加するからです。

 

 

2013年11月26日 (火)

症状、症候発生の片側性

症状、症候の片側性

前回に副作用の発現に関連して、もし副作用が両側性の臓器に発生する場合にはほとんどが例外なく両側の臓器にほぼ同時に発生することが、副作用かどうかの判定に大いに役に立つことを書きましたが、その一方、副作用とは関係なく、ある疾患の症状、症候のような場合には意外と片側性の発現がよく知られています。
例えば、突発性難聴は突発的におきる原因不明の難聴ですが、ほとんどの場合片側のみに発症し、両側性となる場合は稀とされています。

また、よく言われる偏頭痛のように左右どちらか片側に頭痛が起こる場合が多いのです。もちろん、実際には4割ちかくの片頭痛患者が両側性の頭痛を経験しているとも言われていますが、やはりその多くは片側性のようです.

そのほかにも、局所性浮腫は局所の病変によって起こるもので、蜂窩織炎などの炎症性浮腫では炎症局所が,リンパ管閉塞や静脈閉塞では閉塞部位より末梢で浮腫を呈し、一般に片側性の. ことが多いとされています。
この片側性の典型例として心筋梗塞の兆候としていよく知られているのは突発左手小指の痛み、 左肩、背中の痛みがありますが、この場合には明確に左側の片側性なのです。もちろん、例外はあり、人によってはそのような前兆としての肩のいたみが両方に来ることもありますが、極めて稀のようです。

このように考察してみると、いろいろな疾患を調べると意外と片側性に発生する症候があるものです。

そのほかにもそれぞれ独立した兆候、症候とも考えられるものが片側性に時期的には全く関係なく発生することもあるのかもしれません。実は最近私が経験したことは右ひざの痛み、右肩の痛み、右目の血栓などある時期を置いていずれも右側に経験しているので、どうして右側ばかりなのかと疑問に思ったのです。それらの痛みなどの発生は同じ時期での発生ではなく、それぞれ独立した時期での発生なのです。もっといろいろな文献を調べれば似たような症例があるかもしれませんが、意外と何らかの関連性があるのかもしれません。もっともこのような観察は通常の診療ではなかなか把握できず、またそのような片側性に気が付いてどこかに発表でもしない限りそのような情報は埋もれてしまいます。あるいは誰もそのような存在の意義を考えないもしれません。

2013年11月23日 (土)

人の嗅覚の鋭敏性

人の嗅覚の鋭敏性

 

  よく言われている犬の嗅覚を利用した活動がいろいろな分野にあります。例えば、訓練された犬による爆薬、麻薬、紙幣などの存在を嗅ぎ分けることが出来ることはよく知られています。

 

つまり、人にもいろいろな鋭敏な五感の持ち主は居るものなのです。例えば、ある盲目の人の手のひら、指の感覚、触覚が通常の人と極端に鋭敏になっている場合があり、そのような人は盲目でありながら指で絵がかれている色を触ることによりそれぞれの色を識別することが出来ることはよく知られている事実です。似たような例として、専門家が洋服などの生地の絹の含有量を指と触るだけで大まかの成分比を識別することができる人も居るのです。つまり、指で生地をなでるだけで、この生地には絹が八割くらい含有されていると識別できるのです。
同じように、人の嗅覚もその鋭敏性は著しく異なり、ある臭い、匂いを区別、判断することが出来る人とできない人がいるのです。

 

例えば、においといっても人によっては嫌な臭い、好ましく感じられ匂いの区別の強弱は千差万別であることは知られています。同じようなことがある特殊の「におい」を識別することが出来る場合もあります。このにおいには「匂い」「臭い」との表記があるように好ましいにおいと好ましくないにおいの両者があります。好ましいにおいの代表例は香水であり、好ましくないにおいの代表例は大便かもしれません。でも両者の区別は誰でも出来ますが、おなじ匂いと言っても特殊な、独特なにおいの識別となると人によっては全くできない人も居るのです。

 

例えば、医学の領域でも最近ではある癌患者の存在を嗅ぎ分ける犬の存在はもう目新しくはなくなりました。その例として、BMJという医学雑誌に似たような論文が掲載されています。つまり、訓練されたビーグル犬がClostridium difficileの同定のために便検体のニオイを嗅ぐことで、C.difficile感染かどうかを感度・特異度100%で鑑別できたなんていう報告があります(BMJ. 2012 Dec 13;345:e7396.)。

 

ところが、人によっても似たような事実は知られているのです。たとえば人の便のにおいからrotovirus gastroenteritisの有無を鑑別できる看護師の例も報告されています。
Diagnosis of rotavirus gastroenteritis by smell.
Archives of disease in childhood. 1987 Aug;62(8);851-2.

