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2010年7月の記事

2010年7月29日 (木)

婚活、終活、トンカツ、日本語を壊しましょう (1) 新聞と省略語

婚活、終活、トンカツ、日本語を壊しましょう

最近の日本語表現には戸惑うことがしばしばです。とくに若い人や、メディアではカタカナ表記がどんどん省略されていくことです。たとえば、「気軽に集まる会」は「キガアツ会」に簡単に省略されてしまうので、保守的な者には極めて違和感を感じます。似たような例しては、就職活動を就活、つまりシュウカツ、になったりします。知らないひとはうっかりするとトンカツのたぐいかとも解釈してしまいます。

そのほかにも、「ロイヤルティを得られます」が「ロイヤルティを得れます」と「ら抜き」になるとか。このことに関して本多勝一氏の本の中にそのような「ら抜き言葉」に対する見解が記されているそうです

さらに最近では差別用語が問題になっていてその代変え表現が使われるようになりつつあります。例えば以下のような例が挙げられます。

自殺       自死

落第       (未完成者、未達成者 これは筆者の造語)

障害者      障がい者

盲人       視覚障害者   視覚異常者  視覚未完成者

子供       子ども

このほかにも理論的でない表現も有ります。

宿題  家題 (どうして家で勉強するのに宿が使われるのでしょうか。そのように考えるとやはり家題が適当だと思うのです。)

移民   呼民 (移民と言うのは海外に移り住むことであり、海外から日本に来るのは移民ではないので、呼び込むという意味で呼民のほうが適当だとも思うのです。英語では明確に両者をくべつしています。)

いずれにしても、省略形の使用は今後もどんどん進むかも知れません。中には「終活」などと訳の分らない省略形があります。これは人生の最後を迎えるときに向けて、葬儀やお墓の準備を始めることを意味する造語だそうです。これはどのような省略形なのかはわかりませんが「終末活動」のようなものの省略語かもしれません。

このように考えるといろいろな省略形が考えられます。自発活動が「自活.ジカツ」、単身赴任が「単赴、

タンフ」、救助活動が「救活、キュウカツ」、援助交際が「援交,エンコウ」、植林活動が「植活、ショクカ

ツ」、破壊活動が「破活、ハカツ」、受動喫煙が「受喫、ジュキツ」、定年退職が「定退、テイタイ」などな

ど限がありません。もっとも、健康保険が「健保」のように広く使われている省略形もあるので今後はみん

なでこのような省略形をどんどん使って日本語を壊して改革してはどうでしょうか。そうなると逆に「トンカツ」、「カツドン」、「テンドン」は何の略なのでしょうね。

以下は朝日新聞投書欄に載った私の記事です。

「最近、省略語が頻繁に新聞紙上に使われるようになっています。就職活動が就活に、婚姻活動が婚活に、など挙げたらきりがないくらいです。このような省略形が広まると本来の表現が忘れられてしまう可能性もあります。さらに日本語を正しく使うという観点からはあまり好ましい現象ではないと思います。それでなくとも若い人たちの日本語の乱れは凄まじいものがあります。もしこのような勢いで省略語が際限なく使われると、禁煙活動が禁活に、文化活動が文活に、文筆活動も文活に、宣伝活動が宣活に、新聞宣伝が新宣に、など際限なく使われてしまう可能性が極めて大きいと思います。新聞はニュースを正しく伝える使命があり、さらに新聞には正しい日本語を維持する社会的貢献が間接的に求められるのではないでしょうか。同じ新聞に格調高い文章があるいっぽう、その反対に社会記事には若者表現が記事の中に散見することにたいして極めて違和感を感じます。昭和一桁生まれの人間にはこれらの省略形の表現は日本語の乱れとしか受け取れません。少なくとも記者が書かれる新聞記事の中では使われないほうがよいでしょう。」(2010/April/6)

