衛試支部ニュ-ス とエスプレッソの最初の文献
現在の国立医薬品食品衛生研究所は私が勤務していたころは国立衛生試験所、略して国立衛試、でした。ここには全厚生職員労働組合国立衛生試験所支部があり、その支部のニュ-スが「衛試支部ニュ-ス」であり、定期的に発行されていました。私はそこに1964年と1963年に二回ほど雑文を書きましたが、当時はガリ版刷りの印刷物でした。
この衛試支部ニュ-スはいわば組合のニュ-スであり、衛試の公式な定期出版物「国立衛試彙報」、現在の「国立医薬品食品衛生研究所報告」、とは全く異なるのです。この彙報はこの衛試の正式な所内報であり、前記のニュ-スは所内の正式な研究報告所内報としては通用しないと思います。まぁ、広い意味では「所内報」と称しても間違いではないかもしれませんが、れっきとした学術的な「彙報」が存在するので、非常に紛らわしくなります。
ところが、レギュラトリ・サイエンスに関する論文の中でこの支部ニュ-スが引用されていますが、この内容については本人以外は現物を入手するのは難しく、したがつて現物はおそらく誰も自由に読めないはずです。
ところが、その論文を書いた人のホ-ムペイジにはこの「支部ニュ-ス」が「所内報」という表現に置き換えられています。これは明らかに意識的な誤記、あるいは不正表示とも受け止められます。
もし、この様な安易な誤記が許されるのなら、私が当時この組合ニュ-スに書いたものの一つが「カッフェ放談」があり、そこにイタリアの「エスプレッソ」のことにも触れていますので、日本でこのエスプレッソについて書かれているので、正式な文献的な記録として残っている最初の記事になるかも知れません。それもこの衛試の「所内報」に載ったことになります。(o^-^o) まぁ、ある意味では私の雑文の地位が向上したことにもなります。ちなみに日本にエスプレッソが導入されたのは1959年に京都の「ちきりや」がエスプレッソの機械を輸入して一般にエスプレッソを提供したとか。
もっとつもそれ以前の戦後間もなくの時代にイタリア海軍のコックで日本を訪問していたときに日本で終戦を迎えたアントニオ・カンチェミ氏が大阪でイタリア・レストランを開業し、最初のエスプレッソの機械をイタリアから日本に導入してエスプレッソを提供したとも言われています。、
注 イタリアでカッフェ(コ-ヒ-のこと)といえばエスプレッソのことであり、日本で普通に飲むコヒ-はイタリアではアメリカのコヒ-(caffe americana)のことで、イタリア人は誰もそのような水のようなものは飲みません。イタリアでのエスプレッソはごく少量であり、一気に全部飲めるくらい量が少なく、しかも砂糖なしでは日本人にはとても飲めないほど苦いのです。本当のエスプレッソはコヒ豆のいりかたそのものが普通のコヒ用の物とはことなるのです。
イタリア人は朝食の代わりにこのエスプレッソをバアで飲んで会社に行く人もいるのです。それは当然で、イタリアでの夕食は夜の九時くらいなのは普通なので朝はあまりお腹がすいていないからです。
私が初めてイタリアに1963年に来た時にこのエスプレッソを町のバア―、つまりコヒ―店で初めて飲んだ時、砂糖なしではとても飲めないので店の人に砂糖を小さじに二杯ほど入れて、と頼んだ時のその店の人の反応が「あんた、朝食でもするの?」と笑われたことがありました。
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