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2012年1月の記事

2012年1月31日 (火)

右利きのための社内書類

右利きのための社内書類

世の中には右利きの人と左利きの人がいますが、ほとんどの人が右利きであるためにほとんどの製品、道具などはすべて右利きの人が考え、作られています。例外として左利きの人のためのものも作られていますが、極めて例外です。例えば冷蔵庫には左開きのものを注文することはできます。

私がいつも思うのは社内などの書類、それも頁数が多いものはコピーの都合もあって片面コピーがほとんどで、場合によってはそれを綴じたり、ファイルにすることもありますが、そのようなときには例外なしに用紙の左側に穴をあけそこを綴じて、いわゆる左綴じ書類になります。そうなると印刷されてある部分は当然のことながら開き頁の右側になり、左側はなにも印刷されていない空白の部分になります。このような冊子がごく当たり前で、どうしてそうなっているのかと考える人は誰もいません。

確かに、このような綴じ方の書類はただ読むだけの場合には右利きの人には極めて当たり前で、また読むのにも楽です。もっとも、このような場合には左利きの人もあまり不便を感じないはずです。

しかし、これが講義とか会議の書類、あるいはセミナーテキストとなると話は全く別になるのです。つまり、従来の左綴じの場合、なにかメモや感想、考えなどを書きとめようと思ったとき、すこし余白が必要となる場合にはどうしても開き頁の左側の空白の部分に書き入れることになります。ところが、右利きの人が開き頁の余白がある左側の頁に書き込みをすることは極めて不便なのです。でもこのことは誰も不便とは感じないのはこれまた不思議なことです。この場合、左利きの人は左手で左側の空白の部分に容易に書き入れることが出来るのです。ともかく実際に試してみてください。

そこで私はセミナーなどのテキストを作るときには印刷部分を左に持ってきて、右側は空白にしたものを作っています。そうすることにより、セミナー参加者の99%はメモなどをセミナーの最中に記入するときに右側の空白の頁に極めて楽に書けるのです。こんな簡単な操作を今まで誰も気が付かないということは、そのような綴じ書類、テキストを作る人は実際にそれらを使う人の立場になってものを作っていないからです。

もっとも、そのような右利きの人のための綴じ書類、テキストを作ると逆に左利きの人にとっては不便になりますので、配布数にもよりますが、左利きの人のために数部は従来通りの綴じ方のものを準備することです。

でもどうしてこのような簡単な発想を誰も持たないのでしょうか、不思議でなりません。みなさんも、一度身の回りのいろいろものをこのような観点から注意して観察してみてください。つまり、「どうしてこうなっているのだろうか」と絶えず考えることです。

2012年1月30日 (月)

文献の孫引き

 論文を書くときにはいろいろな関連文献、参考文献などを引用することはごく普通ですが、その場合に、それぞれの引用文献を十分に検証することも大切な作業になります。しかし、場合によっては目的としている引用文献がなかなか手に入らないときとか、他の論文でも頻繁に引用されていたりすると、ややもすると目的とする引用文献のオリジナルを入手しなくとも済んでしまうと安易に考えることが往々あります。これがいわゆる「論文引用の孫引き」に該当するのです。たしかに、頻繁に引用されている論文ではそのたびにオリジナルの文献をいちいち入手して参照しなくとも済んでしまうと短絡的に考えることがあります。ところが、これが時として曲者になるのです。

  最近私が経験したのですが、ある論文がいろいろなところで引用されており、したがって肝心のオリジナル文献の入手、検討を省いてしまったのです。ところが、その後になって肝心のオリジナル文献を苦労して入手して内容を検討したところ、意外な事実が分かったのです。この場合、まず雑誌名がTrends in Medicineと孫引き文献には書いてあったのですが、検索してみるとその雑誌名はTrends in Moecural Medicineが正しいのです。実際にTrends in Medicineで検索するとTrends in Molecural Medicineが現れるのです。

  しかも、肝心の引用部分はオリジナル文献の内容に手を加えていたのです。どのような操作かといいますと、オリジナル文献では有効率がナンパーセントとなっているのですが、孫引き文献では、それを逆算して、無効率として換算表示されているのです。結果的には同じかもしれませんが、有効率40%と表記するのと無効率60%と表記するのとでは読者がうけるインパクトは異なると思うのです。確かに、結果的には同じことですが、なにかしっくりしない感じを持ったのです。でもこのような操作は許されるのでしょうか。でも私の考えではやっぱり、オリジナル文献通りに表記すべきでしょう。