この新聞投書にたいしてある学生さんが、「このような省略語は言葉は時代によって変化するものだ。だからこのような意見には納得できない」とのコメントがありましたが、この投書の意図は新聞にはそのような省略語を頻繁に使うべきではないとのことであって、省略語そのものを頭から否定しているものではないのですが、この学生はやはり投書とか論説の意味を正しく読み取れないことに由来しています。文章の理解には起承転結ということが暗黙の了解であるのを知らないのかもしれません。 なお、この投書が2013年用の高校の国語教科書、明治書院刊、に採用されています。それは「表現」という項目の中に「投稿された文章を読む」の項目があり、その中に私の投書が引用されています。

2010年7月28日 (水)

くすり服用後の苦味感 氷山の一角現象 (**) クラリスロマイシン例、ゾビクロンの例

薬の副作用にはいろいろなものがあり、添付文書にはたくさんの副作用情報が記載されています。その中の一つに服用後に口中に苦味を感じるいわゆる「味覚異常」があります。たとえば、ある抗生物質クラリスロマイシンを服用すると数時間のうちに口中での苦味感が経験されます。この抗生物質は体内に吸収されたのち、血中に移行するのですが、唾液とか痰にも移行し、ときとして血中濃度以上に移行するのです。しかも、この抗生物質の有効成分はもともと苦味があるのです。ですから唾液などに移行した有効成分の苦味が服用後に感じられるのです。

 つまり、この場合はこの抗生物質の副作用というよりは薬剤そのものの効果の現れとも理解できますが、一般的には副作用としてとらえられています。もっとも、この体外体液への出現の程度、並びに患者個人の敏感度、吸収率などいろいろな要因も関与しますので、このクラリスロマイシン服用者全員が一様に同じ口内苦み感を感じるとは必ずしも言えないのですが、かならず程度の差こそあれ感じる筈なのです。もっとも、味覚とか臭覚は個人差が極めて大きく、人によっては殆ど苦にならない悪臭も、臭覚機能の高い人にはとても我慢できないこともあるのです。ですからこの抗生物質による味覚障害も個人差が極めて大きいのです。

したがって、この抗生物質を服用し、苦みなどを強く感じる人は服用後二時間前後から飴などをしゃぶって味をカモフラジするしかないと思います。

なお、この抗生物質の添付文書には味覚異常として苦味が記載されていますが、その頻度が0.1%未満という記載はこのような軽微な副作用が実際の医療現場では報告の対象になっていないことを間接に物語っています。本来ならば、このような誤解を招く記載は訂正し、味覚異常はほぼ100%と書くべきなのですが・・・・。
このことに関連して、非臨床試験でみられる毒性から実際の副作用を予測することはかなり難しく、頭痛、倦怠感、発熱、などは患者の主訴によるものであり、それらの副作用が診療医に伝わる可能性は低くなり、したがって、添付文書に記載される頻度数も現実を反映していおらず、低いものになるのが普通なのです。ましてや、口中の苦み感などは患者によつての敏感度が大きく異なるし、さらにそのような軽微な副作用はほとんどの医師が企業や行政には報告しないので、当然ながら表面的な頻度は著しく低くなってしまうのです。

 

でもなぜこのようなほとんどの場合必ず起こる軽微な副作用での頻度がこんなにとてつもなく低い数値に記載されているのかということです。理論的に「すべての」副作用が報告対象となっているのですが、行政が通知してる「医薬品・医療機器等安全性情報報告制度、実施要項」には、「具体的には以下の事項を参考にすること」として「軽微ではなく、かつ、添付文書から予測できない未知の症例等の発生」が報告の対象とされているのです。確かに、この説明では「軽微で、かつ添文から予測できる副作用」は必ずしも報告の対象としなくてもよいのニュウアンスがありますが、「報告しなくともよい」とは書いてはないのですが、あくまでも参考にしてください、と説明されているのです。でもなぜこのような曖昧いな説明がわざわざ付けられているのでしょうか。

