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2012年7月の記事

2012年7月24日 (火)

医薬品の有効性情報の欠陥

医薬品の有効性情報の欠陥
 
 医薬品の添付文書にはかならず適応症が記載されていますが、不思議なことにそれぞれの適応症における該当医薬品の有効率は記載されていません。副作用情報の記載と比較すると、まさに適応症の羅列でおしまいです。
  そのような記載方式が原因かどうかはわかりませんが、多くの人はそこに記載されてある適応症に該当医薬品を使えば100%有効性が期待できものとの暗黙の了解があるのかもしれません。
  したがって、以下のような記事が出るのもそのような暗黙の了解があることを裏付けているのかもしれません。
http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_159011_202462_5

  もし多くの臨床医がそのような暗黙の理解のもとで医薬品を患者に投与しているのだとすると、場合によっては期待以外の結果にもなることです。例えば、羅列されている適応症の一つの有効率が60%であると知った時、臨床医の判断はどうなるのでしょうか。場合によっては、もっと他の同効類似医薬品での該当適応症での有効率が90-100%のものを探してそれを使うという安易な考えになるかもしれません。

  このように考えると、現在の医薬品情報のあり方そのものが問題だと思うのです。究極的にはたとえば有効率が60%であってもどのような患者、疾患状態などではその医薬品では効果がないのかといった具体的な情報が欠如しているからです。このような簡単、かつ重要な治療情報はどうして積極的に企業が収集し、医療関係者に還元されていないのでしょうか。

2012年7月21日 (土)

地下浸水の時の外開きドーアの盲点

地下浸水の時の外開きドーアの盲点

最近の台風は意外と多くの被害を残していました。しかも経験したことのない大雨が降り、大混乱を起こしています。 低地の水没とか都市部の大浸水等が今後の台風により起こることが予想されます。大都会にはいろいろな地下商店街があり、もし予想外の台風が襲来し今までにないような瞬間的な豪雨が降れば、あっという間に地上が川のような状態になります。そのような時に大都会が浸水するときの大きな被害区域が地下街になることは間違いないのです。

ところが、日本のドーアは基本的には外開きなので、もし短時間に大量の豪雨が降ってきたときにはあっという間に地下に多量の水が流れ込んできます。そのような時に、外開きドーア内にいる人たちは水圧に推されてドーアを開けることができなく可能性が極めて高いのです。この際、地下事務所、地下室、地下街などのドーアの点検をして、もし外開きのドーアであるような場合には何らかの対策を講じる必要があるのです。

専門家の話では、幅1.5メトルのドーアに約50センチの水位で水が押し寄せてきたとき、そのドーア全体に190キロの水圧がかかるといわれています。そうなると普通の人の力ではそのようなドーアを押し開けることは困難になります。したがって、地下浸水対策の一つとして人が出入りする地下室のドーアはすべて内開きに改造すべきかもしれません。

とは言っても、今までの外開きドーアをすべて内開きドーアに作り直すことは無理ですし、また建物の構造上から簡単には出来ないと思います。そこで一つの案としては、外開きのドーアの下部に内開きの小窓を作ることにより、一時的とはいえ瞬時にかかる外部からのかなりの水圧を減少させる効果はあるはずです。

これらの考慮はなにも急激な豪雨対策だけではなく、津波被害にも適用できるのです。昨年の東日本大震災で急に押し寄せてきた津波により地下に閉じ込められてしまった人たちが何人くらいいたかのデータはありませんが、もしかしたらそのような例があったかもしれません。

2012年7月 9日 (月)

症例報告こそがすべての原点

副作用症例報告の質的、量的改善の必要性

繰り返しになりますが、やはり薬剤疫学研究のためにも各副作用症例のデ-タを充実させるのが本筋である。これは私が前々から考えていたことなのです。日本ではいろいろな薬剤疫学の講習会とかセミナーが開催され、極端な場合には薬剤疫学ですべてか解決されるものとすら考えているひとが多いのです。ことに薬剤の安全性に関連した分野では副作用の個別症例は軽視され、しかもそれらの個別症例の因果関係評価なんかは過去のことであるとさえ考えている人も居るくらいです。しかし、薬剤疫学研究は個別症例の積み重ねの上に成り立っているのです。レトロであれ、プロスべであれ、それらの基となるのは個別症例なのです。ですから、個別症例の正確、かつ詳細なデータの収集、評価という考え並び習慣がなければどんなに研究計画が立派でも最終的に得られた結果はあまり使い物にはならないのです。とくにレトロの研究ではその結果はあまり役に立たないものが多いのです。

