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2013年8月の記事

2013年8月29日 (木)

ついにここまで来た日本人の英語コンプレックス

ついにここまで来た日本人の英語コンプレックス

「授業は英語で行うことを基本とする」という新学習指導要領が、今年度から高校で実施とのことで現場での当惑が報じられています。もしかしたらそのうち大学での英語教育も同じようになるのかもしれません。でも、どうして日本人はこうも英語に対してコンプレックスを感じているのでしょうか。そこには語学学習の基本を全く理解していないからです。たしかに、従来の語学教育の目的は、読めること、次いで書けることに専念していましたので、話すことも大事であることはわかります。

しかし、語学というよりは外国語を勉強することは狭義的には何の目的でするのかとの認識が必要です。一般的には外国語を勉強することの根底にあるのはその言葉で相手とコミュニケシーョンが出来ることなのです。なお、私はここであえて外国語と表現し、語学とは書かないのは知識、教養としての言葉としての語学と、日常会話的に使える実用的な言葉としての外国語とを区別しているからです。ところが日本では語学の勉強イコール外国語の勉強と捉え、その結果、英語の授業は英語となるのです。

言葉の基本は最初に話せること、ついで読めること、そして最後に書けることが基本原理なのです。このことは幼児の話し方をみればあきらかなのです。幼児は最初に話すことからはじまり、ついで読むことを覚え、書くことは一番最後なのです。こんな簡単な基本が全く無視されているのが日本の外国語教育への認識なのです。中には「アメリカの子供はどのように英語を話すようになるか」のような本が真面目に書かれ、またそれを買う人がいるのです。

ともかく日本人の場合にはその逆で読めることから書けることに終わっていたのです。つまり最初の出発点である話せることは完全に無視されていたのです。語学の勉強ならそれでもよかったのですが、外国語の勉強となると今までのような考えでは誰も話せないからです。

でも、いったい何のために外国語を勉強するのかという基本的を考えてみる必要があります。ほとんどの人はこの問いに対して外国人とのコミュニケーションをスムースにするためとの答えが返ってくると思うのです。でも考えてみてください。島国日本で英語で話すような機会が一般の人たちにどれほどあるかということです。おそらく識者は、日本人が海外で活躍するには英語は大事だから若い時から英語、とくに会話能力を身につけることが大切であるとの模範解答が返ってきます。そのほかに韓国人や中国人のほうがはるかに英語が話せますよ、だから日本人も英会話を一生懸命勉強すべきなのです、との発想から今回の学習指導になったものと考えられます。でも、ちょっと待ってください、日本語の会話、対話がスムースにできない日本人、とくに男性がいくら勉強しても英語で話すことは困難なのです。いゃ、無理なのです。

日本語の会話、対話があまり出来ない典型的な日本の男性はいくら勉強しても結果は同じで、相手と英語で話すことは極めて困難なのです。それとも日本語での会話が下手な人でも英語になるとペラペラ話せるとでも考えているのでしょうか。それ以外にも韓国人、中国人は日本人に比べて男性も含めてうるさいほど話すのです。つまり、自国語でペラペラ話せる人は外国でも話そうとする努力をするのです。

同じ日本人でも、男性と女性を比較してみてください。男性は心の会話はできても言葉での会話は極めて苦手なのです。一般的に女性同士ではよく話す、いやしゃべるのです。漢字で女が三つ一緒になると「姦しい」となるのもうなずけます。外国語の同時通訳者に女性が圧倒的に多いのはそれなりの理由があるのです。それに反して典型的な日本人男性は思っていたことも言葉に表すのが実に下手なのです。家庭内での夫婦の会話をとっても旦那はあまりしゃべりません。心で思っていても言葉で表すことは極めて苦手なのです。そのような男性がいくら英会話を勉強してもとても英語で話せるわけがないのです。

外国語学習、とくに会話能力というのは表現力、必要度の二大要因が大切なのです。島国日本で育って海外に出たこともない人、とくに男性がいくら英会話を勉強しても使い物にならないのです。その逆に会社などで、ある日突然に上司に外国人が来たり、海外出向を命じられると否が応でもその国の言葉、会話力をマスターしなくてはなりません。つまり、必要度は学習能力推進源となるのです。もっとも、それでも「むっつり屋」専門の日本人男性は最低限の発言しかしない、いや出来ないのです。