いずれにしてね「苦み」のような自覚症状については、副作用についての関心がほとんどない医師は「おかしいですね」で済ませてしまうのです。いずれにしても、このような添付文章情報はたんなる行政当局向けに作られたものであって、患者の為に作られているわけではないのです。ですから、申請時のデタがどのようにして作成されたかとの過程は重要ではなく、それなりの体裁を整えていれば問題なく許可になるのです。また普通の医師は医療用医薬品の添付文書なんか端から端まで真面目に読む人はいないのです。かって、ある大学の先生が新聞の投書欄で、「あんな添付文書を読む人はいませんよ、ちょうど保険の証書の裏に書かれてあるいろいろいな条件、説明書を誰も読まないのと同じなのですよ」と豪語されていたくらいです。

つまり、この苦味は唾液中に確実に移行するので、服用者全員がその苦い味を経験しているはずですが、医師を含めて多くの人がそれを副作用とは考えないからです。もっとも、味覚異常という表現はやや専門用語に近いので、通常の苦味などを考えないのかも知れません。でも、もしそうだとするとこの味覚異常がはたして有効成分そのものなのか、あるいは別な機序で味覚の異常が起こるのかを区別する必要があるかもしれません。

 

  いずれにしても、このことはそのような軽微な副作用は誰もが企業に報告するようなことは考えないので、副作用報告は氷山の一角現象であることを直接的に物語っていることになります。

 

しかし、現実にはこのような軽微な副作用でも日常生活にかなりの影響を与え、該当副作用を服用中には必ず経験するようなだけに一番大切な情報なのですが行政はそのような軽微な副作用は報告しなくともよいと
通達の中で宣言しているのは全く医療の本質を理解していないのです。つまり、換言すれば、現在の医薬品情報、特に副作用関連情報は患者のために作られているのではなく、医師、薬剤師のために作られているのです。

  このような副作用情報が氷山の一角現象といわれている例としては、抗がん剤の典型的な副作用、吐き気、が挙げられる。抗がん剤療法のような通院化学療法の場合、医療関係者は遅延性の副作用、吐き気や嘔吐などの場面に直接経験しないので報告の対象とはならないし、また患者や医療関係者もそのような副作用はあまりにも周知であるので、だれも報告するものとは考えないようです。したがって、このような副作用も氷山の一角現象の範疇に入るのです。したがって、そのような抗がん剤の正確な副作用の発生頻度、発生時期情報、その継続期間などの詳細デ-タは通常の副作用自発報告制度では解析できないのです。

ここでも言えることはこのような詳細な情報は患者にとっては必要なのですが、企業は殆ど関心がないのです。例えば、ある副作用かなと思われる事象が経験されて、その副作用はそのまま服用を続けていると数日内には無くなるのですかと聞いても多くの医師は確答できないのです。なにしろそのような情報は経験の多い医師以外では誰も持っていないからです。ましてや、そのような情報は該当医薬品販売会社は持っていないのです。いゃ、そのような情報を収集しようなどという高尚な理念は持っていないのです。また、行政当局もそのようなことにはまったく関心がないのです。

 

追加(2015 Feb)
このことに関してその後考えたのですが、上記のような副作用は強弱はあるもののすべての服用者に起こるものであって、厳密には副作用の概念ではなく主作用(適応症)でもなく「従作用」との概念導入が必要になるのかもしれません。つまり、indication, main effectsに対して accompanied effectsとなるのかもしれません。もっとも、このような考えは世界中でも誰も持っていないのです。

  似たような苦味感は睡眠薬ゾビクロンでも起こるのですが、その苦味感は個人差が強いので、苦になる人も居れば殆ど苦にならない人も居るわけですが、理論上は服用者全員が感じるはずなのです。ゾピクロンは唾液中にも排泄され、唾液中の消失半減期は血漿中よりも長いことが報告されているので(Biopharm Drug Dispos1984;5:117-25.)、就寝前服用後、苦みが朝方まで残っていることは十分考えられます。このような場合に苦味感を強く感じる人は他の睡眠薬に切り替える必要があります。
しかし、その添文にはその発生率が4%としか載っていません。これも氷山の一角現象なのです。

