« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月の記事

2012年2月29日 (水)

三代目国家の日本

三代目国家の日本


良く言われていることのひとつに企業の創始者はゼロから会社を創立し、一生懸命努力し、自分の会社を世界的な企業に作り上げ、その死後二代目はなんとなく親が作り上げた会社をなんとなく経営し、それなりの成果を上げてはいるものの、その後の大きな発展は見られない。その後、この二代目が亡くなり、その子供が三代目を引き継ぐころになると左うちわ的な経営で、最終的には先代が築き上げた立派な企業を潰してしまうと言われている。もっとも、これは原則論であり、例外はあるもののこのような三代目凋落原則は多くの場合にあてはまるから不思議なものです。

このような三代目の状態に陥っているのが現在の日本なのである。

鎖国から目覚め明治維新を引き起こし、日本という国を近代国家に作り上げたのが一代目。その明治政府を引き継いで第一次大戦、第二次大戦までのあいだ、日本を曲がりなりにもなんとか世界の列強なみにいろいろな意味で維持してきたのが二代目。

そして戦後の時代になって昭和から平成の時代になると日本の衰退がはじまり、現在では国際的には日本は存在しないのにも等しいのにも関わらず、国内の政治家はそのようなことは一切知ろうともせず、ひたすらわが身を守るのに精いっぱいの感がある。つまり、現在の日本の政治家は前述の企業家のたとえでいうなれば三代目の社長に相当するのである。


現在の日本を外から眺めているとまさに凋落の一途をたどっているものとしか考えられません。しかし、島国日本にのみ生活し、海外のことには一切関心が無い若い世代は日本が現在、海外でどのように見られているのか、取り扱われているのかを知るすべもないのです。これは現在の国会議員にも該当することで、戦後生まれで、何らの苦労も経験したことのない議員にしてみれば海外での日本の評価がどうなっているかは全く関心が無いのです。議会の予算委員会での「硫黄島」の読み方を質問するような議員がいたり、まったく小学校のいじめ社会そのものではないですか。

この三代目国家に似たような状況にあるのが英国です。往時の植民地経営国家であり、膨大な財政を海外から略奪して曲がりなりにも大英帝国の基礎を築いたのが、一代目。そしてそれらの財力を背景に産業革命を引き起こし、世界の工業化に貢献したのが二代目。 そして世界大戦を経て、かっての植民地が次々と独立してしまい今日のような影をひそめた存在となった英国が三代目に相当するのかもしれません。この三代目は過去の栄光を忘れられず、その結果ただの島国になってしまいました。もっとも、その三代目は「英語」という武器を世界に広めた功績はありますが・・・。

このように考えると、三代目国家としての日本は世界に何を残すことになるのでしょうか。和食文化くらいしかないかもしれません。

追記(2012/3/23)
 この三代目凋落原則に関連して、極めて興味ある説が朝日新聞の「経済気象台」にありました。それは「和魂漢才」、「和魂洋才」そして「和魂和才」という表現なのです。これは概念的である「一代目」「二代目」「三代目」をより具体的に、しかも文化的、文明的に表現したものととらえることができるからです。つまり、現在の日本は社長概念では「三代目」、そして文化・文明概念では「和魂和才」に該当するのかもしれません。でも、悪い方向に向かえば、文字通りの三代目国家に転落し、1980年代から 2000年代にかけての日本の海外発展も終わりであり、三代目国家の「和魂和才」は日本の国内への閉じ籠り思考なのかもしれません。

2012年2月24日 (金)

北方領土を日本の経済領土に

北方領土を日本の経済領土に

現在のロシアの対日政策に劇的な変化がないかぎり、北方領土の日本への返還は絶望的であると考えられます。さらにロシアの歴史的な対外政策を熟知していればロシアはいったん手に入れた領土はその領土内での住民が暴動でも起こさない限り、元の所有国に返還することは絶対にありえません。したがって、いくら日本国内で返還要求運動を繰り返してもロシアにとっては馬耳東風なのですが、日本国内ではそのような認識はなく、政治家も含めてロシアに対して何回となく北方領土の返還を求めています。そのような要求をすればするほどロシアは反発するのは当然の結果なのですが、日本の政治家はそのような理解はないようで、機会あるごとにお題目のように北方四島は日本古来の領土と発言しています。もし本当に返してほしいのなら、国際裁判所とか国連に訴えてまでといった発想はないようです。