ではこのような環境をどうすれば改善できるのか。それにはともかく学校教育の中で日本語での会話、対話能力を向上させる機会を作ることです。昔は中学、高校などに弁論部がありましたが、今はどうなのでしょうか。会社でも会議などでの社員の発言能力、もちろん日本語で、を引き上げるような環境作りをすることです。日本の会社内でも会議などで全く発言しない人は軽視されてしまうのです。あるいは、そのような席でぺらぺら自分の意見を披露すると、あいつは口が軽い、と軽蔑されるかもしれないのです。

2013年8月21日 (水)

有害事象には二種類ある

有害事象は副作用よりもその対象範囲が広い

基本的には副作用は医療関係者が薬剤服用中に起こったある事象を「副作用かもしれない」と疑った時点で副作用(suspected ADR)として扱われ、そこには何らかの因果関係関与があるものと理解するのが常識なのです。一方の有害事象(adverse event)はそのような因果関係関与の有無判断以前であり、因果関係が全く不明、ないしは評価されていない状態であり、したがってその対象範囲はかなり広いのです。

そこで一番迷うのはある副作用の結果としてある事象が起こった場合の扱いなのです。例えば、高血圧患者に血圧低下剤を投与した結果、老人などの場合には低血圧が原因で転倒することがあり、その結果として骨折にいたる場合があります。似たような例としては、高齢者が睡眠薬を服用し、その後遺症としてふらふら感が起こり、転倒して骨折に至る場合です。いずれもよく知られている現実なのですが、多くの場合、このような「骨折」は副作用としては取り扱われません。

例えば、睡眠薬の副作用項目の中には「骨折」は載っていませんが、副作用用語集には「骨折」は記載されています。でも、骨折が副作用ということはあり得るのでしょうか。この骨折は副作用の結果としておこりえるものと考えることはできますが、ある薬剤を服用していて突然に骨折するとは考えられないのですが…。

つまり、従来の概念としての副作用は該当薬剤の直接的な影響のみを念頭に置いているのに対し、有害事象はそのような副作用の結果としての事象をも有害事象としてとらえるべきなのです。このように理解すると有害事象には二種類あって、該当薬剤との因果関係不明ないしは未評価の段階の有害事象と、明確な副作用の結果(outcome)としての有害事象とがあることになります。

一般的には有害事象の収集に当たっては上記二種類の有害事象を念頭に置くべきなのですが、現実にはそのような理解をしている人は少なく、有害事象は副作用の新しい表現用語であって、流行語扱いになっているのです。このことはファルマコビジランスという表現は従来の医薬品安全性(drug safety)評価の新しい表現と簡単に理解されているのに相似ているのです。

国会議員の海外視察は本当に必要か

国会議員の海外視察は本当に必要か

国会が夏休みに入ると、また恒例の国会議員の海外視察が始まります。報道によ.ると今季の視察団は計100人近くの議員が延べ38か国を訪問する予定とされ、視察にかかる費用は、欧州視察6泊8日(往復ビジネスクラス利用)で必要となる議員1人当たり170万円を上限で公費で負担するとされています。つまり二億円近くの税金が使われることになります。

このような海外視察で問題になるのはたんなる税金の無駄遣いという次元のものではなく、その目的、そして最終的にはその結果が重要なのですが、そのような結果の評価に関したことは殆ど聞いたことが有りません。このような国会議員による海外視察制度は日本独特なものであり、欧州の国会議員にはそのような特典は有りません。

日本では国会議員、県会議員、市議会員等の海外視察が頻繁に行われ、その賛否に関して一部では裁判沙汰になったりしていますが、未だにその多くは無くなりません。基本的には海外視察の趣旨は、何か問題が提起され、その解決策の一つの方法として、では海外ではどのようになっているのかとの目的で、視察が行われ、最終的には何らかの形となって現実に反映されるべきなのですが、国会議員の海外視察に関しては初めに視察ありきで、そのために何らかの目的・理由を探しだして海外視察となるのです。従って、そのような視察の報告書は作成するためのものであり、体裁さえ整っていれば全く問題なく処理されておしまいなのです。つまり、目的は二の次、三の次なのです。ましてや、視察の結果を踏まえて何らかの行政業務が改善されるかどうかはまったく問題ではないのです。


数年前にある市会議員が海外の都市での市電普及状態を参考にしてわが市に如何にして市電を普及させることが出来るかとの目的で海外視察を行い、欧州の都市を見学し、その現状に驚いて、かくまでも市電網が復活しているとは、と驚嘆の報告書を書いていましたが、それは現実だけを見ての驚きであって、それらの都市の市電は新たに普及されたのではなく、昔からの市電網が引き続きかたくなに維持され、管理されて現在の姿に移行していることには全く気が付かず、現実だけを見て判断してしまっていたのです。このような全体像を見ずに結果としての現実だけを見て報告書を書いているのですが、その結果はその市には全く反映されていないのです。いゃ、反映することは現実の道路状況を勘案すれば訪問都市のような充実した市電網を導入することはとても不可能だからです。平静に考えれば、現実的には市電を復活させることは現在の道路状況を勘案すれば、不可能に近いのですが、そんなことは全く関係ないのです。