追記 (2015 Dec)
この記事はもう五年以上前に書いたのですが、その後、この記事へのアクセスが毎日十数例前後もあるのです。ということはいろいろな人がこのような内容の記事に関心があることになるのです。このことは逆な立場に立って理解すると、副作用の氷山の一角現象は意外とみなさん関心があり、またある意味では知らされていない情報なのかもしれません。私の人生の半分は医薬品の安全性関連ですが、このような「氷山の一角」現象はいまだに解決されていないことが実感されます。おそらく将来永遠に解決はされないでしょう。(≧ヘ≦)

追記(2016 Feb)
最近の報告(BMJ誌オンライン2016年1月14日号)ではクラリスロマイシンは高齢者での使用は心筋梗塞とか心臓死などの確立が高くなるとのことなので、単純な疾患にはこの抗菌剤あまり使わないほうが無難かもしれません。

追記)2016 May)
この記事はもう六年前に書いたのですが、いまだに毎日のようにこの記事へのアクセスが10-30人と続いているのは極めて驚異的です。そこで、考えたことはこのような抗生物質投与がかなりの頻度で行われていることを間接的に表していることになります。しかし、これを投与している医師の大部分は味覚異常のような軽微な副作用を自分自身では全く経験していないので、患者の立場になってそのような日常生活におけるある程度の味覚障害に対しては全く関心がないのです。

 

追記(2016 Nov)

繰り返しますが、このサイトは毎日のように30人前後の人がアクセスしていることはまさに驚きなのです。でも最近、以下のようにある医師の方が実際にがん患者になった時の経験から記述しているのを読んで、なるほどと思いここに転記させていただきました。

 

『医師は副作用を体験できないですから。とはいえ、経験がなくても患者が治療を始める際にどんなことが起こるかを想定し、伝えなければなりません。味覚障害が出たときに備えて対処法を示すなど、投薬前や投薬中の患者の不安を和らげるのは医師の責務です。ですが、医療者がもっともらしく説明したところで、患者にメリットはありません。経験したことのないことを分かっているフリをして伝えるよりも、「どういうものかは経験したことはないから分からない」と正直に前置きをした上で、「ある患者さんはこう表現しているし、他の方はこう表現していました」と伝えたり、「ある患者さんはこんな症状が出たと話して、こんな対処をしていました」というように伝えればよかったのだと反省しています。 患者としては、副作用そのものの説明もほしいですが、どちらかといえば、副作用が出たときにどう対応しながら生活をしていかなければならないのか、ということをより知りたいと思っています。』

この記述からもわかるように患者が何らかの味覚異常を訴えても、そのような経験の全くない治療医は「おかしいですね」とか「あまいドロップのようなものを口に入れてはどうでしょうか」くらいのことしか言えないのです。その味覚異常が自分が投与している抗生物質の副作用とは多くの医師は考えないのです。

 

追記(2018 Jan)
最近の新聞に味覚症状に関する記事があり、その原因として亜鉛不足が論じられていました。もっとも、この原因にはいろいろとあって、味が分からなくなってきただけではなく、苦みが増えてくることも往々にあるのですが、そのような場合でも薬の副作用かもしれないという結びつきは開業医の殆どは考えないのです。その大きな原因は添付文書などに記載されている味覚異常の発生率が極めて低く書かれていること、そして苦味のような軽微な副作用は誰も副作用として報告なんかする医師は一人もいないので当然の結果として添付文書には反映されないのです。

追記(2019 Dec)

最近、気が付いたのですがある年齢以降の主として女性には非定型性抗酸菌症のひとが多く、そのような人にはその対策としてクラリスロマイシンが投与されているとのことです。そのようなひとがかなりの数になることが報告されています。その結果、殆どの人が口中苦み感を感じているのですが、殆どの医者はそのような患者の主訴には関心がなく、おかしいですね、飴でもしゃぶってみては、くらいの助言しかないのです。その結果として、多くの人がインタネット検索して、このサイトにたどり着くのです。ですからいままで不思議に思っていたこと、つまりなぜ毎日のようにこの記事に十人前後の人がアクセスしてくるのかが分かりました。

 

追記(2020 April)