ですから極論になるかもしれませんが、「大規模臨床試験は対照群との有意差をだすのが目的であり、それが大規模試験の本質なのです」、とも言われている。(名郷直樹、2002/金沢/EBMワークショップ) 

このような状態を比喩的に表現すると「家を建てるのに肝心の土台をいい加減にしてしまう」のと相似ているのです。


以下の記事は参考になります。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/massie/201201/523062.html

2012年7月 7日 (土)

副作用と人種薬理学

副作用と人種薬理学

日本語ではしばしば人種と民族という表現は混同して使われることもある。基本的には民族は言語や文化など社会的な観点からの表現であり、人種は遺伝的な要因が強く、薬剤の反応も人種差があることは知られている。したがって、人種薬理学ethnopharmacologyという概念が存在するが、民族薬理学という概念は薬剤治療に民族の影響が関与しているとは一般的には考えられないかもしれない。しかし、薬効には心理的な要因もかなり大きく関与する場合もあり、その典型的なものはブラセボ効果として知られていて、この領域は心理薬理学Psychopharmacologyになる。

一方の民族薬理学もラテン語のethnoを使うとEthnopharmacolgyとなり、人種薬理学との区分が不明瞭になる。しいて区別するとするとrace-pharmacologyとなってしまう。なお、ethnopharmacologyに関しての国際学会にInternational Society of Ethnopharmacologyがあるが、この学会は伝統民間薬、つまりハーブのような薬効を研究する団体であり、化学成分を主とした通常の薬剤を対象にしていない極めて特殊的な団体活動をしている。つまり、民間に伝わるハ-ブの研究に関しての民族植物学があり、その有効成分、適応症にかんする研究する目的でこの学会があるということです。したがって、薬理学という学問体系の中で人種差を研究するのではないのです。

しかし、薬効にも民族差があり、それはやはり人種とは関係なく、民族によって性格、表現力などが異なることに由来する。例えば、痛み、つまりpain、でもその主訴は民族差が現れてくる典型例化もしれない。ある疾患の症状の一つとして痛みがあっても、それを外部に発信する表現力はかなり民族差があり、これは人種差とは関係がない。したがって、薬剤の副作用としての疼痛、例えば腹痛、などの主訴は日本人のように我慢強い民族と、極めて表現力の強いイタリア人などと比較するとイタリア人のほうがその見かけ上の発生頻度は高くなるはずである。したがって、民族薬理学という分野もあっても不思議ではない。
つまり、人種薬理学と民族薬理学とでは似たような表現ではあるが、明確な区別をすべきである。

一方の人種薬理学の典型例としてサイアザイド系利尿剤の稀な副作用として白斑黒皮症があるが、これはアジア系の人だけに発生し、白人にはまったく発生しないのは極めて印象的である。したがって、欧州などのこの種の利尿剤の副作用データべースには光線過敏症の一つとしての白斑黒皮症なる副作用は存在しない。さらに興味あることはこの白斑黒皮症と蒙古斑との関係である。東洋系の人種には新生児の蒙古斑は必ずあるのですが、もしかしたら蒙古斑のある人には利尿剤の副作用としての白斑黒皮症も発生する可能性があり、その反対に白人のように蒙古斑のない人たちには白斑黒皮症も見られないということです。これは私の仮説ですが、実はギリシャ人はその判定に従うと東洋系に属しているのかもしれません。と言いますのも私の友人のギリシャ人はギリシャにも蒙古斑は珍しくないということであり、その本人自身も利尿剤の長期使用により白斑黒皮症を経験しているからです。

本当はこのような人種差に焦点を当てた研究が増えてほしいのですが、意外と少ないのです。

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