戦後間もなくの時代ならいざ知らず、今日のような情報社会では国会議員がなんらの知識もなくして視察してもあまり意味はなく、今日のようなIT社会では机の上でも十分にいろいろな関連情報、データを収集できるのです。換言すれば、海外視察は戦後間もなくの時代の制度の名残りなのですが、やはり島国国家の国会議員にはかなりの魅力が有るのかもしれません。なにしろ官費で海外旅行できるのですから。本当に、生きた情報、しかも生の情報が必要であるなら、まず最低でも海外大使館を利用することから始めるべきなのではないでしょうか。もっとも、そのような依頼業務は大使館にしてみれば業務の範囲外かもしれず、有難迷惑かもしれません。

2013年8月15日 (木)

国境概念の革新的提案、 北方領土問題への提案 (**)

日露の間で北方領土の問題がようやく取り上げられるようです。しかし、これら四島の問題解決には二十一世紀の新しい領土概念を考案、適用すべきではないでしょうか。従来の領土問題の基本はどちらの国に帰属するのかという一者選択概念なので勝ち負け的な結果になり、場合によっては全く受け入れられない事態にまで発展することが多いのです。

そこで、従来の国境という概念から、共同管理、共同領土という今までにまったく存在しない新しい概念を構築してはどうでしょうか。つまり、何処の国に属すかという固定概念ではなく、経済的、行政的に二国管理下に置き、国籍も二重国籍、通貨も円とルーブルの両方の流通、言語も日本語、ロシア語の二か国語を国語として採用、などなどいろいろと楽しい発想が生まれてきます。当然のことながらこの領土の管理は地元の議会に任せ、地元の議会の議員はそこに住んでいる住民から選出され、日本人、ロシア人を問わないのです。

そのほかの分野、例えば国土防衛のような場合には日露の二カ国の軍隊が共同で外敵に対応することになります。このような概念はある意味では特別に新しいものではなくEUがある意味ではこのような概念をすでに一部の分野で構成しつつあるのです。筆者が住んでいるスイスは言語は四ヵ国語が正式の国語、地域のカントンのかなりの政治的、行政的独立性、がありますが、ある意味では北方領土をスイス的にするようになるのかもしれません。

もしこのような二国共同管理体制が確立されれば世界の新しい国境概念の模範となり日本とロシアがその実現に初めて貢献出来るようになるのです。世界にはいまだに宗教問題とか言語圏問題での対立、紛争などが存在します。もし、日露の間にこのようなまったく新しい概念での領土の国際管理が成立すれば現時点で闘争、対立の問題を抱えている他国への良い教訓になるのです。

このような制度とは正反対に香港の一国二制度という概念もありますので、概念的には正反対の「二国一制度」のような考えに近い「二国共同管理制度」の実現も難しく考えなくともよいのではないでしょうか。

なお、この二国共同管理という概念は特別に新しいものではなく、現在でも問題になっているジブラルタルの英国領にも英国とスペインとの間でこの共同統治という話が2002年に成立したのですが、その後の住民の国民投票で拒否されてしまった経過があります。このことはジブラルタルの統治が300年近くも英国によりなされていたので、完全に英国並みの民意、慣習が形成されてしまっていたので、当然のことながら住民としては英国に属すことが望まれたわけです。したがって、北方領土の場合にはできるだけ早い時期にこのような提案をしないとその可能性はだんだん薄くなっていくのです。

追加(2015 Feb)
今年2015にはプチン大統領の訪日が予定され、そのときには日露平和条約も検討されることでしょう。その際、当然のことながら北方四島が大きな問題になりますが、ぜひこの共同管理なる概念を導入して欲しいものです。

追加(2015 April)
一部の専門家は現在のロシアの窮状を考慮すれば、北方四島返還は今がチャンスだと唱えているようですが、それは単なる願望に過ぎないのです。最終的には住民の投票でその帰属を決めよう、などとなるかもしれませんが、そうなれば当然のことながらロシアに帰属することになり、四島全てが戻ってくるとは考えられません。

追加(2015 June)
このような共同管理という考えは国単位では前例が無いかもしれませんが、以下のような考えも既にあったのです。それはいま、日韓で問題になっている竹島について、戦後まもなく河野は韓国側との密室交渉で次のようなる密約に合意した、とされている。