昨年風邪の折にクラリス処方されて飲んでいたとき、夜中に苦味を感じてビックリしました。水を飲んでも苦味はあり、風邪の他の症状か?と心配になりました。服用期間が過ぎた途端。苦味から解放させました。その年の後半にまた風邪を引きクラリスを処方されて飲みましたら、やはり夜中に
苦味を感じ、ネットで調べましたらこちらにたどり着きました。薬剤師の方に苦味の話をしても薬は大体苦いですからねと。でこちらのブログを見せましたら、え?というお顔を、されました。苦味は結構辛いですし、他の病気ではないかと不安になります。苦味は副作用でないと言うことなのでしょうね。でももっとしっかりと薬の副作用を知ってもらいたいです。実は今も処方されて飲んでいます。お薬手帳に副作用として苦味と書いていても取り合ってもらえないのが現状です。 (これは読者の投稿記事です)

 

>追記 (2022 august)

この記述はもうかなり前に書いたのですが、私が不思議に思うのは、この記事に毎日、毎日ですよ、数人の人がアクセスしているのです。

どうしてなのでしょうか。この記事を読まれる人は実際にこの記事に書かれてあるような副作用の経験がある人ばかりなのでしょうか。

もし、出来ましたら、この記事を読まれた人からの簡単な経験をコメントして書いていただけませんでしょうか。

 

 

2010年7月26日 (月)

育薬か薬育か

最近、「育薬」という表現がよく使われている。私も、この表現を数年前に初めて知ったときにはなかなか良い表現だと思い、またファルマコビジランスの分野に適した表現だと捉え、いろいろな所に使っていたが、この頃になって、別な分野で似たような表現が使われているのに気が付いた。それは「薬育」という表現である。そこで改めていろいろと調べたり、自分なりに考えてみて、最終的には以下のような結論に到達した。  まず、薬育と育薬とい二つの表現の由来を考察してみた。   育薬という表現は医療関係者の間で使われ、その由来は当時の大分大学の中野教授が1999年に新薬が市販以降に有効性、安全性等をより深く探求するというより広い分野を念頭に置いて使われたのが始まりである。一方、薬育という表現は薬の正しい使い方を教育するいう分野の人たちが2000年に入ってから使いだしたもので、「知恵蔵007年版」にも収載されている。 ある意味では両者とも同じ発想、理念であるが、それぞれの対象の次元が異なり、さらに育薬というのは「創薬」という表現に対して意識的に使われている。別な見方をすれば、育薬は大学関連分野の表現であり、薬育は一般大衆、患者を念頭に置いた表現であるが、最終的には「くすりの適正使用」のためであり、同じことを目的としている。ただ、両者の違いは育薬は研究者たちが新しい情報、ノウハウを求めているのに対して、薬育は現存の情報、知識を広めること、つまり「適正使用」のための教育を目的としている。 さらに、日本語としての語感からすると育薬は文字通り「育てられた薬」、「薬を育てる」になり、薬育は「薬というものを正しく教育する」という解釈でいずれもくすりの適正使用と同義語になる。 育薬はの創薬と対をなす表現として学術関係者などにより使われている。したがって、その語順は漢文的要素が導入され、「くすりを育てる」の意味で上下の単語を返り点にしてある。 薬育という表現は日本語として通常の表記感覚で、薬に関する教育をする、つまり薬教育の省略形と考えられる。  
 ちなみに「くすりの適正使用」という表現は1993年に開かれた「世紀の医薬品のあり方に関する懇談会」で正式に使われたが、そもそもこの表現を提示したのは1992年、当時の薬務局長に就任した岡光序治氏が就任早々に創り出したものである。   一般的に、通常の日本語表記では、最後の語が主目的で、その前にくる語は目的、手段になり、あくまでも最後の語が主役、行動になる。例えば、「読育」は読むという習慣を育てるためにいろいろな機会を通じて読書を身につけることを意味している。また、「食育」は正しく食事する習慣を身につけるための教育という意味に使われている。そのほかの表記、「読解」は読むという行為を通して内容を理解する、という意味で、最終目的はあくまでも理解の「解」になる。これが反対になる「解読」となると読めない、あるいは難しい文章等を解明、理解して読めるようにするということであり、その最終目的は「読む」ことにある。

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