  たとえて言うならば、ワインがグラスに半分満たされているときに、それを表現するのに、ワインがもう半分しかない、と考えるのか、それともワインはまだ半分残っていると考えるかとの相似た微妙な表現の違いかもしれません。

  しかも、場合によってはオリジナル文献として引用されていてもそのオリジナル文献の性格によっては入手することが不可能な場合があります。たとえば、雑誌のような公共性のあるものではなく、会社内のニュ-スとか所内報とかのような場合があり、その場合には第三者がその原報を入手することが困難な場合もあります。そのようなときにはその報告者、著者の書いていることをそのまま信用するしか方法がありません。なお、ホ-ムペイジとかブログは公共性があるものとしてとらえられ、引用することができます。ですからブログに書かれたものを引用するときには注意が必要です。たとえば、新聞に投稿するときには自分が書いたブログはすでに公表済みとして取り扱われていて同じ内容のものは採用されません。最近、ドイツの大臣がが学位論文を書いたときにホ-ムペイジかに書かれあるのを引用したことが発覚し最終的には辞職したことがありました。

2012年1月13日 (金)

無声テレビ映画の勧め

無声テレビ映画の勧め

  普通の場合、テレビのドラマとかアクション映画を音声と一緒に視るのが当たり前で、誰も音声なしで視ようなどと考える人は皆無だと思います。ところが、このような映画を無声で一度視てみてはいかがでしょうか。

  なぜ、そのような発想を持ったかといいますと、欧州と日本の間を航空機で頻繁に往復していますと機内での映画を視ることが出るのですが、なにしろ飛行時間が10時間以上と長く、またエコノミークラス症候群を予防するという観点から、そのような機内で寝るのは禁物なのです。したがって、時間を持て余して何本もの映画を見続けますと音声を聞くためのイヤホンが耳を圧迫して苦痛になるので、最後の映画の時にはイヤホンなしで視ていました。ところが意外とイヤホンなしでも映画を楽しめることに気が付いたのです。つまり、最初から音声なしで劇映画を視ても十分にあらすじが理解でき、ほとんど問題なく楽しめたのです。つまり、音声という媒体を介さずに映画を楽しむために無意識的に画面に全力を集中することにより、それぞれの場面をよく理解する努力により全体をかなり楽しむことが可能になるのです。逆に言えば、通常の映画の鑑賞では画面と音声という二つの要因により理解することになり、たとえぱ、場合によっては言葉があまり理解できなくとも画面という媒体を通して完全に理解しているとの錯覚が働くからです。

  このような状態で映画を見ているときの脳波と音声と一緒にに視ているときの脳波とではおそらく大きな違いがあるはずです。つまり、音声が聞こえないときの場合の脳波のほうがある意味では理解するための脳波が異常に活発になるのかもしれません。実際にこのような検査をしたら面白い結果が出るはずです。
  
  皆さんもいちど試されてみてはいかがでしょうか。このように考えると、その逆に映画を視るときに逆に目を閉じて会話だけを聞くとその会話に100%集中でき、完全に理解できるはずです。これはラジオなどを聞くときに「…ながら」調に聞いているとすべての会話、解説を100%理解することはできず、なんとなく判っただけで終わりになるのがふつうではないでしょうか。この原理、あるいはこのような状態を語学の勉強に適用すると、外国映画をオリジナル版で視るときにも目を閉じてみると外国語の会話を理解しようとする努力が100%発揮されるのです。戦後間もなく、英語の勉強になるからと言ってアメリカ映画で英語を勉強するためのセリフの完全版が売り出されていましたが、そのような方法は意外と効果が期待できないのです。それは画面にも注意が向いて英語だけを聞こうとする脳の働きが弱くなるはずだからです。

  もっとも、このような映画の見方を最初から終わりまで、続けてみるのも退屈、面白くないかもしれませんので、ときどき目を開けて画面を視るほうが楽しめます。

追記(2011.2.5)
最近の研究によりますと、聴覚系脳領域・上側頭回の電気活動パターンから聴いた音を予想し、その音に基づいて聞き取った単語を割り出しうるそうです。つまり、認知と想像の脳での処理過程はよく似ていることが示唆されていることから、脳の活動と単語の音の関連を十分に理解できれば、想像を音に置き換え、インターフェース機器を用いてそれを単語として書き出すことも可能になるかもしれないということです。
Scientists decode brain waves to eavesdrop on what we hear / Eurekalert
したがって、私の無声テレビでの経験もまんざらうそではないようです。


 
  