竹島・独島問題は、解決せざるをもって、解決したとみなす。したがって、条約では触れない。
(イ)両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反応することに異論はない。
(ロ)しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。
(ハ)韓国を現状維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。

つまり、ある意味ではこの竹島をうやむやな状態にするという発想だったのです。もちろん、このような考えが北方四島に当てはめることは無理があるが、少なくとも共同で管理すると言う発想は必ずしも奇想天外なものではないのです。

追加(2016 Dec)
この記事は2013年に書いたのですが、ことし2016年にプチンが安倍首相と会談し、領土の帰属問題は棚上げにし、北方領土を経済領域にとどめることで合意したことが報道されていました。まさに三年前から私が提案していることが現実のものとなったようです。

2013年8月12日 (月)

科学研究費の問題点(**)  報告書を作るのが目的

科学研究費の問題点

雑誌「選択」の七月号に「科学研究費の闇、不正にまみれた学者ムラ」の記事が載っていました。この記事の意図はこの科学研究費が不正に使われている実態を明らかにすることであり、「まともな審査が行われていない」「叩けば誇りが出る研究者」「後を絶たない私的流用」などとその道の権威者を名指しで、コメントしています。

一般的には科学研究費の代表的なものは文科省のものであり、二千四百億円の予算が付いています。そのほかにも厚労省の四百六十億円が有ります。

確かに従来の感覚から言えば、その配分にはいろいろな人的関係が大きくものを言い、予算の分配に関しては必ずしも公正ではないようです。しかし、この問題を別な観点から考えてみました。

なぜそれほどの膨大な科学研究費が使われるのか、ということです。それはいろいろな大学の先生たちは自分の存在価値を維持、高めるためにもいろいろな研究論文を発表することが大切なのです。極端に言うとその論文の質よりはどちらかと言うと論文の数を以て評価される傾向が強いからです。従って、如何に科学研究費を勝ち取って文献にするのかという外的行為が重要であり、その内容、つまり内的行為はあまり重要ではないのです。
ちなみに、科学研究費が交付された申請項目をみると中にはなぜこんな研究が必要なのかと思われるようなものもあります。つくり、場合によっては研究がどうしても必要だから科学研究費を申請するのではなく、その逆に科学研究費を申請して論文などにするためにはどのような研究項目があるのだろうかと全く逆の発想で申請されたと考えられるものもあるのです。

現在の日本の大学ではそのような論文の数で評価が決まると言っても過言ではなく、ある意味では致しかたがないのかも知れません。従って、学術書のようなものを一人で執筆することは膨大な時間と労力が必要となり、あまり関心がないのが普通であり、またあまり評価の対象にはならないのです。従って、大学研究者が一冊も本を出版しなくとも全く問題にはされないが、全く論文を書いていないとなるとその人の評価は下がるばかりなのです。

たとえば、以下のサイトからみるとかなりの研究報告がなされていますが、それらの一覧表から判断するとあまり約二経たないものが沢山あのます。さらに問題なのはそれらの研究成果がどのように、活用されているのかとの追跡報告が無いことです。
平成21年度厚生労働科学研究費補助金(医薬品・医療機器等レギュラトリーサイエンス総合研究事業)総括報告書  (総括報告書概要版)http://mhlw-grants.niph.go.jp/

追加(2014 Feb)
最近の報道では厚生科学研究報告書として2013年度の予算から「薬剤師が担うチム医療と地域医療の調査とアウトカムの評価研究」が纏められ、「薬局のあるべき姿」を周知する役割があると評価され、都道府県に通知されています。でもこのような研究が採用されること自体が問題だと思うのですが、厚労省はそのような内容には関心を示してい無いようです。
ちなみに14年度政府予算の中から2億 4000万を計上し、かかりつけ薬局の機能強化の目的で「薬局・薬剤師を活用した健康情報拠点推進事業」を薦めるとのことですが、これも何かをやらなくては予算が取れなくなるとの心境がありありです。
問題はこのような研究が膨大な予算を使って行われても、その成果の反映状況は誰も関心が無いのが問題なのです。

いずれにしても、以下の利根川博士の名言にこのような環境の実態が指摘されています。
「大半の学者は、何が本質的に重要か、見分けがつかないから、どうでもいいことで一生を終わっている」(利根川進)

2013年8月 9日 (金)

韓国は国花を変えるべきでは ?

韓国は国花を変えるべきでは ?