 

 

このように犬以外でも人にもにおいを鑑別することによりある疾患、生理状態などを識別することが出来るのです。例えば、私は女性の生理の有無を呼気から容易に判断することが出来ます。また、プールなどで女性が髪が濡れないようにゴム製のキャップを付けて泳いでいる場合がありますが、私はそのようなゴムのにおいを数メトル先から感じ取ることが出ます。ところが、他の多くの人にはそのようなにおいの存在する判らない人が多く居るのです。

 

2013年11月15日 (金)

調剤を引き受けない薬局は不正表示、虚偽表示では ??

調剤を引き受けない薬局は不正表示、虚偽表示では ??

最近の食品の不正表示が社会問題となり毎日のように新聞に報道されています。この場合、新聞にはいろいろな表現が使われていて、不正表示、虚偽表示、偽装などがありますが、厳密には不正と虚偽とではその意味の強弱があると考えます。つまり、不正は意図的、ないし偶発的な行為をも意味していますが、偽装、虚偽となると明らかに意図的になされたものであり、処罰の対象にもなりかねないのです。私の解釈では今騒がれている食品の不正提示は昔から慣習的に行われていて「まぁ、いいや」的な感覚でなされていたのですが、時代が代わればその解釈にも変化があって当然なので、その当然の結果が社会問題視されているわけです。日本には「底上げ包装」という独特な方法が江戸自体から連綿として続いていたのですが、これも不正表示の範疇にはいるものと考えられのです。

ここでふと考えたのですが、薬事法によると「薬局」とは、薬剤師が販売又は授与の目的で調剤の業務を行う場所(その開設者が医薬品の販売業を併せ行う場合には、その販売業に必要な場所を含む。)をいうとなっています。つまり、薬剤師が販売又は授与の目的で調剤の業務を行う場所のことであり、付帯的に医薬品の販売も行うことができるのです。即ち、薬局という看板を掲げている場合にはそこには薬局設置基準に基づいて必ず調剤室があるのです。したがって、薬局を開設していながら処方箋調剤を受け付けないのは薬事法違反になるものと考えられます。

このように理解しますと、調剤を引き受けない薬局、つまり調剤薬局とか基準薬局以外の薬局が薬局という看板を掲げているのは不正表示になるのです。いゃ、もしかしたら虚偽表示に該当するのかもしれません。なぜならば自らの意思で調剤を拒否しているからです。

しかしながら、これほど食品の不正表示が新聞で騒がれているにも係らず、調剤を引き受けない一般薬局が法律的にも不正表示であるかもしれないことには誰も問題視しないのはなぜなのでしょうか。その大きな原因は日本の医薬分業制度にあるのです。本来の薬局は医薬分業を念頭に置いて設置されたものでありながら、歴史的にみて薬剤師数の不足などが主要原因として完全分業が軽視され、その間に多くの私立薬科大学の創立がその不足を補うものとして認められてきた経過があります。しかし、戦後になってアメリカの影響もあり、再び医薬分業が論じられ、昭和31年4月に「医薬分業法」が正式に発足したのですが、その後も強制分業は薬剤師会内部の反対で実現されずに現在に至り、その間に門前薬局、調剤薬局、そして基準薬局のような奇妙な業務役が便宜上取り入れられ、その間に処方調剤を引き受けない一般薬局が取り残されているのが現状なのです。

このような経過を踏まえると処方調剤を引き受けない薬局が表面上薬局の看板を掲げているのは薬事法の観点からは明らかに不正表示に該当するのですが、誰もこの点に関しては異論を出さないのはなぜなのでしょうか。