そこで、すこし発想を変えて、現状維持のまま、北方四島を日本の経済領土にしてしまうことです。経済領土という概念は誰も考えないかもしれませんが、ともかく北方領土の住民と日本経済との結びつきを密接なものにしてしまうのです。

たとえば、北方四島の住民に限定して、北海道への旅行を自由化し、北海道でロシア通貨での買い物を受け入れ、ロシア住民の北海道での医療を無料にし、日本経由のロシア旅行を自由化し、北方四島での日本の製品販売を促進し、その逆に北方四島の製品の日本への輸出を無税にするなどの手段を講じることです。それらの島の住民に北海道での日本語習得を無料にする。そのほかにも考えればいろいろな方法があるはずです。そのような結果、北方四島は行政上はロシアの管轄下にありながら、現実は日本の経済圏内に入れてしまうのです。

確かに、このような考えは国際的には未知のものかもしれませんが、世界を見渡せばいろいろと領土問題がしこりとなっている例はいまだにたくさんあります。地理的状況から見れば明らかに理不尽と考えられる場合でも、多くの場合は武力で奪還しようとする考え以外は誰も考えないのです。その典型例の一つがアルゼンチンの目の前にあるフォークランド諸島があります。これはどうみてもアルゼンチンの島と考えるのが当然と思われますが、英国の過去の植民地政策の名残りだと考えられます。現在の軍事力から見ればアルゼンチンがいくら武力攻撃しても英国には勝てないでしょう。このような場合にはこの島をアルゼンチンの経済領土にすることしか考えられません。

最近は北方四島に中国や韓国の企業がロシアとの合弁企業を設立する動きがありますが、日本政府は北方領土への外国からの投資や労働力の流入はロシアの管轄権を認めることになるとして受け入れられないとの立場をとっていますが、これはまさに殿様外交で、そのような場合には日本も積極的に北方四島に投資すべきなのですが、いかんせんメンツばかり振りかざしているだけなのです。そのうちに北方四島も中国領になってしまうかもしれません。日本はなんとお人よしなのでしょうか。まったく、情けなくなります。

追加(2013 Jan)
  安倍首相になってから北方領土問題に真剣に取り組むとか、でもそれは絵に描いた餅のことであり、なにも新たな進展は期待できません。プ-チン首相のほうがずっと外交上手です。やはり経済領土化という新しい手法が必要になります。
  この問題で過去のいろいろな条約をもちだしてもだめなのです。条約というは両当事国の善意の上にのみ成り立っているので、場合によっては一方的に破棄ないし無視されてしまうこともあるのです。

2012年2月17日 (金)

中国の汚染食品製造で思うこと

中国の汚染食品製造で思うこと

最近の新聞に中国での汚染食品の実態が報告されています。その一例として、レストランの食堂の排水溝から排水を集めてそれを大きな窯で煮詰めて、浮いてくる油を掬い取って、それを食用油として売りさばいている実態が報道されていました。

このような実態を読んで思うのですが、人間は金のためなら何でもするとはいえ、ある意味ではなかなか知恵のある人のやることかもしれません。もっとも、この場合は悪知恵になりますが・・・・。中国のレストランでは油をたくさん使うので、そのようなレストランの調理場から出る排水はそれこそ油まみれの汚水になるので、ある意味ではその排水をリサイクルしていることになります。でもそのようなものが、また料理に使われるとなるとこれはまた次元が全く異なるものです。でも、そのような発想を持つこと自体はあるていどの知識があればできることです。

この記事を読んでいてふと昔のことを思い出しました。私がまだ小学校六年生の時に戦争中のこともあり、東京の学童の集団疎開がありました。私たちはその時に山梨県に集団疎開したのですが、その疎開先での出来事なのです。当時は砂糖はきわめて貴重品であり、甘いものを口にすることは極めてまれでした。ましてや、子供にとって甘いものがなかなか口に入らないことはつらいものでした。そのような状況下で、一人の学童が薬局から地元産の軟膏製剤を買ってきたのです。そして、その軟膏の容器の下から蝋燭で少しずつ加熱したのです。そうすると軟膏が熱で液化し、その上層部に薄く膜が浮かび上がるのです。それを指でなめていたのです。つまり、この軟膏の成分に蜂蜜が入っていることを彼は知っていたのです。そして液化して浮き上がってきた薄い膜はほんものの蜂蜜なのでした。なかなか頭の働く子であったわけです。この場合は純粋の蜂蜜をいとも簡単に手に入れることが出来たわけですが、それにしてもよく考えたものでした。とても現代の学童にはとても理解できないことかもしれません。