それぞれの国にはいわゆる国花というものがあり、それぞれの国が自国を代表する花を選択しています。例えば、日本では一応、桜の花が日本を代表する国花と受け止められていますが、正式には菊が国花扱いとなっています。ここで扱いと書いたのは理論的には菊は皇室のシンボルとしての花であり、国花といえるかどうかはすこし問題があるかも知れませんが、少なくとも日本の旅券の表には菊の御紋が歴然として印刷されていますので、まあ、菊の花が日本の国花となるのでしょう。

そして、植物にはそれぞれの国際的に通用するラテン名が付いているのです。例えば、日本の菊の植物名はChrysanthemum morifoliumとなっています。

いずれにしても各国の国花にはそれぞれのラテン名があるのですが、中国共産党政府は国花を選定しようとして世論調査をしたとき、最初に候補の一つにになったのは椿でしたが、よく調べるとその椿のラテン名がCamellia japonicaであることが分かり、そんな日本の名のついた花を国花には出来ないとなり、選択されませんでした。最終的には牡丹が選ばれたのです。

確かに牡丹は中国を代表する花にふさわしく、至るとこに牡丹があります。ところが、一般的に牡丹のラテン名にPaeonia japonicaというのがあるのですが、牡丹にはいろいろな種があり、Paeonia suffruticosaを選んで事なきを得たと言われていまス。それはそうでしょう、自国の国花の名前にあの憎き日本の名前がついているのは受け入れられないからです。

ではお隣の韓国はどうなのでしょうか。韓国の国花はハイビスカスなのですが、この植物名はHibiscus Syriacusでシリアの名前が付けられています。これって、問題はないのでしょうか。なにもわざわざシリアという他国の名前の付いた花を自国の国花にすることは沽券に係らないのでしょうか。まぁ、余計なことかもしれませんが、自尊心の強い韓国人のことですので、あえて提言してみただけです。

もっとも、ハイビスカスのラテン名をHibiscus Koreanusに改名したほうがお国柄を表すかもしれません。

2013年8月 7日 (水)

私のブログを電子版書籍として纏めました

私のブログを電子版書籍として纏めました

このブログを纏めてPDF版にして無料電子版書籍ライブラリーに載せましたので、電子ブックを読むことが出来る方は以下のサイトからダウンロドしてみてください。なお、この版に纏めましたのは以下の期間に書いたものです。
2010年01月29日~2013年07月11日

http://www.ipad-zine.com/g/4/

2013年8月 4日 (日)

中堅製薬企業の安全性対策

中堅製薬企業の安全性対策

最近の報道によると、利尿剤トルパプタンによる肝障害で死亡例が14例報告されていましたが、その因果関係はいずれも不明とされています。しかも、この薬剤が販売された2010年 12月から 2013年 5月の間に発生しているのです。つまり、二年半の期間に肝機能の悪化により、死亡に至ったと考えられのですが、その因果関係は不明と社内処理されていたようです。しかも、奇妙なことにこれらの死亡例が企業から行政に報告されていたようですが、その間に行政が何らの追跡調査を指示しなかったのでしょうか。

もっとも、因果関係不明の表現が何を指すかは単なる新聞報道の内容では不明ですが、肝機能の悪化により、死亡したのであって、薬剤と死亡との直接の因果関係は不明と判断したと仮定すると、これは明らかな因果関係評価の誤用、曲解になるのです。もちろん、この場合の死亡は肝機能障害悪化の結果、アウトカムであるので、当然のことながら因果関係は全体的にあると解釈するのがファルマコビジランスの常識なのです。

ちなみにこの件に関連したFDAの見解は以下のように報道されています。
Safety Announcement
[04-30-2013] The U.S. Food and Drug Administration (FDA) has determined that the drug Samsca (tolvaptan) should not be used for longer than 30 days and should not be used in patients with underlying liver disease because it can cause liver injury, potentially requiring liver transplant or death. Samsca is used to treat low sodium levels in the blood. An increased risk of liver injury was observed in recent large clinical trials evaluating Samsca for a new use in patients with autosomal dominant polycystic kidney disease (ADPKD)1 (See Data Summary). FDA has worked with the manufacturer to revise the Samsca drug label to include these new limitations.
The Samsca drug label3 has been updated to include the following information:
• Limitation of the duration of Samsca treatment to 30 days. (Dosage and Administration and Warnings and Precautions sections)
• Removal of the indication for use in patients with cirrhosis, a condition that involves scarring of the liver due to injury or long-term disease. Use of Samsca in patients with underlying liver disease, including cirrhosis, should be avoided because the ability to recover from liver injury may be impaired. (Indications and Usage and Use in Specific Populations sections)
• Description of liver injuries seen in clinical trials of patients with autosomal dominant polycystic kidney disease (ADPKD).
• Recommendation to discontinue Samsca in patients with symptoms of liver injury.
The manufacturer of Samsca, Otsuka American Pharmaceutical, Inc., issued a Dear Health Care Provider letter4 on the potential risk of liver injury on January 22, 2013. FDA is reviewing the information from clinical trials of patients with ADPKD and will update the public on the risk of liver injury with Samsca if more information becomes available.

韓国の嫌日体制の拡大と矛盾 (*)

韓国の嫌日体制の拡大と矛盾

最近の報道によりますと、日本による朝鮮半島の併合支配に協力した「親日派」が日本から受け取った財産を没収し国有化する法律をめぐり、韓国憲法裁判所は八月四日、日本から爵位を受けた人物に与えられた財産を没収対象にすることは合憲だとの判断が示されたことです。

韓国の嫌日体制がここまで来るとまさに「坊主憎ければ袈裟まで憎い」の典型例になります。もし、このような体制を拡大すれば日本の朝鮮併合時代に日本に何らかの形で協力した人たちはすべて「親日派」のレッテルが張られ、処罰の対象になってしまうのです。

例えば、朝鮮併合の結果、当時の朝鮮の教育レベルの向上の一環として一部の朝鮮人改革派と協力して朝鮮総督府がハングル語の普及を進めたことは事実なので、そのような忌まわしい過去のあるハングル語の使用は当然禁止すべきなのですが、この点に関しては誰も文句を言いません。まさに自分の都合のいいことには頬かぶりなのです。

このような例を挙げたらきりがないのです。例えば、当時の朝鮮人が東京の陸軍士官学校を卒業して日本陸軍の将校として勤務していたことはよく知られています。現在の韓国大統領の父親の朴 正煕はまさにその典型例です。そのような人たち、つまり憎き日本陸軍の将校として勤務していた人たちの家族の財産をも当然没収すべきなのですが、そのような動きは全く見られません。まさに、当時の親日派の大物でも、自分の父親となるとまさかその家族の財産をも没収する訳にはいかないのでしょう。

そのほかにも併合の結果、日本と同じレベルの帝国大学が京城に設立され、そこでは朝鮮人も日本人と一緒に学んだのですが、そのような忌まわしい日本が設立した帝国大学の朝鮮人卒業生はその学位、学歴をはく奪されても当然なのですが、なぜかそのような動きはありません。ちなみに、世界広しといえども、併合地に本国と同レベルの大学を設立した国は存在しないのです。日本はまさにその例外な行為をしたのです。

もう、こうなると現在の韓国の嫌日体制、親日派狩りはまさに支離滅裂政策そのものです。もっとも、韓国の政治家の嫌日行為は超意識的になされているもので、時代、人が変われば変わる性格のものなのですが、それに比べ、日本の政治家の暴言、無知発言は超自然発生なので、改められる可能性はゼロに近いのです。そのように解釈すると外交に関しては韓国の政治家のほうが日本の政治家に比べて一枚も、二枚も上なのです。

もっも、昔の韓国人と現在の韓国人とではそのこくみん感情が時代とともに変化しているのはやむを得ないのかもしれません。最近の韓国人については、韓国人は「謝罪を求めない日本人」というものが理解できないのです。
 韓国では「謝罪を要求できるチャンス」があったら最大限、活用するのが常道だからです。謝罪させることで倫理的に上位に立ち、相手を支配する――という発想です。

なお、朝鮮人の民族性、考え方、などについてなかなか的を得た解説がなされています。

それは、荒木和博・拓殖大学教授が日韓の食い違いを面白く表現しています。以下の通りです。

1) 韓国人は怒った時はその場で発散する。つまり、韓国人には堪忍袋がない。
2) 一方、日本人は少しぐらいのことでは怒らない。そこで韓国人は日本に対し、やりたい放題やり出す。
3) さすがの日本人も、ある一線を超えると「堪忍袋の緒」を切らし、猛烈に怒り出す。
4) しかし「堪忍袋のない」韓国人には、なぜ日本人が突然怒りだしたか理解できない。
5) そこで韓国人は「極右のアベが首相になったから」、あるいは「自信を失った日本人が右傾化した」ことを原因に求め、ますます日本批判を強めている。

いずれにしても通常の日本人的常識で日本人は国外の国を理解しようとするから問題が起こり、またなかなか解決できないのです。

2013年8月 3日 (土)

外国人と身分証明書

外国人と身分証明書

最近の新聞報道によると日本に帰化したフィリッピン女性が警官の職務質問に対して、フィリッピン人と答えたため旅券不携帯の疑いで一時的にせよ身柄を拘束され、最終的には持っていた健康保険証や入管への問い合わせで、日本国籍を取得していたことが判明、釈放、謝罪されている。