ともかくこのような調剤を受け付けない薬局の実態を知ったら唖然とするのです。たとえば、そのような薬局での医薬品の品揃えが極端に少なく、ある医薬品を求めて薬局に行っても「うちには置いていません」の一言でおしまい。これではドラグストアー、インターネット販売に負けるのは当然なのです。いくら医薬品の数が何万とあり、とてもすべての医薬品を薬局に備えることは不可能かもしれないが、せめて問われた医薬品の成分をコンビュターで検索し、それに代えうるものを勧めるくらいのサービスがあっても良いのですが、そのような薬局のカウンターにはPCは見当たらないのです。


2013年11月14日 (木)

底上げ包装はいまでも健在。産地の不正表示の問題

底上げ包装はいまでも健在。産地の不正表示の問題

昔はいろいろなお土産物などでの底上げ包装が当たり前の時代がありましたが、現在では極端な底上げ包装はあまり見当たりません。

過大包装について、農林水産省などの行政で定めている定義はないようですが、観光土産品の公正競争規約に(過大な包装の禁止)として「その内容量を誤認されるおそれがある容器又は包装を用いてはならない。」と定められています。さらに、「原則として、その内容量は、容器包装の3分の2以上であることを目安」とすることなどを規定しています。この規定を逆にとれば包装内容の三分の一くらいまでは底上げしても問題にならないのかもしれません。

ところが、最近になって浅草のあるレストランに入って「うな重」を注文したところ幅広い大きな器にご飯があり、その上にウナギが載っているのが出されました。この「うな重」をみた瞬間、えっ、こんなに沢山のご飯が入っていてはとても全部は食べられそうもないな、と一瞬思ったのですが、いざ箸をつけてみて驚いたのはその容器は全くの底上げで、ご飯の層は二センチ以下の物でした。ところがこのうな重の容器の高さは五センチくらいありました。

いくら今はウナギが高くなっているとはいえ、それをカバーするためにご飯の量を多めに見せるための容器が使われていたのです。

この底上げ包装、容器は戦前はごく当たり前のものと捉えられていましたが、今日の社会ではいろいろな規制が
敷かれ、そのような不正包装はあまり見かけません。

不正包装に関して、最近食品の不正表示、あるいは偽装が新聞に盛んに報道されていますが、でもこのような不正表示は昔からごく簡単に、気軽になされていたのです。産地名を適当に取り違えて表示することは従来から暗黙の了解の下でなされていたのですが、社会概念の進展に伴ってそのような不正表示がこのところ一気に噴き出しただけなのです。日本の普通のレストランではそれぞれのメニューにはそこにつかわれている材料の産地は未だ記載されていませんが欧州の高級レストランのメニューにはそれぞれの料理に使われている材料の産地が記入されています。

ですから、現在のようにウナギが品薄のような状態では出されたウナギが日本産なのか中国産なのかは普通のレストランでは全く不明なのです。仮にうな重を注文するときにこのウナギはどこ産ですかと聞こうものなら、語気を強めて「もちろん、日本産ですよ」との返事が返ってきますが、その真相は不明です。

いずれにしても、もっと掘り下げて調査してみれば他の分野にもいまだ似たような不正表示が存在するはずです。たとえば、私がいつもほんとかなと思うのは新刊書の宣伝での何十万部増刷という表現です。まず思うのは本当にそんなに増刷したのかなという疑問なのです。ただここで注意すべきはかりにそれだけ増刷しても、売れたわけではないのですが、そのような宣伝広告をみる一般の人は増刷、イコル売上と短絡に考えてしまうのですが、増刷と販売とでは全く意味が異なるのです。

2013年11月12日 (火)

私の架空発明 (18 ) 飲酒運転防止装置

私の架空発明 (18 )

車社会の今日では飲酒運転を完全に防ぐことは至難の技です、自分では問題がないと思って飲酒後に車に乗ることは往々にして有りえることで、その結果、自動車事故を起こすことが報道されています。

この飲酒運転を防ぐ方法の一つとして、私が考えたのは自動車のハンドルにアルコ-ル検出装置を取り付けて、運転手の呼気からアルコ-ルが検出された時にはハンドルを動かせないように固定、あるいはモーターを自動停止してしまう装置を付けるのです。これは簡単な装置でそれほど費用もかからないと思うのです。もっとも、その装置を布などで覆って呼気が装置に直接に到達しないような姑息手段を運転手がとることも考えられるので、その対策は必要かも知れません。

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