私の架空発明 (13) 自動車の車間距離警告装置


私の架空発明 (13) 自動車の車間距離警告装置

車の運転で一番重要なのは衝突防止の観点から前を走っている車との車間距離をつねに一定に保つことです。時として急ブレ-キをかけたときに衝突しないためにも安全な車間距離を常に保つことが必要です。しかし、目測でその前を走っている車との距離と走行時速を勘案して安全車間距離を目測することは至難の業です。

それで、自動的に前の車との車間距離を測定し、それに時速を掛け合わせ、急停止を安全にするための安全車間距離を絶えず自動的に計測し、ハンドルの谷見えるメ-タ-に自動的に表示する装置を作ることです。このような装置をすべての自動車に装置すればかなりの自動車衝突事故は防げるのではないでしょうか。しかも、その安全車間距離が保たれない状況ではベルとか危険信号が鳴るようにするのです。

これと似たような装置は一部の高級車にはすでに装置されていますが、そのような装置は前の車との距離だけを測定して一定の距離以下になるとブザ-が鳴ったりしますが、そのような安全車間距離を常に目で見えるような装置にはなっていません。似たような装置にガソリンの消費量が刻々として自動的に表示される装置もありますが、むしろこのような装置よりも安全距離間隔を絶えず表示するほうが理屈に合っていると思うのですが、自動車メ-カ-はそのような顧客の意見、要望をなぜ積極的に取り入れないのでしょうか。少なくとも、私の経験ではホンダはだめです。他のメ-カ-に提案してみるつもりです。

2012年1月 8日 (日)

長期服用の医薬品の副作用

ファルマコビジランスの大きな欠点のひとつに年単位の長期にわたる医薬品投与の副作用の検出がある。つまり、通常の副作用自発報告制度からはこのようなタイプの副作用報告を期待するのはまず絶望的である。そのような目的には薬剤疫学研究が大きな役割を果たすことになるが、ここでの問題は誰がそのような研究をするのかということである。この種の研究をプロスベクティブにするには時間、予算などの大きな障害が伴うので、レトロスベクティブな研究のほうがあるいみでは効果的である。

最近報告された低用量アスピリンの長期使用による副作用として眼の黄斑部変性aging macula disorderがある。(Association between aspirin use and aging macula disorder. Ophthalmology. 2012; 119: 112-118) ただこの研究ではその信憑性が疑問視される可能性がある。この場合にはaging macula disorderが確認された患者のアスピリン服用調査であり、アスピリン服用実態は必ずしも正確に把握されているわけではなく、したがってそのアンケト調査の内容は保障されるようなものではないが、ある意味ではアスピリンの長期使用に対して黄信号が出たともりかいすることは可能かもしれない。
http://www.ophsource.org/periodicals/ophtha/article/S0161-6420(11)00568-9/abstract

基本的にはこのような黄信号にたいして、企業あるいは大学研究者は何らかの形でプロスベクティブ研究を実施する意義、いゃ倫理があるが、そのようなことを望むのは無理があるかもしれない。

2012年1月 6日 (金)

福島のがれき処理問題と沖縄基地移転問題との共通性


東日本大震災で発生したがれき処理について各都道府県の協力が求められ、やっと東京都とか静岡県自治体がその受け入れを前向きに検討していることが報じられている。しかし、全体的にみればがれき処理問題はいまだ未解決であり、こんごの福島以外の各自治体の動き次第である。この問題を考えたとき沖縄基地の問題と共通性があることに気が付く。つまり、沖縄基地もがれきも当事者以外にはその存在の痛みを実感できず、極言すれば他人の出来事であり、自分は関係ないという心理が大きく働いているのではないだろうか。

つまり、沖縄基地は沖縄県の問題、福島のがれきは福島県の問題と考え、その問題、痛みをお互いに共有して一緒になって解決策を検討しようとの動きはあまり見られない。むしろ、その逆にがれきを地元が引き受けることに関してはそこの住民の心理的な反対もかなり強いことが報道されている。似たようなことは沖縄基地を本州のどこかに移転しようとしたら、それこそガレキ問題以上に猛烈な反対運動が起こることは火を見るより明らかである。

このような場合には通常の対策ではなく、解決に向けた常識外の発想が必要になる。例えば、羽田空港の国際化に伴い、成田空港を廃止し、沖縄の基地を成田空港に移転するといった誰もが考えないような発想が必要ではないだろうか。がれき処理も人が住んでいない離れ島に持っていくようなことはできないものだろうか。もっとも、最終決定は政府がすることであるので、とてもいまのような政府にはそのようなゴリ押し的な決断を期待するのは無理と思われる。

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