この件で考えなければならないことは、外見が日本人らしくない場合には警官の職務質問を受けやすいことです。ましてや、アフリカの人ならば日本人以上に警官の職務質問を受ける可能性は極めて高いのです。これを一概に人種差別と批判するのは簡単ですが、このような現象は世界共通であり、私も東洋系の顔をしているので、海外ではよく疑惑の目で見られることがあります。これはどこの国でも起こりるうことなので、致し方はないと思います。たとえ、私が住んでいるスイスで、かりにスイスの国籍を取得していたとしてもだれも私をスイス人とは見てくれません。ましてや、かりにスイスの国籍を持っていても私はスイス人ですと心理的には即答できないのです。

次の問題はこのような環境下での警官の職務質問は「あなたはどこの国籍を持っていますか」ではなく「あなたは何人、何処の国の人なのですか」となるのです。したがって、そのような質問をこのフィリッピン人女性が受けた時にとっさに日本人ですとはならず、フィリッピン人ですと答えるのが普通なのです。つまり、今回の警官の職務質問にたいする返事が誤ったために身柄拘束になってしまったのです。もっとも、新聞報道では彼女が「フィリッピン国籍です」と答えたと記述されていましたが、警官が普通の職務質問で「あなたはどこの国の国籍を持っていますか」と質問したことは考えにくい。

更にこの事件で隠されている大きな問題は、もしこのフィリッピン人が私は日本に帰化しています、と答えた時の警官の対応なのです。そのようなときにはおそらく警官はああそうですか、と聞き流しはしないと思うのです。ましてや、相手がアフリカ人のような場合にはそのようなときの次の質問はなにか身分を証明するものはありますか、となるのです。

ここで、問題なのはもし相手が普通の容貌の日本人だったら、仮に身分証明書を持っていなくても口頭で住所、電話番号など聞かれて、それでほとんど問題なく、ましてや身柄の拘束はなされない筈です。それはなぜか。
その答えは、日本には個人の身分を証明する身分証明書の存在がないからです。日本は世界の先進国の中で国民全員が写真付きの身分証明書を持っていない唯一の国なのです。

日本では多くの場合、そのような身分を証明する書類として誰もが持っているのは健康保険証だけなのです。しかし、この健康保険証を常時携帯しているわけではなく、さらにこの保険証には肝心の顔写真がないのですが、それは日本ではあまり重要ではないのです。そのような顔写真がない証明書が身分証明書として通用するのはこれまた世界広しといえども日本だけなのです。しかも、そのような健康保険証は常時携帯の対象ではないのです。

でもどうして日本には国民全員が常時携帯すべき写真付きの身分証明書が存在しないのでしょうか。それは今までにそのような身分証明書の常時携帯がなくとも問題が殆ど無かったからなりです。日本には交番があり、理論的にはその交番がその地域を管轄、掌握していたので全く問題がなかったのです。それに日本は島国ですので、他国の人たちの出入りが基本的には考えられなかったのです。なんとまぁ日本は天国なのでしょうか。

その一方で、日本に居住する外国人には滞在許可証、あるいは旅券の常時携帯が義務付けられているのです。これは明らかに人種差別につながるとも考えられるのですが、日本国内では誰もそのような申しだてをする人はいません。

つまり、日本では日本人は身分証明書の常時携帯義務はないのに、外国人には何らかの身分証明書の常時携帯義務が課せられているのです。このように環境に慣れている日本人が海外に行ったときに旅券の常時携帯を忘れて地元の警官との間にトラブルを起こすことがあるのです。

2013年8月 2日 (金)

製薬企業、薬局の24時間体制の意義とその矛盾

製薬企業の24時間体制の意義とその矛盾

今回のノパルティス社のジオバン臨床報告疑惑でノパルティス社が一般向けにこの製品に関する疑問があれば当社に電話でお問い合わせくださいと、広報しているのですが、その対応時間がいつものように週末はだめ、また日中も午後5時半までとアクセス可能時間を制限していることです。これでは医療に関与する企業という概念ではなく、家電などのお客様相談室のような感覚ではないでしょうか。自分の都合に合わせ、患者の都合のことは全く無視していることになるのですが、製薬協や医師会、薬剤師会などはこのことに関しては全く関心が無いようです。