つまり、このような考えは何も特別なことではなく、窮すれば通じるのように、すこし頭を働かせれば誰でもできることですが、それにしても中国のどぶから油の発想も似たようなものですが、その油を食用にではなく機械用にでもしていれば問題がなかったのかもしれません。それにしても、中国の食糧流通事情を知ったら下手なところでは食べられないかもしれません。もっとも、知らぬが仏、のことわざもありますが・・・・。

惜別、重松逸造さん

惜別、重松逸造さん

新聞報道によりますと二月六日に重松逸造さんがお亡くなりになったことを知りました。

重松さんとの最初の出会いは私が大学を終えてから一年間コースの衛生技術学科を国立公衆衛生院で学んでいた時にいろいろな授業、実習の中の科目の中に疫学の講義があり、その時の先生が重松さんでした。これが私にとっての初めての疫学へのつながりでした。

当時、重松さんはアメリカ留学から戻ってきて国立公衆衛生院疫学部に赴任された新進気鋭の先生でした。当時の疫学部長は甲野礼作先生でした。私たち学生は重松さんのことを「しげまっさん」と気楽に呼んでいました。その時はそれきりっと思っていたのですが、その後私が国立衛生試験所からイタリアに留学し、そり後スイスの当時のガイギー社に入社し、その後チバ社と合併し、チバガイギー社となり、スモンの訴訟問題に関与することになり、再び甲野礼作さん、重松逸像さんとの縁が戻ってきたわけです。まったく縁とは不思議なもので、いつどこでまた昔の人とのコンタクトが復活するのかはわかりません。

なお、甲野礼作先生もスモンの関係でいろいろとお世話にもなりました。当時、私がスイスのチバガイギ-社で安全性問題を担当していた関係で甲野先生がスイスに来られた時にはいろいろとお話をする機会がありました。私事にはなりますが、当時は私は独身でしたので、甲野先生が仲人的な話を私に持ってこられ、当時甲野先生の生徒が英国に留学しているので、この女性とのお見合いの話を持ってこられたこともありました。

それにしても私が関係のあった諸先生がだんだんお亡くなりになるのはこれも時代の流れなのかもしれません。重松先生のご冥福をお祈りするばかりです。

もっとも、重松さんの過去の職歴に関連して原発反対関係者からはかなりきつい批判があるとのことですが、今となってはそのような強烈な批判、コメントは避けるのが死者に対する礼儀ではないでしょうか。


2012年2月13日 (月)

引用文献一覧表記の疑問点

引用文献一覧表記の疑問点

どの医学論文でも通常は最後に論文中に引用された文献一覧が載るのが国際的にも一般的です。これは誰もが当たり前と考えています。

でも、どうして最後に纏めなければならないのでしょうか。こんな簡単な疑問は誰も持たないのかもしれません。なぜ私がそのような疑問を持ったのかといいますと、ある論文を読むときに、論文を読みながら最後に記載されてある引用文献リストをも同時に目を通すかということなのです。まず、ほとんどの人は論文だけを読んでいて、いちいち最後に記載されている文献を参照する人はいません。もともとあの引用文献一覧は論文中にいろいろな目的で引用した証拠を示すものであり、その論文を読んでいる時点では読者にはまったく必要のないものです。したがって、ある論文を雑誌などで普通に読む場合にはほとんどの場合その論文の最後に記載されてある引用文献リストをも参照することはないはずです。この文献リストが必要になるのは自分がその論文と似たようなテーマで論文を書くときにはいろいろと参照するという意味でそれぞれの引用文献をいろいろな角度から検討するためにそれらの文献を検索、取り寄せることになります。

しかし、そのような作業をしないで、ただ知識として論文を読む場合にはまずそのような文献リストは無用なものに取り扱われるのが一般的です。しかし、これでは折角いろいろと引用されている文献が可哀そうだと思うのです。つまり、論文の著者がいろいろと苦労して引用した文献が読者の関心の的にならないからです。