このような企業への問い合わせ時間を限定しているのは日本の企業では当たり前のことであり、医薬品の添付文書にも問合せ先とその時間帯が明記されていますが、これも例外なく週末とか夜間はアクセスできないのです。つまり、理論的には企業の倫理性を尊重しているように思えるのですが、これはあくまでも自己本位、体裁だけの表明なのです。これは日本の場合には医療用医薬品であれ、大衆薬の場合であれ、すべての添付文書に同じように記載されています。ところが、欧州の医薬品の場合には処方薬であれ、大衆薬であれ、そこに添付されている添付文書には企業名、その連絡先、電話番号は記載されてある場合と無い場合とがありますが、たとえ記載されていても日本のように制限時間帯を記載しているのは皆無です。それはなぜなのでしょうか。

医薬品の場合には基本的には薬局と医薬品使用者である患者との間には必ず開局薬剤師が介在するので、使用医薬品に関して何か疑問、質問があれば患者はまず第一に薬局に行って薬剤師に質問なり、相談するのです。したがって、製薬企業が日本のように相談、質問電話を載せる意味がないのです。それだけ薬局薬剤師の存在価値が日本と比べると格段に高いのかもしれません。大衆薬のテレビ宣伝でも詳しいことは医師あるいは薬剤師にご相談くださいとのテロップが流れますが、そこには企業への連絡先は全く流れません。

また、薬局間での24時間体制はその地区ごとに確立されており、どこの薬局に真夜中に行ってもその時間帯に開かれている薬局の場所、電話番号が記載されています。そのような夜間薬局には必ず薬剤師が駐在しており一時も薬局を留守にすることはできないのです。このような体制は日本の一般薬局にはほとんど見られず、例外的に一部の調剤薬局が地域の薬剤師会と連携して夜間業務をも引き受けていますが、いまだ例外のようです。、、

いずれにしても、こと医療、疾患に関する問い合わせはなぜ24時間体制をとらないのでしょうか。こんな簡単なことがいまだに日本の製薬企業が出来ないことはある意味では企業倫理が社内に徹底していないものと捉えられてもいたしかたが無いのです。

2013年8月 1日 (木)

日本の政治家の国際感覚はゼロ

日本の政治家の国際感覚はゼロ

麻生太郎副総理兼財務相が憲法改正をめぐってナチス政権を引き合いに「手口に学んだらどうか」などと発言したことについて、「誤解を招く結果となったので撤回したい」と述べていしました。

つまり、その発言が問題視されると恒例のように、発言を撤回して謝罪しています。もう、こうなるとまさに漫才的な発言です。相手に向かって「あなたは馬鹿だ」と発言し、相手が怒って謝罪、発言の撤回を求めたら、「いゃ、私は決してあなたを侮辱する意図は全くなく、もしお気を悪くされたなら謝罪し、この発言を撤回します」「私はあなたの発言内容が不明瞭であり、馬と鹿が区別できないと思って馬と鹿を短絡的に結合して発言しただけなのです」

いずれにしてもこのような謝罪発言パターンは今後もますます政治家に使われるかもしれません。

それにしても日本の政治家の国際感覚はどうしてこうも低いのでしょうか。国際的にナチスのことを取り上げ、引用して公式の場で発言することはタブーなのです。しかも、日本の政治家がドイツに見習うべきことはドイツは現在に至るまで一貫してナチスの行為に対して機会あるごとにユダヤ社会に対して謝罪を続けており、またドイツのユダヤ社会は一貫してナチスのしたことに対して未だに許されないという行為を続けているのです。

つい最近(2013 July)も過去にナチスに協力していた人を探し出す運動を公然と再開しており、そのような情報提供者には最高額として25 000 EUROの懸賞金を出すキャンペーンを改めて始めているのです。ベルリン、ハンブルグ、ケルン市内にポスタ-を掲げて広報しているのです。

たとえ、当時のナチスに協力した人が未だに生存しているとしてもその人はもう90才以上にもなる超高齢者になるのですが、そんなことには全くお構いなくいまでも摘発を続けているのです。部外者はそのような超高齢者をいまさら刑務所に送り込んでどうなるのかとも考えがちですが、ユダヤ社会ではそのような感傷的な考えは無用なのです。

よく言われていることに「加害者は自分のしたことをいとも簡単に忘れるが、被害者はそのことは一生忘れない、いゃ、場合によっては次世代の社会にまで引き継がれる」ということを日本の政治家は改めて考えてはどうでしょうか。

その点、日本の政治家は過去に中国でしてきたことは自分には関係なく、先代の政治家がしてきたことであり、政治的にはすべてが解決されていると考えていると第三者的に判断されても致し方がないかもしれません。
このような国際情勢に全く疎い日本の政治家は今後も似たような発言を繰り返すことでしょう。

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