ある論文を引用する場合には理想的には最近の報告・論文などを引用するのが一般的だと思うのですが、場合によっては数年前、あるいは十年以上も前の論文を引用せざるをを得ないこともあります。しかし、一つの論文を読んでいていちいち引用されているのがどのような雑誌で、いつのものなのか、誰が書いたものなのか、などをその論文を読んでいる時点でいちいち最後の文献一覧を参照する人はまずいないと思うのです。もしそのような情報を知りたければ、その都度に最後の引用文献一覧の頁をめくらなくてはならないからです。でも、実際にはそのような読み方をする人は皆無に近いのです。つまり、通常の場合、現在読んでいる論文に書かれてある内容に関心があり、最後に載っている文献一覧の頁は別な機会に何らかの目的で参照することがない限り、そこに記載されてある文献一覧の頁はなんらの役にも立たないのです。一つの論文を書くことは基本的にはそこに記載する内容にオリジナリティがありることが一番重要であり、引用文献はあくまでもひとつの参考手段として使われているのです。ですから、最後に纏めてあるものと解釈することになります。つまり、よほど必要に迫られなければ、あるいは自分でなにか論文を書くときに必要な場合以外には最後に記載されてある文献一覧表はまず参照することはないはずです。でも、それでよいのでしょうか。

そこで、この引用文献を別な観点から読む方法を考えたのです。もし、いろいろと引用された文献が、最後に纏められるのではなく、該当頁の下段に小さく印刷されている場合には比較的簡単に目を遣ることは出来るのです。そのようなことをすることにより、論文を普通に読んでいても、「おゃ、この著者を知っているぞ」「これはイタリア人の論文か」「えっ、ロシア語の文献か、俺には読めないな」「なんでこんな古い文献が引用されているのか」「どうしてまたこんなに多くの名前が連名になっているのか」「なんでこんなにたくさんの文献を引用しなければならないのだろうか」などなどのいろいろな連想が生まれるのです。つまり、論文を読みながらもその専門領域の関心以外にもいろいろな連想が伴ってくるのです。つまり、一つの論文を読むことによって、いろいろな脇情報が自然と得られることが可能になるり意外と楽しい読み物にもなりえるのです。すくなくともこのような読み方もあることを強調したいのです。

ところが、現在のような国際的な取り決めでは引用文献リスト表記方式ではとてもそのようなことを期待することは不可能なのです。つまり、現在の国際的な引用文献記載方式の存在意義を考えたときそのような疑問を持ったのです。

通常の専門雑誌以外で、単行本のような場合には引用文献をそれぞれの頁の下に小さい活字で記載されてあるのもありますので、このような記載方式を雑誌論文にも適用できる可能性を検討すべきではないでしょうか。少なくとも、著者が望めばそのような分散方式をも認めることです。

まあ、悪意に解釈すると、引用文献がたくさん記載されているような論文はあまりオリジナリティがないものと解釈できるかもしれません。本当に独創性のある論文であれば、過去のものを引用するすべがないからです。

2012年2月12日 (日)

日本の公共窓口の非効率性

日本の公共窓口の非効率性

日本に一時帰国していつも感じるのは日本の公共窓口の非効率性があります。

たとえば、郵便局では通常の郵便業務と払い込み業務とではそれぞれ別の窓口に行かなければなりません。従って、小包発送と払い込みを一つの窓口で済ますことは出来ません。その場合には二回窓口に出かけなければなりません。

似たようなことは、銀行の窓口です。払い込みとか預金の引き出しなども、一旦通帳などを窓口に出してから、待合室に戻って、しばらく待っていなければなりません。しかも、その窓口の後ろには何人もの役割分担のひとたちが待機していそれぞれチェックをしています。それにしてもこのような対応でいつも考えるのは預金の引き出しのようなときにいったん待合室の椅子に座って呼び出しを待っているのですが、たとえば「鈴木さぁ・・ん」と呼ばれて「はい」と言って窓口に行っても何らの身分証明書を見せるわけでもなく、あれでよく間違いが起こらないものだと感心します。たとえば、待合室が混雑していて鈴木さんが二人いたりしたとき間違って別の鈴木さんが現金と通帳を受け取るような事故は発生していないのもまさに日本の不思議です。

似たような光景は空港などの外貨両替窓口での業務をみていますと、窓口の担当者から現金が、後ろに控えている別の人にわたり、その人が外貨紙幣を取り出して確認してから、通貨が窓口の担当者に再び戻ってくる仕組みになっています。その間、顧客は一旦窓口から外れて待っていなければならないこともあります。いずれも海外ではこのような業務は一人が責任を以てすべてをこなしています。このようなダブル・ワークはまさに日本のお家芸で、本当に効率の悪い業務体系を感じさせます。

まぁ、このようなダブルワ-クは雇用という観点からは良いのもしれませんが、逆にそれだけ人件費がかかり、効率性という観点からはマイナスですが、これは日本の伝統なのかも知れません。もっとも、このような非効率性も日本で生活していると気がつかないのかも知れません。

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »